第二章 変貌者狩り (その1)
友人であるデカチーを殺されたマサト、一志、ナツメの三人は、
デカチーを殺した健常者である柳瀬十河への復讐を決意する――
その日は朝から雨だった。
デカチーの葬式が南部にある多神原湖のほとりで行われた。
マサト達がデカチーの剥製を見つけてから三日後のことである。
シトシトと、拭い去れない霧のような雨が参列者を包み込んでいた。
せめて晴れた日に行おうという話もあったが、これ以上デカチーの遺体をそのままには出来ないという事になったのだ。
参列者はデカチーの両親と弟。あとはマサト達三人に加えて幾人かの知り合いのみ。
行うのは、穴を掘り棺桶を埋めて、墓石を立てるだけの簡単な葬儀。まともな葬儀場も治安維持隊の基地に行けばある。だが、変貌者の遺体を基地へ引き渡すという事は、実験材料にされるという事。そう信じている多くの多神原住民は、身内だけで簡易な葬式を行っていた。
「ありがとう、ございました」
葬式が終わった後、水妖に変貌しつつあるデカチーの両親がマサト達に頭を下げた。
未だ墓の前から動かないデカチーの弟を見やりながら、
「一志くん達がいなかったら、こうして兜を弔ってやる事も出来ませんでした」
「……いえ、俺達は何もできませんでした」
「そんな事ありませんよ。兜は良い友人を持ちました」
デカチーの母親が無理矢理、微笑んだのがわかった。
彼女の言葉に嘘は無いだろう。
だが、だからと言って子供を失った悲しみが紛れるわけではないのだ。
マサト達は何も言わず、傘の下で頭を下げた。
◇ ◇ ◇
参列者が消え、デカチーの両親と弟が帰っても、マサト達はまだデカチーの墓の前にいた。
デカチーも含め四人で立ち話でもするように、墓石と共に円を作る。けれどそれは余計にデカチーがもういないという事をマサト達に実感させた。
少しだけ雨が強くなり、傘を叩く雨音が圧迫感を伴って周囲を包み込む。
「――問題は柳瀬十河の顔を俺達が知らないことだ」
雨音を振り払うように、一志は力強く口火を切った。
「だから、どこかで待ち伏せという手段も取れない。仮にいつどこに現われるかが判ったとしてもだ。本人が名乗りを上げるか、誰かが『こいつが柳瀬十河だ』と紹介してくれなきゃ、同じ席で団子食ってても気づかない」
一志は言葉を切り、マサトとナツメを交互に見てから、
「今のままじゃ、俺達は柳瀬十河を殺せない」
「あの家具屋で待ち伏せしてもダメかな? それなら確実に柳瀬十河だってわかるでしょ」
マサトの提案に、一志は首を横に振った。
「それはないな」
「どうして?」
「健常者の北部立ち入りは禁止されてる。闇市なんて治安維持隊も出入りする場所に柳瀬十河は現われないと思うぜ。たぶん剥製を受け取るのも、金で雇った多神原住民か治安維持隊の下っ端にやらせる予定だったはずだ。浄化作業にかかる時間も考えれば、恐らく塀の外で受け取るつもりだったんだろうさ」
一志の話は筋が通っていた。
特に、浄化作業の事はマサトも聞いている。多神原内部にあった物を塀の外へ持ち出す際に行われる作業だ。変貌症に汚染されている物を《浄化》し、人や動植物が触れても変貌症を罹患しないようにするのだという。この作業中には数週間から数ヶ月という期間を要し、浄化が出来なければ多神原内部へ戻される。その期間中、柳瀬十河が大人しく多神原で待っているとも思えなかった。
だが、となると一つ疑問が出てくる。
「じゃあ柳瀬十河は、どうやって北部まで変貌者を殺しに行くの?」
北部に健常者が入れないとすれば、そこが問題となる。
マサトの問いに、一志は「そんなことか」と拍子抜けした顔で答える。
「西部の森を抜けてくのさ。俺達がこの間、闇市に行く時に使ったあの道だよ。あそこは治安維持隊の検問も無いしな。んで北部で残りの業者メンバーと落ち合う、と」
「じゃあ、そこで待ち伏せすればいーじゃん」
ナツメが苛立たしげに、傘で肩を叩いていた。
「その宇宙人が必ずそこを通るって判ってるなら、何日でも待ってやるわよ」
「それはあまりイイ案じゃねえな」
「なんでよ」
「だからよ、どいつが《柳瀬十河》かわからねえじゃねえか」
「そんなの片っ端から――」
「その中に柳瀬十河がいなかったらどうする? 夜盗が出るだのって噂が立てば、もうそのルートは使われない。それどころか《変貌者狩り》自体がなくなる可能性もある。俺達がチャンスを潰してどうすんだ」
一志の言葉にナツメは押し黙る。
そして話し合いも振り出しに戻った。
どう作戦を立てようと《柳瀬十河》の顔がわからないという事が問題になるのだ。確実にその健常者が《柳瀬十河》だという証拠が必要になる。それらしい健常者を端から順番に殺したりなどすれば、治安維持隊が出てきて一巻の終わりだ。その場で殺されるか、よほど運が良くても実験動物としての一生が待っている。
「そもそも俺達は、柳瀬十河がまだ多神原に残っているのかも確かめらんねえんだぜ? また《変貌者狩り》に来るかどうかもわからん」
一志はバリバリと銀髪を掻きむしり「せめてそこだけでも判ればな」と呟く。
柳瀬十河がどこに居るのかを調べる方法。――何かあるような気がした。
マサトは『何か』の在処を探すように口を開きかける。
が、
「しっ、誰か来る」
マサトを遮って、一志が口元に人差し指を立てた。一志の狼耳が背後に向いている。敏感な一志の耳が、この雨音の中でも何かを聞き取ったらしい。ナツメの眼が、一志の耳が傾く方向へと向けられた。途端、ナツメは眉をひそめる。団子の中に虫が混ざっていた、そんな顔だ。
そしてようやく、濡れた足音がマサトの耳にも届いた。
ここまで近ければ気づかないフリをして様子を窺う事もない。半ば予想はついていたが、マサトは足音の主へと振り返る。
近づいてきていたのは、一人の宇宙人だった。
右手には傘をさし、左手には花束。
ガスマスク型の旧式防護服が、雨の雫に濡れている。
「……私も、花を供えていい、ですか?」
それは、下手をすれば雨音に掻き消されてしまいそうな声だった。
華弥の声だった。
勇気を振り絞った言葉だったのだろう。だがナツメも一志も答えようとしない。そしてマサトも答える事は出来なかった。三者とも、華弥がここへ来た意味がわからなかったのだ。
会った事もない人の死を悼む人間など多神原にはいない。
ここ、多神原においては、するべきではないからだ。
沈黙が幾ほど流れただろうか。
華弥は恐る恐るといった態で一歩踏み出した。マサト達の動きをビクビクと警戒するように二歩目を。三歩目からは止められまいとするように、マサト達の間を縫って足早にデカチーの墓石へと駆け寄る。
気づけば、《宇宙人》と揶揄される防護服がデカチーの墓へ跪き、花を献げていた。
手を合わせ、僅かに頭を下げる。マサトの位置からは華弥の後ろ姿しか見えないが、恐らく目を閉じて悼むように祈っているに違いない。
わけがわからない。僕が識る《常識》に当てはまらない。マサトは困惑する。
と同時に『まずい』とマサトは直感した。すぐさま「華弥さん」と名を呼び、デカチーの墓から離れさせようとしたが――遅かった。
「おいテメエッ!!」
叫び、ナツメが華弥の肩を掴んで自分の方へと体を向けさせる。
そして驚いて固まる華弥を、防護メットごと殴りつけた。
すぐさま一志が二人の間に割って入り、ナツメの肩をガッシリと掴んで抑える。マサトも泥の上に転がった華弥を慌てて抱き起こした。幸い、ガスマスク型の防護メットには傷もなく、華弥自身に怪我もない。状況が理解できていないのか、呆然とナツメを見上げている。
そして見上げられたナツメは、一志の肩越しに怒りを露わにしていた。
「今、テメエ何したかわかってんのか!?」
「……え、」
「なんだよ、その間抜けヅラはっ!」
その怒声に華弥は身を竦ませる。ただ呆然とナツメを見上げたままだ。
それが更にナツメの神経を逆撫でする。
「てめーの都合で墓参りなんかすんじゃねえ! デカチーはあたし達の友達なんんだよ、てめーの友達じゃねえだろが!」
「……そ、そんな、私は……ただ花を」
「黙れ! これ以上あたしの友達を玩具にすんな! デカチーはテメーのままごと人形でもなんでもねーぞっ」
「ナツメ、落ち着け」
再び華弥へ殴りかかろうとしたナツメを一志が押さえ込む。人狼に変貌しつつある一志の筋力は健常者とは比べ物にならない。視力以外は健常者と変わらないナツメに、一志を振り解くことはできないだろう。そう判断し、マサトは苦労しながら華弥を立ち上がらせる。自分よりも身長の高い相手を立たせるのは大変だ。
「なあ、華弥さんよ」
立ち上がった華弥に、一志が声をかける。その声には普段の温かみが消えていた。
相手に理解など求めずただ告げるだけの言葉だ。それこそ、本物の宇宙人にでも話しかけているようだった。
「あんたの行動は塀の外では美談なんだろうが、ここでは違うのさ。俺達からすりゃあんたがしたのはただの自己満足のカッコ付けなんだよ。わかりやすく言や『会った事もない人に花を供えちゃう私って可愛い』って見えんだ」
「……そ、そんなこと、」
「思ってない――よな。そうだよな。そうだろうよ。多分、塀の外も含めりゃ俺達の方が少数派だ。塀の外から見れば、俺達の行動は僻みそのものさ」
一志の言葉にナツメが「僻みって何さっ」と憤るが、一志はそれを笑って受け流す。
それから「ま、当然だよな」と前置きし、
「人間に飼われる人間は《変貌者》だけなんだからよ。――俺等もな、墓は作るし手も合わせる。だが、それ以上は決してしない。それはな、心を整理する道具に死者を使いたくねえからだ。死んだ後くらい何にも束縛されたくねえし、したくもねえからだっ!」
珍しく、一志が大声を出した。
狼の咆哮のような声に、華弥がビクリと身体をすくませる。
「……そこら辺の意味をちったあ考えてみてくれ。あんたに悪気がないのは判るが、だからこそ腹立つんだよ」
にいっ、と一志は犬歯を覗かせるようにして笑顔を作る。
家具屋の店主を殺す時にも浮かべていた、本気で怒っている時の笑顔だ。それを知る華弥は身をすくめ、こくん、と小さく頷いた。
一志はそれを見て「うし」と言って舌打ちする。ようやく苛立ちの表情を浮かべられる程度に怒りを収めたようだった。
「ま、今回はしゃあねえ。ところでよ、一応訊くが花を供える為だけにここまで来たのか? それならもう帰っていいぞ。なにしろ、このままじゃナツメがお前を殺しかねない」
そう言って一志は軽く笑い、ナツメは「先にてテメエを殺す」と言って一志の腹を殴り、マサトも華弥の側を離れた。三人とも、もうこれで華弥が帰ると思っていたのだ。
だから華弥が「……いえ、その」と吃音混じりで話し始めた時には皆が目を丸くした。
「きょ、今日は……その、お願いをしに、来ました」
「……なんだ。お願いって」
「えっと、その、あ――あの、」
華弥は何度も「えっと」を繰り返しお願いを言おうとするが、喉からは中々出てこないようだった。だが逃げるようなことはない。それだけ大切なお願い事なのかもしれない。
そう感じてマサトと一志は気長に待ったが、
「えっと、あの――」
「だから……なんだ?」
さっさと言ってくれ。とマサトは思う。恐らく一志も同じ気持ちだろう。俺達は《柳瀬十河》を殺す方法を考えなくちゃならんのに。一志とマサトが苛立ちを通り越して呆れた頃になってようやく――華弥はそれを口にした。
「父を――――柳瀬十河という男を、殺して欲しいんです」