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『このバスは自ら命を絶った者が乗るバスなんだ・・・もちろん終点はあの世なのだろうけど、この世に未練がある限り、終点で降りることはない。俺は屋上から飛び降りてからずっとこのバスに乗っている。あそこにいる二人だって、何だかんだで俺より長くここにいる』
おぞましい姿でも、言葉はぞっとするぐらいはっきりと、僕の耳に届いた。
『でも、もう終点に降りてもいいかな。君が来てくれたから。君も嫌な事があったんだね・・・だから死んだんだろう?・・・なあ、君も自分で自分を殺めたんだよな?』
「し・・・死んでない、死んでない!自殺なんか絶対にしていない!」
目の前に信じられない光景が続いて、僕の思考回路は限界を超えていた筈なのに。伊藤の放つ呪いの言葉に、僕は必死に抵抗した。
『・・・じゃあどうしてこのバスに乗っている?苦しみから逃れたかったんだろう?生きるのが嫌になったんだろう!?』
伊藤だけではない。
後方の焼け爛れた骸と、ふやけて腐敗した骸が座席から立ち上がって、僕を問い詰めに来た。
それでも僕は抗う。
「だって・・・なんで自分が死ななきゃいけないんだ!?僕はこれから先も、やりたい事がいっぱいあるんだよ!なんで一時の苦しみのために、自分の命を犠牲にしなきゃいけないんだよ!」
目の前の伊藤の潰れた顔が、いっそう歪んで見えた。
「伊藤・・・どうして自殺なんかしたんだよ。お前を追い詰めた、あの連中への当てつけか?あいつらは全然変わっていないよ!お前の事なんかとっくに忘れて、今は次のターゲットを探しているよ。学校だって何にもしてくれなかった。家庭の事情でお前は自殺した事になっちゃったんだ!お前が死んで変わったのは、お前の両親だけだ!」
「・・・・・・」
「息子を救えなかった、何も気づいてあげられなかったって・・・お前の葬式でずっと泣き叫んでいた。今も家に引き篭もって・・・」
僕はきっと頭の片隅で、自分はもう死んでいるのだと思った。
だからもう怖いものはないと、強気に出られたのだろう。
今まで抱えていた葛藤と苛立ちを、これを聞いた伊藤がどう思うかなんて気にもせずに、僕は爆発させた。
「あんた達も・・・自分が死んだら、相手が後悔して悲しんでくれるとでも思ったの?あんた達は切り捨てられたんだ!何をしても相手からは気持ち悪いとしか思われないよ!」
大人なのに、子どもの伊藤と同じ事をして逃げ出したこの二人も、何だか許せなかった。どこかで聞いた悩み相談の回答を、僕は尤もらしい正論としてぶつけた。
──子どもが偉そうにと反撃されると思ったが、なんの反応もなかった。
そして伊藤からも。
死神の運転手も何事も無かったかのように、終点に向かってアクセルを踏み込んでいる。
『そろそろ終点だ・・・今度こそ降りよう』
『そうね・・・もう疲れた。あの人も解放してあげなきゃ』
僕の乱暴な言葉が功を奏したとは思えないが。
二人の骸はそう決意を語って──元の人間の姿に戻った。
清々した表情に見えるのは僕の気のせいか。
『・・・俺も終点で降りる。君はその前に、このバスから降りろ』
──伊藤もいつの間にか額の割れた血塗れの姿ではない、童顔で内気そうな中学生に戻っていた。
「降りるって?バスは走っているのに、どうやって?」
僕は安心したせいか、当たり前の事を素直に質問してしまった。
『君は俺たちとは違う。それなのに間違えてこのバスに乗ってしまった。だったら途中で降りる事も出来るだろう』
そんな簡単に行くのだろうか・・・。
ここは現実世界ではなさそうだが、走行中のバスから降りるというのも、気が引ける。
『急げよ!時間がない!』
躊躇している僕に痺れを切らした伊藤が、僕の腕を掴んでバスの通路を後方に向かって、駆け出した。
非常ドアらしきものを見つけると力任せにこじ開けて、僕はあっという間にドアの外へ追いやられる。
道路を転げ回るかと思ったが、バスから離れると僕の身体はふわりと宙に浮いた。
『君とずっと一緒に居たかった。それが俺の未練だった』
最後に伊藤の声を聞いた気がした──。