トラウマ
よく考えると女の子と一緒に出掛けるのは初めてだ。
これはもしかしてデートと言うヤツではないか?
どんな格好をしていこうかと洗面所で鏡を見て我に返る。
「俺と悠子さんが街中を歩いていて、周りから見てもデートと思うヤツなんていないよな・・・」
良いとこ、仲が良い同性の先輩と後輩にしか見えない。
「・・・ジャージで行けばいいか」俺は先ほどまでの浮かれた気持ちが嘘のように落ち込んだ気分になった。
「何でこんな格好で来たのかしら?
別に女の子っぽい服をもってないから『女性らしく振る舞ってない』って訳じゃないのよ?
女の子だってパンツルックだってあるし、ジャージじゃなくたってゴムの短パンだってあるのよ?
別にその恰好をしろ、という訳じゃないの。
おしゃれっていうのは手持ちの服を似合うように組み合わせる事なの。
服が少なくたって、お金がなくたってオシャレをするのが女の子なの。
ジャージって決めつけるなんて論外なのよ。
それにオシャレにかかるのはお金だけじゃないわ。
オシャレには時間がかかるの。
あなたは髪のお手入れにどれくらい時間を使った?」
「???出かける前にちゃんと鏡の前でブラシで髪の毛を整えましたよ?」と俺。
「最低でも、どれだけ時間がなくても2分は髪の毛のセットに時間をかけなさい。
それが出来ないなら腰近くまで伸びた髪の毛をショートカットにしなさい。
それでもヘアメイクには2分の時間はかけるのよ?
あなた、女性として振る舞うって事を本当に軽く考えてたのね」
悠子さんは少しプリプリと怒りながら俺の髪をブラシでといた。
悠子さんにしてみれば「約束した翌日にその約束を破られた」と感じたのだろう。
「俺の考えではまずカーテンをホームセンターで買おうと思ってます。
あとは日常生活雑貨を細々と・・・」俺の話を遮って悠子さんは話し始めた。
「買い物以前にあなたが改めなきゃいけない事があります。
それは『言葉づかい』特に『一人称』ね。
あなたは『女言葉』は敷居が高い、と思っているみたいね。
その考え自体は正しいわ。
今、あなたが無理して女言葉を使っても、うまく使えずに『オネエ言葉』みたいになるわね。
だから女言葉の習得は徐々にで構わないわ。
女言葉をあまり使わない女性もいるから別に女言葉は必須ではないし。
だから女言葉の代わりに敬語を使うというのは間違いじゃないと思うの。
だけど女言葉の習得は徐々に進めていってね。
理由は『女言葉が使えないと仲の良くなった同級生や下級生相手にも敬語を使わないといけない』という問題が出てくるからよ。
丁寧なのは美徳だけど『慇懃無礼』という言葉もあるわ。
親しくなった相手に敬語を使う事が逆に無礼になる事もあるのよ。
オカマは違和感を消すために『女性以上に女性らしく』を目指すらしいわ。
同様にあなたは元男なのだから違和感を消すために女性よりも女性らしくならないと女子高生としての生活を送れないわよ。
あなたに決定的に『女性らしさ』を感じない物があるわ。
それが一人称の『俺』よ。
別に『女性らしさ』は徐々に身に付くものだし、急いで身に着けるものではないわ。
でも一人称はすぐにでも変えられるしその努力は出来るでしょ?
『僕』でも良いわね。
『僕っ娘』って可愛いし。
でもあなたは『女性以上の女性らしさ』を目指さなければいけない立場だから『僕』はないわね。
これからあなたは一人称を『私』にしなさい。
男の人でも社会人は自分の事を『私』と呼ぶ事が多いし男に戻った時にでも使える言葉遣いよ。
咄嗟でも使えるように普段から『私』というのを心がけてね」悠子さんは勝手に話を進めた。
「勝手に話を進めないで下さいよ!
俺は・・・」俺の言葉を遮って悠子さんが諭すように、でもキッパリと言う。
「『俺』じゃなくて『私』でしょ?
私はあなたに『運命共同体だ』と言ったはずよ?
あなたが怪しまれて中途半端に調べられて『高校受験もしていないのに入学してきた』と判断されたら、入学させた私が責任を問われる事になるわ。
私に危ない橋を渡らせる以上、あなたにも最低限の要望を出すわ。
あなたの一人称は『私』・・・
これはお願いじゃない、命令よ」
そう言われてしまったらもう何も言えない。
俺は彼女の協力がないと居場所がない。
故郷に戻ってもおそらく俺とは認められず追い出されるだろう。
俺が暗い顔をしながら頷くと、悠子さんは暗くなった雰囲気を変えるように手を叩いて笑顔で言った。
「じゃあ楽しいお買い物に行きましょうよ!
じゃあまずは・・・その野暮ったいジャージを脱いで可愛くなるために洋服屋さんに行きましょうか!」
忘れたい、でも忘れられない記憶が蘇る。
小学校の下校時、近所の交番の前に人だかりが出来ている。
「なにがあったんだろう?」と人だかりを越えて交番の中を覗き込むと、そこにはこっぴどくお巡りさんに説教されている女装した父親の姿が。
「アンタ子供いるんだろう?
アンタのこの姿を見たらアンタの子供が泣くぞ!」お巡りさんは情に訴えかけ父親に反省を促している。
「子供なら今、学校から帰ってきたみたいです。
おかえり、早。
小学校はどうだった?
楽しかったか?」コイツは父親らしい事を言っているが、警察にとっ捕まっているしバケモノのような女装をしている。
周りの野次馬が俺から一歩離れる。
扱いが「小学生の男の子」から「女子高に忍び込んだ変態女装オヤジの子供」に変わった瞬間だ。
あの時の冷たい野次馬の目線を忘れない・・・というか忘れる事が出来ない。
俺はあの時に誓った。
「俺は父親とは違う。
どんな状況でも女装だけはしない。
俺は変態にはならない」
悠子さんは何を言っているのだろうか?
俺に誓いを破れと言っているのだろうか?
落ち着け。
KOOLになれ。
一度考えを整理してみよう。
もし可愛い少女の恰好をしている時に何かの拍子で男に戻ったらどうする?
男性の時と女性になった時で体のサイズが違う。
服は破れてしまうだろう。
男性に戻った時に変な格好にならないように伸縮性に富んだジャージを着用しているのだ。
ジャージを着ていれば、性が入れ替わる瞬間を見られていないなら変に思われる事もないだろう。
だが悠子さんは「ジャージを着るな、可愛い恰好をしろ」という。
気持ちはわからないでもない。
悠子さんは俺の事を「運命共同体だ」と言った。
可能な限り連れ歩き、一緒にいる相手が野暮ったい恰好をしているのは今どきの女子高生として耐えられないだろう。
だがシュミレートしてくれ。
俺が可愛い恰好をしている時男に戻るとする。
服は世紀末救世主のように破れ、裸になるだろう。
まあ考えようによっては裸はある意味男らしい。
素っ裸の男らしさ、ふんどし一丁の男らしさなんてものもある。
全国各地に裸祭なんて男の祭りも存在する。
だが裸にならなかったらどうする?
スキャンティ一枚を履いている状態で公衆の面前にその姿を晒す自分を想像した。
俺は父親が女装して、野次馬が汚物をみるような目で父親を見ている光景を思い出していた。
俺が警察に連行される時はスキャンティ一枚なのだから、野次馬の視線は父親が交番に連行された時の数倍鋭いだろう。
「アンタが何を考えてるのか知らないわ。
でもわかっている事を一つだけ言うわ。
『今どき誰もスキャンティなんて言わない』
あんた遠くを見ながらうなされてるみたいに『スキャンティ・・・スキャンティ・・・』って言ってたわよ。
まあ良いわ。
これから服屋さんに行くわよ」悠子さんはどこか嬉しそうだ。
服屋に行くのが好きなのだろう。
「お・・・私、あんまりお金持ってないんですよ。
洋服は必要な物を揃えた後で良いです」俺は遠慮するフリをして提案を拒絶した。
この言い方なら角が立たないし、断りやすい。
だがこの後俺はその断り文句に後悔する。
「お金がないなら私が出すわ。
でも私にお金を出させるなら私は買う洋服に口出しするし、私の好みの恰好をしてもらうわよ?」悠子さんは俺の答えにかえって喜んだようだった。
そうだった。
悠子さんは忍の後継者であり俺を高校にねじ込める権力者の家系なのだ。
そしてちょっとした思いつきで一人暮らしをしようと思って、それが出来るくらいお金には困っていないのだ。
大金持ちの娘だったとしても何ら不思議はない。
もしかしたら俺の服を何十着か買う程度の散財は悠子さんにとって浪費にもならないはした金を使う行為かも知れない。
それから俺はキャッキャとはしゃぐ悠子さんの着せ替え人形として半日以上過ごした。
その時に初めて悠子さんが持っていたアメックスのブラックカードを見た。
その噂に聞くブラックカードこそが旅客機どころか戦闘機ですら買える、こんな服屋なら店ごと買える夢のカードらしい。
「悠子さん相手に断る時『お金がないから』とは言ってはいけない。
お金の問題なら悠子さんは大概どうにかしてしまう」この時に俺は教訓としてその事を学んだ。
つーか悠子さん「お金がなくてもおしゃれは出来る」って俺に説教してたやん。
こんなにおしゃれにお金使ってどうするのさ?
「私と一緒に外出する時は必ず今日買った服を着て来てね」
スポンサーの少女は無慈悲に無邪気に笑った。