表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LICHTGESTALT   作者: マセ
3/8

アリエル (ロード) ①

挿絵(By みてみん)

 「アグスティへの制裁はなんとしてもしなくてはなりません」

 「またその話しですか…」

 「何故皆さんがアグスティに対してコレほど関心が無いのか私には分かりませんね。我々にとってかなり重要な話しです。このままアグスティを放置しておけば他の国も今後何かあった時『自分は中立だ』等と言い出し、日和見に徹しかねません。そうなればどうなります?諸外国の諸々の揉め事を我々が処理しなければならなくなるでしょう。即ち国力の低下です。前回の戦争でも我々がどれだけの被害を出したか皆さんも御存知でしょう?ペガサスは半分に、ドラゴンに至っては、国内に残りが3頭しかいなくなってしまいました。他にうちよりも被害を出した国が何処にあります?今回の戦争でも同じように兵を出せば、『バルサゴスの後はアシーナをやってしまえ』等という事になりかねません。一番犠牲を払った我々が、一番周辺国から狙われやすくなるのです」

 アシーナ城、最上階にある会議室において、この日も国内の有力者8名、国外の有力者4名による評議会が開かれていた。会議室には円形に12の椅子が並べられそこにそれぞれが腰掛けている。12というのは神の数と同じ数だが『こんな神がいてたまるか』と、評議会の面々を見ているとアリエルはいつも思ってしまう。

 今日の議題はまず近日中に行われるであろうワーレン攻略戦における兵の配置が万事滞り無く行われたという確認から始まり、そこから派生して展開される事になる、エクスリヴァ・アシーナ王子が指揮を取る事になるであろうドルーア攻略戦への流れの確認。現在バルサゴスに攻め込まれているリキア、シアルフィの現状の確認と支援の是非、といった外交面の話が行われた後で、話しは国内問題に移っていた。国外の現状確認までは多くの人間(特にアシーナの人間)は余計な口出しをせずに話を聞いていたものであったが、国内の話になったとたんに、評議会の面々は口々に自分の言いたい事を喋り始めた。長らく国政を司っていた前宰相ユンゾ・マカリスターが死去し、エイルデン・アシーナ王が病に伏せっている現状、新宰相に任命され、名目上アシーナのトップに君臨しているのは、エイルデン王の娘、アリエル・アシーナであった。

 『確かに姫は政治に関しては素人かもしれません。しかしエクスリヴァ王子が戦に出てしまった今となっては国内をまとめ上げる事の出来る者がいるとすれば、やはり姫を置いて他に存在致しません。これはこの評議会、全員で話し合い、全会一致で出された結論です。姫、是非ともよろしくお願いいたします』

 長年騎士長を勤め、今では評議会の最古参の一人であるガイ・バニスターはあの日うやうやしくアリエルに対してそう進言した。以前から国内の政治に対してかなりの不満を持っていたアリエルは『当然よ!』とばかりに新宰相という立場を受け入れた。この決定に対して『やめておいた方がいい』と提言したのは学者兼医者のカイアム・ドミンゲスと、かつて聖女と呼ばれたオクタヴィア・デル・リンデの2人だけだった。かねてから信頼していたこの2人が自分に意見してきたのは、アリエルにとっていささかショックな事dfghれてしまう事が何よりも問題であり、新しい長が『無力』であるという状況は、評議会の面々からすれば『満足とは言えないが、誰もが納得する落とし所』であったという訳だ。新宰相という立場で評議会に参加し意気揚々と自分の意見を発言したアリエルに対し、評議会の面々はあらゆる角度からアリエルの意見を攻撃し、封殺にかかった。最初の頃は『自分はまだ政治に関して素人だから、見当外れの事を言っていたとしても仕方が無い』と思っていたが、そのような事が何度も続けば流石にアリエルも苛ついてくる。アリエルも自分の意見に多少の信念を持ち、真剣に主張しているのだ。しかし、アリエルのあらゆる発言は、必ず評議会の面々の集中砲火にあっていた。

 そんな状況の中でアリエルに救いの手を差し伸べたのはオクタヴィアであった。かつて聖女と呼ばれた彼女は、年齢としてはまだ30を少し過ぎた程度である。まだまだ美しく、肌にも艶があり、女盛りとも言える彼女であったが、今では大陸最大級の娼館の女将という凄まじい経歴の持ち主であった。そして彼女の運営する娼館が稼ぎ出す税収は、国内の税収の20%近くを占めるという恐るべき数字なのであった。そのオクタヴィアがアリエルの事を公然と支持する事を表明した事は、アリエルにとってはこれ以上無い追い風だった。

 『オクタヴィア様が評議会に入ってくれれば、私としても助かるのですが』

 自分への支持を表明してもらった折に、調子に乗ってそう切り出したアリエルであったが、オクタヴィアはその願いをやんわりと拒否した。

 『姫、気持ちは分かりますよ。でもこういうのは、私が完全に門外漢であるっていう事が重要なのだと思います。内部に入ってしまうと私も彼等に取り込まれてしまうでしょう。私は彼等の攻撃が届かない場所から、あなたを支援する。それが恐らくベストだと思いますよ』アリエルはあからさまに落胆したが、それを見てオクタヴィアは続けた。『でもね姫、ここが我慢のしどころという気もしますよ。今は針のむしろといった状態かもしれませんが、宰相という立場はやはり無視出来るものでは無いはずです。もしこの戦争が終わり、エクスリヴァ王子が帰ってきて国政を継げば、あなたは王子と共に、非常に強い立場でいる事が出来ます。そうなれば、長い目で見ればあなたはきっと、彼等をやっつける事が出来るでしょう。それまでの間、政治というものがどういうものなのかというのを、政治の最前線で学ぶ事が出来る。そのように考えてみてはいかがかしら?』

 そして最後に、オクタヴィアは娼館の利益の1%をアリエル個人の活動費として提供する事を約束した。娼館の利益の1%という数字は、アシーナの政治を司る全ての部署、全ての人間が、喉から手が出るほど欲しい金額であった。そしてアリエルは『形だけの宰相』でいる事に甘んじ、オクタヴィアの提言に従う事に決めた。戦争が終わった時、その時こそ私が世界を平和に導くのだ、と。


 しかし、そのように割り切っているつもりでも、会議の場で延々と無視され続けるのは当然ストレスであった。しかもそれが不愉快な議題ならばなおのことである。

 現在評議会の議題は、バルサゴスの再決起に伴い、今までアシーナが統括する【北部連合】に当たり前のように所属してきた【アグスティ国】が、突如としてバルサゴス、アシーナ両国に対して『中立』を宣言した事への対処についてであった。アグスティの中立宣言にはアリエル自身も怒り心頭であったが、この緊急事態に(かつての)味方同士で争っている場合なのか?というのがアリエルの立場であった。そしてその意見に対しては、それなりに賛同の声が上がってはいたが、会議の趨勢は【断固制裁派】がこのままアグスティに対する制裁に押し切りそうな様相であった。

 「総帥はバルサゴスとの戦いで疲弊した我が国に攻め込んでくる国がある、と言いたい訳ですか?私はそのような卑劣な国があるとは思いませんがね…」

 「じゃあアグスティはどうなのです?現に彼等は中立を宣言して、我々に戦わせて、城に引きこもり、兵を出そうともしません。オスティアも似たようなものだ。我々は国是として人の権利は平等だ、等と言っておりますが、それにも限度というものがあります」

 反アリエル派(とアリエルは思っている)の急先鋒であるオルドリン・オデンカーク陸軍総帥が舌鋒鋭くまくし立てていた。

 「それは暗に姫を批判しているのか?」

 「或いはそうかもしれません。いずれにせよ、リソースは限られており、戦争には金が掛かる。そして苦しい時に我々の事を誰かが『あの時頑張ったから』などと言って助けてくれるなどという保証はありません。自分の身は自分で守らなければならないのです」

 「そのためのアグスティへの制裁?」

 「そうです。アグスティは前回の戦争でも大して被害を出していない。今回それを吐き出させるべきです。そうすればそのリソースを他の部分に当てる事も出来る。それこそリキアへの支援とかにね」

 「理屈は分かるが、そう簡単に落とせるものかね?アグスティは見るからに堅い城だぞ」

 魔術長レンフルーがこの会議で初めて発言した。

 「レンフルーの言う通りだ。だからこそ、連中は中立等と言いだしたのだろう。制裁だ、と行って攻め込んで、そこで徹底して籠城されて、その状態が長引かされれば、もし戦争の状況が悪化した場合、結局アグスティから兵を引かなければなるかもしれん。そうなれば攻め損だ。なんと言っても我が国の主力は、現在ユングヴィとワーレンに出払ってしまっている訳ですからな。現存戦力でアグスティを確実に落とせる保証は何処にもない。金ばかり掛かって、何の成果もあげられないなんて事になりかねない。そしてアグスティとてそのくらいのリスクは承知の上でしょう。恐らく収穫物を城内に大量に溜め込んで籠城に備えているはずだ。そんな相手に対して下手なリスクは負えない。我々の当面の敵はバルサゴスだ。バルサゴスに集中すべきだ」

 と、ガイ・バニスターもレンフルーに追従する。いつもという訳では無いが、この老人2人は比較的アリエルと同じ意見の持ち主であった。

 「だからそれではアグスティのような卑怯な国が得をするという事になるのです。制裁は絶対に与える必要があります。我々は既にかなりのコストを払っています。我が国に残っている全ての船と、更にはレオノーラの天馬部隊まで出している。極めつけは、我が国の跡継ぎであるエクスリヴァ王子が最前線で戦っている。ここまでリスクを取っている国は我が国だけですよ。ハッキリ申し上げますが、こんなのは相当馬鹿げています。先程はまるで必勝であるかのように語られていましたが、もし今回のワーレンにおける作戦で負けでもしたら、我々は国内の全艦隊を失い、ペガサスも失う。更には…こんな事は言いたくありませんが、これが一番確率が高いでしょう。エクスリヴァ王子が戦死したとしたら、我々はどうなるというのです?下手すれば存亡の危機ですよ」

 「大袈裟な…」

 「大袈裟な事がありますか?他の国からすれば、今こそアシーナを叩くチャンスです。願ってもないチャンスだ。大陸の覇権を手にする事が出来る。アグスティがそのように考えているのかもしれないと、何故考えられないのですか?」

   オルドリンは生粋の軍人であり、とにかく戦場に出たくて出たくて仕方が無いのだろう、とアリエルは考える。せっかく戦争が始まったのに、今のところ出番が無いという事が不満で仕方が無いのだろう。しかし【禁呪】への有力な対抗手段が確立出来ていない現状、騎馬を殆どエクスリヴァが持っていってしまった今、かつて無敵を誇ったアシーナの陸軍部隊は、今のところ無用の長物なのであった。国内の立場が少々危ういオルドリンとしては何処かで点数を稼ぐ必要があり、今のところアグスティは、彼の目には手頃な相手ではあるのかもしれない。

 「何が何でも、王子を外に出してはいけなかったんですよ。縛ってでも城の中に隔離しておくべきだった」

  「あの鬼の形相の王子を止められる人間などいなかっただろう。バルムンクのサビになるのがオチだ」

 「仮にそうなってでも止めるべきだった」

 「じゃあ君がやるべきだったな。陸軍総帥」

 「皮肉を言っている場合か!これは完全なる失策です。私は今からでも、王子を前線から連れ戻すべきだと思います」

 「そして君が前線に出るのかね?誰も止めんからやってみるがいい。そもそもそんな事になれば、全軍の指揮は一気に低下するだろうがね」

 「どうやら結局あなた方は椅子に座っている事に慣れすぎてしまったようですな。口では威勢のいい事を言ったりするが、実際に戦う意欲がまるで無いように見える。なんならいっそバルサゴスに大陸の南は与えてしまえばどうです?そうすれば万事解決でしょう」

 「貴様正気か?!そんな事は断じて許す事は出来ない!連中は大陸を汚染しているんだぞ」

 「正気ですとも。連中は南を、我々は北を統治する。それでいいではありませんか。リキアをくれてやれば、バルサゴスはそれで落ち着くかもしれない。交渉してみるのも手だと思いますよ。むしろ今となってはこの中で私だけが正気なんじゃないのかという気がしてきますね」

 「いい加減にしないか!」

 会議室内は、結局いつものように埒の明かない怒号が飛び交い始めた。アリエルは顔こそ平静を保っていたが、頭の中では天馬に乗って空を舞う空想をしていた。幼い頃からアリエルには空想癖があり、最近それが酷くなってきたように感じていた。ただそれは恐らく気の所為だ。ここのところ連日に渡って評議会が開かれており、しかもその内容は日増しに酷くなっていく。評議会は、評議会などとは名ばかりの、自分の主張を好き勝手喚き散らすだけの場になりつつある。過去には時折アリエルが発言をする事もあるにはあったが、結局そうやって分かったのは『自分が口を挟めば挟むだけ会議が長くなる』という事だけだった。馬鹿馬鹿しくなって、アリエルはよっぽどの事が無ければ発言するのを止めた。誰かに言いたい事や聞きたい事があれば、後で直接、本人に聞きに行けばいいのだ。その方が手っ取り早い。誰の意見もそれなりに正しく、そしてそれなりに間違っているのだろう。そして、その全てを総合し、合理的判断に導くなどという芸当は、アリエルの最も苦手とするものだった。10分前の会話で、誰が何を喋っていたのかもアリエルは思い出せない。好きにしろ、私にどうしろっていうんだ?頭の中ではそのような言葉がひっきり無しに浮かんでくるが、皮肉にもこの評議会における上座に座っているのはアリエル本人だった。そして本来ならば、ここには兄のエクスリヴァが座っているはずだった。兄だったら、断固決然といった感じで、物事を兄なりに決める事が出来たかもしれない。そしてその兄の決断に対して、評議会の面々も、アリエルにそうしたようには、表立って批判する事は出来なかっただろう。なんといっても兄は最終戦争の英雄なのだ。

 兄のエクスリヴァは『王として必要な素質を全て備えている』などと言われている。しかしアリエルはその意見に与しない。幼い頃から抱いていた兄に対する尊敬の念は、今ではすっかり小さくしぼみ、今では軽蔑の気持ちが先に来るようになってしまっている。戦争が再び始まった時、兄は自分勝手に、完全にブチ切れて、自分の兵を率いて、あっという間に城を出ていってしまった。そんな王がいるか?いてたまるものか。アリエルもかつては、王となったエクスリヴァを、自分は実妹として、影で支える事になるのだろうと思っていたが、今では兄は王の器では無い、といううっすら城内で聞こえるようになりつつある意見に賛同しつつあった。とはいえ兄はアシーナの王位継承権一位の、押しも押されもせぬ正統後継者ではあるのだが。

 結局今日の評議会も、埒の明かない罵り合いが始まったところで、アリエルが強制的に閉会させた。


 『鬱の気があります。姫は仕事をし過ぎです』

 学者兼医者のカイアム・ドミンゲスは一週間ほど前にそう診断を下した。カイアムは自分の味方であるという事に、アリエルは疑いを持っていなかったが、そのカイアムも、オクタヴィアと同様評議会への参加は辞退したのであった。彼等は先見の明というものがあるのだろうか?いや、恐らく違う。オクタヴィアもカイアムも自分の仕事があるのだ。アリエルは姫だった。お姫様は何をやっても自由であり、そして何もする事が出来ない。そこにちょっとした綻びがあったのだろうとアリエルは分析する。そしてカイアムは、もうすぐ結婚するという噂もある。無理強いは出来ない。

 それにしても『鬱だ』などと言われてもいったいどうしろと言うのだろう?大陸は再び二分されていた。北のアシーナ、南のバルサゴスだ。その二つの大国が、大陸の命運を握っているのである。そしてそのトップに、今となっては自分がいるのだ。自分の双肩に世界の命運が掛かっているなどと言われて、憂鬱にならない人間が何処にいる?しかも自分は世間の事など殆ど分かっていない、20歳になったばかりの箱入りの小娘なのだ。

 (何故こんな事に?)

 と今まで百万回も繰り返してきた疑問がもたげ、そしてアリエルはいつも憂鬱になる。そこで思い出されるのは父親との苦い苦い記憶だ。

 【最終戦争】という名称は、今では大陸中で一般的に使われている名称だが、実はコレは父のエイルデンが付けた呼び名だった。そして今ではコレほど皮肉の利いた呼び名は無い。しかし、世界中の全ての人が、コレが【最終戦争】のはずだと信じていたはずだった。少なくともアリエルはそう思っていた。人類は長い歴史の中、【禁呪】によって、自分達の住む惑星『マルス』を汚染するだけ汚染し尽くし、今ではこの巨大な星の上で、人間が住む事が出来るのはこのユグドラル大陸のみだと言われている。ここが人類にとって最後の…本当に最後の最後の土地なのだ。このような土壇場の状況において、まだ人類は戦争をし続けている。どうして我々はこんなにも愚かなのだろう?そう誰もが思っていた。しかし、その愚かしい歴史に終止符を打つための戦争。最後の最後、ギリギリの状況でようやく『真の平和』を勝ち取るための、そのための戦争。それが『最終戦争』となるはずだった。そして最終戦争は終わった。バルサゴスは完膚なきまでに叩きのめされ、彼等の神であるドラゴン【サファイア】も姿を消した。そこでアリエルは父に打診したのだった。


 『すぐにバルサゴスと友好条約を結ぶべきです』

 『最終戦争を、本当に最終戦争にするために、ここで全てを、完全に終わらせるべきです。我々はバルサゴスを許し、永久の平和を約束すべきです』

 『そのためならば自分がバルサゴスの人間と結婚しても構いません』

 

 と、父に対して申し出たのだった。それに対して兄のエクスリヴァは『俺がユネア・バルサゴスと結婚する。お前は好きな相手と結婚しろ』と申し出てくれた。あの頃は、自分の兄は世界一の兄であると心から思ったものだった。

 しかし、アリエルとエクスリヴァの言葉を、父エイルデン・アシーナを始め、当時の評議会の面々はまるで真剣に取り扱わなかった。

 『エクス、アリエル。お前達の気持ちは痛いほど分かるが、物事はそう単純では無い。大陸中の多くの人間が心や身体に多くの傷を受けたのだ。まずそれを癒やさなければならないし、そのコストはバルサゴスに負わせるべきなのだ。それが戦争というものなのだよ。バルサゴスは二度と同じ事が出来ないように、徹底的に弱体化させなければならない。バルサゴスによって奪われたモノを、バルサゴスから帰してもらわなければならない。皆そう思っているのだ。これは理屈では無いのだよ。これが戦争というものなのだ。それに、私の大事な子供達を、バルサゴスにくれてやるなどもっての他だ。お前達には良い縁談をもってきてやる。安心しろ。戦争は終わった。時間はいくらでもあるのだから」

 アリエルは父の言っている事が理解出来なかった。

 『平和のため』

 『平和のため』

 『平和のため』

 戦時中、父は事ある毎にそう言っていたはずだった。その大義をアリエルも信じていた。『あの言葉は嘘だったの?お父様が今言っている事は全部利益の話し、お金の話しでは無いの?』しかしアリエルには大した発言権も無く、これ以上どうする事も出来なかった。

 しかし運命がここから狂い出す。バルサゴスは再び戦争を始めた。しかもそれは、ユグドラル以外の全ての大陸を汚染し尽くした【禁呪】と呼ばれる超強力な魔法を駆使して。

 アリエルは許せなかった。バルサゴスが許せなかったが、何よりも父が許せなかった。

 『何故私の言った通りにしてくれなかったの?!何故?!』

 アリエルの怒りは収まらず、父への叱責は連日に渡って続いた。自分でもあの時の記憶は、怒りに我を忘れて殆ど覚えていなかった。しかし、最後に父にこう言った事は覚えている。

 『もし本当に世界が滅んでしまったら、お父様の責任よ!』

 今思えばそんな事があるはずが無かった。父に責任が無い訳では無いとは思うが、そもそも大陸中の人間にそれぞれ責任があり、中でもバルサゴスの人間と比べれば父の責任等というのは微々たるものだろう。今ならそう言える。そうだと分かる。

 しかし、その言葉の後から、父エイルデン・アシーナの頭は壊れてしまったように見えた。頻繁に謎のうめき声を上げ、吃音が酷くなり、話しかけられても、何の反応も示さないような状況が長く続いた。

 『親父がおかしくなったのはお前のせいだって?馬鹿な事言うもんじゃないよ。そんな訳ないだろう』

 兄はそう言ったが、実際はどう思っているのだろう?少なくともアリエルは、追い詰められていた父の心を絶望の淵に叩き込んでしまったのは、自分のあの言葉なのでは無いのかと気に病んでいた。


 「この後はいかがしますか?」

 評議会の後、アリエルの護衛を勤めるミリアム・インボーデンが聞いてきた。ミリアムは今回の戦で、兄のエクスリヴァが出立する直前にエクスリヴァが連れてきた謎の女性だった。彼女の事は、知り合って既に数ヶ月経つというのに『どうやら優秀っぽい』という事以外にはアリエルは何も分かっていなかった。

 『護衛?城内でどんな危険があるというの?』

 とアリエルはエクスリヴァに聞いたが、エクスリヴァはアリエルに有無を言わせなかった。そしてミリアムも有無を言わせなかった。彼女はよっぽどの事が無い限り、アリエルの後を、本当に影のようについてくるのだ。無駄口も叩かず、そして一切の油断も彼女はしない。『一人になりたい』とアリエルが言う時は、部屋を隅から隅までチェックしてからアリエルの部屋から出る。そしてミリアムにとってどうしようもなく不憫な事は、どれだけ注意深く警戒しようとも、アシーナ城内で何か危険が起こる確率は、今までもこれからも極めて低いという事だ。今年で23歳であるという金髪で蒼い瞳、顔もそこそこ美しい彼女は、アリエルに対して無駄な心配をし続ける事で、貴重なはずの日々を無駄に浪費し続けていた。

 「ペガサス厩舎に行くわ」

 そう言うとミリアムの表情が少々曇った。以前も同じような事があった。曰く『空の上では護衛出来ません』との事だった。空だろうと何処だろうと護衛など必要ない、と、アリエルはミリアムに冷たく言ったが、ミリアムは何も聞こえなかったかのように、その後もアリエルにくっついて歩き続けた。兄がつけた護衛は職務に忠実だったが、その忠実さは結局のところ、兄に対する忠誠なのであり、自分に対する忠誠心ではない、とアリエルは思っていた。


 最近は忙しくて殆ど時間を作る事が出来なかった。だから愛馬『エルファレス』に会うのは恐らく二週間ぶりくらいになるだろう。アリエルは評議会が開かれていた会議室からかなり離れた場所にあるペガサス厩舎に向かう廊下を、ミリアムと共に歩きながら、幼い頃、教師、イレーナ・リーンフェザーが言っていた事を思い出していた。『ペガサスは乗り手に憑いた悪いモノを祓ってくれるのです』アリエルはこの考え方があまり好きでは無かった。(だったら、ペガサスに憑いた悪いモノは何処にいくの?)しかし、そんな思いとは裏腹に、アリエルは自分の心が挫けそうになるとエルファレスに会いたくなるのであった。エルファレスに何かが憑いているのならば、私がそれを祓ってあげたい。エルファレスに悩みがあるのなら、私が解決してあげたい。アリエルはそう思っていたし、それはきっと、アリエルに限った事では無いのではないのかと思う。少なくとも親友のニレニア・リーンフェザーは同じ気持ちだったはずだ。ペガサス乗りは、自分のペガサスに過剰とも言える愛情を抱く。そうでないペガサス乗りに出会った事は一度も無い。ニレニアもそうだった。そして彼女は【最終戦争】で一緒に戦った、【グングニルの騎士】オースティン・ケファライアに嫁いでトラキアにいる。もし彼女がトラキアに嫁いでいなかったら、アリエルはニレニアにも『評議会に参加して欲しい』と言った事であろう。そう言われたらニレはどうするだろう?やはり拒否するだろうか?きっとそうだろう、と思う。だからニレがトラキアに行った事は良かったのだろうと自分に言い聞かせた。『ニレ…あなたもなの…?』なんていう事は思いたくない。

 二ヶ月ほど前に届いた手紙によれば、ニレニアの第一子も誕生したそうだった。『そのうち顔見せにいく』と手紙には記されていたが、未だにニレニアはアシーナには帰ってきていなかった。もちろん、生後数ヶ月の赤ちゃんを抱きながら、おいそれと旅に出る事はなかなか出来ないだろう事は分かっているが。

 物事はいつの間にか変わっていく。自分の事を実の姉のように慕ってくれていたレオノーラ・リーンフェザーは今では天馬騎士の団長を務め、今現在、ワーレン攻略戦に向かっているし、更にはあのおてんば娘のシルヴィア・リーンフェザーもリキアへと旅立って行った。どうしても自分だけがここに取り残されているという気がしてならない。私はここで何をやっているのだろう?

 (私だって戦えるはずだ…)

 それがアリエルの本心だった。私だって戦える。役に立てるはずだ。戦場を駆って、敵を打ち倒し、仲間達と喜びあいたい。アリエルは心の底から平和を願っていたが、自分の関知しないところで、全ての事が決まっていく事が許せなかった。自分がいなくても世界は回っているという事が、嫌で仕方が無かった。それならば、自分もいっそ、戦に出て戦いたかった。何より、私には世界一のペガサスがいるのだから。

 しかし、それは見果てぬ夢だった。アリエルが城を出る事を許す人間はこの城には一人もいないだろう。恐らくそのために、兄はミリアムをつけたのだ。アリエル自身に、本当はそんな勇気は無かったとしても。


 久しぶりに見たエルファレスはやはり美しかった。ミリアムもそれには同意した。

 『アリエルはお姫様だから、一番いいペガサスを貰うのよね』

 子供の頃、ニレが少し不満そうにそう言ったのを覚えている。確かに明らかに不公平だったが、アリエルは自分が【姫】である事をこの時ほど嬉しく思った事は後にも先にも無かった。ペガサスはどの個体でも美しかったが、その中でもエルファレスは別格だった。(この世で一番美しいモノを貰った。どんな宝石も、エルファレスには遠く及ばない)その思いは今でもまるっきり変わらない。そして、そのようなペガサスに相応しい、立派な人間にならなければならない、と、若きアリエルは誓ったはずだった。そして、それなのに今の自分は…

 アリエルは悲しい気持ちでエルファレスの顔に手を伸ばした。エルファレスはそれを待っていたかのように、鼻先を手に擦り付け、アリエルの腕をペロペロと舐めた。アリエルは眼に浮かぶ涙をミリアムに見られないように気をつけたが多分無駄だろう。ミリアムに恐らく隠し事は出来ない。

 【ペガサスは乗り手に憑いた悪いモノを祓ってくれるのです】

 きっとそうなのだろう…アリエルはエルファレスを撫でながらそう感じた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ