第1話 死と連鎖する不幸
二作目です。一作目は書く事に限界を感じ、打ち切りとさせて頂きました。
楽しみにしていて下さった方々、いきなり消すような事をしてしまい、すいませんでした……。
ドスッと。
残酷な明かりを反射する黒い鞄が、俺の指先から外れて地面に落ちた。
同時に、事態を耳にした野次馬達が口々に悲鳴を上げる。目の前の建物から炎がうねり、形を無惨に、本来有るべき姿を見る影も無く崩していく。
不規則に揺れ続ける猛火が、壁を、電柱を、舗装された道路を。見える物全てを巻き込み影を作り出した。
言葉が出ない。それこそが、俺の心情を表すのに一番相応しかった。
ーー嘘、だろ?
呆然と一歩踏み出す。今も尚燃え盛る、俺達の家に向かって。
だが、突然。
「やめろ坊主! 死にたいのかッ!」
怒号と共に、背後から右腕を掴まれた。
遅れてゆっくりと。緩慢な動きで振り返る。
目に入ったのは、黒と橙色の革手袋。そして、袖口に大きく隙間の空いたアラミド繊維の分厚い生地だった。
それが消防服だと気付いた時、激しく燃え上がる炎がようやく俺に現実を直視させた。
直後、家を出る際の母親との会話が、鮮明に思い出される。
ーー昨日は寝込んじゃってごめんね。今日は、張り切って隼斗の好きなカレーを作るから、気をつけて帰ってきなさいよ
元々、この時間帯は母親が夕食を作っている時間ではなかったか。
つまり……。
「離せよ! 母さんが中にいるかもしれないんだ!」
そこまで考え、俺は腕を勢い良く振って、消防士の手を払った。
そのままの勢いで、完全に焼き焦げた玄関目掛けて走り出す。
「戻れ、戻ってこい! …………クソッ!!」
消防士の口から舌打ちが聞こえ、後ろから俺を抑えようと追いかけてきているのが分かった。
それでもなりふり構わず走る。
自分と家との距離は5メートル程しかない。なのに、やけに長く感じた。僕の感じる時間の流れが、急激に遅くなっていたからだった。
後、2メートル。
燃え盛る火が、俺の服の袖に移った。
走りながら、広がる前に脱ぎ捨てる。
1メートル。
飛び散る火の粉が、俺の髪を僅かに焦がした。
熱いのを無視して、走る速度を上げていく。
「危ない! 如月君ーーーーーーーッ!!」
頭上から、屋根の瓦が滑り落ちようとしているのが見えた。
構わず、自ら死が渦巻く炎の中に飛び込む直前、女性の甲高い悲痛の叫びが弾ける火の音に勝り、俺の苗字を轟かせた。
だが、その言葉が俺ーー如月 隼斗の耳に届く事は無かった。
届くよりも早く、滑り込むようにして入った入り口が、瓦礫によって封鎖されてしまったからだった。
***
中はまさしく地獄だった。
パチパチと。火の粉が舞い俺の肌に火傷を作り、黒い煙が容赦無く体内に入り込もうとする。二階から吹き込む熱風が、少し長めの髪を僅かに揺らした。それどころか、家全体に充満した熱気が、嫌な汗を噴き出させた。
入り口は閉ざされた。一刻も早く、いるかもしれない母を見つけ出し、出口を探さないといけない。
「いるのか、母さん! 母さん!!」
口元にハンカチを押し当て俺は叫ぶ。だが、返事は無かった。
もう何度か呼びかけ、仕方ない、まずは台所へと向かおうと足を進めた、その時。
ガリ。という硬い物を踏んだような音がした。
「……え?」
足をどかすとそこにあったのは、半分以上炭と化した、明るい緑のカエル型のストラップだった。
焼け焦げて原型を留めていなかったため、分かりにくかったが、俺にはそれに見覚えがあった。いや、見間違うはずが無かった。
「なんで……」
それは……。
それは、俺と同じ高校に入学した妹の入学祝いに僕がプレゼントした物だった。
この時間、妹は帰らないはずだ。なのに……何故。
「……いや、違う。これは……夕菜のじゃ……ない。きっとそうだ。そうに決まってる」
一気に不安が膨み、誤魔化すようにかぶりを振った。
それからストラップを拾い上げ、ポケットに突っ込み、すぐ側の台所へと繋がる扉のドアノブに右手を掛ける。
だが。
「ーーッ!?」
突然、俺の掌に電流のような激痛が走った。
「ぐ、ぐぁああっ!」
即座に手を離し、歯をくいしばって五指を開いて見てみる。途中、指の隙間から何滴もの血が垂れた。
大量の血が滲み出ている。掌の皮膚が白く硬化し、所々が無くなっていた。
「ああぁあ!!」
俺の顔が酷く歪む。今までに感じたことのない痛みだった。常に熱風が傷口を刺激し、呼吸もままならない程の痛みを誘った。
俺は自分を、それなりに痛みには慣れている方だと思っていた。けれど、これまでの痛みはこれの比では無かった。
「……っ……」
とてつもなく苦しく、今すぐにでも叫び出したくなる。
だが、ぐっと堪えた。それよりも母と妹を見つけ出さなければならないからだ。
そこで、都合良く下駄箱の上にタオルが置かれているのを見つけた。それを取り、歯で噛んで位置を固定し、逆の左手にきつく巻きつける。
「これで……大丈夫な、はず…………!」
もう一度、今度は左手でドアノブに手を掛けた。
「……っ」
熱い……。けれど耐えられない程じゃない。
しっかりと掴んだところで一気に回し、ようやく扉が開いた。
「お兄ちゃん!?」
「夕菜!」
初めて、俺以外の声が家に響く。
ソファの側に立っていたのは、妹の夕菜だった。目立った怪我はしていないようだが、火傷したのか腕が少し赤かった。
そして、妹の近くで倒れている人は下半身しか見えないがすぐに分かった。母だ。
「今行……!」
近寄ろうとしてすぐに気づく。
ここーー台所は他より特に損傷が酷かった。あれが、家事の原因なのだろう。コンロを中心に、壁も、床も、全てが黒ずんでいた。
そして、まだ炭素を含む血とは違う赤い液体が母さんと夕菜の近くに円を作っていた。側にはガラスの破片が転がっている。赤く汚れた破片に張り付くラベルにはこう書かれていた。
「Merlot…………アルコールか!?」
ーーなら、火が燃え移ったら危険だ……早く避難させないと!
今の状況なら何が起こってもおかしくない。咄嗟の判断で動き出したその時、火を纏った木片が落下した。
そこは、次に起こる展開が目に見えるぐらいに俺が最も怖れていた場所だった。
「ッ!」
火と赤ワインが接触する。
「きゃあッ!」
直後、燃え広がる音と肌を焼く熱風が同時に俺と夕菜を叩いた。
「夕菜、大丈夫か!?」
熱さに耐えかね顔を逸らす。俺は腕を交差させ、顔を守りながら叫んだ。
「うん、一応……ね」
業火の向こうから、すぐに返事が返ってくる。
死んでしまったのかと思ったが、二人とも無事なようだった。けれど、いつまでも続くとは思えない。
「どうする……!? 早く火を消さないと……でも、どうすれば!」
そこで消火器が廊下に設置されていた事を思い出した。
それは何年放置されていたのかも分からない危険な代物だが、背に腹はかえられない状況だった。
「ちょっと待ってろ!」
廊下に出て、消火器をすぐさま抱えロックを外す。ノズルを未だ燃え広がる火に向けて、トリガーを引いた。
ブシュッ!!と。
赤色を一時的に埋め尽くす真っ白な粉末が飛び出した。
みるみるうちに消えていった火を確認した俺は、消火器を走りながら投げ捨てる。
直後。
「ーーぐはっ!」
強烈な衝撃が、俺を横から叩いた。
すぐに、俺の近くに木材が落ちてきたのかと思う。
だが、違った。消火器が爆発したのだ。
「……が!?」
そのままの勢いで床を転がり、壁に背中からぶつかった。一瞬呼吸が止まる。
「危ない、避けてぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええッ!!」
夕菜が絶叫した。
その時。
俺の真上から、燃え落ちた一本の大きい柱が降ってきた。強い圧力がかかりへし折れたのか、下を向く切っ先は尖っている。
ーーあんな物が当たったら確実に死ぬ。
そんな中、俺の頭にある言葉が浮上した。
ーー不幸は連鎖する。
ズガンッ!!。
床を叩き、肉を抉る音がした。
目を開けにくくなり、吐血する。空気を吸おうにも、呼吸が出来なくなっていた。
閉じ掛けた瞳で腹に視線を送る。そこには、俺の腹を貫通して紅く染まった柱があった。
ーー結局、避ける事も出来なかった……。
俺の瞳が、完全に閉じる。
消えゆく意識の中最後に思った事は、自分の不甲斐なさによる強い後悔だった。
消さずに残しておくべきだった、と反省しております……。