6-1 高速
「冗談だろ……」
呟くが、残念ながら冗談ではなさそうだ。
車の音はどんどん近付いてきている。一直線に、こっちに目掛けて。
一瞬だけの迷い。どうにかしてやり過ごすか、それとも純粋に、スピードの勝負に出るか。入澤が選んだのは、後者。
「飛ばすぞ」
アクセルを強く踏み込む。わ、と詩緒が声を上げて背中を浮かす。
一般道で、時速百十キロ。誰もいない世界のこととはいえ、さすがに冷や汗が出てくる。
「後ろ、見といてくれるか」
「は、はい!」
バックミラーの角度も走りながら調整する。そして、入澤は考えている。
なぜ居場所がバレた?
「服に何かつけられてないか?」
「え?」
「発信機とか」
まさかな、と思いながら訊く。そもそもこの世界でそんなものが作動するのかどうかも怪しい。詩緒は慌てて自分の服の至るところをパンパンと叩いて、それから案の定「な、ない……と、思います」と答える。
ますますわからない。
どうして自分たちの居場所がバレている?
最も心の安らぎになる発想は、この音が『パンプキン』の出す音ではないという可能性だった。『パンプキン』は自分たちのことを見つけられずにいるか、ひょっとすると追跡それ自体を諦めていて、自分たちは解放されているのかもしれない。今聞こえている音は関係のない第三者が出している音で、ここもただ振り切ってしまうだけで乗り切れる――
そんなわけがない。
「心当たりはないか?」
入澤は詩緒に訊ねる。
「何か、こっちの居場所がバレるようなこととか」
「な、ないです! 全然……あの、近付いてきてませんか!?」
さらにアクセルを踏み込む。
これ以上行くと、と内心で焦る気持ちがある。アクセルの裏が床につきかねない。向こうは不死身だからいいかもしれないが、こっちは一つの接触事故で簡単に死にうるのだ。曲がりくねった一般道でいつまでもこんなことはしていられない……。
「高速に乗る。そこのダッシュボードを開けてくれ」
はい、と勢いよく返事をした詩緒が、けれどすぐに驚愕に凍り付く。
「これ、何……」
「途中で首吊り死体から貰ったんだよ」
恐る恐る、彼女がそこから引き出したのは、真っ黒な拳銃。
入澤はその名前を知らないが、アクション映画で何度か見かけたことがある。刑事の持つ銃。『首吊り』が自分を襲う際に使ってきた武器。車を貰うついでに一緒にせしめてきた。おそらくは、刑事だったと言ったあの首吊り男が生前に所持していたものだろう。
「使い方はわかるか?」
「わかりませんよぉ!」
「よし、じゃあ俺が使う。膝の上に置いてくれ。あと、一応バール……そうそれ。くぎ抜きみたいなやつ。それも手に持っておいて」
自分で言いながら、冗談だろう、と入澤は思っている。
まさかやるのか? 現代日本で、そんなことを。本気で?
けれど……やるべきときがきたら、やるしかないのだ。
高速道路の入り口が見えてくる。料金所のバーも何もない。ただひたすら真っ直ぐに、アクセルを踏み込んだ。
スピードメーターが見たこともないような数字を表示している。ちょっとでもスリップすればひとたまりもないのではないか、と冷や汗が噴き出して止まらない。
それでも入澤は、膝の上の拳銃に手をかける。地下駐車場でマガジンを一つ消費して、使い方は一通り見ておいた。今は新しいマガジンを装填している。七発。セーフティはまだかけたまま、トリガーはロックしている。
「も、もしかして、」
「映画でよく見るだろ? カーチェイスだよ」
対決しかない。
そのことを、入澤は感じていた。
向こうがどうやって自分たちを追いかけてきているのかわからない。ひょっとすると自分があの渋谷まで導かれるようにして行ったのと同じで、向こうにも何かしら、自分たちの居場所を捕捉する手段があるのかもしれない。
だとするなら、姿を眩まそうとしたところで無意味で。
ずっとこんな風にスピードを出し続けて、事故を起こさないでいられる自信もなく。
だったら対決して、叩き潰してやるしかない。
ふくらはぎが激しく痙攣を始めるのを、力で抑え込んだ。
「後ろから来てます!」
詩緒が叫ぶのに、入澤も後方を確認する。同じく向こうもRV車。まさか軽自動車で来てくれるとは思わなかったが、骨の折れることになりそうだ、と憂鬱な気持ちになる。
目標は、自動車の破壊だった。
この高速道路上で仕留められれば、かなり効果は高い。向こうはこのだだっ広い空間で移動手段をなくすことになるし、サービスエリアやら高速出口まで辿り着いたとしても、そこから自動車を手に入れるのに時間がかかるはずだ。鍵がなければ動かない。自分がしたのと同じだけの苦労を、向こうもする羽目になる。
問題は、その破壊の手段だった。
こんなことなら、と入澤は思う。この状況を想定して、もっと使えるものを調達しておくんだった。
まずはシートベルトを外して、写真を胸ポケットから抜き取って、それから素早く上着を脱いだ。
「これ」
「は、はいっ!」
それを詩緒に押し付けて、指示を出す。
「上手いこと、後ろの車に放り投げてくれ」
「投げる、って……」
「フロントガラスに押し付けられればかなり良い。視界がなくなれば、向こうが勝手に事故ってくれるかもしれない」
瞼の端が裂けてしまうのではないか、というくらいに詩緒の目が見開かれる。何を感じているか、入澤にも簡単にわかった。
「大丈夫だよ。ダメで元々だ。風もあるし、たぶん九割失敗する。当たったらラッキーくらいの気持ちでやってくれよ」
頑張ります、と震えるような声で言う。窓が開かれて、ものすごい勢いで風が車内に入り込んでくる。九割九分無理だろうな、と入澤は認識を改めた。
「まだだ。距離が近くなってからでいい。まだ……まだ……」
バックミラーに目を配りながら、入澤は呟く。段々距離が縮まってしまっているのは、車の性能差というよりかは、むしろ躊躇いのなさが反映された結果だろう。どんどんと、向こうのフロントガラスは大きく目に映るようになり……。
『パンプキン』と、鏡越しに目が合った。
「今!」
「はいっ!!」
思わぬほどの効果を生んだ。
強風のあまりに、投げるというよりほとんど置くような動きになったのがよかったのかもしれない。詩緒が手放した上着はほとんど瞬きする間もなく後方へと飛んで行き、これ以上ないくらい綺麗に、『パンプキン』の車のフロントガラスに張り付いた。
「ぃよしっ!!」
「やったぁ!!」
入澤と詩緒は二人一緒になって歓喜の声を上げる。もう少し二人が軽率だったら、そのままハイタッチまでしたかもしれない。
けれど、警戒心は簡単に解けるほど浅いものではなかったから、すぐに気づいてしまう。
『パンプキン』の車が、なお速度を上げているということに。
「なっ――!」
確かに、原理上は可能なのだ。
まっすぐの道が続いているから、たとえ前が見えなくても直線の軌道を保ってアクセルを踏み続けているだけでいい。事故さえ起こらなければそれで構わないわけだし、事故を起こしたとしてもこちらとはリスクが段違いに低い。
考慮すべきだった。
ほとんど自爆じみた動きをしてくる可能性を。
「くっ、そが――! おい、シートベルト外して下に隠れてろ!」
「し、下!?」
「頭見せんな! たぶん向こうも持ってる!」
ハンドルを切る。背筋がぞっとするようなタイヤの滑りとともに、左の射線に入る。そしてちょうどそのとき、『パンプキン』の車が追い付いて、右側に付けてきた。
バリン、と運転席の側の窓が罅割れた。
「ひ――!」
頭を抱えて、詩緒が這いつくばる。この速度の自動車の中でそんなイレギュラーな動きをすること自体が恐怖に違いなかったが、しかしそうしなければ、命が危うい。
二発目。
完全に、窓が割れた。
入澤が右を見る。すでに、視線を遮るものは何もない。
睨み合った。
クロスボウを手にした、『パンプキン』と。




