5-3 立て直し
「じゃあちょっと、中で待っててくれるか」
高速に乗って、降りて、下道を数十分。それでようやく入澤は車を停めた。いい加減に『パンプキン』も自分たちを見失った頃だろうと信じて。目の前には薬局。東京をすでに出たおかげで、だいぶ駐車場が広い。サイドブレーキを引いて、エンジンを切って、それから谷花の妹――谷花詩緒に声をかけた。
ドアを開いて外に出ようとすると、後ろから微かに引っ張る力。
「ん?」
「あ、あの……」
その指先がかたかたと震えているのを見て、考えなしだったか、と入澤は自分を責める。こんな状況だ。一人にはなりたくないに決まっている。
「ちょっと待ってな」
言って、一旦外に降りる。車の外周をぐるりと回って、助手席の側のドアを開く。
「歩けそうか?」
「なんとか……」
言いながら、降りる瞬間にはもうふらついている。無理すんな、と肩を貸せば、すみません、と消え入るような声で言う。震えているのは指だけではないらしいことが、接する身体から伝わってくる。服越しに冷気が伝わってくるのはこの冬めいた夜が見せる幻と思いたいが、実際に体温が低くなっているのかもしれない。
できれば病院が良いか、とも思ったが、どうせ素人のやることだから、それなら素人が使うことを想定した物が置いてある場所の方がいいだろうと考えた。
薬局の中は、当然誰もいない。それなりに広い場所だからかえって使いづらくもある。どこに誰が潜んでいるかわからないからだ。
「人か……死体があったら教えてくれるか」
「は、はい……」
懐中電灯は、詩緒に渡しておく。自分がいざというときに武器も何も使えないというのはマズい。ただでさえ、殺人鬼を相手にした場合は苦戦を強いられることになるのだから。
幸い、店内には誰もいない様子だった。胸を撫で下ろして、それからようやく、手当に入ることができる。
水。消毒液に傷薬。乾いたガーゼに包帯。とりあえず集められる限りのものを集めてくる。途中にさらに光量の大きい懐中電灯が置いてあったので、それを電気スタンドの代わりに使う。
詩緒の膝丈のスカートは破れ、腿には刺し跡が残っている。刃物だろう。裂け目のように、ぱっくりと肉が切れていた。傷口が細いから出血自体はすでに止まっているようだが、その深さには思わず眉を顰めそうになる。相当の痛みだろう。
「自分でできそうか?」
「わ、わかんないです。私、こういうのしたことなくて……」
「俺だってないよ。……とりあえず水で洗って、それから消毒。薬塗って、包帯巻いとけ。無理そうだったら声かけてくれ。手伝うから」
はい、と力なく言う。これはこれで、入澤の気遣いだった。おそらくどの工程にもかなりの痛みが伴う。人にやられるよりも、自分の痛覚と相談しながら進められた方がいいだろう、と考えたのだ。
自分は自分で、と彼は鏡を見た。『パンプキン』を相手にしたときは奇跡的に反撃を食らう前に仕留められた。けれど、『首吊り』を相手にしたときは随分苦戦を強いられた。どこか、自分でも気付かないうちに酷い怪我をしているところはないか……。それを確かめて、見つけた打撲痕には氷を当てた。
「あ゛うっ!!」
声が響いた。
振り向く。詩緒が傷口の近くに手を置いて、身体を丸めている。隣には蓋の開いたペットボトルが転がって、その中身をとろとろと床に零している。入澤は近付いて、その肩を叩いた。
「大丈夫か」
「ごべっ、わたっ、むりでず……!」
無理もない、と入澤は思う。
自分だって同じことをしろと言われたら、叫ばずにいられる自信はない。渋谷からここまで、ひたすら堪えていた痛みがさらに増すのだ。嫌になっても何もおかしなことはない。
だから、袖を捲った。
「舌噛まないようになんか……タオルとか噛んどけ」
ほら、と言って、近くにあったやわらかいそれを渡して、入澤はペットボトルを手に取る。
できればこんなことはしたくはないが、何で刺されたのかわかったものじゃない。感染症や破傷風のリスクがある。絶対に必要なプロセスだ。そのことを改めて伝えて、そして自分自身、覚悟を決めて言う。
「百秒数えろ。それだけ我慢すれば、何とか終わらせてやる」
タオルを噛んで、涙を流した詩緒が頷く。
よし、とできるだけ自信があるように見せかけながら入澤は頷いて、怪我へと向き合う。
そして、それが片足ではなく両足にあるものだったことを改めて思い出して、やっぱり二百秒だ、と言い直したくなったりしている。




