第一章 魔女探偵
ここはレンガと石造りの街トルティール。周囲を高い壁に囲まれ、外からは街の様子を伺うことはできません。
しかし、一歩中に足を踏み入れれば石畳の大通りと美しい街並みが姿を現します。
これといって大都市でもなければ、田舎町でもないのどかで魅力的な街が広がり、多くの人々がそれぞれに魅力的な人生を歩んでいます。
この街の特徴はただ一つ、この街には多くの魔法使いが住み、また多くの魔法使いが訪れることです。ゆえに「魔法使いの王都」とも呼ばれ、魔法使いが一度は訪れたい街としてほとんどのガイドブックに掲載されています。
そんなトルティールの街の一角に一つの小さなレンガ造りの家があります。
その中で一人の少女がデスクに向かい、静かに本を読んでいました。
歳は十七、腰までまっすぐに伸びた白銀の髪と群青色の瞳を持ち、この世の誰もが羨む美貌を兼ね備えていました。そして、黒のローブを身に纏い、デスクの上に初枝が一本置いてあります。
彼女の名はリリィ、まぎれもなく魔女であり、この街のありとあらゆる事件を解決する探偵なのです。
○
リリィ探偵事務所の昼下がり、南向きの天窓から心地のよい春の日差しが、美しい光となって降り注いでいます。私以外誰もいないオフィスはとても静かで、奥の台所から先ほど食べた昼食の後片付けをする音だけが聞こえてきます。
私は昼食後から始めた読書に勤しんでいました。読書というのはとてもいいもので、依頼人もなく暇な時間をつぶすのにうってつけです。私は周りのことなど全く気にせず、本の世界にのめりこんでいました。
何の本を読んでいるんですか?
ふふ、秘密です。でも、ものすごく面白い本なんです。この本のような世界が現実にあれば良いのに、と本気で思ってしまうくらいです。
もっとこの世界を知りたい、もっとこの世界を楽しみたい、そう思った矢先でした。
カランカラン、と扉につけられた鈴が鳴り、私は現実の世界に引き戻されました。
ああもう、誰ですか、私の夢の時間を邪魔するのは。
「リリィはいるか?」
多くの修羅場をくぐりぬけてきたような、重圧感のある声が事務所の中に響きました。今まで幾度となく聞いてきた声でもあり、できれば聞きたくない声でもありました。
その声の主は褐色のスーツに身を包み、そのスーツの上からでもはっきりわかる強靭な筋肉の装甲を持った大男でした。
「あらあら、これはこれはオトギリ警部。今日はどんなめんどくさい依頼を持ち込んで来られたので?」
非常に不愉快だったので最大限の嫌みをぶつけておきました。
「ひどい言い方だな。これでもこの街の命運をかけてきているのだぞ」
オトギリ警部は、トルティール警察署の中で一番の検挙率を誇っている刑事で、この人がこの事務所に来るということは、警察の手に負えない事件が起きたということです。
まあ私としては、面倒な厄介事を持ってくる害虫でしかないのですが。
「そういうのが嫌なのよ。この街の命運とやらを、私に押し付けないでちょうだい」
「そんなこと言わないでくれ。せっかく最高級の紅茶を貢いできたというのに」
と言って、オトギリ警部はカバンの中から小さな紙袋を取り出しました。
「はあ。ご機嫌取りがだんだん下手になってきていませんか?今どき紅茶で女の子は釣れませんよ」
実はすごく欲しいんですけど、何とか警部を帰そうにと必死に欲望を押さえていました。
「ん?・・・そうなのか?」
そ、そうですよ。 ,,,,紅茶欲しい。
そもそも、女の子に迷宮入り寸前の難事件の解決を願い出に来る時点で、ここの警部は無能者の集まり、鳥合の衆でしかないと思うのですが。 ,,,,紅茶、欲しい。
「この金貨十枚で買ってきたフォートナム・メイソンが無駄になってしまうのか...」
なに。フォートナム・メイソンと言いましたか。世界的にも有名な紅茶ブランドじゃないですか。
なにそれ、めちゃくちゃほしい。ああ無理、降参です。
「分かったわ。事件の概要を聞こうじゃない。アイリー。紅茶入れてちょうだい。」
私がそう言うと、奥の台所から一人の少女が出てきました。歳は私と同じ十七歳、赤い瞳を持ち、山吹色の髪を肩で切りそろえ、灰色のスーツの上からエプロンをしていました。
彼女の名前はアイリス(私はアイリーと呼んでいます)。私の親友で、今はこの事務所で私の助手をしてくれています。
「かしこまりました。あら、オトギリ警部、今日はリリィにどんな反吐の出る厄介事を頼みにいらっしゃったのですか?」ついでに毒舌家でもあります。
アイリーの一撃に、オトギリ警部の表情はますます厳しくなってきました。
「君たち二人とも、私にどんな恨みがあるんだい?」
「面倒ごとを押しつけてくること」「リリィをいつも危険に晒していることです」
二人同時に即答します。まあ、一ヶ月に一回くらいの間隔でこんな風に来られたら、嫌気も差しますよ。
「すまないと思っているさ。けど、事件を未解決のままで放置してはおけないだろう」
「わかってるわよ。それに、どうせ私以外に頼れるつてもないんでしょう」
「……確かにそうだ。いつも感謝しているよ。事件を解決してくれたらまた何か奢るよ」
「いつもありがとね。というわけで。アイリー、オトギリ警部の持ってきた紅茶を早速淹れてちょうだい」
私は、オトギリ警部が金貨十枚で買ってきたという紅茶を奪い取り、アイリーに手渡しました。
「あら。フォートナム・メイソンですか。いいですね。ちょっと待っててくださいね。すぐに淹れますから」
そう言うと、アイリーは奥の台所に消えていきました。その間に、私はさっきまで読んでいた本をデスクの引き出しの中にしまい、代わりに少し大きめの手帳とペンを取り出しました。
アイリーが、私とオトギリ警部の前に紅茶の入ったカップを置き、自身もデスクの横の椅子に腰掛けました。
「さて、今度はどんな事件なの?」
オトギリ警部は険しい表情を浮かべていました。
「通り魔だ。ここ最近、立て続けに六件、通行人が刃物で切りつけられる事件が起きている」
「通り魔、ね。犯人の顔を見た人はいるの?」
「いや。被害者は犯人の姿を見ていないそうだ」
「姿を見ていない?」
「ああ。知らないうちに、腹部をスパッとやられていたそうだ。それどころか、目撃者もいないんだ」
「目撃者がいない?」
「正確には、切られた瞬間を見たものが一人もいないということだ。端から見たら、いきなり倒れて血を流している、ということらしい」
「なるほど。何か手がかりはないの?現場に何かあったりとかは?」
オトギリ警部は首を横に振りました。
「いや。何もない」
いやいやいや。これ打つ手なくないですか。どうやって犯人探せって言うんですか。
「今のところ、判明しているのは犯行現場の位置だけだ」
そう言って、オトギリ警部はカバンに中から大きな地図を取り出しました。地図には赤いバツ印が六つ打たれていて、印の横には日付が書かれていました。
「地図上の印が、被害者が倒れた場所だ。印の周辺で切りつけられたと思われる」
赤い印は、大通りに打たれていたり、狭い路地に打たれていたりと、あちらこちらに分散していました。
「本当に、これだけなの?」
「…………」
「そうなのね。もうホント、相変わらず役に立たないわね」
「リリィ。あんまりひどいこと言わないであげてください。いつものことではありませんか」
アイリーは優しい顔で私を諫めましたが、オトギリ警部は申し訳なさそうに俯いてしまいました。
「わかってるわよ。悪かったわ。私も一生懸命捜査するから、許してちょうだい」
私の言葉に、オトギリ警部の表情が少し明るくなりました。
「そうか、頼むぞリリィ。君が最後の望みなんだ」
「だから、そういうのやめてって言ってるでしょう。もっと気楽にお願いしてちょうだい。私もその方がやりやすいし」
「わかった。頼んだぞ、リリィ」
あのー、言ってることが全く変わってないようですが。もしかして反撃でしょうか。全く痛くも痒くもありませんでしたが。
オトギリ警部が事務所を去った頃、外はすでに夕暮れ時を迎えていました。
アイリーは夕食の準備を始め、私は警部からごっそりもらった資料をデスクいっぱいに広げ、事件の概要を整理していました。
しかしこのとき、私はある違和感を抱いていました。違和感というか、命の危険があるような、そんな感じがしていました。
とりあえず、明日は事件現場の視察に行ってみましょう。現場に行けば何かわかるかもしれませんし。
はあ。いい匂いがします。今日の夕飯は何でしょうか。スパイスの利いた香りに、事件のことも忘れて、夕飯のことで頭がいっぱいになりました。
○
翌日、私とアイリーは二人とも黒のローブに身を包み、黒の三角帽子をかぶったおそろいの格好で外に出ました。
空には雲一つ無く、太陽が燦々と輝き、ほどよく乾いた春の風が頬を撫でていきます。
ドアノブに『CLOSED』の看板をかけ、扉に鍵をし、私たちは事務所を後にしました。
トルティールの街は、中央の大広場から放射状に大きな通りが伸び、その大通りから枝分かれするように細い路地が通っています。
第一の犯行現場は、そんな細い路地のうちの一つでした。
路地の両脇には、家や商店が軒を連ね、中にはグルメ雑誌にも取り上げられた老舗もあります。静かでのんびりとした雰囲気のこの路地が、血にまみれることになるなど、誰も想像していなかったでしょう。それくらいのどかで平和なのです。
「ちょうどこのあたりのはずです」
私たちは、地図に記された赤い印の場所に到着しました。
「じゃあ。ここら辺で聞き込みを行いましょう。まあ、どれくらいの情報が入ってくるかわからないけど」
「では、私はここの周辺を調査してみます。何か手がかりが残っているかもしれませんので」
「うん。わかったわ」
そうして、私たちは各々調査を開始しました。
私は、事件現場の目の前にある洋菓子店に入りました。
「いらっしゃいませー」
中にいたのは、私と同じくらいの歳の女の子でした。白いワイシャツと黒いスカートの上から黒のエプロンをした少女は、入店してきた私に満面の笑みを向けていました。
私は、ショーケースの前に立ち、菓子には目もくれずに少女と向かい合いました。
「お探しのお菓子は、ありますか?」
少女は、視線を菓子に向けない私に不信感を抱いたのか、訝しげな表情を浮かべました。
「私はリリィ。この街で探偵事務所を営んでるの」
「は、はあ」
少女の脳内から「えっ。こんな小さな女の子が探偵?」という声が聞こえてきそうな、そんな表情をしていました。
確かに、背は低いですし、胸は無いですし、見るからにかわいいですけど、歴とした探偵ですよ。見かけで判断しないでいただきたい。
それはさておき。
「お菓子は買っていくから、いくつか質問に答えてちょうだい」
「はあ。わかりました」
「最近、この路地に通り魔が現れて、人が切りつけられたそうなの。何か心当たりは無い?」
「通り魔、ですか?うーーーーん」
少女は首を傾げ、記憶を辿っていました。何か情報があれば良いのですが。あまり期待はしないでおきましょう。
やがて、少女は不思議そうな顔で私に言いました。
「この近くで人が切りつけられたなんて事件、ありませんよ?」
…………
「えっ?今、なんて言ったの?」
「……ですから。この近くに通り魔が出たーなんて事件は無いんです」
……どういうことでしょうか。事件が起きていない?そんな馬鹿なことがあるでしょうか。
これはもしかすると、昨日の違和感の正体なのでしょうか。いずれにしても一大事です。
「あの、お客さん?どうかなさいましたか?」
「ごめん。今はお菓子買ってる場合じゃないみたい。また来るから、お菓子はそのときに買うわ」
「は、はい!またのご来店をお待ちしています」
少女がそう言ったのを耳の端でとらえつつ、私は店を飛び出しました。
その後も、近くの店の店主のおばさんや通りすがりの主婦に同じ質問をしました。
しかし、どの人も口をそろえて「そんな事件は起きていない」と言いました。
これは、本当に事件は起きていないようですね。
…………。
どう考えても答えは一つしかありませんでした。
そしてそれは通り魔の犯人より大きな敵が、私たちの前に現れたことを意味していました。
こうしてはいられません。私は猛ダッシュでアイリーの元に向かいました。
わたくしは、リリィと分かれた後、事件現場周辺を調査してみることにしました。
目撃者が一人もいないとなると、犯人はおそらく透化魔法、自分の姿を透明にして周囲の人から認識されないようにする魔法を使ったと思われます。
それでしたら、何かしら魔力を身体から放出した痕跡が残っているかもしれません。
わたくしには、一つ特殊能力があります。それは〈魔眼〉です。
魔法使いが魔法を使ったときに放出される魔力を見ることができるのです。これがあれば犯人の痕跡を探し出せます。
わたくしは、現場周辺の道をとりあえず歩き、魔力の痕跡を探しました。
道を進み、まだ進み、さらに進み、折り返して進み、ずっと進みました。
しかし、魔力を放出した痕跡は一つも見つかりませんでした。わたくしの〈魔眼〉をもってしても探し出せないというのは、何か変です。
まるで、ここで何も起きなかったような……
そのときでした。
「アイリー!」
リリィが猛スピードで走ってきました。
「どうなさいました?そんなに息を切らせて……」
「ハァ、ハァ。面倒な事になったわ。さっき事件現場の近くで聞き込みをしたのだけれど、どうやら事件は起きていないようなの」
…………
「やはりそうでしたか」
「アイリーも何かわかったの?」
「先ほど、この辺り一帯の道を歩いて、〈魔眼〉で魔力の痕跡を探したのですが、全く見つかりませんでした」
わたくしとリリィの情報が合致したとき、わたくしたちはこの事件の真の首謀者の姿が見えました。
○
私たちは事件現場を離れ、再び大通りに出ました。
ちょうどお昼時だったので、私たちは適当に喫茶店に入り、店員さんに案内されて一番奥の席に座りました。
「ご注文はおきまりになりましたか?」
「えーっと。私はハニートーストで」
「わたくしにはパンケーキをお願いします」
「あと、ダージリンを二つ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
店員さんが厨房の裏に行ったところで、私たちは事件について整理していきました。
「アイリーはこの事件、どう思う?」
「恐らくですが、警察が仕組んだことでしょう」
「やっぱり、そう思う?」
「警察が、オトギリ警部を使って私たちに架空の事件を依頼し、わたくしたちに解決させようとした、といったところでしょうか」
それは、私も想像していました。恐らくその通りでしょう。
「でも、目的がわからないわ。私たちにこんなことさせて、何の得があるっていうの?」
「……さすがにそこまではわかりません」
「まあ、そうよね。んで、これからどうする?」
「そうですね。まずは、オトギリ警部を捕まえて事情を聞きましょうか」
「……それしかなさそうね」
どうやら、面倒なことになってきたようです。通り魔一人を相手取れば良いはずが、警察という巨大な組織を相手にすることになったのですから。
……それにしても、さっきから誰かの視線を感じているのですが、誰でしょうか。
辺りを見回しますが、視線の主は見当たりません。ですが、どこからか視線を感じているのです。
それも、事務所を出た辺りからずっとなのです。
それは、視線と言うより、『殺気』というべき――。
「!」
私は咄嗟に腰にある杖を取り出し、テーブルに突き立てました。
「……リリィ?」
「〈防御結界〉!」
私が叫び、私たちの周りに結界が張られた次の瞬間――。
ドーーーーーン
という轟音とともに断末魔が店内に響き渡りました。
店内には激しい爆発とともに炎が上がり、何人もの人がうめき声を上げていました。
消火装置が作動して炎がおさまると、今度は黒煙が目の前を覆い、店内の様子がさっぱりわからなくなりました。
しばらくして煙が晴れ、店内の様子が見えた私は愕然としました。店内には、天井の瓦礫と壊れたテーブルや椅子がグチャグチャに積み重なり、血まみれの人や、すでにお亡くなりになった人が床に転がっていました。まさに地獄絵図です。見たところ、無傷なのは私たち二人だけのようでした。
「これは、なんてことを」
私が目の前の光景に目を奪われているとき、アイリーは〈魔眼〉で反射的に犯人を捜索していました。
「リリィ!喫茶店の向かいの建物の屋上から、何者かが爆発魔法を放ったようです」
「撃ったやつはまだ近くにいる?」
「魔力を放出している形跡がありません。恐らく徒歩で移動していると思われます」
「なら、すぐに追うわ。店のことは、あなたに任せたわよ」
「はい。お気をつけて」
私は、もはや跡形も無くなった店を飛び出し、右のポケットから赤銅色の鍵を取り出しました。
「おいで、風神箒」
私は鍵に魔力を注いで、愛用のほうきを顕現させました。
ほうきにまたがり、力強く地面を蹴って宙に浮かび上がります。
アイリーが教えてくれた四階建ての建物の上空から辺りを見ていると、建物の裏の路地を人影が走って行くのが見えました。恐らくあれでしょう。
その人影をめがけて一気に加速します。路地へ入った後は、超低空飛行で曲がりくねった路地を華麗にすり抜け奥へ奥へと進み、ついに犯人に追いついて〈弱電麻痺〉で動けないようにしました。
身動きができなくなった犯人は仮面を被っていましたが、大きな身体と丈夫そうな肉体には見覚えがありました。ですが、同時に信じたくありませんでした。
「顔を見せてもらうわ」私は犯人の仮面を外しました。
そこには信じたくなかった光景が広がっていました。
「オトギリ、警部……」
オトギリ警部はもはや何もかも諦めたようでした。
「すまなかった……」そして、目に涙を浮かべて謝り続けていました。
私はアイリーとコンタクトをとります。
(アイリー、聞こえてる?)
(リリィ?どうしましたか?)
(犯人を捕まえたんだけど……ちょっと面倒な事になってきたわ)
(わかりました。今ちょうど救急隊が駆けつけたので、事務所の前で合流しましょう)
(そうね……通信終わり)
アイリーとのコンタクトを切った後、私は再びオトギリ警部を見ました。
オトギリ警部は完全に意気消沈しておられました。麻痺の魔法を解いても逃げ出しそうにないほどに。ですが、彼には何が何でも話してもらわねばなりません。
「オトギリ警部、何がどうなっているのか、話してもらえる?」
「…………」
「だんまりを決め込むつもり?なら、力ずくで吐いてもらうしかないけど」私は杖をオトギリ警部に向けて、魔力を込めました。
「わかった。全て話す。だから、一つ願いを聞いてくれないか?」
私たちを殺しかけておいて何を言ってんだと思いましたが、オトギリ警部の今まで見せたことのないほど憔悴した顔を見て、思わず手を差し伸べてしまいました。
「いいわ。聞いてあげる。何をして欲しいの?」
「家族を、救ってくれないか?」この時の、オトギリ警部の必死な表情は今でも忘れられません。
○
私はオトギリ警部に拘束魔法をかけて、事務所まで連行してきました。オトギリ警部は悪意があって私たちを攻撃した訳ではないようですが、先ほどの所行への怒りで、オトギリ警部を後ろに乗せたまま猛スピードでほうきを飛ばしたことも追記しておきましょう。
ちなみにほうきから降りた瞬間オトギリ警部はゲロゲロ吐いてしまいました。ちょっとやり過ぎましたかね。
外で吐いている警部そっちのけで、私は事務所の扉を開けました。
「お帰りなさいませ」
事務所では、アイリーが夕食の支度をして待っていました。そういえば、もうじき日が暮れますね。オトギリ警部への怒りで忘れていました。
「あら?オトギリ警部はどうなさったのです?」
「外で盛大に吐いてるわよ。まあ、拘束魔法をかけてるし、逃げ出す気も無いようだから大丈夫よ」
「では、先に夕食にしましょうか?」
「そうね。昼に全く食べられなかったせいで死にそうだから、今すぐ食べたいわ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
アイリーは奥の台所に向かい、私はコートかけに三角帽子とローブを掛けて、白いシャツと黒のスカート姿になりました。
ちなみに、オトギリ警部はまだ吐いていました。内臓が出てきそうな勢いですが、大丈夫でしょうか。
しばらくしてアイリーができたてのクリームシチューを持って戻ってきました。とてもいい匂いがしています。
私たちは、事務所内の円形テーブルに向かい合わせに座り、スプーンでシチューをすくい口に運びました。
昼食を食べていなかったせいか、いつもより五割増しで美味しく感じました。そして、完食後のフォートナム・メイソン。もう、最高です。至福です。昇天しそうです。
「うえええええええええ」
ああ……そうでした。この紅茶をくれた張本人が外で吐いてるのをすっかり忘れてました。
では、吐き終わった辺りで詳しく話を聞くとしましょう。
「うええええええええええええええええ」
……本当に、大丈夫でしょうか。死なないでくださいね。
あなたが死んでしまっては、あなたの願い、叶えられませんから。
アイリーが食器を片付けた後、やっとオトギリ警部は吐き止みました。それにしても、事務所の前の汚物をどうやって処理しましょうか?すごい量だったので、近づくのも嫌なのですが。でもだからといって、処理しなければ事務所の雰囲気に影響しますし……まあ、後でちゃちゃっと処理しましょう。
オトギリ警部はもはやギリギリでしたが、なんとか事情を話してくれました。
きっかけは、私たちが警察の捜査に協力し始めたことだそうです。
私たちが、オトギリ警部から依頼を受けて事件を解決するようになったのは、約半年前のことです。
なぜオトギリ警部が私たちを頼るようになったのかですが、その話をすると長くなるので今は割愛しておきます。
それ以来、警部は難事件が起きるたびに、私たちに依頼を持ち込んできました。そしてその度に、私たちはあっさりと事件を解決していきました。
もちろんですが、オトギリ警部を始め多くの警察官からは感謝されていました。
ですが、トルティール警察のお偉いさんたちにとっては、そうではなかったようです。なんでも私たちが事件を解決しだした頃から、トルティール警察の信用が薄れ、実績が無くなってきたのだそうです。
思うに、警察の実績が無くなってきたのは、警察の手腕が落ちているせいだと思うのですが。大人というのは汚い生き物で、自分たちの失墜を健気な少女のせいにしてしまうものなのです。
そこでお偉いさんたちは、私たちを抹殺する計画を立てました。
とある警察署の一室でのことです。
署長 「この頃、あのリリィとか言う魔女が、警務課の事件捜査に荷担し、著しい功績を挙げているようだな」
もうすぐ定年退職なのだという、白い口ひげが特徴の署長さん。
課長A「はい。その結果、市民のトルティール警察に対する信用が薄れているようだ」
黒縁眼鏡をかけたいかにもエリートな感じの課長Aさん。
課長B「そうなのか?私には実感が無いのだが。なにか根拠はあるのか?」
このメンバーの中で一番まともそうな普通人の課長Bさん。
課長A「いや、根拠は無い」
課長B「無いのかよ。それってただの言いがかりじゃないか?」
課長C「何を言うか!あの娘のせいで、うちの課に仕事が全く来なくなったのだぞ!」
なぜか会議の始めからキレ気味の剛健な課長Cさん。
課長B「いや、あんたは会計課だろ。ただ拾得物が届かないだけだろ?」
課長C「その紛失物の捜索依頼が、あの魔女のところに届くようになったんだよ!」
課長B「なるほど。全く悪影響が無いというわけではないようだな」
署長 「そこでだ。どうにかして彼女を排除したい」
課長B「排除というと?」
課長A「この街で起こる事件に巻き込ませ、その捜査の最中に死んでもらう」
課長C「だが、うまくいく手立てがあるのか?相手はかなりのやり手だそうだが」
課長B「それに、事件に巻き込ませるといっても、そんなに都合良く事件なんて起こるものなのか?」
課長A「何を言っている。事件なんて作り出してしまえばいい」
悪の首領のように不気味な笑みを浮かべる課長Aさん。
課長B「それはつまり、偽の事件を依頼するというのか?」
課長A「そうだ。なるべく情報の少ない難事件を作り出し、彼女に依頼として持ち込む。さすれば、彼女は現場検証のために必ず街の中に出てくる。その途中で暗殺するのだ」
課長B「依頼は誰にやらせるのだ?」
課長A「刑事課、オトギリ警部。暗殺の任も彼に担ってもらう」
課長C「だが、彼にとってあの魔女は命の恩人のはず。とても承諾しそうにないと思うが?」
課長A「それについては、彼の妻子を人質にして無理矢理にでも承諾させるさ」
うわー、すごい悪ですよこの人。
課長B「暗殺する方法は?」
課長A「最近、技術課が開発した魔力砲がある。技術課の報告では、上級魔道士並の破壊力があるそうだ」
課長C「それならば、あの魔女も木っ端みじんだな」
課長B「だが、それだけの破壊力、大事にならないか?」
課長A「なーに。大騒ぎになる前にこちらで処理するさ。犯人も拘置所の囚人の中から適当に選べば良い」
課長C「刑事課の捜査が入れば、我々の計画が全て露呈するのではないか?」
課長A「大丈夫だ。最初に現場検証を行うのは我ら保安課だ。その場で仕立て上げの犯人を現行犯で逮捕する」
どうやら課長Aさんはすごく優秀な警察官のようです。ここまでの計画を立てるとは大した
ものです。
課長B「うん。完璧な計画だな」
課長A「他に質問は?」
課長C「異論無し」
署長 「必ず成功させよ。トルティール警察の運命は君たちにかかっている」
課長A「御意!」
課長B「わかりました!」
課長C「必ずや!」
そうして、課長Aさんはオトギリ警部を説得にかかりました。
「ということでだ。君にも計画に参加してもらう。いいな?」
「お断りします!」彼らしく、堂々と断るオトギリ警部でした。
「……そこまではっきり断られるとは予想外だ。そこまであの魔女に情があるとはな」
課長Aさんは少し意外そうな顔をしました。
「彼女は、私にとって家族の次に大切な存在だ。私に彼女は殺せません」
すると、課長Aさんはにやりと不気味な笑みを浮かべました。
「良いのかな?君の大切な家族を人質にとっているというのに」
「なんだって!」
「君が断れば、家族の命は無いぞ」
「……卑怯な」オトギリ警部は、思いっきり相手に聞こえる声で言いました。
「さあ。もう一度聞こうか。家族と魔女の命、どっちを取る?」課長Aさんは、半ば脅迫気味にオトギリ警部に決断を迫りました。
「…………」
「なーに。決断を急ぐことはない。だが、おのずと結論は一つに定まると思うがね」
「……わかった。協力する。その代わり、成功したら必ず家族を解放してくれ」
「大丈夫だ。君が彼女たちを殺したら、必ず家族は解放する。では、頼んだぞ」
課長Aさんはオトギリ警部の肩に手を置き、耳元でささやきました。
「では、失礼してよろしいでしょうか?」
「ああ。構わんよ。後で計画書を渡す」
「では、失礼します」オトギリ警部は一礼して、課長室を出ました。
「……すまない、リリィ」
この話を聞いて正直呆れました。そこまでして私たちを排除したいという執念は、どこから来るのでしょうか。
ですがここまでされると、いっそのこと警察そのものを潰してしまいたいですね。こんな腐った組織が街の中にあるのは、私としても居心地が悪いですし。警察との関係を絶つにもちょうど良いですし。
「オトギリ警部、あなたの家族を救い出すことには協力するわ」
「本当か!本当に、家族を助けてくれるのか!」オトギリ警部の顔が急に明るくなりました。
「だだし!その代わり、私たちが警察をぶっ潰すのにも協力してちょうだい」
「えっ?」オトギリ警部の顔が一瞬にして曇りました。
「どういうことだ?警察を潰すって?」
「そのままの意味よ。奴らに痛い目を見せてやろうじゃない」
「だが、そんなことをしたら、私の家族はどうなるのだ。反逆が知れたら、家族は殺される」
まあ、もっともな心配ですね。
「大丈夫よ。ちゃんと計画はあるから。あなたの家族は絶対に死なせない」
オトギリ警部は少しの間呆然とした後、ため息を一つつきました。
「……君にまた、迷惑をかけてしまうのか」オトギリ警部は暗い表情を作っていました。
「あら、いつものことじゃない。あなたはいつも、私たちに迷惑をかけてばかりよ。初めて会ったときからずっとね」私は笑顔で応えました。
「リリィ、いくら何でも無謀です。トルティール警察は巨大な組織です。いくらリリィでも、無事で済むとは……」アイリーが私を止めようと口を挟みました。
「大丈夫よアイリー。私だって、真正面から行くほど馬鹿じゃないわ」
「…………」アイリーは不安げでした。とても心配しているようです。まあ、一度死にそうになりましたからね。
私はアイリーの制止を無視して、オトギリ警部に再び話しかけます。
「とりあえず今は家に帰って。後で作戦を書いた手紙を送るから」
「ああ、わかった……頼んだぞ」そう言って、オトギリ警部は事務所を去りました。
そして私はローブを身にまとい、三角帽子を被りました。
「さあ、行くわよアイリー」
「どちらへ?」
「警部の家族を救いに行くのよ」
「……かしこまりました」アイリーは呆れた様子で杖を振るい、ローブと三角帽子を身につけました。
私たちは再び事務所を後にしました。今日は長い夜になりそうです。
○
事務所を後にした私たちは、オトギリ警部の妻子が捕らえられているという警察署に到着しました。
トルティール警察署は、広大な敷地に建てられた地上五階、地下二階建ての立派な建物で、その地下にある牢屋に警部の妻子がいるそうです。
「さてと。アイリー、侵入するから変身魔法をかけてちょうだい」
「わかりました」
アイリーはそう言うと、杖を取り出して私に変身魔法をかけました。私の身体が淡い青白の光に包まれ、私を全く違う姿に変えていきます。
光が消えた後、私は異変に気づきました。なぜなら、私の身体からはしっぽが生え、身体は灰色の毛に覆われていました。どうやらネズミになったようです。
「ちょっと!なんでネズミなの?」
「このほうが違和感なく侵入できると思ったからです」アイリーは冷静に答えました。
「もうちょっと綺麗なものに変身させられないの?」
「そんなふうに言うと、もっと下劣なものに変身させますよ」アイリーが私を見下ろして毒を吐いてきました。アイリーを見上げているからか、夜だからか、アイリーの目が愚物を見るような目になっていました。もしかしたら私の無謀な行動に怒っているのかもしれません。すごく怖かったです。
「わかったわ。行ってくるから」
「はい。お待ちしています」アイリーの笑顔が今日はやけに恐ろしく見えました。
……やっぱり、怒ってます?
私は警察署の開いている裏口から侵入しました。ネズミの姿で灰色の寒々しい階段を降り、誰にも気づかれることなく地下の牢屋に着きました。
その牢屋の一つに二人の女性が入れられていました。
どうやらオトギリ警部の妻子のようです。どちらも非常に美しい茶髪を背中まで伸ばし、容貌は瓜二つと言って良いほどよく似ていました。
私はアイリーと〈意思伝達〉で連絡を取ります。
(アイリー、地下牢で警部の奥さんと娘さんを発見したわ。転移魔法でこっちに来て)
(承知しました。魔法陣を張っていてください)
私は牢屋の鉄格子をすり抜け、ネズミになった手でひんやり冷たい床に紫色の魔法陣を敷きます。
牢屋の二人は突然現れた魔法陣に驚いていました。さらにそこからアイリーが現れると、二人は固まって動かなくなりました。
「ずいぶんひんやりとした所ですね」アイリーは一言感想を言うと、警部の妻と顔を合わせました。
「あ、あなたは?」
「わたくしはアイリスと申します。オトギリ警部に頼まれまして、お二人をここから脱出させるために来ました」
「私たちを、助けに、来てくれたのですか?」二人は怯えながら抱き合っていました。
「はい。安心してください。今お二人を外まで転送します。外に出たら、そのまま自宅まで真っ直ぐに帰ってください」
「主人は、主人はどうしているのですか?」
「ご主人は、今頃家でお二人のご帰還を待っています。とても心配していますよ」
奥さんは、鉄格子の間からアイリーの手を握りました。
「ありがとうございます。後でたっぷり謝礼を送りますから」
その言葉にアイリーは笑顔で答えました。
「結構です。わたくしは、依頼主以外からお金を取ったことはないんです。それに、依頼を必ず成功させるのは、探偵として当然のことです」
「……本当、主人は幸せ者ですね」奥さんも笑顔になりました。
「いいえ、奥さんのほうが幸せ者ですよ」アイリーも笑顔で返します。
「…………」そして、その会話に入っていけない、ネズミ姿の醜い私でした。
「では、この手紙をオトギリ警部に届けてください」
アイリーは、奥さんに封筒を渡しました。
「じゃ、いきますよ」
アイリーは二人の座っている場所に魔法陣を作り、次の瞬間二人は消えました。
「ねえ、アイリー。そろそろ私を元の姿に戻して欲しいのだけれど」
「おっと、そうでした。リリィのことをすっかり忘れていました。今戻しますね」
アイリーが杖の先から青白の光を出し、光がネズミ姿の私を包みます。光が収まると、そこにいたネズミは消え、代わりに白銀の髪と群青色の瞳の少女が現れました。
「もう、私そっちのけでずるいわよアイリー」
「申し訳ありませーん」全く謝る気のないアイリーでした。相変わらず、私に対しては辛辣なんですね。
私はため息を一つつきます。
「じゃあ、後は計画通りにいくわよ」
「オトギリ警部は、しっかりやってくれるでしょうか?」
「大丈夫よ。あの人の勇気と度胸は世界第二位だからね」
「そうですか……ちなみに一位は誰ですか?」アイリーが素知らぬ顔で聞いてきました。
「私よ」どや顔で答える私でした。
○
翌朝、トルティール警察署には悲鳴が響き渡りました。
「おらぁーおとなしくしろー動くんじゃねーぞー」
警察署に正面入口から乱入してきたのは、全身黒ずくめの屈強な男でした。見た目は完璧に銀行強盗のそれでしたが、警察署の職員たちを驚かせたのは、その男が見覚えのある顔だったからでしょう。
受付職員が男に向かって叫びました。
「どういうことですか、オトギリ警部!」
そうです。警察署に乱入したのは、例の魔力砲を持ったオトギリ警部でした。
もちろん、魔力砲に弾は入っていませんが、脅しには十分でした。
オトギリ警部は、受付職員に魔力砲を向けてフロントに近づいていき、フロントの電話を取りました。
もちろんかけるのは署長室です。
『なんだ。急な用件以外むやみに電話をかけるなと言っているだろう』
「これはこれは、署長殿。刑事課のオトギリだ。ただ今一階のフロントを占拠した。解放して欲しければ、署長と共犯の三人の課長はフロントまで出てこい」
『共犯?何のことかな。全く心当たりはないのだが』
「知らん顔しても無駄だぞ。十分以内に出てこなかったら、あんたらの秘密兵器で警察署そのものを吹っ飛ばす。それでもいいのか?」
『ふん。そんな脅しに私は屈しないぞ。魔力砲に弾が無いことは分かっているんだ』
「そうかな?おいっ、どうだ、この魔力砲弾入ってるよな?」
「ひいいいいいいい。やめてくれ。撃たないでくれ。いやああああああああ」
いや、弾は本当に入ってないんですよ。ただただオトギリ警部が、受付職員に演技させていただけですよ。どんな手を使ったのかは分かりませんが。かなり汚い手であることは確かですね。
さすがのこれには署長さんも青ざめたようでした。
『分かった。今すぐそっちに向かう、だから早まるな、いいな』
そう言って署長さんは電話を切り、課長Aさんの部屋に電話をかけました。
『いかがしました?署長』課長Aさんはやけに落ち着いていました。
「大変だ。オトギリが警察署に押しかけてきた。どうにかしろ」署長さんはめっちゃ焦ってました。
『そうですか、やはり……ご心配なく、地下牢の二人を連れてきて対抗しましょう』
「うまくいくのか?」
『お任せください。すぐに人質を連れて署長室に向かいます。そこで集合しましょう』
「分かった。頼んだぞ」
そうして電話を切りました。
課長Aさんをはじめとした三人の課長さんは地下牢に向かいました。課長Bさんと課長Cさんは連射式の小銃を持っていました。
地下牢には二人の女性が閉じ込められていました。二人とも綺麗な茶髪を背中まで伸ばし、瓜二つの顔を持っていました。どうやら二人は親子のようで、母親が小さな娘を抱くようにして、牢屋の隅にうずくまっていました。
課長Aさんは牢屋の鍵を開け、二人の前に立ちました。
「あんたの主人が我らに反旗を翻した」
「えっ?」
「本来なら、今すぐにでもお前たちを殺したいところだが、チャンスをやる」
「…………」二人とも何も言いませんでした。
「我々と一緒に来てもらおう。お前らがオトギリの前に行き、奴が我らに投降するように説得できたら、命は助けてやる」
見え見えの汚い手ですね。どうせ説得している最中に、二人もろとも警部を撃ち殺すつもりなのでしょう。
「分かりました」にもかかわらず、母親はすぐに承諾しました。
そうして、二人は牢屋の外に出され、署長と三人の課長とともにフロントに向かいました。
オトギリ警部がフロントから電話してからちょうど十分後、署長と三人の課長は、二人の女性とともに現れました。
警察署内に緊張が走ります。
まず、切り出したのは課長Aさんでした。
「おいオトギリ。我らに反旗を翻すとは、聡明な君とは思えない行為だな」
「残念だな。私はクソ度胸しかない馬鹿な刑事さ」すごく勇者なオトギリ警部でした。
「家族がどうなってもいいというのか?」けしかける課長Aさん。
「はははは。君も汚い手を使うようになったな。それでも警察官か!」全く動じないオトギリ警部。
「乱心したかオトギリ。リリィを殺したことがそれほど罪深いか?それほど我々が憎いか?」
おや、感情的になってきましたか?
「ああ、憎いね。家族を人質にとって、私を無理矢理この計画に参加させたこともな」
オトギリ警部は、冷静かつ大胆に攻めていきました。
「だが君も、刑事課の実績が低下していることに不満を感じていたのではないのか?」
「はははは、ひどい勘違いだな。私は別に実績が欲しいと思ったことは一度も無い。私の望みは、人々が安心して暮らせる日常を作ることだ。だから彼女の力を進んで借りたんだ」
「…………」課長Aさんは完全に絶句していました。
オトギリ警部はさらに続けます。
「だが、お前たちのやっていることは無辜の市民の虐殺だ。お前たちに、警察官を名乗る資格などない!」
それまで冷静さを保っていたかに見られた課長Aさんの顔が、徐々に赤くなっていきました。他の課長さんも、署長さんも、オトギリ警部の威圧感に圧倒されていました。
「……しかない」
「ん、なんだって?」
「ゃ…しか…い」
「なんだって?もっと大きな声で言ってくれよ」
すると署長Aさんが、それまで見せたことのない怒気を含んだ形相で叫びました。
「お前の家族を、お前の目の前で蜂の巣にしてやる!お前たち、女を撃ち殺せ!」
課長Aさんの怒号が響き、後ろにいた課長Bさんと課長Cさんは小銃を構えました。
こんな絶体絶命の危機でありながら、二人の女は動揺することなく、母親に至っては口元を緩ませ、したり顔をしていました。
次の瞬間、母親は腰から杖を取り出しました。そして、娘の手を取ってオトギリ警部のもとへ一瞬で移動し、床に杖を突き立てました。
「〈捕縛結界〉!」
母親が叫ぶと、署長たち四人の周りを立法体の結界が覆いました。
「な、なんだこれは!一体何が」四人は全く同じ言葉を発し、完全に動揺していました。
その中で、いち早く状況を察した課長Aさんが母親のほうを向きました。
「どういうことだ。お前は誰だ!」
その言葉に母親は口角を上げ、再びしたり顔をしてみせました。
娘も杖を取り出し、杖の先から青白い光を出して、光が二人を包みました。光が収まると、双子のような親子に代わって、白銀色の髪と群青色の双眸の少女と、山吹色の髪と赤い双眸の少女が立っていました。
私たちの出現に、四人は驚きのあまり言葉を発せないでいました。
「ふふ、驚いた?」
「驚くにきまってますよリリィ。あの人たちはわたくしたちを死んでいるものだと思っているのですから」
「リリィ、アイリス。無事だったか」
「ええ、警部が上手く立ち回ってくれたおかげよ」
「オトギリ警部こそよくやってくれました。馬鹿な子供が立てたような無謀な計画を完璧に遂行してくれましたし」アイリーはオトギリ警部を賞賛しつつ、私にさらっと毒を吐いていきました。
「おい、なんとかしてこの結界をぶち壊せ」署長さんは完全に動揺しまともな指示が出せていませんでした。
ダダダダダダダダダダダダ
そしてまともでない指示に忠実に従い、小銃を持った二人は、結界の中で小銃を盛大にぶっ放して何とか結界を破ろうとしてましたが、全く破れる気配はしませんでした。
「何をしても無駄よ。その結界は外からの攻撃には弱いけど、中からは決して破れないようにできているのよ」
しかも、私の作った最高強度の結界ですよ。物理攻撃どころか強力な攻撃魔法でも破れませんよ。撃つだけ弾薬と税金の浪費ですよ。
ダダダダダダダダダダダダ
「いい加減諦めたらどう?いくら撃ったところで結果は変わらないわよ」
ダダダダダダダダダダダダッ。
あら、やっと弾が尽きましたか。詰みましたね。
「そろそろ諦めがついたかしら。潔く降伏したらこのまま無傷で出してあげるわよ」
私ってば優しいですね。本当なら拷問した挙句に惨たらしく殺してしまいたいですが。
普通の人なら、この優しさに感銘を受けて降伏してくれるはずなのですが。
「はっ。何を言うかと思えば、この程度で我々が降伏するとでも思っているのか?」
敗北が決定的な状況でありながら、課長Aさんはしたり顔で降伏勧告を拒否してきました。
「そう、分かったわ。せいぜいもがき苦しんで地べたを舐めなさい」
そうして私は杖を振るい、結界の中に霧状の毒を散布しました。もちろん死に至るような毒ではありませんが、喉が爛れるような激痛に見舞われます。
「うあ、あが、あがああああああああああああ」
四人は激痛に苦しみ、床でのたうっていました。何でしょうか。別に悪い気はしませんね。むしろ、ある種の快感を覚えていました。
「ねえアイリー、もうちょっと毒の濃度上げてもいいかしら?」
「いいと思いますが、殺さない程度にしてくださいね」アイリーが満面の笑みで了承してくれました。
私は毒の濃度を徐々に上げていきました。
「いや、やめて、おねがい、がああああああああああああああ」
四人の声が徐々に荒くなっていき、今にも死にそうでした。そろそろやめてあげましょうか。それとも、いっそのことこのまま殺してしまいましょうか。
そう思ったとき、私の肩をアイリーが軽くたたきました。
「リリィ、そろそろやめてあげてください。あなたに人殺しは似合いませんよ」
「はいはい、分かったわ」
そして、私は結界から毒を消し去りました。
四人は完全に弱り、もう抵抗する力は持っていませんでした。生まれたての子鹿のようにビクビク痙攣しています。
「いやはや、初めて知ったよ。君たちが他人の悶える光景に喜びを見いだすドS魔女コンビだったとは……」オトギリ警部がなにやら私から距離を取っていました。
「違うわよ。お仕置きよ、お仕置き」
勘違いしないでください。私は決してサディストではありませんから。今のはちょっと我を失っていただけですから。本当にちょっとしたお仕置きですから。
さておき、私は結界の中の瀕死の四人に話しかけました。
「どういう気分かしら。死の淵に立った感想は?」
「…………」四人は誰も反応しませんでした。
「どうやら分かったようね。あなたたちは、あの喫茶店にいた二十人の命を奪ったのよ。正直万死に値するのだけど、あなたたちには監獄の中でしっかり罪を償ってもらうわよ」
「うっ、うう。がくっ」四人は意識を失ってしまいました。
私はオトギリ警部と向かい合いました。
「オトギリ警部、あなたも実行犯としてしっかりと罪を償ってもらうわよ。いいわね」
「ああ、分かっているさ。妻と娘にはまたつらい思いをさせてしまうな」オトギリ警部は澄ました表情で自らの罪を懺悔しました。
その後刑事課が駆けつけ、署長と三人の課長、オトギリ警部は逮捕されました。こうしてトルティールを震撼させた一連の事件は幕を下ろしたのでした。
後日、私たちの活躍が新聞の一面を飾り、私たちはトルティールの救世主と呼ばれるようになりました。
その後は、今までの倍以上の依頼が届くようになり、はっきり言ってありがた迷惑でした。
だってその分ゆっくり休む暇がなくなるじゃないですか。私、忙しすぎるのは好きじゃないんです。なので、よほどの大事件でない限り、破格の依頼料を提示して無理矢理帰らせました。
まあ、それでも生活に苦労してませんし、いいじゃないですか。
話は変わりますが、あの事件の裁判に際し、私はオトギリ警部の刑が軽くなるようにとの上申書を書いて裁判所に提出しました。
それが功を奏したかは分かりませんが、オトギリ警部は情状酌量もあり、執行猶予付きの懲役刑が言い渡されました。
署長と三人の課長は、民間人の大量虐殺を企てたとして無期懲役が言い渡され、役職を罷免させられました。これによってトルティール警察は大規模な組織改革がなされ、徐々に信頼を回復していくことになるのです。
○
街角の小さな探偵事務所のオフィスの奥のリビングで、私とアイリーは紅茶を飲みながら雑談をしていました。
「それにしても、とんでもない事件でしたね」
「そうね。いい歳の大人たちが、自分たちの名誉のために人々を犠牲にする。性悪な人間たちだったわね」私は紅茶を一口飲みます。
「なぜ、あの人たちはあんなことをしてしまったのでしょうか?」アイリーは紅茶の水面に映る自分の顔を見ながら、吐き捨てるように言いました。
「そうね。結局のところ、欲に逆らえる人間なんて存在しないのよ……。みんな欲を抑え込んで、自分が不利益を被ると分かっていながら他人の役に立とうと奮闘している。それが、人間の世界っていうものじゃないのかしら」
「……そうですね」アイリーは気分が沈んでいるようでした。
恐らく、目の前で何人もの人が亡くなったあの現場を思い出してしまったのでしょう。そして、自分たちの欲のために人々を犠牲にした彼らの行動が信じられなかったのでしょう。
ですがそんなものなのです。この世界は、人間が生まれたときからもはや救いようのないほど穢れで満ちあふれているのです。
欲望に駆られたもの同士が、互いに自分の言い分を他人に押し付け合い、他人の弱みを握ってはそこに付け入り、他人を貶めて自分を偉く見せようとする。そんなことが日常にありふれている不浄な世界なのです。
ですが、私はそんな世界を否定するつもりは全くありません。むしろこの不浄な世界を素晴らしいとさえ思っています。この不浄さが数々の物語を紡ぎ、いくつもの物語が世界を華麗に彩っているのです。
この街で起こる事件の数々も、星の数ほどある物語のほんの一部に過ぎないのです。そしてそれは、人々の感情、欲望、理性などが複雑に絡み合って成り立っているのです。
事実は小説より奇なりとは言いますが、現実の世界は今まで読んできたどの小説よりも面白く、飽きさせない魅力で溢れているのです。
だから私はこの世界が好きです。私はこの世界を生きられることを幸せに思います。もっとこの世界に散らばっている物語を拾い集めていきたいのです。
そんな事を考えていたら、私は紅茶を飲み干していました。
「アイリー、私との約束、覚えてる?」私は気分が沈みかけているアイリーに問いかけます。
「もちろんです。忘れるわけがありません」アイリーは私と目を合わせて答えました。
「あなたとの約束も、ずいぶん欲深いものだと思うのだけど?」
アイリーは一瞬虚を突かれたような表情をしましたが、すぐに納得したようで何回か頷きました。
「そうですね。結局わたくしたちも欲深い人間だということですね」アイリーは笑っていました。
「そういうことよ」そのあと私たちは盛大に笑ってしまいました。今までの真剣なムードが馬鹿馬鹿しいと思ったのでしょう。
そのとき、事務所の扉の鈴がカランカランと鳴るのが聞こえました。どうやらお客さんのようです。
「さあ、行きましょう、アイリー」私はオフィスに向かっていき、アイリーは台所に向かいました。
今日はどんな物語に出会えるのでしょうね。