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LICHTGESTALT   作者: マセ
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マグノ (ドラゴンナイト) ①

挿絵(By みてみん)

 ドラゴン乗りとペガサス乗りには共通する特性があった。それはどちらも、自分の乗る個体を他人に触らせたがらないという事だった。この特性は、何故かどのドラゴンライダーや、ペガサスライダーにも見られる傾向であり、もし嫌いな相手とベッドを共にするか、あるいは、嫌いな相手にドラゴンやペガサスを好きにさせるかと聞かれれば、彼等は悩みに悩んだ末に、最終的には、自分の身体を好きにさせるだろう。

 「わーーーーーーーーっ!」

 つんざくような風切り音にまぎれて、背中にしがみつくギルダの感嘆の声がマグノ・アイゼルの耳に飛び込んできた。そこは上空1000メートルといったところ。水平線の遥か遠くまで存分に見渡す事が出来る。そしてその光景は、ギルダにとっては始めて見る光景であったが、ドラゴン乗りのマグノにとっては慣れ親しんだ、それでいて最も好きな眺めであった。その高さからは彼等の乗る調査船【希望ホープ号】は遥か眼下、目を凝らさなければ確認は出来ず、そして、この絶景を前にして、わざわざ船を探そうなどという考えを持つ事は無い。ギルダは叫び声に似た言葉を色々と発していたが、ベルトによってマグノの身体に固定されているとはいえ、マグノの胴回りに回している両手は、きつくきつく握られており、やはりそれなりの恐怖心を感じている事がマグノには感じとれた。もっとも『しっかり握っていて下さいよ、お嬢さん』と言ったのはマグノ本人だったが。

  「どうです?見えますか?お嬢さん?」マグノはニルヴァーナをホバリングさせ、無限に広がる水平線を指差して言った「この高さまでくれば、分かり易いでしょう?水平線がうっすらと曲がっている」

 「は…はい…確かに、そのように見えます」

 ギルダは恐る恐る答えた。

 「これがこの大地マルスが球体をしている事の証明になるのですよ。空に浮かぶ星々と同じでね。かつてこうしてドラゴンに乗った学者達が計算したところによると、我々が住んでいるマルスは1,000,000 km以上という途轍もない巨大さだと言われています。学者達が言うには、観測できる星の中で、この星よりも大きいどころか、この星の半分の大きさの星すら、見つける事が出来ないそうなのです。この星は、星々の中の王なのである、と。しかしその星々の王ですらも、全ての星々の中心に座している訳では無く、広大に広がる空を流転しており、そして我々は、星々の王の上に存在しているちっぽけな生物の一つに過ぎないそうなのです。北極星ですら、僅かに動いているという話もあるんですよ。この説に関しては、私も信じていない部分がありますがね。そしてこういった話を忌み嫌う人たちが大勢いる事は私も承知しています。星々はマルスを中心に回転しているはずだ、と強く強く信じている人…例えば、あなたのお父さんなどですね。しかし、私はこの話が好きなのです。私はアシーナ城で長らくドラゴンライダーとして騎士働きをしてきましたが、、こんな事を言うのは不敬というものかもしれませんが、王というのは非常に退屈なものですよ。騎士もまた、王よりはマシではあるという程度のものでしかありません。真に自由な生き方が出来ている人間なんて、何処にもいないのかもしれません。しかし、本当は自由であっていいのかもしれません。こうしてドラゴンの背に乗って、空を遊弋していると、時々猛烈に、このまま誰もいない場所にまで飛び去ってしまいたいという気持ちになる事がある。そんな時ふと、この話を思い出すのです。自分には何の価値も無いと思うと、不思議と何をやってもいいというような気になるのです。そう心から思えている瞬間だけが、自由な瞬間と言えるのかもしれません」

 マグノはそれなりにご機嫌に空を飛び回っていたが、マグノのドラゴン【ニルヴァーナ】はあまりご機嫌では無いようだった。そしてそれは事前に予想出来た。【ニル】の背中には、滅多に他人を乗せる事は無い。だが今回ばかりは特別だった。今日はギルダの誕生日だったのだ。ギルダにはこの航海が始まって以来、ずっとドラゴンの世話をしてもらっていたが、いくら飯を与えようと、水を与えようと、糞の始末をしようと、ドラゴンが主人以外に真に心を許すケースは、極めて少ない。(いや、主人面している俺にも、ドラゴンの心の内など理解出来てはいまい)ニルヴァーナは引退した師から譲り受けたドラゴンである。マグノが【最終戦争】で上げた武功は、他のどのような騎士にも引けをとらない。いや、それどころか別格であった。彼はバルサゴスの神竜【サファイア】と戦い、その戦いの最中、サファイアの身体に【乗った】のである。その時の話しは歌に歌われ、そして彼の二つ名は【サファイアライダー】と言われている。そしてそのサファイアは、マグノとニルヴァーナのコンビに撃退された後、姿を消したと言われている。中には『サファイアはアシーナのマグノとニルヴァーナに殺された』という噂もあったが、それが真実では無い事はマグノは承知していたし、今でもあの蒼く巨大なドラゴンは、このマルスの何処かで生きているとマグノは信じている。確かにあの戦いにおいて、マグノとニルヴァーナはサファイアに多少の傷を付けたが、それは致命傷には程遠いものだった。そしてサファイアが姿を消した今、ニルヴァーナは押しも押されもせぬ、世界最大、最強のドラゴンであった。とはいえ現在、大陸に存在するドラゴンは10に満たないと言われているのだが。

 (俺などにはもったいないドラゴンだ。しかし、俺以外にはもっと、もったいないドラゴンだ)

 マグノはニルヴァーナの背に乗ろうとする時、いつもそう思っていた。師匠の言いつけで始めてニルヴァーナに餌を与えた時から、マグノはニルヴァーナと一心同体になろうと努めてきた。そしてそれは今もそれほど変わりはしない。師匠と一緒に、始めてニルヴァーナの背中に乗った時、自然と涙が出てきたのを覚えている。(この星空が、突然光に包まれて、天上の神がマグノの前に降り立ったとしても、ニルヴァーナの背に乗った時ほどの感動を覚えるとは思えない!)ドラゴン乗りにとってドラゴンは、神以上の存在なのである。


 マグノはニルヴァーナの手綱を操り、右に左に蛇行してみせたり、時に急降下、時にホバリングなどして、存分にギルダを楽しませた。一つ動作を入れる度に、ギルダは感嘆の声を上げた。ギルダは無邪気にはしゃいでいるが、マグノはニルヴァーナの感情を手綱や、背中、或いは羽ばたき方などから感じ取っていた。『おいお前、一体いつまで続けるんだ?』ニルヴァーナはそう言っていた。マグノは少々申し訳無いと思いながら、ニルヴァーナの背中をポンポンと叩いた。

 「お嬢さん、それでは最後に、ニルヴァーナに特別サービスをして貰おうと思います。しかしこのサービスは少々刺激が強いものです。今以上にしっかりと、私にしがみついて下さい。決して手を離してはいけませんよ?」

 「え?あ…はい!」

 自分の腰回りにひしっとしがみついているギルダの腕の感触が、更に強くなったのを感じ、マグノは手綱を引いた。ニルヴァーナは頭を上に持ち上げ、急上昇を開始し始めた。角度としては60°といったところだろうが、師匠に始めてこれをやられた時、空気の抵抗も相まってマグノはほとんど直角にドラゴンが登っていると錯覚したものだった。ギルダの叫び声が聞こえる。恐らくギルダは目を瞑っているだろうが、マグノの目は輝くオリオンを見つめていた。十分な高さまで来たと判断すると、マグノは手綱を2回、グイグイっと引いた。するとドラゴンの背中からマグノとギルダの身体が宙に浮き、二人の身体は中空に投げ出された。

 「きゃああああああああああああああああああああああああああ!」

 間違いなく、恐怖の悲鳴だった。マグノとしては上々の反応であった。一番面倒なのは、ギルダが中空に投げ出された瞬間に、気を失ってしまう事だった。もちろん二人の身体はベルトで固定されているので、そのまま彼女が落下してしまい、海面に叩きつけられて死ぬという確率は無かったが、それでも厄介なものは厄介だ。二人の身体が自由落下していく。『人間が自力で一番速度を出す方法は、高所からの自由落下だ。我々は人間の限界をその肌で感じる事が出来るのだ』かつて師匠は言った。『この芸当はペガサス乗りですら真似出来ない、ドラゴンライダーの一番の特権だ。ペガサスは、自由落下する人間の身体を、その身で支える事は出来ないからな。出来たとしても、危険過ぎてペガサス乗りはやろうとはしない。コレが出来るのはドラゴンだけなのだ』

 マグノとギルダは世界最速の男と女になり、真っ黒な海面はグングンと近づいてきていた。ギルダは恐らく、自分はこのまま死ぬのだと思っている頃だろう。マグノもそう思ったものだった。するとマグノの眼に巨大な影が飛び込んできた。人間の限界の速度で落下するマグノ達だったが、ドラゴンは人間の限界を軽々と超える速度で落下する事が出来る。それはドラゴンの重量と、ドラゴンの形状が為せる業だ。マグノが大好きな瞬間が近づいてきていた。ニルヴァーナはヴェルヴェットのように優しく、中空のマグノとギルダの身体を背中に乗せ、何事も起きなかったかのように、再び上昇を始めた。

 (これがドラゴンだ)マグノは思った。(何よりも気高く、何よりも強く、何よりも賢い!)マグノの心はドラゴン乗りであるという誇りで満たされていた。


 船の甲板に降りると、ニルヴァーナは「やれやれ…」とでも言いたげに丸くなり、惰眠を貪り始めた。マグノは自分のドラゴンの背中を3度撫でる事でお礼を言った。ふとギルダを見ると、船の甲板の隅で、腰が抜けてしまったかのように座り込みながら、手を祈るように前で組み、ほとんど放心状態だった。

 「大丈夫ですかお嬢さん。良い誕生日プレゼントになったなら良いのですが、少々やり過ぎてしまったかもしれませんね。だとしたら申し訳無い」

 ギルダはゆっくりと顔を上げ、うるんだ瞳でマグノの顔を見るなり、マグノに抱きついてきた。(おいおい…)とマグノは思った。ギルダはそれなりに可愛かった。そばかすが鼻の付近に散っているのと、目が少し離れすぎているという事をギルダ本人は気にしているらしいが、マグノ本人としては特に気にならないレベルだ。茶色い瞳と、綺麗な赤毛の髪も十分に魅力的だった。港街クリミアの船長の娘である事も加味すれば、彼女を欲しいと思う男は世界に沢山いるだろう。しかし、ギルダにとって残念な事に、そう思わない男の中に、マグノは入っていた。

 「本当に本当に、本当に最高の誕生日でした。この日は一生忘れません!」

 それはそうだろう。始めてドラゴンの背に乗った時の事を忘れるような奴は、この世に一人だっているはずがない。

 「喜んでいただけたようで、何よりですね」

 マグノは決して自分が礼儀正しいという自覚は無かったが、それでも可能な限り、慇懃に振る舞った。ギルダは目を輝かせながら、マグノに対する感謝と、ニルヴァーナの素晴らしさを思いつくままに口に乗せているようであったが、マグノが気になっているのは、その二人の様子を遠くから見つめているククルアの存在であった。彼女の燃えるような双眸が、自分を見ていると思うと、マグノはギルダの喋っている内容がまるで頭の中に入ってこなかった。


 「いやはや申し訳ありませんなぁ。娘のワガママを聞いてもらって」

 今回の大遠征ではマグノにとって色々な問題があったが、このギャリー・アヴナー船長も紛れもなくその問題の一つであった。今回の遠征にどれほどの危険が伴うのかというのは、海になど大して出た事が無いマグノにとって完全に未知なものであり『ご安心下さい、ナーガが出るなんて事はありません。私もエイルデン王に何度か頼まれて、今まで数多くの遠征に出たものですが、危険な状況に陥る事は数えるほどしかありませんでした。それもせいぜい、水が足りなくなってしまったとかそういった類の事ですが、今ではアリエル様から教えていただいた、海の汚染された水を飲み水に変換する技術もあります。水があれば、万一食糧が無くなってしまったとしても割とどうにかなります。まぁそうならないように、二隻の船に、食糧はたっぷりと積んで来ていますがね』と船長に説明されても、それをどれほど信用していいのかは計りかねた。

 今回のホープ号の大遠征には旗艦であるホープ号の他に、二匹のドラゴン専用の待機船が一つずつ。そして食糧を大量に詰め込んだ船が二つ。合計で5隻の船が用意されていた。そして二匹のドラゴンは人間に比べると非常に大食漢ではある訳だが、ドラゴンは内臓の構造が丈夫だという事なのだろう、人間が食べられないような汚染された海の、汚染された生き物も平気で食べる事が出来る。つまりドラゴンの食糧の心配というのは、基本的にはしなくていいのだ。そういう意味では、今回の遠征は非常に問題が起きにくいように準備されたものと言ってよかった。しかし、そこまで用意周到に準備されたものであったとしても、このような、いつまで掛かるのか分からないような遠征に、自分の娘、ギルダを連れていきたがるものだろうか?という疑問が当初からマグノの頭の中に存在していた。そしてどうやら、この船長は、あわよくば【サファイアライダー】である自分と、娘のギルダとを引き合わせたいと考えているであろう事が、最近なんとなく分かってきた。今回の『娘の誕生日にドラゴンで飛ばせてやってくれないか?』という話も、そもそもは船長が提案してきたものであり、この提案は今までも、そしてコレからも船長に世話にならなければならないマグノにとってはおいそれと無碍に出来ない提案であった。

 『なんなら私が代わりに飛んであげましょうか?』

 とククルアはいつもの仏頂面で言ってきた。ククルアは自分のドラゴン【ララクライ】に人を乗せたがらず、そのククルアがそのような提案をしてきたという事は(考えたく無いことだが)相当不機嫌になっていたとみていい。よもやギルダを海に叩き落とそう等とは思っていなかっただろうが、マグノは結局ニルヴァーナにギルダを乗せたのだった。【吊り橋効果】なる理論がある事はマグノは知っていたが、恐らくドラゴンに乗って、凄まじくドキドキしたであろうギルダは、マグノに対する思いに完全に火が点いてしまったであろう事は疑いようが無かった。とはいえマグノとしては仕方が無かった部分もある。船旅はマグノが思っていたよりかなり過酷であった。とにかく何日も陸が見えないという事が、ここまで人の精神を不安定にさせるものだったとは思いもよらなかった。自分でさえこのような感じなのだからして、一般人のギルダにとって、この旅がどのようなものなのかというのは想像に難くない。最初は元気一杯だったギルダが、今では殆ど笑顔を見せる事が無くなっていたのだ。ギルダはただの手伝いとしてこの船に乗っているのであるが、今までのこの遠征に対する献身などを考えれば、あのようなご褒美は当然と言えば当然の報酬と言える類のものだ。

 といったような事をマグノは考えていたが、どうやら船長は、自分の娘とマグノの関係が次の段階に入った、等と思っているようだ。船長の満面の笑みを見ながらマグノはそう確信した。そしてマグノにとって更に厄介な事が、この後控えていた


 ニルヴァーナの身体を隅々までブラシがけ(気持ちいいらしい)をしてやり、食事を取らせてやった後で、マグノは自分も腹を満たすためにために食堂に入った。希望号の専属のコックはギルダの兄のギャビン・アヴナーだ。彼は妹のギルダと違い、父のギャリー・アヴナー船長の乗る船の専属コックであり、作る料理は美味いというよりもむしろ独創的で、なかなか飽きさせない。曰く『船の上ってのはずーーーっと同じ生活なんでね。食事ぐらいはバリエーションが無いと、本当に滅入っちゃう人が多いんですよ。そして美味い飯ってのは案外飽きやすいんだ。単純に美味い料理ってのはいつでも作れるけど、そういうのは海にいる間は何かの記念日に出すくらいですよ。船の中じゃとにかく種類を出す事、飽きさせない事が重要なんだ。陸と海ではいいコックの定義ってものが違うんですよ』となかなか面白い持論を持っている男で、マグノは好感を持っていた。そして今日は、ギルダの誕生日という事もあり『美味い飯』の日だった。

 そしてその【美味い飯】を食べていると、食堂にククルアが入ってきて、食事を受け取り、当たり前のようにマグノの目の前に座った。 

 (怒ってるなぁ…怖い怖い…)

 ククルアはまだ成人したばかりの女のドラゴン乗りで、マグノから見れば完全に子供だった。ククルアの感情はその顔を見れば、誰にも一目瞭然だ。嬉しい時は子供のように心から喜び、怒っている時は可愛い顔に不釣り合いのシワを眉間に寄せる。『ドラゴンのような女だ』とかつての同僚がククルアを称して言った事があったが、マグノはなるほど、と思った。ドラゴンはわざわざ感情を隠すような真似はしない。そういう意味で、ククルアの方が、マグノよりも純粋なドラゴンライダーなのかもしれない。実際、ククルアが駆る時の彼女のドラゴン【ララクライ】を眺めているとそのように感じる時がある。ララよりもニルの方が強く、大きく、そして賢い。ララとニルが戦えば、ニルが勝つだろう。しかし、ララを駆るククルアの姿は人竜一体といったような凄みを時折みせていた。ララの能力の全てを発揮させ、そして更にその上を行くような、そんなコンビなのだ。歴戦の猛者であるマグノをして(俺はククルアほど上手くニルを乗りこなせてはいない)と思わせるのだった。

 「見事なパンケーキでしたね。先輩」

 ククルアは太めのベーコンを口に放り込みながら言った。パンケーキというのは食事の話ではなく、マグノがギルダを乗せた飛行で、最後に見せたターンの事であった。フライパンの中でパンケーキをひっくり返す動作からそのように名付けられている。ドラゴンライダーにとっては初歩の初歩と言われているが、コレが出来ずに、馬に乗る決心を固めるドラゴン乗りは決して少なくない。

 「見事なのはニルだろうな。俺は落っこちただけなのだから」

 「二人一緒に落っこちて、何事も無く着地した。あんな風にはなかなか出来ないでしょう。ギルダは気絶しませんでしたか?」

 「大丈夫だよ。しっかりと抱きついていて下さい、と、念を押してからターンに入ったからな」

 ククルアのまん丸い目がマグノをキッと睨んだが、マグノはそうなるのが分かっていたので、予めそっぽを向いていた。ククルアが苛立っているのはずっと前から分かっていた。なんなら、まだ二人がアシーナ城にいる時から分かっていた。そしてその時のククルアの怒りの矛先はギルダではなく、王女アリエルだった。

 ククルア・シンプリシオはレンスターの貴族、スティーブン・シンプリシオの娘で、シンプリシオ家は代々、ドラゴンを飼育していた。【女はペガサス、男はドラゴン】というのがよくあるパターンではあるが、当然例外もいる。ペガサスに大柄な男が乗る、というのは不釣り合いで、機動力の面で問題があるが、小柄な女性がドラゴンに乗ったからといって、特に問題は無い。

 ククルアがドラゴン乗りになったのは、ただ単に、父親がドラゴンを飼育していたからというだけの話だった。レンスターがアシーナとの同盟強化にあたり、ドラゴンを3頭、アシーナに贈呈した(アシーナはペガサスを12頭出した)時、シンプリシオ家が出したドラゴンが、その娘のククルアに与えられる事になったのだ。

 当時は『貴重なドラゴンを女に与えるのは…』という意見も当然あったが、【ドラゴンを駆る乙女】の名は世界中に知れ渡り、ククルアの存在は、アシーナのイメージアップのためのプロパガンダとしても悪くない成果を上げた。そしてククルアがララクライを駆る姿を見れば、彼女をドラゴン乗りとして不適格である、等と言う者はいるはずもなかった。それくらいククルアのドラゴン乗りとしての能力は突出しているのだが、その彼女は今、戦場では無く何も無い海の上にいる。そのイライラはマグノ自身も共有しているものであり、そのイライラを聞いてやるのも、自分の仕事だとマグノは考えていた。

 「ドラゴン乗りは自分の奥さんもドラゴン乗りに乗せないって聞きますよ。先輩はギルダと結婚するつもりですか?」

 「何でそんな話になるんだ。お前だって、昔ニルに乗せてくれって言ってきた事があっただろ。あれは俺に対するプロポーズだったのか?」

 「あれは同じドラゴン乗りとして、伝説の先輩の乗り方を参考にしたかっただけです。普通の事でしょう?ギルダを乗せたのとは訳が違います」

 「別に一緒だよ。俺からすればな。それに彼女は最近、ちょっと元気が無かったからな。お前だって気付いているだろう?」

 「だから私は最初っから反対だったんです。彼女がこの船旅に同行するのは…先輩だってそう言ってたじゃないですか」

 「着いてきちまったもんは仕方が無いだろう。今から何処かに降ろしていく訳にはいかないんだから。船長の言っていた話では、あと1週間ほどは陸が見えないのを覚悟しておけって話だぞ。そっから先にようやく、地図に載っていない未知の海が広がっているんだと」

 「うんざりですね」

 「同感だが、お前だって拒否する権利はあっただろ」

 「不覚にも、船旅ってのがこんなにキツく、退屈なものだとは想像出来ていませんでした」

 「それも同感だな。ただ愚痴を言ってても仕方が無い。中途半端にして帰る訳にもいかない。これは歴とした任務なんだからな。新大陸を見つけなけりゃならないんだ」

 「大昔には、ユグドラルが幻の大地だって言われてたそうですよ。私達が探してるのは、幻の更に幻の島って訳ですね。そしてそこを見つけても、そのうちまた次の幻が必要になる。人間ってその繰り返しですか?」

 「新しい大陸でも戦争が起これば、そういう事になるのかもしれないな」

 「人間の愚かさ、ここに極まれり、ですね。それに昨日寝る前に思ったんですけど、仮に新大陸を見つけたとして、戻った時に、バルサゴスが勝ってたりしたらどうなるんでしょうね。或いは世界が全部汚染されてて、もう誰もユグドラルには住めなくなってたりしたら」

 「お前そんな事ばっかり考えるなよ。何かもっと楽しい事考えられないのか?最近笑ったか?」

 「楽しい事が起こる余地なんて何処にも無いじゃないですか。悪い事が起きる可能性はいくらでもありそうですけど。何かあります?楽しい事や笑える事が?」

 「まぁそう言われると…な。じゃあ後で一緒にニルに乗るか?久しぶりに。それでお前の機嫌が治るんなら安いもんだ」

 「これってプロポーズですか?」 

 「好きに解釈してくれ」

 「せっかくの申し出ですけど、ニルヴァーナも一日に何回も先輩以外を乗せて飛びたくないでしょう。その代わり後で剣術の稽古をお願いします」

 「はぁ?またか?」

 「何でそんな嫌そうなんですか?それくらい付き合って下さいよ」

 「前にも言ったがな、ドラゴン乗りが地上で剣で戦うような状況になったら、そん時はもう大ピンチだぞ。魔術師が弓で戦うより、ちょっとマシってくらいのもんだ」

 「ヘンリー、モルドバ、ニール、ラロンデ。知ってます?」

 「あ?」

 「この船の船員の名前ですよ。ヘンリー、モルドバ、ニール、ラロンデ」

 「で、そのヘンリー、モルドバ、ニール、ラロンデがどうしたって?」

 「最初の頃、私と先輩の関係って恋人同士なんじゃないのかって思っている人が多かったんですよね、ギルダも含めて。で、船旅に出て、今どれくらい経ったのか分かりませんが、どうやらそういう感じじゃないっぽいぞって話になってきたっぽいんです。だからこの船の船員たちが言い寄ってくるようになって来てるんです。私も一応成人していますしね。どう思います?」

 「う~ん…どうと言われてもな」

 「ここで『俺がそいつらに言ってやる』みたいな話にならないんですか?」

 「言った方がいいのか?」

 「私としては『俺の女に近づくな』くらいの事は言って欲しいですね。本心じゃなかったとしても、私のために」

 「う~ん…」

 「ほら、そんな感じでしょ?だから私は、もし彼等に何かされそうになった時、自分の身は自分で守らなきゃいけない訳ですよ。頼りない先輩は何もしてくれない訳ですからね。そしてそのためには剣も上達させておかなければならないんです。よって稽古が必要なんですよ、分かります?」


 この遠征の発案者はアリエル・アシーナ王女であった。彼女はかねてから『世界の浄化』という事をしきりに発言しており、汚染された水や大地の浄化に並々ならぬ情熱を燃やしていた。彼女の信念は『目先の戦争よりも、恒久的な世界の浄化』というものだろう。もちろんそれは決して馬鹿にされるべきものでも軽視されるべきものでもない。世界の現状を見れば、それは紛れもなく必要な考え方だと言える。しかしその信念に基づく研究には多大なコストがかかり、ただでさえ戦争で逼迫しているアシーナの財政を、さらに逼迫させ、城内においてそれに良い顔をする人間は殆どいなかった。かくいうマグノ自身も、彼女の純粋さを評価しつつも、表立って彼女を絶賛するような事は出来なかった。それが彼女を怒らせた…などという事は想像したくないが…

 戦争が再び始まり、禁呪が使用されたと聞いた時のアリエルの怒りと絶望は凄まじかった。世界はアリエルが想像する方向と逆側に突き進み始めたのだ。アリエルは夢想家だ。『世界中の人間が、心の奥底では、きっと自分と同じように考えている、本当は平和を求めているはずだ』と、心の底から信じていたのだろう。その彼女の純真さをマグノは心から愛した。確かにその通りだった。世界中の人間が彼女のようであったらどれだけいいだろうか、とマグノ自身も思う。しかし世界はそうでは無い。むしろアリエルとは逆なのだ。それを皆知っていた。だからアリエルに、醜い世界を見させたくなかった。しかし世界は、その醜い姿を、【禁呪】という形を借りて、アリエルの前に平然と現したのだ。

 アリエルに直々に呼び出された時、マグノはアリエルのために命を賭けて戦う事を心に誓っていた。【最終戦争】の殆どを最前線で、エクスリヴァやハンフリー・キニア、ランディル・シュワイク等と戦ってきた自分が、もう一度この戦いを終わらせてやると意気込んでいた。

 しかしアリエルが語り始めたのは、マグノにとっては思いも寄らない事であった。マグノに『新しく移り住むための新大陸を見つけて来て欲しい』と言うのだ。マグノは耳を疑った。アリエルが突然抱きついてきて、『あなたを愛してる、結婚して』と言い出すといった事態の方が、まだ現実的に思えた。この緊急事態に、貴重な戦力であるドラゴンを海に送り出すというのだ。この瞬間に、マグノはアリエルが決して自分のモノにならないであろう事を悟った。

 そしてアリエルはさらにこの【大遠征】のお付きとして、以前からマグノに明らかに恋慕の情を抱いているであろうククルアを付けてきたのだ。コレは何の罰なのだろうか?とマグノは思う。俺にこんな仕打ちをする程、君は俺の事が嫌いなのか?

 無理矢理良く考えようとすれば、アリエルはあまりにも純真だと考える事も出来なくはない。アリエルは本当に、心から純粋な気持ちで、信頼できるドラゴン乗りであるマグノに、新大陸の発見という最後の希望を託したのだ、と。そしてそのための船に【希望ホープ号】などという、恐ろしく凡庸な名前を付けた。そうとも、俺以外の誰にこんな事を頼む事が出来る?俺以外にはいまい…とは流石に思えなかった。戦争で使い物にならず、城の中ではもっと使い物にならないような連中が、アシーナ城の中には掃いて捨てるほどいる。ただ、確かにドラゴンは探索には有用だろう。アシーナの中で適任者を挙げろという話になれば、確かに自分とククルアは適任と言えば適任だ。しかし…それにしても…


 ククルアが可愛く無いと言えば嘘になる。まだ子供っぽく、勝ち気なところがあるが、ドラゴン乗りならばそれくらいでなければならない。何事にも熱心で、命令にも背いた事は無い。甘いモノが大好きで、ドラゴンの扱いならば誰よりも心得ている。自分の立場を良く理解しており、マグノとの距離も付かず離れず、しかし決して一線は越えようとしてこない。


 「先輩、遅いですよ。なんでそんなにやる気が無いんですか。どうせ他にやる事なんて無いんだから、真剣にやって下さいよ」

 「真剣にやってるよ。ただお前、剣の腕前は本当に大した事が無いからなぁ…」

 「だからこうやって特訓してるんじゃないですか!じゃあ行きますからね!」

 「あぁ、好きに打ち込んでこい」


 稽古が始まってから終わるまで、ククルアの口から出る言葉は不満ばかりだったが、甲板の上でマグノと剣を交えるククルアの顔は、そこそこに晴れやかだった。

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