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【ノラ】
ミーシャと店の前を掃除していると、小さな姿がとぼとぼ歩いて来た。
「テレシア?なんだか臭うぞ?」
「…散々でやすよ」
訳を訊くと、以前十一階層で公爵様に戦わされた獣が、軍に組み込まれたと言う。
その獣が、テレシアを見付ける度に絡んで来てベロベロ舐めるのだそうだ。
「昨日なんざ、五匹でやすよ?取り囲まれて身動き出来やせんでした…陛下の旦那はゲラゲラ笑って助けちゃくれねぇし、リリア嬢ちゃんはオイラが食われてると勘違いして悲鳴をあげっぱなしだし」
今日も出掛けにベロベロと舐められたらしい、涎の臭いか。
生乾きの顔にも服にも埃が張り付いてひどい格好だ。
「じゃあ、一緒にお風呂に行こうか」
「いや、オイラ一人でも…」
「そう言うな、服も洗わないと駄目だからな」
その時、ちょっと待ってて下さいとミーシャが店に入り、子供用の服を持って戻って来た。
「私のお古ですけど。さぁ、お風呂に行きましょう」
「ミーシャも付き合ってくれるのか」
「親方さんに聞いてたんです、宿屋の大きなお風呂。一度入ってみたかったんですよ」
ミーシャと一緒にテレシアを風呂場に連れていく。
脱衣所でテレシアの服を脱がせて風呂場に持って入る。
「楽しみですね~」
「オイラ一人でも入れるでやすよ…」
扉を開けると…満員だった。
リザードマンの女性達が…二十人くらい?
蛇によく似た顔が一斉にこちらへ向く。
「わ、盛況ですね」
ミーシャは眼鏡を頭に乗せていて相手の顔がよく見えていないから暢気な事を言っているが…結構恐い。
いや、恐がっては失礼なのだが、沢山の蛇が一斉に顔を向ける姿を想像して欲しい…
…テレシアなど身体中の毛が逆立って硬直している。
「あ…あっちの洗い場が空いているから行こうか」
失礼の無い様にそそくさと洗い場に腰を降ろしてテレシアを洗い始める。
ワヤワヤとリザードマン達がお喋りを始めた。
…何を言ってるのかサッパリ解らない。これがドラゴン語というやつか?
「皆さん冒険者の方ですかね?」
「いやミーシャ、この人達は妃殿下の御付きの侍女達だよ」
二人でテレシアを泡立てていたら、なんだか判らない生き物になった。泡で出来た羊の様だ、これはこれで可愛いな。
「ぅ~う~目に入るでやすよ」
「ほらテレシアは服を洗いなさい」
「お湯を掛けますよ~」
テレシアを洗い終わったので今度は自分の髪を洗い、湯船につかる。その頃にはリザードマン達は上がって出ていった。
すぐにミーシャとテレシアが相次いで湯船につかる。
「はぁ、人が居なくなると広いですねやっぱり」
「これでも半分になったんだ、前は仕切りが無かったから」
ミーシャが前髪を掻き上げる。
「お姐さんの耳はオイラのに似ていやすね?」
「私はライカンとのハーフエルフなの。耳に毛が生えているから、テレシアちゃんとお揃いね」
ミーシャの耳は笹穂耳だが純正エルフより少し短めで、ライカンの血のせいか毛が生えて兎の耳の様だ。
テレシアのは幅が広く、ヒューマンの耳を猫の耳に取り換えた様に見える。頬にも毛が生えているので一層猫っぽい。
「なぁテレシア、あちこちに生傷があるぞ?どうしたんだ?」
泡だらけの時よく痛がらなかったな…
「あぁこれは…転んだんでやすよ」
「ずいぶん派手に転んだな、サーラよりたくさん転んだのか?」
「いやぁ、子猿姐さんみたくは…」
まさか王宮で虐められていないだろうな?
問い質してみたがはぐらかされた。後でサーラに訊いてみるか。
取り合えず回復魔法で傷を治してやった。
「オイラ、そろそろのぼせそう…」
あ、いかん!長湯をさせ過ぎた!
【ザップ】
スキン姐さんの処につい長居しちまった。
俺に隠し事がある時スキンはわざと俺に甘えてくる。普通なら素っ気無くしそうなもんだが。
隠し事を暴く真似なんかするつもりは無いんだがな…
だいたい、裏街の顔役、香具師の元締めだぜ?
姐さんの隠し事に関わったりすりゃ、命がいくつあっても足りねぇよ。
あ~、眠ぃ…
「よぉ、ガンズ、エド。ミルズも一緒か」
いつもの席に座ってくたっと力を抜いた。
「ザップ…女臭いな」
ガンズが臭いを嗅ぎ付けて苦笑する。
「いらっしゃいませ、ご注文は?」
「エールな…お姉さん名前なんてったっけ?」
「…ティナです」
臭いからヒューマンと判る。大人しそうな感じだな。
「ザップさん女性の元から帰ってきたばかりでしょう?」
エドの呆れた声にガンズもミルズもクスクス笑う。いいじゃねぇか。
「よぉ旦那、何か面白ぇ話でも無いか?」
「さてな…面白いかどうか解らないが、富裕層区の高利貸が死んだそうだ」
「へぇ…誰だい?」
「何て云ったかな…バラン、そう金貸しバランだったかな」
その時、ふっと俺の目が食堂の隅を捉えた。
…『影男』が本のページをめくるところだった。
「……………へぇ」
「聞いた話では自然死だったそうだから…ザップ好みじゃ無いな、こんな話は」
「いやぁ、そんな事は無ぇさ。バランて云やだいぶ悪どい奴だったからな?誰か死んだ奴の怨念で取り殺されたのかもよ」
へらへらと笑いながらエールを口にする。
…大方、手足の生えた怨念だろうぜ?
「ザップは幽霊を信じるか?」
「ガンズの旦那は幽霊が苦手かい?」
「…そうだな、殴れそうにないからな」
そういう苦手かよ。
「エドやミルズはどうだ?幽霊を見た事はあるか?」
「俺は無いです」
「僕は『向こう』で何度か。斬れる訳じゃ無いけど、煙みたいに払えますよ」
エドが片手を振る仕草をしながら言った。
「なんだよ部屋の換気みてぇだな?」
そんな馬鹿話をしているとノラとミーシャ、それから侍女服を着ていないガキんちょがやって来た。
テレシアが毛玉みたいになってるぞ?
「よぉ…いい匂いだな、風呂上がりの匂いは」
「ザップさんは白粉臭い厭な臭いだ…よく飽きないな」
おいおいノラ、デリカシーってものが無ぇぜ、ミーシャが赤くなっているだろ?
【サウル】
昨日は久し振りに腹を抱えて笑わせてもらった。
じきに陽が落ちるという頃の事だ。
叔父貴が新しく完成させたという合成生物を軍用に納入してきたのだ。
アドレア・イルベ・ゴース三国との同盟により、我国は安泰していると云える。一応だが。
情勢というものは流動しておる。
東側諸国の連合を一度は退けたものの、未だ光神教の威光は東側では衰えておらず、いつの日にかまた攻めてくる事は必定だ。
国軍の強化は必須事項、叔父貴の開発した合成生物の完成はありがたい。
「取り合えず五頭ね、これから順次増やしていくから」
余、爺、オーガ大隊長のランス、ゴルなど軍事部門の主だった者達を前に、叔父貴が連れて来たのは茶色い獣。
なかなか精悍な面構えだ。
「これは良いものを造ったな叔父貴」
「だろう?実戦訓練をしてくれたガンズ君やヴィーシャにも好評だったんだ」
ふむ。従姉上はともかくガンズめが評価するなら、期待出来そうだ。
あれも元は部隊長だった訳だから、奴が軍用に耐えると考えたのなら問題も無かろう。
「で?叔父貴、この獣には何と云う名をつけた?」
「あ~、それがねぇ…名前付けてくれない?どうも僕はそういうの苦手で」
…苦手じゃなくて面倒なんだろ?
「…軍用なのだから制式名称は必要だろうに…誰か考えつく者は居らんか?」
「陛下、こいつは昔ガンズが仕留めた雪虎に似ています」
ゴルの言葉に叔父貴が頷く。
「うん、雪虎はベースに使ったね。雪虎より俊敏性を高めてあるよ」
「俊敏性…では陛下、雪虎に因んで『風虎』では如何でしょうか?」
ランスの言葉に余は頷きを返す。
多少、安直な気もするが、分りやすいのが気に入った。
「良し。ではこれよりこの獣は『風虎』と呼称する。個体名は好きにせよ」
「勇ましい姿によく合う名称ですな若」
「公爵様のご説明では多少の言葉を解する様で、連係が取りやすそうです」
「うむ、余にも一頭傍に置くか」
そんな話をしている時、風虎が一斉にある一点を注目した。
「ただいま帰りや…帰リマシタ陛下!」
「おぉ、ガキ、見ろこのけ…もの?」
五頭の風虎全てがガキの小さい身体に群がった。
「ど、どわわぁ!?」
「キ、キャアアアァ!」
ガキを連れて来たリリアが物凄い悲鳴をあげた。風虎の図体のせいでガキが隠れて見えない。
「お、おい叔父貴!?何がどうした?…えぇい!」
風虎の群れに駆け寄る。ガキ!ガキは無事か!?
「ぅえぇ…わぶっ!…こらやめ…わぶっ!ペッペッ!…ぬわっ!」
ガキが舐められていた…五頭掛かりでべろんべろん舐められていた。
「ぶっ!ぶっわっはっはっはっはっはっ!何だこれは?あぁっはっはっはっはっはっ!」
「へ、陛下の旦那~わぶっ!…た、たすけ…わぶっ!」
喋ろうとする度に顔面をべろんべろん舐められておる。
「あっはっはっ!お、叔父貴!何だこれは?」
「う~ん、何だろね?小さな子供に庇護欲が掻き立てられてるね。母性愛が強いのかな?」
あ~母性愛…なるほど。
ん?小さな子供にだと?…下手すれば余もああなっていたのか?
爺達にやっと風虎を引き剥がされ、ガキの姿が見えた。
「…っ臭っせぇ~!…ぅ、ぉえっ!ペッペッ!」
全身べっちゃべちゃではないか。
口の中にまで風虎の涎が入ったらしく、頻りにえずいておる。
「ぶっ…ガ、ガキ…ぶぶぶっ…酷い格好だ…ぶふっ」
「なんなんでやすかそのどら猫!ぉえぇ!…く、靴の中まで!」
「ぶわっはっは!」
…あぁ、思い出しただけで腹が痛い!
因みにリリアは気絶しておった。
────────
「ただいま帰りやした~」
余の執務室に帰ってきたガキ。
何故か古ぼけた子供服を着ていた。
「…ガキ、どうしたのだその格好は?」
「…出掛けにあのどら猫にまた…侍女服の替えがもう無ぇでやす。こいつはミーシャってお人から借りやした」
なんだまた舐められたのか…見逃した!
「ぶふっ…そ、そうか。では後で狐に言って侍女服をもっと作らせよう」
「あのどら猫が居なけりゃ服は要らねぇでやすよ!」
「いや、それは無理だ。今は五頭だけだが順次増えるからな…百頭くらい」
絶望するガキ。
「そんな面白い顔をするな、貴様が成長すれば舐められなくなる…多分」
「多分!?」
叔父貴が言っていたが、一人立ち出来る様な歳になれば構って来なくなるという。
…ただし、お気に入りだとなつかれるから解らないそうだ。
「それで?ガキ、街の様子はどうだ?」
スキンとの繋ぎ役の他、ガキには市井の様子も探らせておる。
『毒夫人』の行方が判らぬ現在、スキンの処へ毎日送る必要が無いからだ。
まぁ、狐にしごかれているからな。息抜きがてらの役目だ。
「へい、富裕層区で金貸しバランがおっ死にやした」
「…ほぉ?」
金貸しバラン。
法外な金利を付けて貴族や商人どもを泣かせていた奴が死んだか…
「調べによりやすと寝てる最中に息が止まっちまった、って事らしいでやすが…」
「む?何だ?」
「いえ、何でもありやせん」
「それは、何でもありますと言っている様なものだぞガキ」
「オイラも命は惜しいでやすから」
ガキは喋るのが心底嫌そうだ。
「大事にならないと思うなら言わんで良い。しかし問題が大きくなりそうなら早めに言え、貴様の命くらい余が守ってやる」
「…大事にはならねぇでやすよ、事は終わってやすから」
先の展開は無いとガキはみている様だ。
「解った。ではそのうちまた街の様子を見て来てもらうからな…下がって良い。あぁ、茶を頼むぞ」
暗部に探らせておくか。