第3話「破廉恥な男」
──はぁっ、はぁっ……!
西園寺 音々は自宅のドアを勢いよく閉め、荒くなった息を整える。
「あら? おかえりなさい音々様、今日はお早いですね?」
「あっ、ただいま恭子さん! わ、私勉強があるからっ」
音々はそそくさと靴を脱ぎ捨て、階段を駆け上がり、2階にある自室へと駆け込んだ。
「……つ、つい、持って帰ってきてしまったわ……!」
彼女の通う、華凜女子音楽大学。その校内で偶然音々が拾い上げた黒い手帳には、その無骨な外見から全く想像のつかないような内容が、それはもうぎっしりと詰まっていた。
【カリジョ妄想❤︎マル秘手帳】
表紙にはこのようなタイトルが記されている。
「こんなの書いてあったら、中身を見てしまうじゃない……」
手帳の中身を端的に言えば、華凜女子音楽大学の生徒図鑑。もっと端的に言えば、それは明らかに変態が書いたであろう『妄想ノート』だった。
手帳の中身は見開き形式となっており、左ページには女子生徒一人分のリアルな鉛筆スケッチ(これがまた無駄に上手く、やけに肉感的な描写なのである)、生徒の名前、その他髪型や容姿を中心とした外見的特徴、そしてどこで調べたのかスリーサイズまでご丁寧に記されていた。
対となる右ページには、
『今日はハニーとパンケーキデート❤︎ハニーたっぷり、ふわわふわふわパンケーキ。スウィ〜トでたわわたわわなぷりぷりぷりんもと〜っても美味しそう! パンケーキのベリーを突っつくおれ。うーん、トレビあ〜ん。』
などと犯人は意味不明な供述をしており……いや頭のおかしくなりそうな妄想創作ショートショートが毎ページこの調子で綴られており、それが見開きで100ページほど続いている、という読む側にとって地獄のような手帳であった。
「…………」
パラパラと中身を読み進めるうちに音々は気付く。
この妄想ショートショート、たまに会話形式のストーリーが混ざるのだが、『──あ〜ん、邪念場さま〜❤︎』とか、『──もう、詩朗くんたら〜ん❤︎』などと、特定の人物らしき単語がちらほらと不自然に何度も登場しており、
「……じゃねんば…………しろう?」
という、恐らくは手帳の持ち主と予想されるフルネームが、音々の口から発せられた。
「──し、しかも、どうして」
あろうことか、最後のページには『西園寺』という名字と、恐らくは音々自身であろう人物のイラストが艶めかしく描かれており、そして彼女のスリーサイズまでが細かく記載されていた。
「──どうして私の名前だけでなく、ス、ス、スリーサイズまで……!? しかも、ほぼ完璧にっ……!」
自分の大きな胸を両手でぎゅむと抑えるようにして、音々はボッと頬を赤く染めた。
「──不潔っ……! ま、間違いなく変態だわ……! 犯罪を犯す前に警察へ届けるべき……」
「……べき、なん、だけど……」
音々はおもむろに、手帳をパラパラとめくってみる。
「…………」
音々は不快に思いながら同時に、得も言われぬ違和感が自分の中に生まれていたのを感じ取っていた。
右ページにびっしりと書かれた幼稚な妄想創作ショートショート。内容は決して読めた代物ではないが、書き手の表現する言葉の節々からは、何か《《自分が追い求めていたもの》》を微かに感じる気がする……と。
「──違う! 私は決してこんな破廉恥な言葉を綴りたいんじゃないわっ!」
自分を何者かから守るようにして、音々はその過る思いをすぐさま否定する。
「……ただ……」
どんな曲の歌詞を聴いても反応しなかった音々のセンサーが、どういうわけかこの破廉恥妄想ショートショートの要所に散りばめられたワードセンスの一部に、ビビっと反応してしまっているのだ。
「──有り得ない」
わなわなと体を震わせながら音々は呟く。
「こんな……破廉恥な妄想だけに、その自由な発想を使うだなんて……絶対に有り得ない」
音々は手帳をグシャリと握り潰し、
「……私が正しい才能の使い道を、あなたに教えてあげるわ……。邪念場 詩朗……!」
その決意を堅く胸に刻んだのであった。
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