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3-3 不法侵入



 地下駐車場から、直接スーパーマーケットに通じる道があった。

 コンクリートの床をぐるりと大回り。自動ドアのすぐ近くに買い物カートの置き場があったから、ここからだろう、と当たりをつけることができた。

 ドアは相変わらず開かない。通電していないのだ。そして今度は、マンションの入り口のように簡単には開かない。力を込めても動く気配はない。中を覗きこんでみてもよくはわからないが、おそらく施錠されているのだろう。二十四時間開けっぱなしの場所とは違う、というわけだ。

 コンコン、とガラスを叩く。かなり分厚い。素手で割るのは無理そうだ。

 ちょうどいい道具が、近くにある。

 入澤はカート置き場に回った。そのうちの一つを手に取って……そのあと結局、一台だけではなく三台まとめて引っ張ってくる。細いつくりだから、ひょっとするとこっちの方が先に音を上げてしまうかもしれないと思ったのだ。

 ガラガラガラ、とキャスターが鳴る。もう古くなっているのか、それとも床が思ったほど平らではないのか、突起に引っかかるような手ごたえが伝わってくる。首吊り死体の叫ぶ声は、この地下の中で未だにはっきりと響いていた。

 再び、自動ドアの前。

 入澤は、買い物カートを両手でしっかりと握って、持ち上げて、

「ふッ――――!」

 思い切り、振り下ろした。

 耳を傷つけるような破砕音が響く。ガラスは、一気に壊れた。

 手にしたカートは曲がっている。それなりの力を込めなければ、やはり割れなかったかもしれない。窓枠にはまだいくらか尖った破片がついているが、人一人が通る分には問題ない。ブーツの底でパキパキと飛び散った破片を砕きつつ、入澤は中へと侵入していく。スニーカーではなく安全靴を選択したのは、今のところ正解だったように思われる。

 入ってすぐにスーパーの店内というわけではなかった。通路。真っ白い壁に囲まれた、簡素な。少し歩けばすぐに折れ曲がって、その先にもう一枚、自動ドアがある。

 舌打ちをしたくなった。もう一度使うことを予想して、カートを一つ持ってくるべきだった。しかし引き返す前に気付く。扉のすぐ近くに、観葉植物が置いてある。

 その大きな鉢を持ち上げて、力いっぱい投げつけた。

 同じ破砕音。入口は通行可能になる。頭をガラスに擦らないように身を屈めながら、入澤は中に入っていった。

 店内にもやはり人の影はない。電気はすべて消え、非常灯すらも明かりを発さないでいる。スマホのライトで辺りを照らしながら、ふと入澤は思う。このくらいの規模のスーパーなら、懐中電灯が置いてあるんじゃないか。

 どうしても携帯には持ちにくさがあるし、滑りやすくもある。今後も死体に襲われる可能性があるとするなら、このあたりで調達しておくのも手だろう。

 暗闇の中を、彼は歩いた。いつどこから死体が出てくるとも限らない。あるいは、あの駅のホームのような悪夢が広がっているとも限らない。そう思うから、周囲を警戒しながら、けれど時間をかけ過ぎないように、足早に進んでいった。

 防災グッズのコーナーに、懐中電灯は置いてあった。パッケージを剥いてみると、幸いなことに電池まであらかじめ入っているらしい。かち、とボタンを押せば、携帯のそれよりもだいぶ強い光量が確保できた。

 次は、本来の目的だった水だ。

 普段は家の最寄りのスーパーばかりを利用しているから、この店の配置には詳しくない。けれど、飲料は比較的見つけやすいものの一つだと入澤は思う。基本的には冷却するものだから、設備を目印に辿っていれば、そのうち絶対に見つけられる。

 冷却用の棚沿いに、入澤は歩いた。入口で踏んできたガラスの破片はブーツの底に貼りついたまま、床に擦れてシャリシャリと細かな音を立てる。

「あった」

 短く呟く。飲料の棚。光で照らして確認する。二リットルボトルがいいだろうか。それとも、あの首吊り死体に飲ませることを前提にして、扱いやすい五百ミリのボトルにした方がいいだろうか。ついさっきの買い物カートのこともある。持っていくのであれば、何度も行き来しなくて済むように、数本をまとめて持っていくべきだろう――目線の高さにある小さなボトルたちを照らせば、その中に閉じ込められた液体が、覗き込む入澤の顔を反射する。


 その後ろに立つ人影も、一緒に。


「な――――ガっ!」

 振り向くよりも相手の動きの方が早かった。

 首に強烈な圧迫。呼吸が止まる。振り向けない。絞めるというよりも、もはや首を裂く勢いで太い縄状のものが首に食い込んでいる。苦しみ。入澤は咄嗟にロープと首の間に指を挟み込もうとするが、そんな隙間はまるでなく、爪の先すらも入らない。

「あ、ぐっ……」

 誰だ。考える暇はない。自分が今この瞬間に対応しなければならないのはそんな根本的な問題じゃない。もっと差し迫った目の前の問題だ。自分はいま、首を絞められている。このままだと死ぬ。どうにかして抜け出さなくてはいけない。その方法。

 相手の背は相当高いらしい。入澤も成人男性の平均以上の背丈であるが、首を絞めている男はそれより大柄のように思える。吊り上げるように上方向に力が加えられている。ロープに手をかけて対抗しようとしてもまるでびくともしない。

 だが、身体ごとぶつかれば話は別だろう。

「――――っ!!」

 後ろ側に倒れ込んだ。

 飲料の棚に足をかけて、思い切り勢いをつけて、背後の男の鼻面に強烈な頭突きをくれてやるつもりで。

 当たりどころがそれほど上手くいかなかったのか、劇的な手応えはなかった。けれど男もさすがに入澤の全体重をかけた力は受け流せなかったらしい。二人はそのまま、後方に転がることになる。

 後ろにあった棚ごと薙ぎ倒して、倒れ込んだ。

 連鎖的に他の棚にまで被害は及ぶ。轟音の響き渡る中で、入澤は倒れざま、相手の鳩尾に肘を叩き込む。全体重のたった一箇所への集約。普通の相手だったらそれでしばらくは動けなくなるはずで、実際ロープを握る手は緩んだ。その隙に入澤は素早く起き上がり、自分の首からロープを外し、振り向いて懐中電灯をたった今打ち倒したはずの相手に向ける。

 もう、起き上がっていた。

「なん、」

 異常な顔だった。

 顔のいたるところに縄状の絞め跡が走っている。歯はなく、口元は奇妙に丸まって内側に凹み、瞳は変形して著しく陥没している。大男はすでに起き上がっていて、そして襲い掛かってきていた。

 顔を掴まれて。

 そのまま棚に、思い切り叩きつけられた。

「ぎっ――!」

 男の手は止まらない。そのまま入澤の頭を持ち上げて、もう一度。二度、三度。ペットボトルがまだ衝撃を吸収してくれているからただの鈍い痛みで済んではいるが、今まさにぼとぼとと勢いよく倒れていくそれを認識できれば、もう数度もしないうちに自分の頭がフレームに叩きつけられてパックリ割れてしまうだろうことを、入澤は何とか認識する。

 だから、ペットボトルを手に取った。

「あぁあああああ!!」

 二リットルのボトルの先端を手に取って、重みの許すままに、男の頭をぶん殴った。

 芯で捉えた手応え。男の手が緩む。入澤の頭に選択肢が過る。バッグの中に入れてきたナイフ。

 けれど、それを取り出す手間を惜しむ程度には、彼は焦っていた。

 叫びながら、まだ殴る。ボトルを手にして、何度も何度も、男を殴る。野生動物めいた容赦のなさで入澤は攻撃を続け、ようやく手を止めたのは、男が全く動かなくなってからだった。

「……死んだ、のか?」

 今更になって良心の呵責が追い付いてくる。けれど、いまだにそれは驚きと恐怖に競り負ける程度の感情でしかない。

 早くここから離れたい。

 彼の中に最も大きく存在している感情は、それだった。

 当初目的だった水、それ自体は確保できた。とりあえずはそれを達成して、もういい。頭の中には次から次へと疑問が湧いてくる。誰なんだこの男は。死体なのか? なぜ自分を襲ってきたんだ? 死んだのか? 死んでいないのか? ――けれど、それらに構っている余裕はない。一度襲われた場所に留まり続ける生き物はいない。店の中をどこまでも広がり続ける闇。その一欠片ずつに、目の前の男のような殺人鬼が潜んでいるように感じ始める。

 水のペットボトルを一つだけ掴んだ。今となっては、ここに来たのは無駄な行動だったのかもしれないと後悔の念も湧いてくるが、ここで何も持たずに立ち去ってしまえば、一分の望みもなく全てが無駄として決定されてしまう。

 行こう。懐中電灯の明かりで前を照らしながら入澤は走り出す。


 暗闇の中に、銃声が響いた。




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