美由希と彰の二人旅
秋9月、朝の新潟駅。9時過ぎの3番線に赤い電気機関車が7両の客車と1両の蒸気機関車を牽引して入線する。客車は主に黒と赤銅色で構成されており、編成の両側が展望室である。
電気機関車のすぐ後ろに連結されている車両にはリクライニングシートが3列縦隊で並んでいる。そう、最後尾の7号車はグリーン車指定席なのである。その為、夏であっても青春18きっぷでは乗れず、別途乗車券とグリーン券を買わなければならない。残りの6両のうち、4両は普通車の指定席で、炭水車に接している1号車は磐越西線のマスコットであるオコジョを前面に押し出したキッズルーム兼展望室、編成中央の4号車は展望車である。旅番組の収録だろうかその回送列車にローカルタレントの女性が乗っていた。
架谷美由希は恋人の田中彰とその列車『SLばんえつ物語号』の入線を眺めていた。
「この電車で会津に行くの?」
美由希は彰に尋ねる。
「そうなるな。会津若松で『フルーティア』に乗るんだ」
彰は甘いお菓子の好きな方ではないし、果物は食べるが、アップルパイはそこまで好まない。一般的な男の味覚である。
「彰は甘いものがあまり好きじゃないから、『SLだけでいい』って言ってたけど、季節の果物が食べられるのよ」
「俺は生の果物なら食べられるんだけどな……。ドアが開いたようだから、乗ろうか」
5号車のドアから2人は列車に入った。
「6A・6Bは……。あった!」
2人の座る席は売店から若干離れたボックスである。
「私はグリーン車に乗りたかったな……」
「帰りのSLで思いっきりグリーン車に乗れるさ」
「ううん、昼間の景色が見たいな、って」
「でも、下りの、新潟行きの方が機関車に近いし、写真撮影もし易いんだ」
「会津若松行きでも写真撮影は出できるんじゃないの?7号車なんて売店から随分離れた車両じゃない」
「まぁ帰りは編成の先頭だからね。でも旅疲れには良いだろ」
『SLばんえつ物語号』は新潟駅を9時半に出ると、新津、五泉、咲花、三川、津川、日出谷、野沢、山都、喜多方、塩川、と停車し、終点の会津若松には13時35分に着く。
「汽笛が鳴ったわ」
美由希は汽笛に驚いていた。そして新潟駅を発車すると次のアナウンスが流れる。
『沿線の方へ向けて手を振って下さい』
もちろん、窓から手を出せということではない。窓ガラス越しに手を振ってくれ、ということである。
列車は亀田駅を通過し、新潟市の秋葉区に入る。荻川、さつき野、と通過して新津駅に停車した。
「駅弁でも買おうか」
「電車の中でも買えるんじゃないの」
「新津駅で買った方が新鮮なんだ」
「それなら買うわ」
事実、新津には三新軒と神尾弁当という駅弁のお店が駅近くにある。美由希は『雪だるま弁当』を買い、彰はSLの運転開始から発売されている『SLばんえつ物語弁当』を買った。
10時になったが、発車のアナウンスはない。
「何があったのかしら」
――――――信越線の強風による接続列車の遅れのため、信号が変わるまで停車いたします。車内にてお待ちください。
「信越線が強風で遅れているのか」
「まぁ信越線が」
「貨物列車が来たな」
『SLばんえつ物語号』は貨物列車を先に行かせて9分遅れの10時13分に新津を出た。新津からは磐越西線に入る。
「自然が豊かになったわね」
「『森と水とロマンの鉄道』という触れ込みだからな」
「温泉はどこが有名なの?」
「やっぱり咲花かな……」
馬下駅を通過し、ホームが1面だけの咲花駅に停車しようとする頃、西会津町の職員であろう人物が車内で呼びかけを行った。賞品は西会津町のお米だという。
『じゃんけんポン!勝った人だけ手を挙げて下さい。負けた方とあいこの方は手を下ろしてください』
彰は1回戦で敗れ、美由紀は2回戦に勝ち上がったがそこでチョキを出しであいこになり、米袋を貰い損ねた。
10時51分。五十島駅に停車した。
「いが…島。ここは停車駅じゃなかった筈よね」
「下り列車を待つようだからドアは開かないようだ」
「丁度よかったわ。実はお茶とお菓子を持ってきたんだけど、食べない?」
「俺は基本的に甘いお菓子は嫌いなんだけど……。もしかしてそれって手作り?」
「そうよ。手作りのカップケーキね。シフォン生地だからバターは使ってないわよ。彰の口にも合うように甘さを抑えてきたわ」
美由紀が取り出したのは水筒とココア生地のカップケーキだった。
「もしかして昨日焼いたのか」
「そうね。昨日、出発する前に卵の黄身を泡立ててメレンゲと混ぜて焼いたわ」
2人が話しているうちに下りの気動車が到着し、『SLばんえつ物語号』も発車した。
列車は阿賀野川に沿って磐越西線を東北へ進む。
11時19分。7分遅れで津川に着いた。時刻表通りであれば11時27分に発車するのだが、ここでは炭水車に水を補給し石炭をくべ易くするために停車するので、停車時間を短縮できるわけではない。
「炭水車に行ってみよう」
「炭水車に何があるのよ」
「石炭を積み替える作業が拝める」
「私はオコジョ展望室にいるわ」
炭水車では作業員がホースを繋ぎ、石炭を積み替えていた。
彰は機関車の方へ寄ってみたが、ホームの端は喫煙所で、紫煙が漂っていた。そのため、短時間でオコジョ展望室に入ってきた。1号車には子供連れが大勢いる。
「写真撮影はいいの?」
「帰りの列車の方が開けたところで撮ってくれるからいいんだよ」
津川を出たのはやはり7分遅れの11時34分である。
それから25分程度経って、新潟県と福島県の県境付近にある徳沢という駅に停車した。
5分か6分程度で抽選会が行われたが、今度のものは同じじゃんけん大会ではあるが、『SLばんえつ物語号』恒例である。
『じゃんけんポン!勝った方だけ手を挙げてください。あいこの方と負けた方は手を下ろしてください。1…2…3…。残った4名の方でじゃんけんをしてください。それではじゃんけんポン!』
「勝ったわ」
『まず1人目の方が決まりました』
それから職員が美由希に近づく。
「お名前を伺います」
「架谷です」
「1つ目の携帯ストラップは架谷様に授与されました」
5号車の客室内が拍手で満たされる。残りの3人も再度じゃんけんをして1人が勝ち残り、敗者復活戦として第2弾も行われた。その間に遅れていた会津若松からの快速『あがの』も来たので、8分の運転停車で発車した。美由希が当てた携帯アクセサリーは9月ということで、十五夜を意識したデザインである。マスコットであるオコジョのオコジロウとオコミも描かれていた。
快速『あがの』は『SLばんえつ物語号』の通過する馬下と鹿瀬、荻野に停車するが日出谷を通過し、気動車なので所要時間も短く、往復とも3時間足らずで新潟・会津若松間を走破する。
実は徳沢を出たときに2人とも駅弁の封を開けていた。大きな水筒のお茶を2人で飲み、各々弁当に舌鼓を打つ。『SLばんえつ物語弁当』はご飯の上に錦糸卵が敷かれており、その上に鶏肉や焼き鮭、蒲鉾、帆立、いくら、沢庵が載っている。添えつけられている煮物も癖がなく、子供でも食べられそうな味付けだ。『雪だるま弁当』は雪だるまの形をした箱いっぱいのご飯に錦糸卵と甘く味付けされた鳥そぼろが敷かれ、そぼろの方に椎茸が、錦糸卵の方に味付けされた蒟蒻やさくらんぼ、鶏肉等が載っている。錦糸卵は両方とも甘めに味付けされており、万人受けするであろう。因みに椎茸も出汁の味が効いている。。
西会津町の玄関口である野沢駅に着くと西会津町の宣伝マンはここで下車した。
「西会津町は味噌ラーメンを売り込んでいるのね」
美由希が驚き気味に言う。
「喜多方に続け、ということだから日出谷と山都のそばの方がいいんじゃないか?西会津町の味噌ラーメンは後付け臭くて気が乗らない」
「山都って山都そばのことかしら?」
「そうだよ。数えるほどしか伝統のそば屋が残っていないんだ」
「そっちの方がありがたみはありそうね」
「だからだよ」
野沢を出た『SLばんえつ物語号』は13時前に山都駅に停車し、機関車の点検を行った。
「展望車にいってみようか。美由希に見せたいものがあるんだ」
「何よ」
「それは山都を出たらすぐにわかるさ」
山都を出るとプレートガーターの橋梁に差し掛かった。
「何これ、随分な迫力じゃない」
「この場所をファインダーに収めたくて会津に来る人も多いんだよ」
彰が見せたのは橋梁から見下ろす現在の喜多方市である。山都の次は藏とラーメンの町、喜多方に停車する。ホームに掲げられている看板には京都の百貨店にも出店している『B食堂』のものもあった。
「喜多方のラーメンを食べたいわ」
「それはまた行く時でいいさ。『河京』の生ラーメンだって調理すれば美味しく仕上がるし。注文するときのお代も馬鹿にならないけど」
「私は本場の喜多方ラーメンを食べたいのよ」
「まぁ喜多方で喜多方ラーメンを食べるのは確かにいいよな」
喜多方を出ると電車が走る区間になるので機関車の頭上に架線が引かれている。新潟発の上り列車だけが停まる塩川を出ると終着の会津若松を残すだけである。なお、塩川町は独特の鳥もつがあるとSLのパンフレットでも売り込まれている。
「線路が見えてきたわ」
「磐越西線かな」
「この電車も磐越西線じゃない」
「あっちの線路は郡山に繋がっているんだ」
『SLばんえつ物語号』は5分遅れの13時39分に会津若松駅2番線に滑り込んだ。
1番線と2番線は磐越西線専用ホームで、只見線のホームは3番線、4番線と5番線は会津鉄道の気動車が使うホームである。
2人は改札の外に出た。次に乗る『フルーティアふくしま4号』が会津若松を出るのは15時6分である。おやつにするには丁度良い時間帯に走行する。
列車を待つ1時間半程度の時間があるので土産物を探してみる。
「『桃の恵み』……。何だろう、これ」
彰は缶全体に桃の絵を貼ったデザインの缶を手に取りしげしげと眺める。それから地下道を歩いて駅の向かいにある会津若松バスターミナルでお茶を一杯飲む。若者の愉しむスペースとしてはJR会津若松駅より建物規模は小ぶりながら完成されていた。
「そろそろ時間じゃない」
「そしたらホームへ行こう」
ホームへ行くと6両編成の各駅停車が入線しており、美由紀と彰は職員に断って横断幕と共に写真撮影をさせてもらった。
15時丁度。一般車4両のドアは既に開いていたが、この時間になってようやく先頭2両の観光列車『フルーティアふくしま』のドアが開いた。2人の席には2人分の『フルーティア』号乗車証とプラスチックのフォークとスプーンがランチョンマットの上に置かれている。
『ミルクとお砂糖は如何でしょうか』
アテンダントにホットコーヒーの味に関して問われたので、彰は『ブラックで』といい。美由希は『両方ともお願いします』と答えた。
発車間際に小さめの箱が配られる。会津若松駅で見かけた『桃の恵み』も配られ、それから注文したホットコーヒーが配られた。
箱を開けると……。白桃の変種である黄金桃のタルトとパニエが入っていた。この2つは9月に運転される列車だけで出る季節代わりのお菓子である。タルトはレアチーズケーキがベースで生地の底にマンゴーソースが仕込まれており、表面に桃が載せられていた。
「まぁ。可愛いわね」
「俺は気が引けてきたよ」
「とにかく食べてみましょう」
美由紀はタルトを包んでいたフィルムを持って紙の型から外し、彰に見せた。側面を見るとレアチーズタルトがベースのようである。彼女はフォークでその突端を切り取り、口に含んだ。
「甘くないわ。私より彰の方が好みそうね」
彰は恐る恐るタルトを型から外し、フォークで桃を一切れ取った。
「信じられない。こんなにも甘くないのか、これなら俺でもいけそうだ」
彼はその控えめ過ぎる微妙な甘さが衝撃だった。
この列車の中で2人が味わった黄金桃の生菓子は『高貴な甘さ』という言葉がふさわしいものだった。美由希のカップケーキも甘さを抑えているが、手作りならではの『素朴な甘さ』なのである。
『皆様、進行方向右手をご覧ください。会津磐梯山が聳えております』
2号車のテーブルは台形になっており、革張りの席も配置が斜めなので車窓を望み易い。
ただ、彰と美由紀の席は猪苗代湖側なので首の動きが不自然になってしまった。
猪苗代に着いたのは15時38分。カウンター席の男性一人旅組は『お菓子は如何でしょうか。誰か食べてくれませんか』と、2号車を行脚し始める。
彼らと味覚の似ている彰は猪苗代を出た頃に黄金桃のパニエを食べ終えていたが……。40代ぐらいの男性に勧められてやんわりと断った。美由希の前にも透明なジュレで閉じ込められた桃とその台となっている杏仁豆腐が差し伸べられる。
「ご厚意はありがたいですが、もうお腹がいっぱいですので……」
やはり美由紀も申し訳なさそうに断った。一人旅の男性陣が持て余したお菓子たちはといえば……。旅行会社のツアーで来ていた女性グループがお代りを欲していたので彼女らのテーブルに乗り、中山宿の駅へ進入する頃には5分の1に削られ、旧中山宿のスイッチバックを右手に見下ろす頃にはほとんど無くなっていた。
その間、彰と美由紀は1号車のバーカウンターでお代わり自由のアイスコーヒーとアイスティーを飲んでいた。『フルーティアふくしま』の1号車では酒類やお菓子も売っている。
列車は定刻の16時20分に郡山駅1番線に着いた。
郡山駅では『フルーティアふくしま』に季節の果物のお菓子を提供しプロデュースもしているお菓子の会社『F』の店舗もある。駅ビルの1階にJR東日本社の系列であるコンビニ『NEW DAYS』もあるので、2人はそこで酎ハイとビールと簡単なおつまみ、ペットボトルのお茶を買った。
郡山駅を出て左側の所に『ヨドバシカメラ』の入っているビルがあるのだが、そことは逆の方向に歩き、ビルのエスカレーターを上がると中華料理店がある。
そこで彰は五目炒飯と野菜サラダ、グラスの紹興酒と餃子を、美由紀は海老炒飯とグラスビールを頼んだ。五目炒飯は大きめの肉が乗っているが、逆を言えば肉類はそこだけで全体に散らばっていない。味覇を使えばこのような味になるのだろうか。紹興酒は独特の味がする。海老炒飯もやはり味覇が効いているのか。絵にかいたような炒飯の味だった。両方ともグリーンピースと卵が散らされている。
「今日1日長かったな」
「そうね。出発も早かったし、電車に乗っている時間も長かったわ」
「食べ終わったらホテルに入ろう。2人でお風呂に入って晩酌するんだ」
食べ終わってからロータリーの端に停まっている送迎車に乗り、10分程度でホテル『目蒲イン』に入った。
「田中彰様御一行の2名様ですね。お部屋を確保しております」
フロントの右側に食堂を兼ねたロビーがある。そこを横切るとエレベーターに差し掛かるが、エレベーターのドアの向かいに自販機があるがそこのビールは高い。3階に上がって303号室に入った。
「荷物を下ろしましょう」
荷物を下ろして履物を履き替え、飲み物をミニバーに収める。
「お風呂に入っていいかしら?」
美由希は着ていた服を浴衣に着替えながら言った。
それからユニットバスの戸を閉め、シャワーカーテンを閉める。シャワーで旅の汗を流し、シャンプーとボディーソープで酸化した皮脂を洗い落とした。石鹸の泡を流しバスタオルで体を拭くと入れ替わりに彰がユニットバスのシャワーを浴びた。
「そろそろ冷えてきた頃じゃないかしら?」
「そしたら飲もうか」
中途半端に冷えたミニバーからビールと酎ハイを取り出し、おつまみの剣先を肴にして飲む。
「出逢ったときからどのぐらい経つかしら」
「かなりになるんじゃないかな。5年前のようにも思えるし10年前のようにも思える」
浴衣の間から美由希の肌が見える。すっかり薄れたがシャンプーの匂いまで感じた。
「NHKでも見ないか」
「そうね。今日は土曜日だから『ブラタザワ』も7時半からやっているわ」
テレビを点けてみるとこの日は高尾山だった。生物が多様で、明治になっても神仏習合を保っていたという。
『ブラタザワ』が放送を終えた20時15分。彰は美由紀を抱き寄せた。
「何をするの」
「折角の夜だし。2人とも酔っているから」
「まさか……」
「その『まさか』だよ。明日の会津若松を楽しくしよう」
その夜、2人は雲に乗った。雲は2人を天上の宮殿まで運び、極楽というものを見せてくれた。宮殿はアラビア風だろうか、それともヨーロッパ風だろうか。もしかしたら中国風かもしれない宮殿に行ったのであろうか。そして寝入り、翌朝6時ごろに目が覚めた。
「朝食にしようか」
「その前にお茶にしたいわ」
「コンビニで買っておいてよかった。昨夜入れたからもう冷えてると思う」
彰は2つのカップにペットボトルのお茶を注いだ。服を着替え、荷物を簡単に整え、7時10分頃に食堂へ下りると列ができており、朝食を盛るのも一苦労した。『目蒲イン』なので朝食も簡素で、簡単なサラダと沢庵、法蓮草の胡麻和え、煮豆、味付け肉団子に味噌汁と銀シャリか炊き込みご飯である。飲み物は選べるのだが、彰はグラスに水を入れ、美由紀はリンゴジュースを注いだ。
朝食を食べ終えると自室に戻り、荷物を調えてチェックアウトを終わらせ次第、送迎車に乗った。降りたのは『NEW DAYS』に近い方のロータリーである。
「早く乗ろう。早い電車の方が会津若松で時間が長く取れるから」
「そうね。1番線に電車が停まっているわ」
2人が急いで乗った磐越西線の快速会津若松行きは磐越東線の気動車を横目に8時31分、定刻に郡山駅を発車した。雨の降る中、会津若松駅に着いたのは驚くことに2分ほど早い9時39分である。
会津若松の改札を出るとバスの停車場があるのだが、改札からもっとも遠いところにあるチケット売り場で観光循環バスの1日券500円を2枚買い。急ぎ七日町駅先回りの『ハイカラさん』に乗る。
「どこに行くの?」
「まずは鶴ヶ城に行ってみよう」
鶴ヶ城北口のバス停で降り、道中、鶴ヶ城会館に寄る。それから北出丸の狭い通路から本丸跡に入った。
「さくらソフトクリームが食べたいわ」
「そうか。俺が出すよ」
さくらソフトは秋にも関わらず、春のような甘さであった。
2人はそれから本丸跡を一巡する。
「あれ、『荒城の月』の歌碑じゃないか」
「確かに『荒城の月』だわ」
再建された天守閣から離れたところに滝廉太郎氏作曲の『荒城の月』の歌碑がある。その近くに庵があり、そこでお茶を飲むのであれば料金がいる。
北出丸から鶴ヶ城を出て鶴ヶ城会館に入り、会津塗を一瞥する。さすがに1杯で1,500円を超える漆器は高いので修学旅行用のプラスチックお椀も見てみた。
「誕生花が描かれているのね」
「誕生花ねぇ」
彰には縁のない話だが、誕生花には花言葉がある。例えば6月の誕生花である紫陽花は『謙虚』であるという。
鶴ヶ城北口のバス停に戻り、輸送力増強で一般車になっている『ハイカラさん』で飯盛山下へ行く。そのバス停近くの食堂で昼食にした。わっぱ飯が手軽なので頼んでみたが、素朴な盛り付けの炊き込みご飯にとろろ昆布の味噌汁が付いている。
それを食べ終わると飯盛山の階段を上る。頂上まで登る必要はなく、数百メートル上がったところに松平容保のお墓があり、2人は線香代300円を払って尾張藩から養子に出た会津藩最後の藩主の墓前に手を合わせる。
「無念であっただろうな……」
彰は戊辰戦争を思い起こしながら容保を悼んだ。
「この山で白虎隊が果てたのね」
美由紀は若くして果てた白虎隊を悲しんでいた。
「その白虎隊が果てたところに行ってみようか」
「そうね」
目印の通りに階段を降りると『白虎隊最期の地』という案内がある。そこからは鶴ヶ城を望めそうな印象である。
「鶴ヶ城方向から煙が上がっているのを見て、城が燃えていると思ったんだろうな……」
「今日は雲行きがよくないけど、晴れていたら鶴ヶ城が見えそうね」
「だからだよ」
2人は白虎隊に手を合わせ、資料館に入った。そこには戊辰戦争前後の遺品が展示されている。
「アニメーションも上映されているのね」
白虎隊の無念を伝えようとしているアニメーションビデオが2階で上演されている。会津をそうさせたのは薩長であろうか、それとも徳川将軍であろうか。どのようであれ、会津藩は朝敵の汚名を着せられた。中立を保とうとした長岡藩(現新潟県)ですら新政府軍に攻められている。感傷に浸った後、『ハイカラさん』に揺られて会津若松駅のバスプールに戻った。時刻は14時前ではなかろうか。下り新潟行きの『SLばんえつ物語号』が新潟駅を出るのは15時25分で、1時間半ほど時間がある。
バスを降りると会津若松のバスターミナルに行った。そこで美由希はソフトクリームを頼み、彰はコーヒーを頼んだ。このバスターミナルの興味深いところは高速バスと市内の路線バスのホームが別個にあることで、敷地面積は狭いが機能的であることを感じる。
「やっぱり若い子が行くところね」
美由紀はソフトクリームの甘さを感じながら言った。
「最近の若者は旅行するのに高速バスに乗るからな。それに東日本大震災で磐越道が見直されたんだ。東北道の補助ルートとして大活躍したんだよ」
彰は磐越自動車道が栄えているからだ、という言い方をしたが、それだけではないことも感じていた。磐越西線と磐越東線は震災前より需要が振るわないのである。だからこそ観光列車『フルーティアふくしま』は運転を開始した。2人がSLの出る会津若松駅2番線ホームに着いたのはその『フルーティアふくしま』が会津若松を出た直後、15時10分頃のことである。
15時15分。頭端式の会津若松駅2番線ホームに下りの『SLばんえつ物語』が推進で入線する。彰も美由希もこの光景を見たことがあるが、昨年、快速『あがの』で喜多方へ飛んだ時は『貴婦人』と呼ばれたSLが不調で、朱色のディーゼル機関車が牽引する味気ない―――鉄道ファンなら21世紀に残る国鉄を感じるので楽しめるが―――編成だった。その日は6月の半ばだったが、同じホーム、同じ客車が入線しているのである。ただ、推進しているのがSL(蒸気機関車)かDL(ディーゼル機関車)かの違いである。2人は7号車の案内があるところに並び、車掌からグリーン車の乗車証を受け取って車内に入った。ここから終点の新潟駅までは昨年の旅をなぞるような行程である。
下りの『SLばんえつ物語』は雨の降る中、定刻の15時25分に会津若松駅を出発した。
「雨の会津盆地もいいものね」
塩川を通過する頃、美由希がそう言った。
彰は人気のライトノベル『ソードファイト・オンライン』を読みながらこう答えた。なぜ彰がライトノベルなどというものを持っているかといえば、『ソードファイト・オンライン』が若者に人気のタイトルで3度のアニメ化ばかりではなく、映画化も決まっているからである。
「雨に濡れて風邪を引きたくはないけどな」
次の喜多方に着いたのは15時48分。ここでは3分の停車時間を取る。
「また専門学校の学生さんが乗るかしら?」
「アナウンスが無いから乗ってないようだよ」
昨年の『DLばんえつ物語』は新潟市のマンガやアニメの専門学校の学生が乗り、乗客の似顔絵を描いてくれた。『ばんえつ物語号』は人気の観光列車であるだけに車内のイベントも多く、運のよく気に入ったイベントのある日に乗ると格別である。
山都を出て野沢駅に着いたのは16時25分。ここは10分の停車時間を取るので煙草を吸えそうだが、2人とも煙草を吸わないのでグリーン車のリクライニングシートで寛ぐ。
野沢を出てからSL恒例のじゃんけん大会があり、彰は2戦目で勝ち残った。
野沢を出ると福島県から新潟県に入る。暗くなり始めたのは日出谷のあたりだろうか。阿賀町のうち、元の鹿瀬町だった地域は新潟水俣病に縁が強い。
「随分暗くなったわね」
美由希が1人席越しに阿賀野川を望んで言う。
「まぁ9月だからな。そろそろ津川じゃないのか、ビールでも飲もう。今の時期はおつまみとのセットがお買い得みたいだけど、どうする?」
「私はビールだけでいいわ」
彰は5号車の売店でビールを2杯と鮭の焼き漬けを1つ買った。SLが津川に着いたのは17時19分。ここは上りと同様に炭水車絡みの停車なのでやはり15分と長く取られている。
「随分大きいわね」
美由紀はカップの大きさに驚いた。
「これぐらいなら楽々と飲めるさ」
彰は成人から5年以上離れているので350cc程度のビールなら慣れっこである。美由希も23歳以下ではなく、ビールに対しては何の引け目も感じていない。
肘掛けに内蔵されているテーブルの窪みにビールを置き、他のスペースに会津若松駅で買った駅弁を開いて夕食にする。
「ビールサーバーから出るビールは格別だ」
「缶とは随分違うものね」
「缶は金属の味もするからな」
2人は売店のビールサーバーから注がれるビールに美味しさを感じた。
「機関車のところに行ってみよう。今なら行きと違って煙草を吸われないし、記念写真には絶好の条件だ」
「記念写真を?」
「そう。旅の記念にね」
機関車の前に来るとすでに撮ってもらっているカップルがおり、2人はそれに続いた。
日付のプレートを持って職員が持つカメラの前に立ち、シャッターと切ってもらう。会津を旅した記念の1枚。写真を撮られてすぐにグリーン車に戻った。
津川を出ると暗くなりゆく阿賀野川沿いを走行する。
「夜の阿賀野川というのはどこか暗さを感じる」
「昼間とは随分違うわね」
「あの川に水銀が流されていたと思うと非常に恐ろしい」
三川、咲花、五泉と停車し、新津に着く頃には既に暗くなっていた。新津を出ると終点の新潟である。新潟には定刻の19時6分、上りのSLが出た3番線に着いた。客車の灯りが落とされると行きとは逆に冒頭の電気機関車が新津側に連結される。彰と美由希は駅前のビルに出てビジネスホテルの送迎車に乗った。
ホテルまでは10分か20分程度だろうか。大した時間をかけずに明石通り沿いの車寄せに着いた。このホテルの最上階には浴場があり、タンクローリーで運ばれた温泉が張られている。
「長い旅だったわね」
「朝早くから動いていたからな」
「そうしたらお風呂に入るのがいいわね」
ビールに酔った体で入浴して布団に入る。郡山で天上の宮殿を見てきたのでこの夜は何もしないで寝た。
翌朝……。
「ここも車通りが多いのね」
「昨夜は暗かったから解らなかったけど、この辺りは意外とビルが多いようだな」
「昨夜はよく眠れた?」
「ビールの酔いが回っていたから寝付くのは早かったよ」
「時期に出発だから朝食にしましょう」
寝間着から洋服に着替えて2階の食堂に降りると席が指定されている。朝食はバイキングのようで、お盆とプレートが重なっている。
「美味しそうね」
美由希は食事の豪華さに感激した。
「昨日もこれくらいであったらなぁ……」
彰は『目蒲イン』の簡素さに嘆息した。このホテルはビジネスホテルであるが和洋のメニューが揃えられている。味噌汁とコンソメスープも選べるのだ。ジュースも3種類から選べる。
加熱されたコンソメスープの匂いが鼻を刺す。カップの中には細かく切られたベーコンと大根、人参、じゃが芋が入っており、美由希がよそったバターロールにはよく合う。彼女はスクランブルエッグにケチャップをつけてよそったので細やかであるが洋食の雰囲気が出ていた。彰はといえばプレートに焼き魚と法蓮草の胡麻和えをよそい、麩の入った味噌汁をお椀に注いだ。彼の方は和食志向である。
「新潟も意外と都会なのね」
「合併合併で政令市になった街だけどな」
朝食の後、送迎車で新潟駅に戻り、昼間の上越新幹線で東京へ帰った。
下記の話は2人が『DLばんえつ物語』に乗る年の春のことである。
田中彰は朝一番でレンタカーを借り、架谷美由希と高速道路でドライブした。
東北道は混雑するので常磐道から入ることにした。いわきジャンクションから磐越道に乗るのである。
「そろそろいわきだぞ」
「磐越道に乗るのね」
「船引三春インターで降りる。三春の滝桜を見よう」
車は東日本大震災でそこから北へ行けなくなった常磐道を降り、磐越道に乗り換える。
磐越道はいわきジャンクションから山の中を貫いて新潟に至る高速道路なのだが、片側2車線である区間は限られており、精々会津若松程度ではなかったか。
船引三春インターで降りた後、三春町内を走行する。滝桜の駐車場は仮設であろうか。舗装されている様子がない。観桜券を買ってゲートの中へ入る。入ってすぐの所には仮設の店舗が並んでいる。トイレも仮設である。
長い距離を歩いてようやく滝桜の見える所に着いた。滝桜は、と見上げれば、何本もの棒で支えられた大きな枝垂桜の樹がそれだった。
「思ったより痛々しいわね」
美由希は支える棒の多さに驚嘆した。
「確かに痛々しいな。無理に延命手術を受けているご老人のようだ」
彰も滝桜を利用して儲けようとする者達の醜さに嘆息した。
「とりあえず滝桜の周りを巡ってみよう」
滝桜の周囲を巡回することにした。一巡すると何百メートルになるだろうか。急坂を上るだけでも一苦労である。何か所かで滝桜の写真を撮り、帰りに露店で甘酒を買った。
「甘酒を飲んでも大丈夫かしら?」
「酒粕ベースじゃない限り大丈夫だと思うよ」
その甘酒は米麹と水で作られた甘さのそれだった。甘酒の温かさと桜の花に酔ってしまいそうな麗らかさである。春の麗の隅田川ならぬ滝桜である。甘酒を飲み干し、車に戻ると再び磐越道に乗る。郡山を過ぎ、磐梯山サービスエリアで車を停める。
「ここで昼食にしようか」
「こんなところで?」
彰はソースかつ丼定食を頼み、美由希は喜多方醤油ラーメンを頼んだ。
ソースかつ丼はご飯の上にキャベツが載り、さらに甘く味付けされたソースのかけられたとんかつが載っている。喜多方醤油ラーメンの方は何の変哲もない醤油ラーメンであり、見た目はどこのラーメン店でもありそうである。
「やっぱり違和感があるわ」
美由希にとっては本場に勝るものはないのであろう。
「まぁ会津若松に行けば本物のこづゆが食えるさ」
彰はあえて楽観的にそういった。
磐越道を新潟方向に進み、会津若松インターで高速道路を降りる。
会津若松市街に入り、鶴ヶ城会館でサイドブレーキを引く。
「ここに着けば鶴ヶ城は目の前だ」
「堀を隔てた向こうが鶴ヶ城なのね」
鶴ヶ城会館には食堂がある。そこで2食分のこづゆを頼む。出されたものは具だくさんで、きくらげや豆麩が人参やその他の野菜の他に盛られていた。出汁も山の物だろうか。東京で食べる化学調味料の味とは異なっている。それから天守閣に登り、会津若松の街を一望した。
「会津の殿様になったような気分だ」
「天守閣ぐらいで大げさよ」
「言い過ぎたか。会津藩の殿様もこうして会津若松の街を見ていたのかな、ということだ」
「もしかしたらそうかもしれないわね」
「そろそろ下りようか。駐車料金もかかるし」
天守閣をから下りて車に乗り、磐越道から常磐道を伝って東京に帰った。東京に着いたのは夜遅くである。