13話『VS吸血鬼』
パリスが自宅の中に入ると、倒れるようにヘスペリアは眠っていた。眠りながらもその両手には青銅の蛇を持っていて、どうやら警戒はしていたようである。
「スココココ……ぷひー……」
「イビキがノンキすぎる」
持参したのかやたらと大きな枕に抱きつきながらヘスペリアは熟睡である。ちなみにこの時代の枕とは、亜麻の布で作られているものがアシアからエジプトでは主流だ。
とりあえず起こそうと思ったのだが、便利な起床アイテムであるケリュケイオンはトロイアに置いてきてしまっていた。
パリスは肩を揺すったり、頬をペチペチと叩いてみる。
「おーいヘスっちさーん、起きろー」
「むにゃむにゃ……」
「ストーカーが来るぞー寝てると襲われちまうぞー」
「枕がデカすぎぃ……すやぁー」
一向に起きる気配がない。パリスは頬をつまんで伸ばしたりしてみた。モチのようにうにょーっと伸びて、締まりのない寝顔になるのを見ていると起こすのに罪悪感すら沸いてくる。
「起ーきーろー! おっぱい揉むぞこの駄女神!」
「くかー……」
さてどうしたものかとパリスが悩んでいると、外からヘクトールの呼ぶ声が響いた。
「パリス! 敵が出たぞ!」
「っ! ヘスっちさん、待ってろよ。今度こそ、必ずオレが守ってみせるからな!」
パリスが外に飛び出ると甘ったるい匂いが周辺一帯に漂っていて、眠気のようなものを感じる。
僅かにふらついていたパリスの口に気付けのためヘクトールはミントの葉を突っ込むと、吸血鬼二人と対峙した。
異形の怪物二人は余裕の態度で武器を構える王子たちを見ている。
青銅とロバの足、牛の角、犬の耳を生やした非常に奇妙な出で立ちをした女吸血鬼が喋る。
「おいおい、見ろモルモ。二人目も出てきたじゃあないか。ニュクス様のお導きか?」
「イヒヒヒヒ! 若い方! アタシ若い方食べたいなあエンプーサ!」
「わかったわかった。お前は昔からガキが好きだからな」
モルモと呼ばれた道化師女と、エンプーサと呼ばれた異形の女。
共に冥界に住まうと言われる悪名高い吸血鬼姉妹である。魔女の神ヘカテーに仕え、時折人間界に現れては女子供を攫っていったり男から生気を奪ったりする、いかにも魔物らしい活動をする魔物だ。
残虐な性質。怪力と鋭い爪や牙。怪しげな術や変身をも使う。そして何より、ギリシャ世界では多くの怪物が住処を持つのに対して、神出鬼没な彼女らは一等にたちが悪いとされる。
「こいつらがストーカー……?」
「いや、わからん。だが、軽い挨拶をしてさようならというわけには行きそうにない────なっと!」
ヘクトールが言葉を交わすのも程々に、不意打ち気味だが己の槍を投げ放った。デュランダルと呼ばれる、先端が匙のようになっている、現代で言うと円匙に近い独特の槍だ。古代のアシア、特にプリュギア地方で見られる作りだった。現代でもトルコなどの遺跡発掘で見つかる鉾として有名なのは読者もご存知であろう。
ボ、という空気の壁を突き破る音を立てながら飛来した槍は吸血鬼の片方、エンプーサへと直撃しながら彼女を後方へと吹き飛ばす。凄まじい勢いに木がなぎ倒され、数十メートルも背後へと吸血鬼は飛ばされていっただろうか。
だがヘクトールは見ていた。槍が当たる一瞬前に、エンプーサはその青銅の片足で穂先を受け止め、余裕の表情をしたまま槍の勢いに乗り自ら後ろへ跳躍したのを。
すかさずヘクトールは剣を抜いてエンプーサを追いかけることにした。
「パリス! そっちは任せる! 俺が片方を倒すまで死ぬなよ!」
「ああ! ヘク兄も気をつけろ!」
ヘクトールがエンプーサを追いかけて森を疾走していくと、自らの槍が今度はこちら目掛けて一直線に貫かんと飛んできた。
冷静な判断でヘクトールは身を躱して槍の柄を掴んで受け止める。手指の皮膚が擦過熱で火傷するほどの勢いだったが、再び得物を手にした。
槍の飛んできた方では、青銅製の片足を上げたまま三日月のように裂けた口で笑みを作り見ているエンプーサがいる。足に刺さっていた槍を蹴り飛ばすようにして飛ばしてきたのだろう。
減速せずにヘクトールは吸血鬼に接近して、槍を一気に突きつけた。
「やるじゃないか、お兄さんよ!」
エンプーサは抜き手の形で槍を迎撃。その指先からは一本一本がナイフのように爪が伸びていて、鋼鉄製の穂先とぶつかり合って金属音と火花を生む。
互いの力が拮抗して動きが止まった瞬間、ヘクトールは片手で槍を保持したままもう片方の手で剣を振るって女吸血鬼の頭を狙う。
彼の持つ剣もまたデュランダルと呼ばれる特別製の武器だ。ヘルメスの武器ハルペーを参考にして作られた先端部が左右に別れたもので、鉄をふんだんに使ってとにかく頑丈に分厚く作られていた。その形状は剣というよりも、現代で言うところのツルハシやピッケルに似ている。この形状の武器も現代ではトルコ近辺の遺跡で発掘されることで有名だ。
笑みを浮かべたままのエンプーサは剣の一撃を角で受け止める。そして腕を引っ込めて回し蹴りをヘクトールに叩き込もうとした。
青銅の足がこちらを狙うのをヘクトールは一瞬、剣で受け止めるか判断に迷ったが直感的に身を低くして避ける。鞭のようにしなり、先端部は音速をも越える速度で放たれた吸血鬼の蹴りはヘクトールの頭上を掠り、その隣にあった大木の幹をえぐり飛ばした。
「おっとろしい威力だねえ」
ヘクトールがぼやく。エンプーサの足は青銅製だが、その硬さは人間世界で作り出された青銅の比ではない。
「ヘパイストス製の義足だ。羨ましいか?」
「なんで冥界までヘパさんの武器が行き渡ってるんだ」
「ヘパイストスはブサイクで友達も居ないから嫌われ者の冥界者と仲がいいのさ」
鍛冶神であるヘパイストスが青銅を作る際には人間界では使われない様々な混ぜものがされていて、神造に相応しい強度になっている。中でもティタン族の血が混ぜられている、いわゆるチタン青銅合金は鉄よりも遥かに硬い。冥界の深部にあるタルタロスを管理している巨人族らは鍛冶を行う者もいるので、ヘパイストスは彼らと繋がりがあるのだろう。
槍の攻撃が再びエンプーサを襲う。前後左右、突きから斬撃、打撃まで織り交ぜて息もつかせぬ連撃は穂先が常人では視認できぬ速度で繰り出され、受け止められる度に金属音か、弾かれて周囲の木々を薪のように寸断していった。
更には片手で槍を振るいながらその遠心力を重たい剣で相殺してヘクトール自身が振り回されないように体重移動を掛けながら、剣での斬撃も次々に放っている。先端が重い特殊な形状のデュランダルソードは鎧や兜も軽々と粉砕する、片手剣にあるまじき破壊力を持っていた。
数多く存在する英雄の中ですら上位の技量を持って槍を振るうヘクトールだが、圧倒的な膂力と獣の強さを持つエンプーサも負けず、鋼鉄のように硬い爪と角で槍を逸らし、反撃に襲いかかれば岩をも切り裂いた。牛の怪力に犬の嗅覚と聴覚は致命傷を避けてヘクトールを追い詰めんとする。
(こいつは中々厄介だ)
ヘクトールがそう思った。
槍が何度か命中しているのだが、相手は吸血鬼なのですぐに傷が塞がってしまう。一撃で首か手足を断ち切らねば行動不能にはできないだろう。槍と剣の二刀流でヘクトールは怪物退治に勇ましく挑む。
(だが殺れるはずだ)
ヘクトールは普段からあまり本気を出すことはない。トロイアでも群を抜いて強い勇士である彼は子供の頃から本気を出すまでもなく、他人より抜きん出た力を持っていたからだ。
その力をぶつけることができる怪物も現れなかった。ヘクトールの父であるプリアモス王も、かつてトロイアを海獣が襲っていた頃にヘクトールがいれば退治してくれたものを、と惜しむほどであった。(なおその時の海獣は旅の途中のヘラクレスが退治し、紆余曲折あってついでにトロイアもヘラクレスにボコボコにされた)
ヘクトールの兜と武器が妖しく輝く。吸血鬼の命を刈り取ろうとする武器の打ち付ける勢いが急速に強く早く洗練されていく。手足に角を使ってそれを防ぐエンプーサだったが防戦気味になり、舌打ちをする。
「大人しく食われろ、人間!」
「そう言われて食われる人間っている?」
ヘクトールは軽く言い返しながら剣と爪を打ち合わせて、鍔迫り合いになった瞬間に勝負を掛けた!
「光よ!」
力ある言葉だった。新月の夜でも光明神ヘリオスに届きそうな、祈りにも似た真摯な叫びだ。
「くっ!?」
彼が叫ぶと同時に、ヘクトールの兜に装着されていた宝石ヘッドライトが激しい閃光を正面に放ち、エンプーサの目を眩ませた!
特異な能力を持つ彼の兜はギリシャで主流なコリント式ではなく、どちらかと言うとスパルタ式に近い形だ。現代でいうとハーフヘルメットにヘッドライトが付いている状態に見た目は似ている。正面からヘッドライトの眩い光を食らった闇の怪物は大いに怯み、隙を作ってしまった。
それを逃すヘクトールではない。デュランダルスコップとデュランダルツルハシで一気に畳み掛けて吸血鬼の身体を削っていく────
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兄が真正面から化け物と切り結んでいる一方でパリスは慣れ親しんだ森の地形を逃げ回りながら悲鳴を上げていた。
「嘘だろおおおお!! 絶対こっちクソ不利じゃねーかあああ!!」
「キャハハハ!! アハハッハハ!!」
走り、木陰に身を隠し、岩場に伏せ、石粒を投げつけ、弓を引いて相手を探す。
それを追いかけるのは無数の蝙蝠であった。赤い毛並みをした百匹以上の蝙蝠が、笑い声を上げながらパリスを追いかけ、隙あらば噛み付こうとしてくるのである。
道化師の格好をした吸血鬼、モルモが変身した姿だ。冥界の下級女神とも言えるモルモは地上の女神と同じく、変身の術を得意としている。蝙蝠や霧、蚊や狼などに姿を変えて獲物を襲うことができるのであった。
「喰らえ!」
パリスは狙いを絞って矢を放つ。狩猟で鳥を射ることも得意としているパリスに掛かれば、夜の蝙蝠すら容易く撃ち抜いて木に縫い止める。
撃ち抜かれた蝙蝠は悲鳴を上げてグズグズに崩れて姿を消していく。
「もう一発!」
鋭い矢の一撃が蝙蝠を田楽刺しに、纏めて二匹射落とす。キイキイと鳴き声を上げながら地面に落ちて影が薄れるように消えていく。
「まだまだ!」
パリスの弓の腕は実際にかなりのものだろう。元来より才能はあったのだが、今の彼はトロイア戦争での経験もインストールされているので、戦場で磨かれた技量も加えれば弓だけは一流半ぐらいの英雄クラスはあるかもしれない。
複数本束ねた矢を一気に放ち、蝙蝠の一団へと次々に当てていった。
なのだが……
「はいはい効いてないですよね!!」
「キャハハハハハ!!」
「クソァ!」
一匹二匹を射抜いたところで大量にいる蝙蝠の群れは減らず、それを操るモルモが弱る気配もない。
アブの群れみたく蝙蝠が数匹合わせてパリスに飛びかかり、短剣で切り払うが腕に取りつかれて噛みつかれる。
「めっちゃ痛ェ!」
痛みに焦るが、足を止めて引き剥がしていては次々に纏わりつかれるのでパリスは地面に転げるようにして移動しながら蝙蝠を振り払う。
蝙蝠の噛み傷はネズミに噛まれた程度の軽傷ではあるが、全身をたかられれば恐ろしいことになるだろう。
想像してゾッとするパリスに耳障りな笑い声が四方八方から響いてくる。
「キャキャキャキャ! 怖い? ねえ怖い?」
「こっ怖くねーよ! かかってこい! 蝙蝠なんて捨てて来いよモルモ! ぶっ殺してやる!」
「アハハハハ怖がってる! 楽しい! キャハハハハ!! もっと怖がってよ!」
何処からかモルモが上機嫌そうに声を上げながら蝙蝠が弾丸のように襲いかかってくる。牙を剥き出しにした顎は小型犬並に小さいものの、首などを噛まれれば危険なためパリスは庇いながら、腕や足などを次々に噛まれて顔を顰める。
このままではジリ貧だ。ゾワゾワと恐怖感が増してくる。パリスから感じる、怯えの気配にモルモは更に気分を良くする。
モルモという吸血鬼、生き血などより他人の恐怖を得ることを自らの糧にする怪物であった。それ故に、大人よりも子供をよく襲う。ギリシャ圏では古くから残り、21世紀の現代でも子供に言い聞かせるのに「悪い子にはモルモが来る」ということわざがあるぐらいである。
パリスは冷や汗を拭い、萎えそうになる心を叱咤する。
(オレはトロイア戦争で死にそうになったことが何度もあるし、ピロクテーテスからヒュドラ矢を食らった痛みも覚えてる! 火葬された熱さも、それに冥界の炎に焼かれたことだってあるんだ! こんな蝙蝠に怯えてられるか!)
「これぐらいで怖がるかよ! オレは誰よりも絶望を体験している男だぞ!」
「え? 冥界で永久に坂道で岩を押し続ける罰を受けてるシシュポスより絶望体験してるの?」
素の声でモルモが尋ねてきて、パリスは頬を掻いた。
「……いやまあ、そんなガチ勢はともかく」
シシュポスは生前は王だったのだが、言葉巧みに死神タナトスや冥界の王妃ペルセポネを騙して寿命を誤魔化した有名な詐欺師である。人間が冥界神を騙すという大それたことをしでかしたので、死後は延々と岩を押し上げるという、賽の河原系の刑罰をずっと一人で受けていた。なおシシュポスはオデュッセウスの血縁上の父でもあるとも言われている。
それはそうと、パリスもこのまま負けてはいられないと意気込む。せめてヘクトールがエンプーサを倒して合流するまでは。
短剣を振り回して蝙蝠を遠ざけながら、パリスは肩に付けていた盾を掴んだ。とてもじゃないがまともに相手して勝てるような怪物ではない。数多の英雄だって相応しい武具を用いて挑むのが怪物退治なのである。パリスが持っている最強の武器はそのアイギスだ。
「いきなりだが最終兵器だ! アイギス!」
射線上にヘクトールが入らないように位置を気にしながら、アイギスに巻かれている革のカバーを外す。
そうすると盾には平面上に埋め込まれ一体化したゴルゴンの怪物、邪悪なるメデューサの顔が彫刻めいて現れる。
目隠しのように巻かれていた革から開放された衝動か、周囲に満ちた吸血鬼の放つ冥界の空気に反応したのか、首だけになっているメデューサの開かれたままの目から、灼熱の溶岩に似た赤色の呪いが濁流のように溢れ出して前方へと放射される。
「ゴルゴンビィィィィムッ! うわ怖ッッ!」
呪いの奔流に重さはない。だが薄ぼんやりと明るくなっていたイーデ山の森を焼き尽くすマグマが盾から吐き出されたかのような石化の魔光が迸った。
パリスも初めてゴルゴンの魔眼付きアイギスを使ったのだが、盾からドバドバと出てくる呪い光線で思わず腰が引ける。
勇者ペルセウスはこのゴルゴンを使って大海獣ケートスを石化させた──どころか、地元の悪徳領主一味を全員石化させたわけだが、とても人間相手に使うような武器ではない。
赤き呪いの光に晒された蝙蝠は尽く石となって地面に落ちて砕け、呪いを浴びた木々は朽ちて白骨のようになり、蝙蝠だけでなく森の生き物も即死していくようで虫の鳴き声さえ失せていった。
(王宮で親父がうっかり見ようとしてたけど、下手すれば王族全滅だったぞこれ!)
いくらなんでもこんな大量殺戮兵器を手に持っているというのは勇ましい気持ちよりも恐ろしさの方が勝る。パリスは所詮三流英雄なのだ。ペルセウスなどとは心持ちが違う。
それでもどうにか、盾から吹き出る呪い光線を薙ぎ払うように動かして蝙蝠の居た周囲一帯を石化させた。
パリスは恐ろしいので革製のカバーをさっさとアイギスに巻きつけて魔眼を封印する。こんな全自動、射線先を殺す盾なんて持っていたら危険すぎる。一人だけならまだしも、周囲にはヘクトールもいるし屋内にはヘスペリアもいて事故で当たったら拙い。ついでに、地元であり神山でもあるイーデ山への環境被害も大きい。
周辺には百を越える石化した蝙蝠の破片が散らばっている。モルモの笑い声も途切れた。パリスは一息付く。
「これだけやればさすがの吸血鬼も……」
「キャ」
「死んでいて……欲しいなあああああ~!」
「キャキャキャキャキャキャキャ!!!」
激しく金属を擦り合わせるような耳障りな笑い声が再び周囲から聞こえてきた。パリスは油断なくアイギスを再び構える。
「どこから出てきてもまた石化させてやる!」
「ハハハハハハハハハハハ!!」
「……なんか霧が濃くなって来たんだけど」
薄ぼんやりとイーデ山を包んでいた霧が、目に見えて濃密になってきた。すぐ近くの木の幹さえ見えない。手を正面に伸ばしたら指先すら霞んで見えるほどだ。
そして笑い声はすぐ耳元から聞こえてきて、パリスは片手に盾を持ちながら短剣を振り回すが手応えは無く、常に、「キャハハハハハ!!」という声が耳に痛みを与えてくる。
「まさか……霧に変身したのか!? ……うわもしかして……ゴルゴンビーム!」
吸血鬼モルモの伝説によれば、彼女は霧の夜に現れるという。恐らくは霧を操る魔女だと言われ、ギリシャでは川辺に起こり日を浴びると消えていく朝霧のことを『モルモが逃げていく』という言葉があるほどだ。
だがこの夜闇の中で使われる濃霧は、視界を新月の晩よりも深く遮ってしまう。
アイギスの封印を再び解いて、灼熱色をした呪いの光を放つのだが──霧自体が石化することは無く、霧に包まれた光線も僅かな距離で拡散して消えてしまった。
前方1メートル先が見えない視界なのだ。あくまでゴルゴンの視線で呪いを放つアイギスの効果は殆ど及ばず、そして無機物である霧を払うこともできない。
「無敵じゃん! ……いってェ!?」
不条理に叫んでいると突然の痛みに振り返る。背中のあたりを蝙蝠が噛み付いていた。慌てて振り払う。
霧で視界と攻撃手段を奪った挙げ句、まだ蝙蝠も呼び出して嫌がらせのような攻撃をしてくるモルモ。
蝙蝠が近づいてくるのも見えないし、気配も掴めない。だが向こうは自分が变化した霧なので蝙蝠も自由自在に動かせるだろう。このままでは一方的に嬲られるばかりだ。
「どうやって勝つんだ!? ヘク兄ー!」
「あいよ~」
弱音のような叫びを上げたら即座に返事があった。濃霧の中に飛び込んできたヘクトールはパリスの声を頼りに近づき、彼とすぐさま背中合わせにして武器を構えた。
「うわヘク兄本当に来た。そっちの吸血鬼は倒したのか!?」
「いやあ……それなら良かったんだけどなあ」
頬を掻きながらヘクトールは困った様子で言う。
「エンプーサという女吸血鬼を追い詰めて串刺しにしてやってまではいいんだが……なんか二体目のエンプーサが襲ってきて、慌てて霧の中に逃げ込んだところだった」
「二体目!? 二体居たのか!?」
一刀一槍の巧みなコンビネーションで異形の吸血鬼を倒す寸前までいったのだが、いきなり現れた二体目のエンプーサが割り込んできたのだ。しかも串刺しにした程度では死んでいない一体目のエンプーサも復活して襲ってきたので、これは拙いと近くで綿のように膨れていた霧に飛び込んだのだったが。
しかしそれが、別の吸血鬼が变化した霧だったとは飛んで火に入る夏の虫である。
「増えたのはなんだろうなあ。变化の術か、分身の術か……ともかく俺たちは、吸血鬼が化けた霧の中で、二体以上の敵に襲われてる真っ最中ってわけだ」
「状況悪化してるー! うわーアテナー! 加護くださーい!」
パリスが悲鳴を上げるのだが、彼を支援する戦女神からはまったくの神託が訪れる気配はなかった……
『ゴルゴン付きアイギスは人間が使うには強力すぎる。アテナは甘やかしすぎだ』────関係者Z
『私の兄アトラスはペルセウスに石化させられたのだが、そのひ孫ヘラクレスが訪ねてきたときは石化が戻ってしまっていた。定期的にアトラスを石化させに行ってくれると彼も助かるのだが』────解説者P