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LICHTGESTALT   作者: マセ
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ミクタム (剣士) ①

挿絵(By みてみん)

 「ちっきしょーーーーーー!なんで勝てねぇんだーーーーー!」

 キルヴァス村の村長の息子、ダンク・チェンバースの声が響いた。ダンクは若干12歳。そしてその相手をしているのは、刃の潰した剣を握った、かのソードマスター、トリシア・ドライデンである。何故勝てないのかというのは、二人の周囲でその立ち会いを見ていた者達には明白過ぎるほどに明白だったが、12歳の子供に理屈は通用しない。トリシアが利き腕とは逆に剣を握っている事にも、ダンクは気がついていない。


 ソードマスターはかつて戦場の華だった。しかし、今ではそのような事は遠い過去の郷愁のように感じる。

 ソードマスターを名乗るのに資格は必要無い。認定試験も無ければ、神に対する宣誓も必要無い。ソードマスターはそれ事態が神の恩寵であり、神聖な存在であった。そしてだからこそ、それを名乗る時、それなりの覚悟を要する。ソードマスターを名乗る以上。誰の挑戦も受けるべきであり、ソードマスターを名乗る以上は、それに拒否する権利は無いのだ。その実力も無しにソードマスターを名乗った場合、なぶり殺しにあっても文句は言えない。ソードマスターを名乗りさえすれば、手っ取り早く名を上げる事も出来れば、手っ取り早く地獄に行く事も出来る。血塗れになり、壁に張り付けにされた死体を見ながら、農夫が仲間に聞く『ひでぇ死に様だな…いったいこいつ、どんな悪い事したんだ?』そして仲間は答える『ただの馬鹿だよ。酒に酔って、ソードマスターを名乗ったのさ』

 そんな感じであるから、ソードマスターというのは、次第に推薦職になっていく。世界中に星の数程もいる剣士達の中で、抜きん出た存在…その中で、更にもう一個抜きん出た存在だけが、ソードマスターであると周囲から認められ、そしてその時、自らもソードマスターを名乗る事になる。世界中の村、街、城には、自分の出身地から出たソードマスターの物語が無数に存在し、ソードマスターの存在が、その街や村の代名詞になっていく。『イネオス村出身…?イネオスねぇ…何処かで聞いた事があるな…』そして男は得意満面の笑みを浮かべて答える。『そりゃそうさ。ギマライン・トーレスの出身地さ』得意満面にそう返された男は、この野郎…とばかりにこう返す。『おぉそうか!ちなみにうちはシリックス・ジレットの出身地だぜ。何処だか分かるかい?』

 こんなような会話が、今も世界中の酒場で行われている。

 ただ、こういった話の多くは『死んだ英雄達の話』でしかない。中には実在が怪しいソードマスターもいくらでも存在し、巷には「架空のソードマスターの物語」をでっち上げ、物語にし、本にするという作家もいて、それが巡り巡って、実際に実在していたかのように語られている場合もあるという。それはそれで面白い話なのだろうが、ソードマスターで小銭を稼ごうとするそういう連中に対し『いずれバチが当たるに違いない』と訝しむ連中も少なくない。

 そんな感じであるから、世界中の王族や貴族は【現存するソードマスター】を召し抱える事に躍起だった。それぞれの城にそれぞれのソードマスターを召し抱える事が、その城、王族、貴族達のステータスとなり、ソードマスターが存在しない城は、何故だか嘲笑の対象になったりもする。だからといって、城の中で、少しばかり強いだけの剣士をソードマスターにでっち上げるのは、それこそご法度であった。瞬く間に『うちのソードマスターと試合をしてみないか?』と挑戦状を叩きつけられてしまうからだ。挑戦状にビビって、宣言を撤回する場合もあるが、中には実際に試合が行われ、一瞬にして惨殺されるケースもある。そんな事になれば『とんでもないアホ城主』として、以後半年間は、世界中の酒飲み達の格好の酒の肴になってしまう。歴史の中には『なんちゃってソードマスター』を召し抱える事を延々と繰り返し、その度に決闘の賭け金を巻き上げられ、破産してしまった貴族もあちこちにいたそうだ。

 そしてソードマスターの威光は戦場においても発揮される。戦を控えた国にとって、ソードマスターの存在は戦力と言うよりは一種のタリズマンだ。ソードマスターは一般兵に混じって戦場に出たりはしない。そのような事をさせるにはあまりに希少であり、金も掛かり過ぎている。大金を注ぎ込んで、せっかく召し抱えたソードマスターを、仮に戦であるとはいえ、前線に出させたがる領主は殆どいない。古来の昔から、そのような慣習が長らく続いた事によって、いつしかソードマスターは不可侵的存在になっていったのだ。

 ではソードマスターとは一体何をする存在なのだろうか?

 戦いを目前に睨み合う両陣営。一方が白旗を掲げ、手紙を届ける。そこには決闘の申し出が記されている。もう一方が受理すれば、話しは決まる。

 指定された時間になると、本来ならば殺し合うために存在する二つの陣営の兵士達が、武器も持たずに、自分達の肉体をもって円陣を作る。そして突然、ドラゴンの角笛が吹き鳴らされる。するとやおら、一つの人影が現れる。ソードマスターである。その姿は怒号を持って迎えられる。するともう片側の陣営からも人影が。当然ソードマスターだ。両陣営の兵士達は、自分達の陣営から出したソードマスターに対して激を飛ばし始める。これから殺し合いをするはずの両陣営の兵士が、率先してこの余興に応じる。しかし、それに文句を言うほど野暮な事は無い。コレから神の恩寵を受けし剣士二人が、極上の舞いを披露する。死ぬ前にそれを見逃すような愚行を犯すべきだろうか?勝敗も大事だが、生きるの死ぬのは運次第である。冥土の土産は少しでも大いに越した事はない。

 一礼をした後、二人のソードマスターは、お互いの剣を抜き、両陣営の兵士で作られた闘技場の中で、一対一の神聖な戦いを舞い始める。そしてそれを、大声を張り上げて応援する兵士達。しかし誰も、その戦いの中に割って入るような事はしない。最強の剣士は最強の剣士にしか殺す資格は無いのだ。血で血を洗う戦場の中において、それは全兵士達の誇りであり、それこそ全兵士達の名誉であった。

 一対一の戦いの中で、ソードマスターが絶命する場合も当然ある。ソードマスターとしての実力に値しなかった場合が、まずそれだ。対戦相手がまるで【ソードマスター】の名に値しないような剣士を出してきた場合は、一刀のもとにそれを切り捨てる権利がソードマスターにはある。神聖な戦いを穢した罪は、血を持って贖わなければならない。そして、もちろん、戦いの中で絶命する場合もある。しかし多くの場合、ソードマスターは、仮に負けたとしても命を取られる事はない。超一流の、神の寵愛を受けたであろう剣術の使い手が、世界から一人消える事は、世界の大いなる損失なのだ。そして、多くの戦場の中で、この慣習は許容されていた。誰が決めた訳でもないし、いつその慣習が始まったのかも分からない。しかしいつしかそれは、世界のスタンダードとなり、お互いの魂を確かめ合うための、騎士道精神の象徴のようになっていった。ソードマスター同士の一対一の聖戦は、相手が単なる敵では無い事の証明になるのだ。目の前の敵が、戦うに値するだけの価値がある相手であるという事の、紛れもない証明となるのだ。ほんの一瞬かもしれない。ほんの一瞬かもしれないが、神無き戦場の中で、無慈悲な殺し合いを前にして、ほんの一瞬、敵を愛する事が出来る瞬間なのである。

 そしてソードマスター同士の戦いが終わると、両陣営の兵士達はお互いの陣営に分かれて、戦の準備を始める。しかし稀にソードマスター二人の舞いを目の当たりにした両陣営の兵士達は、戦を一時中断させる事がある。目前で起きた、神の力の顕現に放心状態に陥り、戦いは一旦、水入りという事になる。そして中でも、あまりに途轍も無い戦いを目にした場合などは、敵対していた両陣営がそれぞれトランス状態に陥ってしまい、二人の剣士を心の底から称え合い、たった今見た、二人のソードマスターの剣技を肴に、酒を酌み交わす、といった事が起こる場合もあるという。そのような伝説的な戦いの記録や歌は、世界のあちこちに存在し、子供達は【騎士道のなんたるか】をそこから学ぶ事になる。そして少年たちはソードマスターに憧れ、いずれは自分も、そのような戦いを披露する事を夢見るのだ。

 ミクタム・アーランドソンも、かつてそういう子供の一人だった。


 「ここがキルヴァスか…シケた村だな…」

 「ちょっとオジー!誰かに聞かれたらどうすんのよ!もうちょっと考えて喋りなさいよ!」

 オスグッド・ザザをメラニーがたしなめた。オスグッド・ザザは口が悪く、何かにつけて文句を言うのは相変わらずだったが、とはいえキルヴァス村が『シケた村』であるという事に、ミクタムは異論は無かった。いや、シケた村というか、明らかに荒らされていた。恐らく野盗やら盗賊やらと言った連中の仕業と見て間違いはない。強引にドアを破壊されたのであろう家屋が、村の玄関口の付近にあちこちに散見された。そしてそれはエクスリヴァ王子が心配していた事そのものであった。『戦となれば誰もが被害を被る。だから戦争は良く無い』などと人々は言うが、火事場泥棒や戦場泥棒を常に狙っているような連中にとって、戦というのはある種のチャンスでもあるのだ。死体から使えそうな武器、防具を剥ぎ取り、そういう盗品を引き取ってくれる場所に売りに行けば、単なるありきたりな防具の寄せ集めでも、結構な金になる。それこそいい防具や剣を拾う事が出来れば、馬一頭と交換なんて事もあり得るし、中には戦場において、何処ぞの王族・貴族の宝剣を拾い、その王族、貴族の元へと届け出て、とんでもない金額でソレを交換したり、或いは口八丁手八丁を駆使して、その王族の恩人として召し抱えられるようになった、というような話もある。もちろん、そんな事は滅多にありはしないが、食い扶持に困った連中にとって、戦というのはそういったチャンスの場でもあるのだ。そしてキルヴァスの村は『戦に参加するつもりは無いが、戦場泥棒を狙っている連中』にとって、今一番美味しい位置に存在していたと言える。キルヴァスの南にあるシアルフィ城には現在バルサゴスの軍勢が迫っているという話であり、その後はドーマ砦、グルニア砦、ユングヴィ、レンスターといった城が戦場になるのは必定といえる状況である。キルヴァスの村はそのド真ん中に存在しているのだ。無法者連中からすれば、襲わない手は無い。

 『取り残されたキルヴァスの村の住民をどうにかして避難させたいのだがな…』

 エクスリヴァ王子がそう言った時、トリシアは真っ先に自分がその役割を仰せつかると言い出した。何でも王子は【最終戦争】の時分に、この村に逗留した事があるらしく、その時の事で、キルヴァスという村に恩義を感じているらしかった。しかしエクスリヴァ王子はユングヴィにおいてドルーア砦攻略戦を目前に控えている。キルヴァスという、戦況に何の影響も及ぼさないであろう村如きのために、城を出る訳にはいかない。そういった訳で、ソードマスターのトリシア・ドライデン、その部下である、剣士のオズグッド・ザザ、ミクタム・アーランドソン、弓兵のメラニー・ペントリーそして神官のアーサー・アルギエリの5人が、アシーナ軍から離れてキルヴァス村に派遣されてきたという訳だ。

 村の入り口付近は荒らされていたが、中央に進むにつれて、普通の良くある村、といった趣になってきていた。しかし人影は見当たらない。顔を上げるともうちょっと奥まで行ったところに物見櫓が4つほど見え、その下辺りから煙がモクモクと上がっているのが見える。恐らくこの村の住人達は、村の外縁部は放棄して、中央に固まって盗賊、山賊から身を守る事に決めたのだろう。ド素人の集団にしては、悪くない決断だと言える。

 『こうやってわざわざ堂々と入ってきてるのに、誰も出てきやしねぇ。連中は俺等の事を山賊か何かだと思ってんのか?』

 『色々あったんだろうさ。あんまりピリ付くんじゃないよ』

 今度はトリシアがオスグッドをたしなめた。するとやおら、建物の影から小さな影が飛び出してきた。ミクタムは一瞬身構えたが、その影の正体は子供だった。

 『なんだ坊主?』

 オズグッドが言った。少年は焦げ茶の髪をしており、顔に泥をつけ、右手に子供サイズの木剣を持っていた。我々を歓迎するために出てきた訳じゃない事は、表情を見れば分かった。

 『お前等いったいなんだ?』

 『救い主さ。お前等を助けにきてやったんだ』

 ケラケラと、馬鹿にしたような笑いを浮かべながらオスグッドが答えた。

 『救い主…?』少年は怪訝な顔をしてミクタム達の顔を一人一人品定めし始めた。『助けなんかいるか!自分達の身は、自分達で守るんだ!』

 そう吐き捨てるように言うと、その少年は村の奥の方に駆け出していった。

 『勇ましいこったな』

 オズグッドは馬鹿にしたような口調でそう呟いた。『自分の身は自分で守る』一見普通のセリフのように感じるが、その言葉にミクタムはなんだか不穏なものを感じていた。

 村の中央付近に来ると、恐らく見張りをしていたのであろう男が近づいてきた。オスグッドが応対すると厄介な事になりそうだという事で、神官のアーサーが話しを始めた。村の責任者の所在を尋ねると『いったい何者なんだ?』という話になり、アーサーはエクスリヴァ王子の紹介状を見せると、村人の態度が一変した。

 『エクスリヴァ王子の使者だってのか?王子は元気にしておられるのか?そうかそうか』

 村人の態度が軟化した事にミクタムは少し胸を撫で下ろした。厄介事はゴメンだった。見張りをしていた村人は村長の家まで案内してくれた。


 キルヴァスの村長の家は村の中央部にあり、それなりに立派だった。話を聞いていると、やはり山賊がちょくちょく襲って来ているらしく、村の外側にある家は、半ば放棄する事にし、放棄せざるを得なくなった家に住んでいた者達に、今回の戦で村を出ていった人間の家を充てがっているのだそうだ。村の構造はシンプルで、東西南北に入り口があり、そこから中央に向かって十字に道が通っていた。今回の山賊騒ぎの影響で、現在村の中央部には急造のバリケードが作られており、それぞれに見張りの人間が立っていたが、仮にミクタムが山賊だとして、見張りに立っている彼等に怖気づくとはとても思えず、『いないよりマシ』程度のものでしか無いように見えた。盗賊や山賊ならいざ知らず、ほんの数十キロ先にバルサゴスの軍勢が【子供】を引き連れて迫ってきている事を考えると、『あんたらはいったい何を考えているんだ?悪い事言わないから、グランベルかレンスター辺りまで避難しろよ』と言いたくなってくる。実際、ミクタム達は彼等にそう言いに来たのだ。

 『エクスリヴァ王子の使いだって?なんてこった。情けは人の為ならずって言うのかね。人助けってのはしておくもんだな』

 村長ボトーク・チェンバースは想像していたより若かった。30代後半と言ったところだろうか。かなりガッシリとした体格で、髭面に潰れた赤い鼻が特徴的だった。木こりでもやらせたら似合いそうだ、とミクタムは思った。

 『何やら、この村には、王子と浅からぬ関係があるらしいな。王子がよろしく言っていたぞ』

 トリシアが言った。

 『ん?まぁな。最終戦争の時にエクスリヴァ王子の糧秣が枯渇して困っていたんだ。それを我々が可能な限り補充してあげた、と、それだけの事だよ。あの辺りの年は豊作続きだったからな、村にもかなり備蓄があったんだ。それだけの事だ』

 『なるほどな。まぁ飯の恩ってのは、思ったより忘れられねぇもんだからな』とオスグッド。

 『まぁそういう事なんだろうな。王子が直々に手紙を寄越すってんだから、驚いちまうぜ。この手紙はもしかしたら、そのうち結構な値打ちもんになるかもな。王子には今回の戦も勝ってもらって、世界一偉くなってもらいてぇもんだ。ガッハッハ!』

 村長はエクスリヴァ王子の手紙がよほど嬉しかったようだ。

 『ま、王子の話はこの辺でいいさ。アタシとしては、この村の状況を、手っ取り早く教えてもらいたいね』

 トリシアに促されて、村長は事の仔細を語り始めた。

 

 村長の話しを聞きながら、トリシアもオスグッドも、そしてミクタムでさえも、徐々に顔が曇ってきた。彼等の主張は簡単に言うと【この村と運命を共にする】というような話しであった。出発前に王子が『あの村の村人達はなかなか頑固だから』と言っていたのをミクタムは思い出した。しかしこれは頑固とかそういう問題では無いようにミクタムには思えた。村長の話しを聞くと、最終戦争の時も、この村の今残っている住人達は、村を離れなかったのだという。このユングヴィ、レンスター、シアルフィといった辺りは、大陸を南北に分けた時に丁度真ん中になる辺りであり、しょっちゅう戦禍に巻き込まれていた筈だが、その中にあっても、彼等はずっと村に留まり続けたらしい。それはそれで大したものと言えるのだろうが、ミクタム達からすればこのような主張は『頑固だ』と笑える類のものでは無かった。

 『【禁呪】の話しは聞いているのかい?』

 今まで黙って話しを聞いてきたトリシアが、ようやく口を開いた。

 『他の大陸を滅ぼした、禁じられた魔法だっけか?本当にそんなもんがあったとはな。バルサゴスがそれを使っているらしいって話しは、この村にも届いているよ。だけど、俺達みたいな村人からすれば、禁呪も野盗も似たようなもんだぜ。そんな大それた魔法なんて使わなくとも、ゴチンとやられればそれでお終めぇだよ。俺達はもはや、死ぬ事は恐れちゃいねぇんだ』

 『さっき見たけど、子供がいたよ?いいのかい?あんな年端も行かない子供まで、あんたの意地っ張りに巻き込んじゃってさ』

 『あれは俺のガキだ』

 『やれやれだね』トリシアはうんざりしたように言った。

 『けっ!女にゃ分かるめぇよ。こういう意地ってのは理屈じゃねぇんだ。自分がどう死ぬかくらい、自分で選ぶんだよ』

 オズグッドが何かを言おうとしたが、トリシアはそれを制止した。恐らくオズグッドは『おいおっさん。目の前にいるのはかの有名なソードマスター、トリシア・ドライデンだぞ』とでも言おうと思ったのだろう。そう言ってやりたいのはミクタムにしても同じ事だった。

 『あんた見てると、私の父親を思い出すよ』

 『そうかい、いい男だったんだろうな』

 『最終戦争で死んだよ』

 『そうかい。そりゃお気の毒だったな。まぁあんたらがここまで来てくれた事には感謝するが、悪い事は言わねぇから、あんたらこそさっさとこの村から出ていきな。これ以上話すような事はありゃしねぇよ。もう村人全員で話し合って、覚悟は決めてんだ。ユングヴィにいる王子によろしく言っておいてくれよ』


 村長の態度はそっけなかったが、その日の宿はちゃんと用意してくれていた。他の村人達は村長と話している間に、ミクタム達がエクスリヴァ王子の使いだという事が周知されていたらしく、会う人会う人にエクスリヴァの事を聞かれた。ミクタムは王子と殆ど面識が無かったが、最終戦争の英雄というだけあって、やはり凄い人だったようだ。

 宿につくと、ここ数日の旅路で全員かなりクタクタだった事もあり、今後の話しはゆっくり休んだ後にしよう、という話になった。部屋はそれぞれ個室が充てがわれていた。ミクタムがベッドで寝転がっていると、オズグッドが部屋をノックし『トリシアとメラニーが今温泉に行ったから覗きにいかねぇか?』と聞いてきたが断った。トリシアの裸に興味が無いという訳では無かったが、ミクタムにとってトリシアの存在は【女】というよりはむしろ【神】に近かった。トリシアの事を初めて見た時の事は、今も鮮明に覚えている。ミクタムはベッドの中で目を瞑り、その時の事を思い出した。


 歴史上、女のソードマスターがいなかった訳では無い。しかし歴史を見てもかなり珍しく、そして今現在生きている女ソードマスターというのは、ミクタムが知る限りでは、恐らくトリシアだけだ。それ故にトリシアは、世界で一番人気のある剣士の一人であると言えた。きっと多くの男達が『死ぬまでに一度は見たい』と、彼女の事を夜な夜な夢想したりするのだろう。そんな事を想像するだけで、ミクタムの顔には笑みがこぼれてくる。そんな女性と、一緒に行動出来るという事が、ミクタムにとっては何よりも嬉しく、誇らしい事であった。

 最終戦争が終結し、アシーナ軍の兵士としてバルサゴスと戦っていたミクタムは、バルサゴスの所持していた領土を分割するとなった際に、彼が仕えていたキニア家が武勲を評価され、ハイライン城の城主として選ばれた事を知り、そのどさくさに紛れるような形で、自分もハイライン城に勤める事になった。

 ミクタムは、何でもそれなりにこなす小器用さを持ってはいたが、かといって剣士として突出して優れているという訳でも無く、ソードマスターになるなど、夢のまた夢であった。(鍛冶を目指せば鍛冶になれただろう。パン屋を目指せばそれなりのパン屋だったかもしれない。でもソードマスターの目だけは、無かったな…)ミクタムは自分の事をそのように評価していた。

 戦争が終結し、もはや大した出世などは見込めなくなっていた。今までは戦争に生き延び、武功を立て、名前を売れば、何処ぞの貴族に召し抱えられるといったような目もあるにはあったが、世界から一度驚異が消えれば、どの貴族、王族の財布も固くなる。一介の一兵卒にとって、今後の身の振り方というのは、誰もが直面せざるを得ない、そこそこに深刻な悩みではあった。(城づきの兵士といっても、もはや敗走して盗賊や山賊になったバルサゴスの残党を始末するくらいしか無いだろう。名誉ある仕事とは言えないし、恩給も雀の涙のはずだ。こんな感じで、一生を終えるとしたら、なんとも冴えない人生だったとしか言いようが無いな)

 ミクタムの年齢は24歳でエクスリヴァ王子と同い年だった。まだ老けてはいないが、もう若いというほどもない。(なんならいっそ、デインの村に帰るのもいいかもしれない。もう二度と、故郷に帰る事も無いと思っていたが、故郷に帰れば、城勤めをそれなりにこなしてきた自分ならば、仕事もあるだろうし、なんならバルサゴスと戦った村の英雄として、見目麗しい嫁でも貰えるかもしれない。幼馴染のリディアは、もう結婚したんだろうか?もしまだなのだとしたら、あのお転婆娘。あれを嫁に貰うのも悪くは無いかもな)ミクタムはそんな感じで、様々な妄想を膨らませていたが、結局思いついたどの選択肢にも踏み切る事が出来ずに、ハイラインの警備という与えられた仕事を淡々とこなす日々を続けていた。

 そんなある日、ハイライン城の新城主、ハンフリー・キニアは、自分の威光を示すために思い切った方策を打ち出した。

 『ソードマスター、トリシア・ドライデンを召し抱える』

 トリシアは、女の発言権を軽視しないという方針を打ち出しているアシーナという国において、王女アリエル、そしてリーンフェザー三姉妹、聖女オクタヴィアと並び、アシーナという国を象徴するとも言える存在であった。そして何よりトリシアは、王族のアリエル、大昔からの伝統リーンフェザー、といったように、ある種の権威を生まれながらに持つ存在ではなく、彼女自身の実力をもって自他共に認められた、歴としたソードマスターなのであった。

 『長らく続いた戦いで、アシーナの財政はなかなかに厳しいものになっているらしい、だから今回、トリシアを手放す事になったのではないかな?』といった噂話がミクタムの耳にも聞こえてきたが、ミクタムとしてはそんな事はどうでも良かった。現存する唯一の女ソードマスター、トリシア・ドライデンを目の前で見る事が出来るかもしれない。それを思うと、今までウジウジと悩んでいた悩みは、綺麗サッパリと洗い流された。


 『小っちゃい…』

 『あれが…?』

 『う~ん…』

 アシーナから従者を引き連れて大陸の北にあるアシーナから、南にあるハイライン城にやってきたトリシアは、伝え聞いた以上に小さく見えた。多くの兵士がミクタムと同じ事を考えていたようで、彼女が城内に入って来た時の見物人の数は凄まじかったが、その見物人の大半は、陶犬瓦鶏とうけんがけい羊頭狗肉ようとうくにく、つまるところ、期待はずれっぽいぞ、といったような表情を浮かべていた。当のトリシアに至っては、こんな事は慣れっこですよと言いたげに、我々の反応を、完全に無視しているようだった。

 とはいえ、本当に彼女が期待はずれのソードマスターかどうかというのを調べるのは簡単な事なのである。挑戦状を叩きつければいいのだ。しかし、彼女に挑戦状を叩きつけようと思う男は、少なくともハイライン城においてはまるっきり出てこなかった。兵士の世界はゴリッゴリの男社会である。トリシアは名の知れたソードマスターではあるが、公衆の面前で、ソードマスターとして名高いとはいえ、女に対して一方的に負ける、という不名誉に預かりたいと思う人間は、城内にはいなかったようだ。女ソードマスター・トリシアのその実力は、同じ城内にいるにも関わらず、依然として謎のままであった。

 そしてある日、サンタルスのある剣士が名乗りを上げた。

 その男はゾンド・ゲイと名乗る禿頭の大男で、戦も終わって、どうやら食い扶持に困っているようであった。見るからに『元アーマーナイトです。固くて強くて遅いです』といった容貌と体型をしており、にも関わらず、召し抱えてくれる貴族などもいないようで、平和になったら、確かに山賊にでもなるしか無いような男だった。

 『王はどうするかな?』と同僚のハンクが言った。『せっかく大枚はたいて召し抱えたソードマスターが、ただデカいだけの、訳の分からない大男に負けた、なんて事になったら大損だぞ』

 『確かにな…でもソードマスターっていうのはそういうものだろう?挑戦されたら受けなければならないんだ。どんな理不尽な相手でも』とミクタムは返した。

 ミクタム達の心配をよそに、試合はハイライン城で大々的に行われる事になった。サンタルス、ヴェルダン、レフガンディ、ワーレンなどからも王族、貴族が観戦するために訪れ、その戦いが行われる当日には、ハイラインの闘技場にはパンパンに客が入り、街は大賑わいだった。後に聞いた話では、トリシアを召し抱えたハンフリー・キニアは『戦うと言っただけで、彼女の給金の三年分の税金が入ってきた』と喜んでいたらしい。それくらいトリシアと大男の戦いは注目の的だった。

 『こりゃあ入場料だけでかなりの額になるだろうな』とハンクが言った。ミクタムとハンクは、警備という立場で、なかなか良い位置から試合を見る事が出来た。

 衛兵長からは『何かが起こるとしたら試合が始まってからだ。警備に立つ者は、決して試合に見入ってしまって、警備に穴を作ってしまいました、なんて事にはならないよう心掛けろ』とのお達しがあったが、そんな命令を素直に聞くつもりは、ミクタムも、ハンクも、他の同僚たちも、なんだったら衛兵長自身にもさらさら無かっただろう。トリシアの出番の前には大道芸人達の派手なショー、サーカス団の余興、楽団の演奏、騎士達の模擬演習など、様々な余興が催され、観衆を楽しませた。今まで散々ハイラインを離れる事を考えてきたミクタムだったが、ここにきて『ハイラインに配属されて良かったな~』などと思い始めていた。

 そして宴もたけなわ。真打ちが登場する事になる。闘技場の場内は、様々な催しや、投げ込まれたゴミなどによって荒らされていたが、掃除係の少年が10名ほど出てきて、闘技場内を整備し始めた。先程までの熱狂とも言えるような場内の盛り上がりは、気がつけば消え去り、誰のものとも言えないヒソヒソ声が、あちらこちらから聞こえるといった、奇妙な緊張感が場内を支配し始めた。


 ドーン!ドーン!ドーン!


 戦さながらに戦鼓が打ち鳴らされ、東のゲートからゾンド・ゲイが現れた。全身をプレートアーマーに身を包み、巨大な戦斧をブルンブルン振り回すというパフォーマンスを見せ、ゾンド・ゲイは観客を楽しませたが、この戦いはソードマスターの技量を見るためのものであるので、当然の如く戦斧を取り上げられ、代わりにやや大きめのバスタードソードが与えられた。重い重い鎧を身に着けても、戦斧を軽々と振り回していたのを見るにつけ、ゾンド・ゲイにまるで実力が無い訳ではない事は、誰の目にも明らかだった。

 そして逆側のゲートから、小振りな女が現れた。ゾンド・ゲイと違い、身を守る防具は革の胸当てしかつけていないようだった。兜も、鎖帷子も、ガントレットも無く。トリシアは髪の毛に合わせたようなマゼンダのリネンの服に、茶色のズボン、その上から革のブーツを履くといった、ゾンド・ゲイとはまるで正反対の軽装で登場し、観衆の困惑と心配をよそに、両腕を上に挙げたまま、上半身を左右に捻って、闘技場の中央に歩きながら、戦いの前の上半身のストレッチをしていた。そして彼女の腰には、伝説の宝剣、神器【ティルフィング】が光っていた。


 ドーン!ドーン!ドーン!


 再び戦鼓が打ち鳴らされた。場内の緊張感は次第に高まっていく。すると頃合いを見て、やおら貴賓席の最上段にいた、ハイライン城の城主ハンフリー・キニアが立ち上がり、右手を上に上げた。

 『はじめ!』

 ミクタムの位置から声は聞こえはしなかったが、そう言ったであろう事はキニアが腕を振り下ろした事から一目瞭然だった。威圧的に前傾姿勢を取るゾンド・ゲイと対象的に、トリシアは鈍色に光るティルフィングを右手に持ち、切っ先を相手に向けつつも、泰然自若と構えていた。ミクタムの心臓の音が高まった。ミクタムも多少は剣の心得はある。ゾンド・ゲイの前身は、厚いプレートアーマーによって守られているのだ。宝剣ティルフィングが如何に切れ味鋭い(良く知らないけど)とはいえ、プレートを貫いてゾンド・ゲイにダメージを与える事は難しい。仮に出来たとしても、致命傷を与える事は出来ないだろう。そうなれば、ゾンド・ゲイはトリシアの身体に体当たりをして、二撃目を与える暇は与えないはずだ。体重差は2~3倍…鎧も合わせれば、4倍以上になるかもしれない。その体重差で体当たりをかまし、ふっ飛ばしたトリシアに対して、上から覆いかぶさり、腕力勝負となれば、トリシアにはまるっきり勝ち目は無い。ゾンド・ゲイの刃圏がトリシアに近づいてくる。徐々に徐々に、ゾンド・ゲイの刃が届く距離が近づいてくる。あと3歩…あと2歩…あと…

 二人の身体が勢いよくぶつかったと思った瞬間、トリシアの身体がゾンド・ゲイの背中からぬるりと、まるでウナギが人の手からつるつると逃げるかのようにして現れた。刃圏に入った瞬間に振り下ろされたゾンド・ゲイの斬撃を、トリシアはゾンド・ゲイの脇の下に潜り込むようにしてかわしていたのだろう。トリシアは交錯と同時に、ピョンっと軽くジャンプし、空中で身体を敵対者に向き直したが、ゾンド・ゲイはトリシアの方を見ようとせず、まるでバスタードソードが200キロの鉄塊にでも変貌してしまったかのように片膝を折った姿勢で、動きを完全に止めていた。いったい何が起きたのか、ミクタムには分からなかった。ゾンド・ゲイはトリシアに背中を向け、片膝を立てたまま微動だにしない。罠のようにも見えるが、よくわからない。一方トリシアは宝剣ミストルティンを、腕と脇腹の間に挟み、ゆっくりとそれを手前に引き抜いていく。まるで、剣に付いてしまった血を、服を使って拭っているような仕草だ。だとすれば、あの一瞬の交錯の際に、ゾンド・ゲイにダメージを与えたという事なのだろうか?

 (嘘だろ?)

 (何だ?どういう事なんだ?)

 ミクタムだけでなく、その場に居合わせた誰もが思っただろう。しかしどうやら、決着はついたようだった。あり得るとすれば、交錯の瞬間にトリシアはゾンド・ゲイの脇の下を切り裂いたのだろう。しかしゾンド・ゲイは鎖帷子を着込んでいるはずだ。あの一瞬で、一撃で、ゾンド・ゲイの急所を、鎖帷子を付けた急所を切り裂くなんて事が出来るとはとても思えなかった。でもこれは…ミストルティン…トリシア…ソードマスター。頭が完全に混乱している。場内にざわざわとしたどよめきが広がり始めた。トリシアは心臓が5つ鳴るほどの時間、その場でゾンド・ゲイが動くのを待った後、やおらスタスタと、ゾンド・ゲイが登場してきたゲイトに向かって歩き出した。子供の頃、ミクタムは聞いた事がある。

 『あまりに途轍も無い戦いを目にし、敵対していた両陣営が、二人の剣士を心の底から称え合い、たった今見た剣技を肴に、酒を酌み交わし始める事もあったという』

 そんな戦いを、いつかは見たいと思っていた。

 『ソードマスター…』

 いつしか、ミクタムの目から涙が溢れていた。

 『トリシア・ドライデン…』

 その剣技は、太古の昔から、人々が神の恩寵として、連綿と語り継いできたものに違いなかった。ミクタムの目の前に、あの時、あの瞬間にそれが顕現したのだった。悠久の時を飛び越えて。

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