第二章 変貌者狩り (その3)
デカチーの葬式から、一週間が過ぎた。
日が暮れると活気づく場所がある。
東部の北端。少し歩けば北部の闇市という場所に、多神原唯一の歓楽街はあった。
娯楽の少ない多神原において歓楽街はなくてはならない場所である。治安維持隊にしても、諸々の事情とガス抜きの意味も含めて歓楽街の存在は認めている。つまり『治安維持隊に目をつけられなければ何をしても良い』という状況が、この歓楽街をより華やかに、より過激に発展させているのだ。
毒々しいネオンに照らされた変貌者達の姿は、さながら百鬼夜行を思わせる。
享楽にふける、妖怪達の群れだった。
その歓楽街の一角にそのクラブ――《女郎蜘蛛》はあった。
「本当にあの娘を信用するの?」
クラブ《女郎蜘蛛》の奥に作られた個室で、ナツメはソファに浅く腰かけて言った。反対側のソファで拳銃の手入れをしていた一志は苦笑する。もう何度繰り返したか分からない問いだからだ。
「まだ言ってんのか」
「だって、チーちゃんの墓であんな事した奴を信用なんかできないじゃんか。カチカンっていうの? なんか、あたし達とは違うもん」
弾を七発、シリンダーに込めた一志は懐に拳銃をしまいながらナツメに向き直る。
「俺も信用はしてねえぜ」
「っ!? だったら、」
「だがな。あの娘の言ってる事は恐らく本当だ」
「……どういうこと?」
一志は頭の中で華弥という少女の事を改めて思い返した。彼女が語った、何年も一個所に閉じ込められていた過去。そして行動から推測される心理状態を考察――しかし考えが変わる事はない。
それなりに『人を見る目』はあるつもりだった。
「あの華弥っつう娘には、人を騙すような頭はねえよ。演技なんてもってのほかだろうな」
「どうしてそんな事言えるのよ」
「――なんていうんだろうな。アレは頭の使い方を知らないか、忘れてる奴の顔だ。言葉遣いにしても行動にしてもそうだ。何となくわかんだろ? 一つの事しか見えてなかったじゃねえか。先々を予測して誰かを騙し、物事を自分の思い通りに運ぶ……なんてこたあ、無理だな」
一志の言葉にナツメは押し黙る。墓前での華弥の行動を思い出し『一理ある』と思ったのだろう。だが、それでもナツメは止まらない。
「じゃーさ。誰かに操られてるって事はないの? バカはバカなりに使いようがあるでしょーよ。柳瀬十河か……その片瀬っていう執事が唆してるのかも、」
どうやらナツメはどうにかしてあの健常者を追い出したいらしい。もう理屈がどうのではなく、ただただ健常者が嫌いなのだ。とにかく敵と味方をハッキリさせたくて仕方ないのかもしれない。そしてナツメにとって敵とは《宇宙人》であり、味方は一志達なのだろう。
ここは俺が味方だってはっきりさせねえと、俺まで敵扱いされちまうな。
そう考えて一志は「そうだな」とナツメの言葉を一旦そのまま認める。
途端、ナツメは喜色満面に「でしょ! だから――」と身を乗り出す。
が、一志は「だから、」と言葉を被せて、ナツメの言葉を遮った。
「――作戦の全容はあの娘には伝えなかった。情報だけ引き出して後は黙らせた。その上マサトを監視につけた。だろ?」
そう同意を求めるとナツメは「そうだけど」と一旦は認める。が、まだ宇宙人を追い出す口実を探しているのか、《女郎蜘蛛》の個室中を七つの眼が見渡していた。
と、
「準備、出来たわよ」
ノックと共に、一人の変貌者が現れた。
上品な紫色の和服を着た妙齢の女性。誰もが一目で、彼女こそがここクラブ《女郎蜘蛛》の主であると察するだろう。
何故なら彼女の額には六つの単眼が並び、背には人の腕の二倍はあろう、黒く巨大な節足が四本伸びているからだ。もちろん『高級クラブのママ』に必須の気品と貫禄も備えている。
蜘蛛の変貌者は一本の節足で個室のドアを閉める。
「ありがとう、静佳さん」
一志は立ち上がり、女性――支倉静佳に握手を求めた。
静佳は「これくらい何でもないわ」と一志の手を握り返す。
「頼まれた物も用意しておいたわ。とりあえず無線機を渡しておくね」
「助かります。――それじゃあナツメ。頼んだぞ」
「…………」
ナツメは不満げに、トレンチコートの襟に顔を沈めた。一志が差し出した無線機も受け取ろうとしない。キャスケット帽と襟の隙間から覗く眼が一志を睨みつけている。
「…………なんだ?」
「やっぱり、あたしも一緒に行く」
やはりそう来たか。
一志はバリバリと銀髪を掻きむしりながら、
「話し合って決めた作戦だろうが」
「でもさ、やっぱ一志一人じゃ危ないよ。あたしがいれば誰かが一志の後ろから襲いかかっても気づけるし」
「んなもん、俺の耳があれば大丈夫だ。――なあナツメ」
一志はナツメの目線まで腰を落として、キャスケットの下に隠れる七つの眼を見据えた。
「誰かが見張り役になる必要があるんだ。治安隊に捕まるのは勿論、ヘタに介入されるわけにもいかねえしよ」
治安維持隊は、自衛隊を母体とする多神原唯一の司法組織である。
しかしその権限は非常に限定的であり、要約すれば『変貌者を外に出さない』『多神原内部での健常者の安全を守る』事に特化している。だから変貌者の事はいくらでも逮捕出来るし、『労役刑』を課す事も出来る。労役刑とは勿論、人体実験に協力させる事だ。
だが逆に、健常者に対しては強く出る事が出来ないのだ。『身柄の保護』として拘束する事は出来るが、その後は塀の外の司法機関へ引き渡すだけである。健常者が多神原内部で何らかの犯罪を犯したとしても、それが管理事務局や研究機関に害が及ばない限り捜査活動などもしない。塀の外の司法機関が塀内部で捜査活動をするなんて事も殆どない。
つまり治安維持隊に見つかるという事は、柳瀬十河を塀の外へ逃がした上、自分達は人体実験の材料として殺されてしまうという事。
「ナツメが直接、柳瀬十河を殺したいのは判る。だけどお前しかいないんだ。俺でもマサトでもダメだ、お前なんだよ」
一志は一歩下がり、そのままナツメへ頭を下げた。
「頼む、お前の《眼》を貸してくれ」
「…………」
ナツメは何も言わず、頭を下げる一志の横を歩き通り過ぎる。
その際、一志が持っていた無線機をバシンと奪い取り、
「ばーか」
とだけ言い残して、個室のドアから出て行く。
納得はしていない、という事を示すようにドアは乱暴に閉められた。
と、
「……だんだん、一真さんに似てきたわね」
顔を上げ、ナツメが出て行ったドアを見つめていた一志に、静佳が笑いかけた。
逆に一志は苦々しい表情を浮かべる。
「似てないっすよ。俺は、親父とは違います」
「ううん、やっぱり一真さん自慢の息子だわ」
静佳は心の底から喜んでいるようだった。血は繋がっていないが、一志を息子のように慕ってくれている。その事を一志は噛み締め、更に表情を険しくした。
父である大友一真が《砂》へと変貌してこの世を去る前から、静佳は一志の世話を焼いてくれている。
それは、一志とその父親である一真が、多神原北部を根城にしていたとある武装集団に身を置いていた頃からだ。その組織が内部崩壊した際に、一志の父親はその責任を押し付けられてしまった。敵と身内から命を狙われた二人。その窮地を救ってくれたのが、支倉静佳という女性なのだ。
彼女がいなければ、一志は父親共々、とっくにカシマ組か治安維持隊に捕まり殺されていた事だろう。
それだけの大恩を一志は静佳に感じていた。
だからこそ一志は歯噛みする。俺はこの人に何も返す事ができない。そして、この人は俺から何かを返して欲しいなどと思っていない。もし静佳さんが望む事があるとすれば、俺がこの人を頼りにする事。静佳さんに恩を返し喜んで貰う為には、更に借りを作るしかないのだ。
その事が一志は恥ずかしく、そして惨めに思える。
「ふふ、」
そんな一志を見て、静佳はより一層嬉しそうに微笑む。
「一志くんの考えてる事はわかるつもりよ。でも、一真さんのジャケットを着ているようじゃあ、まだお節介を焼かなきゃいけないわね」
「……静佳さん」
まったく勝てる気がしなかった。一志は開き直って「ありがとう」と諦観の笑顔を返す。
フライトジャケットの下から愛用の《マグナムプラス》を――父親の形見を取り出して顔の前に構える。
「誓います。俺は必ず、あなたが売った恩に復讐を果たす」
「ええ。首を洗って待ってるわ」
言って、二人は笑い合った。
「でも危ない時には逃げるのよ。その作戦、どう考えても一志くんが一番危ないわ」
「そうでもないっすよ。上手くいきます」
「そう願ってるわ。でも、その陽動をする人が失敗したら――」
「大丈夫っす」
一志は拳銃を脇のホルスターに戻しながら答える。
「信用出来る奴に任せてますから」