17話『アマゾーンの女王でち』
ステュムパリデスの鳥。
その名の通りギリシャのステュムパロス湖近くに棲んでいたとされる怪鳥の群れで、アレスのペットだ。周辺の家畜や住民を襲ったり糞尿で土壌を汚染したりして問題になっていたところ、大英雄ヘラクレスによる六番目の試練として退治された。
気の荒い怪鳥も、姿を見せれば射殺す気満々な大英雄ヘラクレス相手には森に潜んで出てこなかったので、ヘラクレスはアテナに頼み青銅製の大銅鑼を用意してもらった。
その凄まじい音響によって慌てて飛び立ったステュムパリデスを次々にヒュドラ毒の塗られた矢で射殺し、中にはヘラクレスに襲いかかってきたものも居たが殴り殺され、残りは恐れをなしてギリシャから逃げていったという。
噂には聞いていたのだが──まさか体格が牛よりも巨大だとは思わなかった。伝説の怪物、キマイラやオルトロスのような体格である。
「アレスは『俺の小鳥』って言ってた……よな?」
唖然としながらパリスは言うが、物陰に隠れながらついてきたオイノーネが解説した。
「そういえばアレスって、人間の前に出るときは小さく化けてるけど本当は雲に頭が着きそうな大男だからね。あのサイズでも小鳥なんじゃないかな」
「そんなことより襲われてる人を助けるわよ! パリスちゃん!」
「ああ!」
屋根の無い神殿の内部に怪鳥が住み着いていたか、飛び込んできたか。狭そうに二本足で立ちながら青銅の羽先を持つ翼を叩きつけるように振るっている。
その先には巫女風の薄い長衣を身にまとって祭壇の影に隠れようとしている女性が三人と、もう三人の女性は武装して槍と盾を手に怪鳥を引きつけて戦っている。
怪鳥が振るう羽の一撃を真正面から、大斧で受け止めて踏ん張っている少女の姿にパリスは驚いた。年の頃はまだカサンドラと変わらない、十にも満たない幼女である。それが自分の背丈程も巨大な斧を担いで女戦士として戦っていた。
「当たれオラアアアア!!」
野太い怒鳴り声で相手を威嚇しつつ投石紐を高速回転させて遠心力を付け、尖った石を放ったのはアイネイアスだ。気合を入れるとオカマ言葉を使う暇もなくなる。
キン、と空気を引き裂くような音を残しながら高速で石が怪鳥に向けて飛来する。革鎧ならば三枚は貫通する強力な投擲だ。普通の鳥相手だと手加減が必要だが、ドラゴンサイズに巨大なので遠慮なく力いっぱい投げつけた。
直撃前に投石を察知したステュムパリデスの鳥は目の前の幼女戦士に向けて振るっていた翼で薙ぎ払うようにして石を叩き砕く。
並の羽ならば砕いて穴を開けるのだが、神々に飼われていた恐るべき怪物はその金属で出来た羽先で石を吹き飛ばしてしまった。
「ならこいつはどうだ!」
だが防御されるのは想定の範囲内。投石が当たるにせよ防ぐにせよ、一瞬の間を置いてその間隙にパリスが毒矢を引き絞って放つ。
正確無比な彼の射撃はステュムパリデスの目を射貫いた。少なくともパリスもアポロンに憑依されるだけあって、弓の腕前ならばヘクトールにだって負けない。
怪鳥は怒り狂った叫び声を挙げながら無我夢中に暴れる。アカエイの毒は痺れなどよりまず激痛を齎すのだ。
そのままの位置からでは有効な射撃が放てないと判断した二人は盾を構えながら走って接近し、他の女戦士たちと包囲するように動く。
「隙ありでちー!」
正面から怪鳥の攻撃を防いだいた斧使いの幼女が舌っ足らずにそう叫び、前転するように暴れる鳥の足元に小さく滑り込んで、いかなる膂力か斧を豪快に振るい足首を斬りつける。
「どりゃあああ!」
だが怪物の体重を支える足が異様に硬いのと、体勢が万全でなかったためか足の半ばまで斧の刃が食い込んで離れなくなった。
「か、かったいでち、こいつ! こなくそー!」
足を狙う外敵を排除せんと、ステュムパリデスの鳥は鉄に似て鈍く光る嘴を足元の幼女に振り下ろそうと頭をもたげるのをパリスは見た。
「あ、ぶ、ねええええ!!」
「なんでちー!?」
とっさに飛び込んで幼女を抱きかかえるが、頭上に嘴が投げつけられた大槍のように落ちてくる。
肩を向けてアイギスの盾で受け止めた。だが一度では攻撃を止めず、何度も啄みを続けてきた。盾で弾くのだが、滑らせた相手の嘴が何度もパリスの体を切り裂く。
「パリスちゃん!」
「姫様!」
囲んでいるアイネイアスと女戦士らが怪鳥の気を引こうと一斉に槍と剣を突き刺し、盾で鳥を殴りつける。だがステュムパリデスの鳥は体中から血を流しながらも目の前の人間二人をずたずたにしようという意思は消えなかった。
「クソッ! 全員離れろ!! アイギスを使う!」
パリスは叫ぶが早いか、アイギスを覆う革を開放する。一瞬の判断でアイネイアスは近くの女戦士二人を抱えて射程外に逃げた。
背中に隠した幼女を巻き込まないように注意しながら、アイギスの盾に埋め込まれたメデューサの首を発動させる。
《ヴオオオオォォォオオン──》
火山の地鳴りに似たおどろおどろしい音と共に、濁流のように溢れ出した赤黒い呪いの光がステュムパリデスを貫く。悲鳴を叫ぶ間もなく、恐るべき怪鳥は体を石塊に変化させしまった。
すると、足を斧が半ばまで断ち切っていた影響か──ぐらりと傾いたステュムパリデスの石像がパリスと幼女に降り注ぐ。
「うおやっべえ!?」
「ギャー! やべーでちー!」
パリスと幼女は岩の雪崩に巻き込まれるが、アイギスを支えにどうにか怪我は避けることができた。
慌ててアイネイアスと女戦士たちが掘り起こしに来て、遠くから様子を伺っていたオイノーネとカサンドラも薬壺を片手に近寄ってきた。
粉々になった岩の破片から出てきたパリスは体のあちこちを啄まれた切り傷と、打撲痕。幼女は目を回していた。
「大丈夫かい? もうこんなんだったら最初からアイギスで石化させればよかったね」
「生け捕りにしろって指示だったからさあ……イテテテ。このちびっこ大丈夫か診てくれる?」
パリスが庇っていた幼女を寝かせながらそう言った。見た目は第一印象の通り、若いというより幼い雰囲気の子供だ。やや褐色の肌に赤銅色の髪の毛。胸元と腰を獣の革で作った露出度の高い蛮族風の革鎧を身にまとい、入れ墨があちこちにあった。狼の牙や骨で作られた飾りをあちこちに付けている。服装は多少差異はあるが、他の女戦士と同等の物だ。
女戦士らも鍛えられた体に使い込まれた武具、ハッとするような美女揃いで、気が強そうな顔立ちだが今は幼女を心配しているようだ。
パリスはその衣装や雰囲気に見覚えがあった。
「あんたら……アマゾーンか?」
アマゾーンの女戦士は有名であるが、パリスとしてはトロイア戦争の予知で戦争末期に与力として援軍してくれたことが記憶に深く残っている。
それを思い出すと、どうも目の前の幼女に見覚えがある気がした。
女戦士の一人、栗毛の方が言う。
「助かった。戦士たちよ。我らは旅のアマゾーンである。たまたまこの島に立ち寄り、父なる神アレスに関係する怪物が暴れて困っているというので助力していたのだ」
そしてフラフラと目を覚まし始めた幼女に手を向けて紹介する。
「これなる御方はアマゾーン族が女王ペンテシレイア様にあらせる」
「ペペペペペ、ペンテシレイアさん!? この幼女が!?」
パリスが驚いて唾を飛ばすように叫んだ。
まさに件の、トロイア戦争でトロイア側を援護してくれて、そしてアキレウス相手に一騎打ちで討ち死にしてしまったアマゾーンの女王その人である。
予言の記憶に残る彼女は女も盛りの時期であった比類なき美女で、パリスとしても美人ランクをつければ嫁のヘレネーの次ぐらいがペンテシレイアになると思うぐらいであった。オイノーネに言ったら殺される。
彼女がトロイアに来たことで目を向けぬ男は居なかった。声は鈴の音を鳴らすように心地よく、戦場では戦の女神がかける号令めいて壮麗であり、彼女の美しさには殺害したアキレウスすら後悔するほどだった。(死姦したという逸話も生まれたぐらいだ)
そんな超絶美女アマゾーンだが。
パリスが目を落とすと、露出度が高いからこそわかるのだが、ペターンとした男とも女ともわからない幼児体型の幼女である。
「知ってるの? パリスちゃん?」
「オレが知ってるのよりだいぶちびっこい感じだが……まあ、そうだよな。トロイア戦争で会ったのって確か二十年後ぐらいだし」
約二十年後のトロイア戦争の時に美女だったならば、今の時代では幼女であるのも当たり前の話だ。カサンドラだって同じぐらいの年なのだから。
「うーんむにゃむにゃ……」
「ペンテシレイア様、ペンテシレイア様! 女王の威厳ですよ! ビシッとしてください!」
「はっ!」
側近の女戦士から言われてカッと目を開けるペンテシレイア。
ぶんぶんと顔を振って周囲を確認。パリスの姿を認めて、彼女はやおら立ち上がった。
「うむ! わらわが誇り高きアマゾーンの女王、ペンテシレイアでち! えーと、きでん? きこう? きさま? んー……お前たちは誰でち?」
格好付けた単語を使って聞こうとしたのだが浮かんでこなかったのか、率直な疑問を口にした。
「オレはトロイアの王子パリス」
「アタシはパリスちゃんの親戚のアイネイアスよ」
「パリスお兄様の妹兼お嫁さんのカサンドラです」
「ちょっと! ナチュラルに嘘ついてるよこの幼女!! ボクだからね! ボクが嫁でキミは妹!」
突然争い出す女たちに若干アマゾーンたちは引いた。複雑な家庭の事情があるのだと踏んだのだ。
「それにしても、随分若い女王様なんですね。わたしと背丈変わりませんよ」
カサンドラが物怖じせずに隣に並んでそう首を傾げる。一応、彼女もペンテシレイアに関しての知識はあるのだが、予言の未来を全部追体験したパリスよりは知っている場面は限定的だ。
同じぐらいのちびっこに負けぬようにペンテシレイアは胸を張りながら言う。
「仕方ないでち。前に女王をやっていたヒッポリュテーお姉ちゃんがなんか突然やってきたヘラクレスに殺されちゃったでち。もうひとりのアンティオペーお姉ちゃんはテセウスに攫われていったし。残ったアレスの娘としてはわらわがアマゾーン族を率いていかないといけないでち!」
「なにやってんだギリシャ英雄……あちこちでヤバいよなあいつら」
「解説! 解説がいるかい?」
嬉々としてオイノーネはスマホを操作して伝説を教える。
ヘラクレス十二の試練の九番目。アマゾーン女王の腰帯を持ってくるように命じられたヘラクレスはまず交渉にて腰帯を手に入れようとした。
女王ヒッポリュテーは快く彼に貸し与えようとしたのだが、試練を邪魔する女神ヘラがアマゾーンの女戦士たちを扇動してヘラクレスの一団に攻めかからせ、裏切られたと思ったヘラクレスは咄嗟にヒッポリュテーを殺害。旅に同行した英雄らも迎え撃ち、相手を返り討ちにしたのである。
余談だがミノタウルス退治で有名な勇者テセウスは、アマゾーンのアンティオペーを攫ったり、幼いヘレネーを攫ったり、冥界の女王ペルセポネを攫いに冥界まで侵入したりと婦女誘拐の常習犯である。言ってみればミノタウルス退治の後もクレタ島の王女アリアドネを連れて逃げたりした。
それはさておき。
ペンテシレイアはじっとパリスの顔を覗き込んで告げる。
「パリス王子、でちか」
「お、おう?」
感慨深そうにペンテシレイアはウンウンと頷きながら彼に向けて屈託のない朗らかな笑みを浮かべた。
「よーし! 助けてくれたお礼にお前の子供を産んでやるでち。わらわを孕ませていいでちよ?」
「なんでそーなる!?」
パリスが叫んだ。
「男が生まれたら殺すか捨てるでち。女が生まれたら大事に育てるでち」
「アマゾーン倫理観止めろ!」
パリスが幼女からの信じられぬ提案に必死に止める。
アマゾーン族は基本的に女だけの集団であり、人数を増やすには他所から奴隷の女を買うか、或いは他の部族と子作りをして娘だけを残すかである。
そんな部族の女王なのだから幼い頃から倫理観もずっぽりとそっち方面であり、ついでにいえば一族を増やすためという理由であって何も疑問に思わない。
それにしても、十未満の幼女からそんなこと言われても、なんかもうドン引きする程度にパリスは普通の嗜好であった。二十代になったペンテシレイアに誘われたならまだしも。幼女どころか赤子のヘレネーを誘拐するテセウスとかいう犯罪者とは趣味が違うのだ。
「ビキィ! サカりやがって……頭アレスかよォ……」
「キレちまったです……久しぶりに……!」
「ふたりともしょっちゅうキレ散らかしてないかしら?」
急に求愛?らしきことを始めたペンテシレイアに対してオイノーネとカサンドラが憤怒の眼差しで睨みつける。アイネイアスは巻き込まれないように離れた。
ペンテシレイアに迫られて後ずさりするパリスを追いかけながら幼女は純朴そうに聞く?
「どうしたでち? 子作りするでち。遠慮はいらんでち」
「しませんけど! マジで!」
っていうかやり方知ってるの!? その年で! そうパリスは心の中で叫んだ。カサンドラといい、最近の幼女はマセている……!
他のアマゾーン戦士たちも止めないあたり、まあ別段彼女たちの間ではおかしなことでもないのだろう。美女揃いなのに奥ゆかしさが足りていない。
「せっ!」
掛け声と共にオイノーネがペンテシレイアの脇腹をケリュケイオンの杖で強めに突っつく。ヘルメスの神具にて意識が即座に刈り取られる幼女。
「すこー!」
「あらあらおネムですか? お薬飲みましょうね」
眠りについたペンテシレイアを介抱するフリをしつつカサンドラがモルヒネを飲ませようとした。
慌ててパリスが叫んだ。
「止めろカサンドラ! ヤバ気な毒を飲ませようとするなー!」
「早めに! こういうのは早めに対処しませんとお兄様!」
「なにがだ!?」
オイノーネからケリュケイオンを奪い取ったパリスが、嫉妬に狂った女二人も杖で殴って眠らせる。
とりあえず問題は後回しになった。騒ぎが一段落すると、神殿に隠れていた若い巫女たちが恐る恐る出てきた。
「あの……」
「あら、ごめんねうちの子たちが────スッ」
「どうしたんだアイネイアス────スッ」
巫女たちが近寄ってくると同時に、パリスとアイネイアスは無言で、懐に入れておいたマスクを取り出して鼻まで覆った。
その巫女たちが臭いのだ。強烈に。失礼ながら。
見た目は普通に気品のある美女なのだが。
やや刺激臭で涙目になりながら二人は最も着飾った巫女が挨拶するのを聞いた。
「はじめまして。私はリムノス島の女王、ヒュプシピュレと申します。トロイア王家の方々とお聞きしましたが……」
「はい」
返事が短くなる。二人とも臭いによってあまり口を空けたくない。
彼らの反応にヒュプシピュレは悲しそうな顔をしながら告げる。
「おふた方とも、常人ならざる英雄らしいことはわかります。どうかこのリムノス島に掛けられた悪臭の呪い、その原因であるあのステュムパリデスの鳥の退治に手を貸してはいただけないでしょうか?」
「退治って……」
返事をどうするか躊躇したパリスだったが、遥か遠方から幾つもの鳴き声が聞こえてきた。
そちらを皆が見ると、まだ遠く離れているが──山の方から、群れをなしてステュムパリデスの鳥がこちらに向かって飛んできているのが見えた。
「まだあんなにいるのォ!?」
アイネイアスが悲鳴をあげる。アイギスの石化能力で始末したとはいえ、数人がかりで切りつけ、矢を打ち込んでも死なない恐るべき怪物が、二十か三十程もいるのがわかる。
「嘘だろ!? 一匹でもヤバいのに、あんな群れをヘラクレスは追い散らしたのか!? 化け物かよ!?」
ヘラクレスがギリシャで退治したときは数百もの数が居たというのだから恐ろしい話である。尤も、彼の使うヒュドラ矢は怪物が相手でも一撃必殺の威力があったのだが。それでも二百羽は殴り殺したという。
「とりあえず避難しましょう! こちらに地下道があります!」
ヒュプシピュレがそう促すのだが、なんとその場には寝ている三人ものお荷物が存在していた。
「うぐううう、オイノーネとカサンドラに触りたくない……アイネイアス! 頼む!」
「容赦なく情けないわね……!」
するとアマゾーンの女戦士らが申し出る。
「この二人は我らが。アイネイアス殿は姫様の斧を、パリス殿は姫様をお願いします」
そう指示してきたので、パリスはペンテシレイアを担いで、アイネイアスはその場に残されていた彼女の斧を手にして地下道に逃げていく。
「この斧重た! ペンちゃんより絶対重いわよ! よく持てるわねこの子!」
「アレスの娘だからパワーあるんだろ! ……アキレウスに殺されちゃったけど」
小脇に担いだ幼い女王の寝顔に、予言の未来で見た凛々しく美しい女王の面影を感じながらも、彼女が無残にもアキレウスに殺された結末にパリスはげんなりとした。
あの戦争の原因の一つは自分であるが、やはりアキレウスは嫌いだ。そう思った。
『私のことを浮気性というけしからん者もいるが、アレスもあちこちで女と子供を作っているのだ。私とアレスの共通点は男前で人気者だというところだな。やっかみを受ける』────関係者Z
『うちの息子までお前の子疑惑を付けるのは本気で止めろ』────冥界神H
『あれはオルフェウスが撒いた疑惑だろう! 私は関係ないぞ!』────関係者Z
年末で餅代を稼ぐための仕事が忙しくて感想返信など遅れていますが
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