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7-4 鬼



 本当はずっと、殺したかったのだ。

 最初に彼女の死体を見つけたときの激情――あれが心の中から消えたことは、一度としてなかった。

 ただ、それよりもずっと大きな感情が、それを覆っていただけだ。彼女を憶えていたい。最も美しい時の彼女を――。

 だから、見ないふりをしてきた。自分が『パンプキン』に拘泥していることが、彼女の悲劇を補強してしまうような気がしたから。できるだけ気にしないように、視界に入れないように、怒りに支配されないように……そうやって、今まで過ごしてきた。

 今でも、だ。この殺人鬼を殺すよりも、谷花が手を汚さずにいられることの方が、ずっと優先順位は高い。それが逆転することは未来永劫ない。谷花よりもこんなつまらない異常者を重視するようなことは、絶対に起こりえない。

 けれど。

 それ以外の解決法があるなら、話は別だった。

「入澤さん……?」

 声を出そうとした。

 けれど、カエルのような鳴き声が洩れ出すだけだった。それも口からではない。喉から。不思議に思って指を当てると、明らかにそれは皮膚の感触ではない。まだ再生し切っていない。粘つく黄色の体組織が、爪の間に挟まって糸を引く。

 だから、汚れていない方の手で、ポケットから車の鍵を取り出した。

 詩緒に見せ付ける。自動車の開いたドアから運転席へ、ひょいと投げ入れる。

 逃げろ、とジェスチャーを見せた。

 一歩、前へと進む。出来損ないの人形のようにバランスを崩しかける。もう一歩、進む。もう一歩、もう一歩……どんどん足取りは確かなものになっていく。『パンプキン』は動かないまま、こちらを見ている。詩緒が二人を迂回するようにして車へと進む。それでいい、と入澤は思う。もうここからは、彼女の出る幕は用意されていないのだから。

 入澤が、『パンプキン』の前に立った。

 身長は、そう変わらない。真っ直ぐに、同じ目線で睨みつけている。動かない。冷たい目で見ている。煙を上げていた喉の修復が終わる。見ている。見ている。見ている。じっと、見つめている。真っ直ぐに見つめている。

『パンプキン』が鉈を振りかぶって、力の限りに振り下ろした。

 それを入澤は、首を傾けるだけで避けた。肩から入って、胸の半ばまでを切り裂いて骨で止まる。口から冗談みたいな量の血が溢れ出る。くぐもった声で、彼は言うべきことだけを、短く告げる。


「殺す」


 そこからは、二人の殺人鬼のありふれた、薄汚い復讐譚。

『パンプキン』は鉈をそのまま振り抜こうとした。入澤の上体を両断して行動不能にしようとした。それよりも、入澤がナイフを抜く方が速かった。口の中に突っ込んで、喉の奥から掻ききった。べろり、と頭の上半分が剥がれる。力を振り絞ったらしく鉈が骨を両断し、入澤の足が崩れ落ちる。コンクリートの上に二人の鬼は倒れ伏し、煙が消えればまた殺し合う。

 もうこれは、別の話なのだ。

 入澤が嫌だったのは、殺人鬼を殺すことなんかでは、まったくなかった。死ねばいい、こんな人間は。生きている価値がない。価値があるかどうかを考慮されることすらおこがましい。過去に遡れるというのなら、こいつがこの世に生まれ出てきた瞬間に床に叩きつけて踏みつけて殺してやる。

 谷花が手を汚さないのなら、何も構わないのだ。

 彼女に殺人の咎は与えない。過去に取り残されてしまうというのなら、それは美しいままでなければならない。たとえ彼女がそうでなくとも良いと言ったとしても、自分はそれを許さない。

 あの日、海に彼女を捨てたとき、自分はこう思ったのだ。

 不幸はすべて、自分が引き受けると。

 彼女と無関係なものとして、自分が取り去ってしまいたいと。

 鉈とナイフは入れ替わった。『パンプキン』がナイフを突き出してくる。入澤は手のひらでそれを受け止めて、もう片方の手で鉈を振るって相手の腰を砕く。崩れ落ちたらもう負けはしない。

「弱くねーか、お前……」

 手首を捻れば、簡単に『パンプキン』はナイフを手放してしまう。自分の手首の関節がどのくらい動くのかをわかっていないらしい。地面に手を突いて、跪いたような形になる。髪の毛を掴む。『パンプキン』がその手を掴もうとする。

 膝を思い切り、鼻面に叩き込んだ。

 ごちゃ、と骨が砕ける音がする。馴染んできた、と入澤は心の中で思っていた。不死身の肉体の使い方。肉体のダメージは気にする必要がない。強いて言うなら致命傷を負うと再生に時間がかかることだけを気に留めておけばいい。膝の骨が割れてしまうかもなんて心配をする必要はない。ただ己の中の激情の限りを叩き込むだけでいい。

 こんなに楽なやり方はない。

 顔面が陥没していく。『パンプキン』が顔を手で庇う。馬鹿らしい、と入澤は思う。そんなことをしている暇があったら、こちらに攻撃する手段を探せばいいのだ。ほら、お前の好きな鉈はこんなところにあるぞ。取り返さないのか。奪い返さないのか。まさかそこまで頭が回っていないのか? 十年以上もこの日に殺人を繰り返してきたのに?

「真面目にやれよ」

 顎の骨が、顔の裏まで突き抜けた。

 くだらねえ、と吐き捨てて、入澤は『パンプキン』の頭から手を離した。

 ふと思い出して振り向くと、自動車はなくなっていた。詩緒はちゃんと車の運転ができるようになったらしい。よかった、と胸を撫で下ろす。こんな光景を見ていたら、一生の心の傷になっていただろう。そして同時に、少しだけ不安になる。あの足でちゃんと運転ができるだろうか。どこかで事故でも起こさなければいいけれど……。

 左の手に、痛みが走る。

 億劫に振り返ると、パンプキンが入澤の手からナイフを引き抜いて、構えていた。

 両手に持って、腹へと突き出してくる。

 それを避けるでもなく、入澤は受け入れた。じっと自分の腹を見る。血が噴き出している。内臓もおそらく裂けている。

 だから何?

 そのまま入澤は、前へと歩みを進めた。こんなものは、頭に刺さなければ何の意味もない。自分と同じ存在が相手なのにそんなこともわからないのか。

 ぴたり、と腹と腹をつけるような距離で立ち止まる。

 思い切り、額を相手の鼻にぶつけた。

 手加減も何もなかったから、額の骨が割れる。けれどそれは大したことではない。すぐに治る。『パンプキン』は尻餅をついている。頭に向かってサッカーボールキックを繰り出してやる。簡単に当たる。歯が飛ぶ。骨が割れる。肌から突き出る。

 こんなことの、何が楽しいんだよ。

 どうあっても負けることはない。この程度の相手に。子どもを相手にしているのと大して変わりがない。こいつが十数年もの間警察にも捕まらずに殺人を繰り返すことができたのはひとえにこの世界があったからだろうことを確信している。もしもこの死の世界の恩恵を欠片も受けていなかったとしたら、この男は最初の殺人すらも隠すことはできなかったはずだ。頭はどう見ても回っていない。それに、大して強くもない。自分より大柄な人間を相手にしたらまず勝てない。谷花たちを狙ったのは、あの渋谷のビルにいた残り二人の女を狙ったのは、自分でもどうにかできそうな相手だと思ったからか。

 こんな奴のために。

 うんざりだった。こんな不毛なことを繰り返すのは。一秒だってこいつに世界に存在していてほしくない。早く全てを終わりにしたい。首吊り男は何と言っていたんだったか。もしかすると鬼なら鬼を殺せるかもしれない、そのくらいのことだったんだっけ。だとしたら、鬼でも鬼を殺せない可能性だってなくはないのだろうか。このままこいつを朝まで刻み続けなければならないのだろうか。やっぱりそんなのは、うんざりするような考えで――、


 青い火が、宙に佇んでいた。


 ふとそのとき、『パンプキン』がどのようにして自分たちを追ってきたのか、わかった。感じるのだ。たとえそれがただの青い火であったとしても、その居所を。そしてそれが何者のものであるのかを。

 だから、心配させないように……入澤は笑って言った。

「どっか行ってろよ。これ、好きでやってるだけだからさ」

 お前とは関係のないことなんだよ。

 災難だったな、こんな夜に、死んでまで変なことに巻き込まれちゃって。

 でも、心配するなよ。たまたま俺が、そういうこと得意だったからさ、こっちで全部片づけておくって。

 お前は妹のところにでも行けば? 話はできないかもしれないけど、ハロウィンなんだから、傍にいるだけでもさ。

 なあ。

 忘れてくれないか。

 俺みたいな汚い奴のこと、全部。

 頼むから、全部、忘れてくれないか……。

 青い火に、背を向けた。

 もう二度と振り返るまいと、入澤は決めた。

 そこからはひたすらに……ひたすらに、解体を続けた。死ななくてもいいと思った。夜明けを待ってもよかった。けれどひょっとしたらもう少し早く終わってくれるのではないかと思ったから、『パンプキン』を隅々まで破壊し尽くした。今なら何も見なくても人体の解剖図が描けると思えるようになるまで、ひたすらに、加害を続けた。途中からは無心になって、自分が何をしているのだか、どこにいるのだか、あるいは何のために生まれてきたのだかも、綺麗さっぱり忘れてしまった。


 そうして夜明けの気配が海の向こうにじわりと感じられるようになった頃。

 ようやく『パンプキン』は、動かなくなった。




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