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Re:審判から始めるトロイア戦争~パリス王子のパリ直し~  作者: 左高例
2章『パリスの審判とイーデ山の戦い』
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9話『ヤンデレ特効武器を手に入れた!』






「──はい膝カックーン」

「のあーっ!?」


 絶体絶命に陥ったパリスのピンチを助けたのは、オイノーネの背後に突然現れた帽子にマント姿の青年──ヘルメス神だった。

 彼は手に持った杖でオイノーネの膝裏を突っつくと、バランスを崩したオイノーネがその場で前のめりに倒れて動かなくなった。

 どことなく顔色の悪いヘルメスは腹のあたりを押さえながら言う。


「あいたたたた……昨日ディオニュソスと飲み会してて、ヒュドラの蒲焼きを食べたら腹痛が止まらない……それともあいつの持ってきたインド原産ナーガの蒲焼きのせいかな? 胃腸も弱ってるのに急にアテナに呼び出されて参っちゃうよな」

「あ、ありがとうヘルメス! 助かった!」

「気にしないで。アテナからお歳暮で最高級のオリーブオイルを貰う約束だから。腹痛にも効果があるんだ。というわけではい。この杖を貸してあげる」


 そう言ってヘルメスが渡してくるのは、二匹の蛇が絡まり翼が生えているようなデザインの杖である。


「僕がアポロンから貰った『ダサダサ牛追い棒』だよ」

「そんな名前だっけ!?」

「あー違った。『ケリュケイオンの杖』。あ、違った。『ケリュケイオン』だけでいいんだった。ギリシャ語で『伝令使の杖(ケリュケイオン)』って意味だから、ケリュケイオンの杖、まで言うと頭痛が痛いとかチゲ鍋とかそんな感じの被った意味になるから注意ね!」

「チゲ鍋ってなに!?」


 ヘルメスは肩をすくめながら話を続ける。


「ま、別にいいじゃない。機能を簡単に説明すると、杖の頭で相手を突っついたら眠るから。無理やり起こすときは柄の方で突っつくといい。これで襲いかかってきた相手を無力化しとくようにって」

「おお! 凄い役に立ちそう!」

「こんなの僕に渡すってことはもっと牛を盗めってことなのかな、アポロン。ちなみに眠りの神ヒュプノスには無許可の道具だから内緒にね。僕はこの杖全然使わないから貸出期間は気にするなよ。こんな杖貰ったけど、僕って草笛一つで巨人でも眠らせる術使えるし」


 ヘルメスが持つ伝令の杖は元々アポロンが持っていた牛追い棒と言われている。滅多に使うことはないが、ヘルメスを代表する道具の一つだ。ヘルメスの有名なエピソード、百眼巨人アルゴス退治で不眠の巨人を眠らせるのに使われるかと思いきや、ヘルメスが草笛で眠らせたので使われなかったため出番が無い。

 余談だがデザインがアスクレピオスの杖に似ているが、アスクレピオスの杖は蛇が一匹巻き付いていて、ケリュケイオンは二匹である。ケリュケイオンに医療的な意味はないのだが混同された結果、後世の保健・医療機関のシンボルにこの牛追い棒が間違って定着していることがある。


 これで膝裏を突かれたオイノーネは床に突っ伏して眠っているようだ。

 彼女が動かなくても呪いによる嫌悪感は凄いのだが、近づいて来ない分マシになっている。眠っている人食いライオンを見ているような感覚だろうか。

 まかり間違ってパリスの方が眠ってしまうと恋心をこじらせたカサンドラやオイノーネに睡眠時悪戯(エンデュミオン)されてしまうかもしれないが、逆ならば問題はない。


「更に朗報だ。アテナの要請で、アポロンとアルテミスが支援してくれるって。太陽と月の出ている間は、完全にじゃないけどエロースの呪いを和らげてくれる。君も彼女らもね」

 

 ヘルメスがウインクをしながらそう告げてくるので、パリスはホッとしてヘナヘナとその場に座り込んだ。

 どうやらこの前の儀式でアルテミスからの評価も上がったのだろう。ついでにあの姉弟はエロースが大嫌いだった。アポロンは被害を受けたこともあるし、望まぬ男女をくっつけるエロースはアルテミスにとって非常に腹が立つ。一応は処女神で、一夫一妻が互いに浮気もしないのならば認めるアルテミスであるが、エロースの恋愛は相手が人妻だろうと身内だろうと見境いがない。

 三人がちゃんとアルテミスの祭儀も行っていたことも加味されている。そもそもパリスは赤子の頃に捨てられたとき、アルテミスの遣わせた雌熊に守られていたので、ある程度は目にかけられているのだ。

 アテナにアポロン、アルテミスにヘルメス。あとヘパイストスにも武器を作ってもらう予定になった。

 顔が広いアテナなので彼女が他の神に頼み事をすると、こうして色んな神々が協力してくれるのである。正史の方でアフロディーテがパリスの味方に付いてもアフロディーテの伝手で協力してくれるのはアレスぐらいだった。夫のヘパイストスすらギリシャ側に付く始末だったというのに。


「ありがたや!」


 パリスが拝むのをヘルメスは「うんうん」と頷きながら言う。


「こんなサービス、大英雄レベルじゃないと普通はしないんだけど、珍しく……もないか。アテナが張り切っててね。加護は素直に受けておくといいよ。『いや、これぐらいアテナの手助けは必要ない』とか人間に言われるとマジギレするから彼女」

「き、気をつけます……」


 ちなみに予言の未来では、大アイアスがトロイア攻めの際にアテナの加護を断ったところ頭が狂って死んだ事例がある。

 神々が人間を支援するというのは、ファンがアイドルを支援するのとは違う。お気に入りのペットにおもちゃを買い与えてやるとかそういう感覚に近い。せっかくの施しなのにそれを無為にされたら、ペットをシメて食べちゃおうかなと思う感じだ。

 そうしているとヘルメスがかがむようにして苦しげな声を上げた。

 

「ううっまたお腹痛くなってきた……!」

「ト、トイレ使います?」

「いや、ヘパイストスの鍛冶場に彼の作ったトイレがあるからそれじゃないと嫌でさ。あれ一度使ったらもう戻れないよ。だって黄金のイルカからまさかあんな機能が……イタタタ、それじゃあ僕帰るから」

「お疲れ様です」


 労いの言葉を掛けると、ヘルメスは指を一度鳴らした。次の瞬間にはその場から消え去っていく。伝令の神である彼にとっては距離など無いようなものなのだろう。

 パリスは手にしたヘルメスの杖をしげしげと眺めて、窓から注ぐ月光を感じながら大きく深呼吸をした。

 それから倒れているオイノーネを見る。


「……うっ、オイノーネ……ごめん、なんか潰れた虫を見てるみたいな気分」

 

 相当に嫌悪感は薄れてきたものの、魂の奥底から彼女に触りたくないという感情が浮かんでくる。月の光が精神の安定をもたらしているのだが、エロースに射抜かれた胸に残された傷跡から、途切れることなく呪いの毒が流れ込んでいるのだ。

 解呪の方法をいくら取ろうとも、打ち込まれて消えた矢そのものを取り除かねば意味がない。 

 どうしても、あれだけ感謝していて今度こそ大事にしようと思っていたオイノーネに、好きや愛といった気持ちが出てこないのだ。

 それが正常でないこともパリスは理解している。しかし心の持ちようでエロースの呪いを克服できるはずもない。


 アテナの理性をもたらす石に、姉弟神の加護まで貰っても完全に中和することは不可能なほどの能力。

 エロースとは恋の神だという側面が有名だが、その実は凄まじい力を秘めた神なのである。

 ギリシャの神々の殆どが、雷や風など自然現象の神であったり、鍛冶や狩猟に結婚など人々の営みの神であったり、あるいは河の神や海の神といった土地神であるのに対してエロースは違う。


 彼は『あらゆる存在の結合と分離』そして『心』を司る神なのだ。これは世界法則に関わる概念であり、世界を構成するための権能を持つ。創造神の力の一端を担うといってもいい。


 それがどういうわけかアフロディーテに従うイタズラ天使みたいな立ち位置に居るのかは不明だが、エロースの能力にあてられればゼウスだろうと狂ってしまうに違いない。その能力を軽減できているだけでも御の字である。


 このままオイノーネを放置して逃げたい気持ちを抑えて、ひとまずパリスは彼女を起こすことにしてみた。彼女の好意という呪いがどの程度まで軽減されているか確かめなければならない。


「オイノーネさんはオレの天使! オレの女神! 理解ある彼女ちゃん! うおおお自分を納得させろ……」


 ふとすればオイノーネを嫌いになりそうな自分の感情を必死で抑えようとしつつ。

 パリスは手に持ったケリュケイオンの石突きで、そっとうつ伏せに寝ているオイノーネの後頭部を突いてみた。一旦起こして、事情を話し合う必要がある。このまま永遠に眠らせておくわけにもいかないからだ。

 ガバッ。うつ伏せの彼女が首だけ上げてパリスを見た。


「ひっ」

「お──落ち着いて。大丈夫。ボクは極めてクールだ。そうか……エロースの呪いなんだね」

 

 オイノーネは自分のうちから湧き出る暴力的な恋愛衝動が、幾らか治まっていることを把握してそうパリスを安心させるために呟いた。

 彼女の聞き慣れた声がパリスにはまるで『プライバシー保護のために音声を変えています』みたいな、違和感のある気味の悪い声質に感じてしまうが、どうにか会話は成立するようだ。加護も無い状態だと不快害虫の鳴き声にしか思えなくてとても意味が通じない。

 のそのそと起き上がりながら体から埃を払い、オイノーネはパリスを直視しないように目を瞑りつつ言う。


「なんとか他の神の加護で助かってるみたいだけどこれは由々しき問題だね。キミ」

「そ、そうですね」


 じり。なぜかオイノーネが僅かに寄ってきながら言うのでパリスは同じ分だけ後ずさりした。


「だってこのままだとボクはキミのことが好きで好きで堪らなくなって……あれ? ボクら夫婦じゃん! 全然問題無いじゃん!」

「あの!? オイノーネさん!? なんで近寄ってくるの!?」

「ウェヒヒヒ……誰にも文句言われる筋合いは無いわけじゃん……妖精合体(サルマキス)しようよ、ねぇ~」

「ギャアアア!!」


 神々の加護も本人が冷静な精神状態であってもその気だったら意味がない。オイノーネが抱きついてきて、パリスの全身に鳥肌が立つ。

 普通ならばエロースの矢は、まっとうな夫婦ではなく禁断の愛、あるいは愛し合った結果酷い末路になる相手同士に撃たれるのだが、現時点で既にパリスとオイノーネは夫婦。

 何も問題はないはずだ──パリスに相手を嫌う鉛の矢が刺さっていなければ。

 ちなみにサルマキスとは「イケメン発見! レイプします!」で通りすがりの男を即レイプに走ったニュンペーである。おまけに相手の男と物理的に合体して二度と離れなかった。(被害者はヘルメスとアフロディーテの間にできた息子ヘルマプロディートスである)非常に迷惑だ。 

 しかしながら、加護以前の抱きつかれただけで発狂死するほどの嫌悪感ではない。呪いは確かに緩和されている。

 それでも人間の形をした害虫に抱きつかれたような不快感に震えながらパリスは手にした杖をオイノーネに押し付けた。


「ケリュケイオン!」

「はうあっ!」


 昏倒するオイノーネ。押しのけてパリスは息を切らす。

 まずい。並の狂気耐性だとオイノーネの好意を軽減できていない。そう感じた。

 例えばカサンドラならば、ある程度冷静になればパリスのことは血縁者の兄であり、恋愛感情は元々持っていないという理由で多少の好意は残っても抑えられるだろう。

 しかしオイノーネが冷静になると、そもそも元からパリスのことを大好きなので掻き立てられた恋愛感情に支配されてしまうのだ。

 

「まずいな……アテナから貰った『強い意志』はカサンドラよりオイノーネに必要かも」


 もうちょっと冷静になれれば、パリスに近づくと拒絶されることを理解して大人しくなるかもしれない。

 下手をすればパリスが衝動的に、ケリュケイオンではなくアイギスを使って永久に石化させかねないことを考えると由々しき事態であった。

 もう一回トロイアまで強い意志を取りに行くか……パリスの中でいっそ問題が解決するまでイーデ山に近づかないという選択肢が、強い希望として浮かんでくる。トロイアにもだが。オイノーネやカサンドラに会いたくない。ぶっちゃけると。

 だがここで置き去りにしてもうオイノーネと会わないとなると、予言の未来みたいにいつか彼女の助けが必要なとき見捨てられるかもしれない。それに嫌悪感とは違う理性では、またオイノーネに寂しいつらい思いをさせるのは嫌だった。


「愛せないってこんなにしんどいものだったのか……?」


 パリスは頭を抱えてしまった。アフロディーテが担当するのは恋と愛。

 恋なんてしない、愛なんて馬鹿らしいと嘯く人間は珍しくもないのだが、大事な相手から愛されてそれに応えることができず、悪いところはない相手へ恋愛も、友愛も、家族愛も向けることができない。ただ嫌悪感があり、好意を向けてくれる相手を邪険にしてしまうという罪悪感がある。

 酷く心が削られる思いであった。

 オイノーネもカサンドラも傷つけないようにしたい。だが彼女らと接していては自分が正気を失いかねない。二人を優先して死ぬか、自分を優先して二人を捨てるか。


「男ならば我慢して前者! といきたいけどもうなんかマジ耐えられない……」


 せめてオイノーネがもう少し冷静になってくれれば……と、思っていると家の入り口から声が掛かった。


「ち~っす。あれぇ? パリサンドロスじゃーん」

「人の名前を悪魔合体させるな」


 若干鼻にかかった声をした少女がそこには立っていた。草の髪飾りを付けて薄手の布を身にまとうニュンペーの女性だった。同じくイーデ山に住む顔見知りである。


「ヘスっちさんか……」

「どしたのパリっちさん。暗い顔して……アッ! オイノーネがぶっ倒れてる! 殺ったのか! ホットラインでティシポネに通報する!」

「誤解だ! そして復讐の女神に通報するのマジで止めて!」


 気楽に座り込んでいたパリスに近づいてきて彼の肩を突付きながら軽口を叩くこの女神はヘスペリア。イーデ山に住むニュンペーの一人であり、ここで育ったパリスとは昔なじみでもある。

 オイノーネとは姉妹であるようで、ちょくちょく遊びに来る仲ではあった。容姿もオイノーネに似ているのだが、どこか軽い性格が現れている表情と夕焼け色をした髪の毛が異なる。『ヘスペリア』とは『黄昏の女』を意味する名前であり、ニュンペーでは何人か同じ名前がいる。

 ヘスペリアは「スゴゴゴゴ」とイビキを掻いているオイノーネの頭をペシペシと叩いて言う。


「おやおや? その持っている杖……ケリュケイオンって……穏やかじゃないねえ。ヘスっちさんに説明してごらんよ」

「話すと長いんだが実はかくかくしかじかで」

「まるまるうまうまというわけね」

「イエア!」

「ヒュウ!」

 

 なんとなく二人はハイタッチをして分かりあった風に見せたあと、ちゃんと説明をした。パリスは本来、この山の女神たちとはこれぐらい気軽な関係である。

 そしてちゃんと事情を聞いたヘスペリアは「なるほどなるほど~」と理解を示して、


「よし、解決策を教えて進ぜよう」

「え? 本当かヘスっちさん!」

「モチのろんだ、人間よ。崇めるがよい」

「ハハーッ」

「くるしゅうないぞ、興じろ」


 ヘスペリアとパリスは昔から気安い関係であり、お互いにバカな乗りで会話をしてはオイノーネに呆れられたりしていた。

 なんとなくパリスも今、カサンドラにオイノーネという嫌悪感マックスな女性と触れ合ったあとなので、楽に対応できるヘスペリアがありがたく感じた。


「問題の解決には、まずオイノーネたんのニュンペーとしての力を弱めることだね。具体的に言うと、オイノーネの力の源であるイーデ山から暫く出ていけばいい」

「ニュンペーの力を弱める……? って、そんなことで、好意の暴走みたいなの止められるのか?」


 ニュンペーは土地神のようなものであり、オイノーネもイーデ山に流れる小さな川の神である。その土地から離れれば力も弱まるのは確かだろう。

 しかし彼女が弱れば恋愛感情も抑制されるというのはどういう理屈だろうか。パリスは首を傾げた。

 ヘスペリアは「ふふん」と腕を組みながら解説をする。


「ズバリ言うわよ。ニュンペーとは……」

「ニュンペーとは?」

「基本、みんなドスケベ属性なのだ!」

「ええええ……」


 パリスが真面目なようでそうでもなさそうな話にがっくりと首を垂れた。

 あまり信憑性を感じないのも、今になってもまだ夫婦であるオイノーネと閨を共にしたことがない実体験からも来ている。

 だがヘスペリアは笑いながら続けた。


「いやこれは本当なんだって。ニュンペーと来たらどいつもこいつも頭の中はピンク色なんだって! アルテミスのところのやつらが珍しいっていうか我慢してるだけで!」

「……ヘスっちさんも?」

「エロエロよ~! まあただし、好みの男相手にだけね」

「……」


 疑わしい目線を向けるが、あくまでこの女友達は堂々としている。

 実際のところニュンペーというのは美しい女神が多いのだが、性欲旺盛であり旅人や青年を攫う逸話が非常に多い。

 現代に使われる色情狂や性欲異常の女を意味する『ニンフォマニア』という用語のニンフォとはニュンペーから来ているぐらいであった。オイノーネも奥手さから抑圧していただけで、実はエロエロなのだろう。


「と、ゆーわけで、パリっちさんはオイノーネ連れて行くよーに。その間、オイノーネの川とこの家はヘスペリア様が管理しといてあげよう」

「よくわからんけど……それで解決するんだな!?」

「ま、ここに居るよりマシっしょ。頑張りなよ。お姉ちゃん応援しちゃう。フレーフレー! って何を振れって言ってるんだろ。棒とか?」

「ありがとう、ヘスっちさん! 助かる!」

「うわお!」


 とりあえずオイノーネに対する方策が決まった感謝で、パリスはヘスペリアの両手を掴んでブンブンと振った。

 自分への負担はまだ大きいままだが、とりあえずイーデ山から連れ出せばオイノーネが正気に戻れる可能性は高くなる。ずっと山に置き去りにすることもしなくていい。

 

「頼れるヘスペリアお姉さんにまっかせときなさーい! おっぱい揉む?」


 ヘスペリアもノリでパリスの手を掴んだまま振っていると。



「……ナニヲ シテイルノカナ キミタチ───」



 どす黒いオーラを身に纏って、狂気と怒りの炎を目に宿したオイノーネが昏倒から目覚め──仲良さそうに手を握り合っている二人を見ていた。

 

「せっ!」

「はんっ」


 しまった。彼女にバレた。怒られる。気まずい。そういった愛ゆえの葛藤が無いパリスが間髪入れずに、嫉妬に身を焦がしていたオイノーネの脇腹をケリュケイオンで突いて再度気絶させる。

 オイノーネの見たことがない怒りのオーラを浴びて心臓をバクバクさせていたヘスペリアはホッと一安心する。


「なんというか……便利だねそのケリュケイオン。浮気現場とか見られてもこの通り」

「浮気はしてないんだけど」

「もう一回浮気してみてオイノーネがまた目覚めるかやってみる?」

「やめとこう……本気で殺されるかもしれないし……」


 とりあえずオイノーネの体を運んでパリスは山を降りることにした。

 ヘスペリアがハンカチを振ってお別れをする。


「じゃーねー。たまにはお供え物持ってこいよー」

「わかった。何が良い?」

「黄金の林檎とか?」

「それトラウマなんだけど!?」


 ──ひとまず、こうしてオイノーネの症状を和らげるために彼女をトロイアに連れて行くことにしたのだが、パリスの足取りは重い。ついでに背負うのも嫌悪感が強すぎてダメだったので、簀巻きにして馬に引きずらせている。絵面はまるで西部劇の悪役が行う処刑のようだった。

 トロイアに戻ってもカサンドラもいる。幾ら軽減されているとはいえ、鉛の矢で精神ダメージを負う存在が二人もいるところでは心の安寧は訪れない。しかしながら今日のところは助かったことだけは安堵した。

 早急に何かしら、根本的な対策を取らなくては。


「……はっ!? ここはどこ!? キミ! おはようのチューを要求するよ!」

「ていっ」

「zzz……」


 道中で起き上がるオイノーネを杖で突っついて寝かしつけながら、パリスはトロイアへ向かった。






『真に浮気に対してうるさいのはヘラではなく掟の女神テミスだ。運命を操って私を破滅させてくるかもしれない。離婚して正解だった』────関係者Z


『おっと? 浮気なんてしたらヘラもだけどアルテミスもうるさいぞパリス! 浮気に気をつける彼の為に評価ポイントを入れてやってくれ』────伝令神H

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最高に面白い。 ギリシャ神話は何度かチャレンジして読んでみましたが、全く共感や理解ができずに投げ出してきました。この小説であれば面白可笑しく読める上にギリシャ神話の構成や当時の人々の価値観…
[良い点] >百眼巨人アルゴス退治で不眠の巨人を眠らせるのに使われるかと思いきや、ヘルメスが草笛で眠らせたので使われなかったため出番が無い。 へ〜! 勉強になります!
[一言] ニュンペー=サキュバス なんかなあ違和感無いというかそうだというべきか アマゾネスも仲間に入れるべきなのか
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