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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
第一章 宇宙人(けんじょうしゃ)の少女
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第一章 宇宙人の少女 (その3)

 その健常者は何かを探しているようだった。

 右手に持った地図らしき紙に何度も視線を落とし、そのたびに周囲を確認して歩く方角を微修正していく。西部の森には二十年前に自然公園だった名残として、遊歩道らしきものや朽ちた案内板が残されている。健常者はそれを頼りに進んでいるようだ。

 マサトはその後ろを、健常者に見つからないように追っていた。

 普通に声をかければ良かったのだろうが、タイミングを逃してしまったのだ。

 何より、その健常者はとても切羽詰まった様子でもあった。興味本位で声をかける事に後ろめたさを感じてしまう。

 とはいえ、追いかけるのをやめようとは思わない。後をつけるうち、その事自体が楽しくなってしまったのだ。獣道けものみちを辿りながら気づかれないように追いかけるというのは中々に骨が折れる作業だったが、それだけスリリングでもある。不謹慎ふきんしんかもしれないが、娯楽の少ない多神原たがみはらではこうした事は貴重なのだ。

 そうして、十数分後――健常者は目的地へ辿り着いた。

 そこは小さな丘の上だった。丘の頂上を木々が円形に取り囲んでおり、の光がその広場を照らし出している。薄暗い森の中にいたマサトは、急に明るくなった視界に目を細める。

 目が慣れると、腰の高さまで伸びた菊科の野草が繁茂はんもしているのが見えた。

 その奥、

 健常者は広場の中央に立ち、何かを見下ろしていた。

 身体を動かす事に馴れていないのか、肩で息をしている健常者は茫然自失ぼうぜんじしつといったていだった。それが身体が疲れて思考が回っていない為なのか、それとも見下ろしている《何か》が原因なのか。広場の端の木陰に身を隠すマサトからは確かめる事が出来ない。

 どれほどの時間、そうしていただろうか。

 健常者は背負っていたバックパックをドサリと下ろした。ゆらりと視線を落とし、しゃがみ込んでバックパックを探る。

 そうして取り出したのは小ぶりな花束。健常者はそれを《何か》の前に置くと、もう一つ、バックパックからあるものを取り出した。

 小刀こがたなだった。

 まさか本物という事はないだろうとマサトは思ったが、その予想はさやから引き抜かれあらわになった刀身の輝きが否定した。模造刀なら《キャラバン》でもよく見かけるが、あれは本物だ。以前、一志かずしと共に北部の闇市で見た刀と同じ輝きだった。

 それを、

「ッ!」

 健常者は自身の首元に突きつけた。

 狙いを定め、腕を思い切り伸ばし、振り下ろす――

「ま、待てッ!」

 ――直前、マサトは叫び、駆け出した。

 マサトが追ってきているなど知るよしもない健常者は、そのひと声で動きを止めた。

 健常者が声の主を探して防護メットを左右に振る。防護メットは、ガスマスクの形をした旧式のもの。故に視界が狭いのだろう。健常者はマサトが小刀へ飛びかかった段階で、ようやくマサトの姿を認めたようだった。

 健常者が驚いて身を引く。――それが良くなかった。

 小刀の切っ先がマサトの鬼面きめんを向いたのだ。

 けれど避けようもない。既にマサトは、健常者を取り押さえる為に地面を蹴った後だ。

 ドサリ、とマサトは健常者を巻き込んで地面に倒れた。

「だ、大丈夫!?」

 先に身体を起こしたのは、マサトの下敷きになっていた健常者の方だった。健常者は小柄なマサトと比べて二回りは背丈があった為、体当たりくらいではどうという事はないらしい。

 それよりも問題は、健常者の声が琴を弾いたように透き通る、少女のものだった事。

 少女を押し倒していると気づいたマサトは慌てて身を起こす。

「大丈夫。へいきですっ」

 咄嗟とっさに首を捻ったのが功を奏したらしい。マサトはどこにも小刀が刺さっていない事に胸をなで下ろした。

 が、

「――――え?」

 健常者の少女が、情けない声を出した。

 マサトは意味がわからず、少女が被るガスマスク型の防護メットを見る。

 その少女が、ガスマスクの向こうで『ありえないものを見た』と言わんばかりに目を見開いていた。夜空を思わせる、吸い込まれそうな綺麗な瞳。

 だが、そんな事はどうでも良い。

 ガスマスクのガラス部分に、マサトの顔が映り込んでいた。

 けれどそこには、あるはずの鬼面きめんがない。どうやら、ぶつかった衝撃で鬼面が外れてしまったらしい。

 マサトの人間うちゅうじんの顔が、露わになっていた。

 慌てて、手で顔を隠して少女から距離を取る。

 見られてしまった。

 見られてはいけないものを、見られてしまった。とマサトは思う。

 しかし、よくよく考えてみれば相手は健常者の少女である。恐らく、マサトが《人間の姿をしている》という事の意味もよく分かっていないはずだ。向こうからすれば、意外に思う程度でしか無いだろう。人間うちゆうじんの姿をしている事を気にするのは、多神原たがみはらの住民だけだ。今すぐどうこうという事はない。

 しかし、その辺りの事情を知らない少女が多神原たがみはら住民に言いふらさないとも限らない。そうなった時、一志かずしやナツメがどんな態度を取るだろうか。もちろん説明を求めるだろう。だがマサトには答えられないのだ。記憶を失っているマサトには、何故自分が人間の姿をしているのか説明できない。

 つまり――今ある居場所を、この少女が奪いかねない。

 自殺なんて止めなければ良かった。

 マサトの腹の底から、そんな薄暗い感情すら湧いてくる。

 この娘も真剣に考えた結果が《自殺》という行動だったのだろう。人間なのだから、自分で考え自分で行動するものだ。当たり前だ。少なくとも一志かずしもナツメもデカチーも、そしてマサト自身もそうしている。そして行動の責任は自分自身が負うものだ。

 だから《自殺》という行動の結果を少女は受け止めるつもりだったはずだ。

 けれど、

 それを言うならば《自殺を止めた》という行動の結果も、受け止めなくてはならない。

 自然と、小刀を探していた。

 小刀は少女から数歩離れた場所に、マサトの鬼面に刺さった状態で転がっていた。マサトは小刀に近づき、鬼面ごと小刀を拾う。――と、そこでマサトはあるものに気づいた。

 鬼面と小刀が落ちていた場所。野草に囲まれるようにして埋もれていたソレ。

 それは大きな平岩だった。平岩は縦に地面に突き立てられ、文字が掘られている。

 ――《牧ノまきのはら 緋衣あけぎ》――

 素っ気ない一文。その前には、少女が置いた花束がる。

 それだけで、これが《牧ノまきのはら緋衣あけぎ》という人物の墓だとわかった。

 マサトはこの少女が墓参りに来ていたのだと悟る。そして、そこで死のうとしていた。マサトが手に持つこの小刀で。

 小刀が、マサトの素顔を映している。

「それを、返して、下さい」

 声に振り返ると、少女が立ち上がっていた。

 その身長はマサトよりも二十センチは高い。マサトの低い身長から考えて百七十センチ程度かそれ以上。この位置からでも見上げるような形になる。

 お陰で、とんでもない事に気づいてしまった。

 冷や汗がどっと溢れる。

 マサトは少女の頭よりも更に上を見つめて、ようやくの思いで首を横に振った。

「早く……返して」

 切羽詰まった声で少女は手を伸ばす。マサトに近づくつもりは無いらしい。

 しかし返すわけにはいかなかった。

 元より、簡単に返すつもりはなかった。せっかく助けた少女に自殺されては困る。

 ――だが、そんな事よりも。

 そんな些細な事よりもヤバイものを見つけてしまった。

 いや――見つかってしまった。

「いいから、返してよッ!」

 その瞬間。

 少女の真横に、巨大な杭が打ち込まれた。

 その杭は少女の長身よりも更に高く、二メートルは優に超えていた。昆虫のような深緑の甲皮に覆われ、点々と赤紫のまだら模様が描かれている。

 しかもそれは一つだけではなかった。『バスン、バスン』という轟音と共に次々と、少女の背後に同じような杭が打ち込まれる。ミチミチと、重いものを引き上げる筋肉の悲鳴が響く。

 そうして、化物が現れた。

 マサトは小刀を構える。

 今、小刀を返すわけにはいかない。手にした武器を手放せるような状況ではないのだ。

 少女が、恐る恐る背後を振り返る。

 そこには巨大なアケビがあった。

 中に人が五人は入れるほど大きい、卵型の紫色をした果物だ。縦に切れ目の入ったアケビは、同じく巨大な睡蓮すいれんの台座に支えられ、葉の隙間から十数本の昆虫の脚が生やしている。その巨体は、下手をすればプチ以上だった。

 変貌者へんぼうしやだ。

 少女が腰を抜かし、その場にヘタリこんだ。

 マサトはすぐに助け起こしたい衝動に駆られたが、やっとの思いでその場に踏み止まる。

 下手に動くわけにはいかない。

 目の前の変貌者へんぼうしやが、一体どうマサトと少女を認識しているのか判らないからだ。

 変貌者へんぼうしやは殆どの場合、人間の脳を残して肉体のみが変貌していくらしい。そのせいか見た目通り――もしくはそれ以上に危険な変貌者へんぼうしやはそうは多くない。少なくとも話は通じる。この変貌者もそうならば、下手に刺激するような事はせずに会話を試みるべきだろう。

 だが、人間の脳がそのまま残っているという事は、ある危険性をはらんでいる。

 肉体が変貌していく痛みや、変貌後の異様な感覚によって、精神を破壊される危険だ。

 目の前の変貌者へんぼうしやは原形を留めないほど変貌してしまっている。

 その時、人間の心はどうなってしまうのかマサトには想像もつかない。

 下手をすれば、マサトと少女を《えさ》と認識している可能性もあるだろう。

「――――」

 ミチミチと音を立てながら、巨大なアケビが昆虫の脚を折り曲げた。呆然とアケビを見上げる少女へ、ゆったりと巨体を引きずり寄せていく。ミチミチと、アケビの割れ目が巨大な口のように開かれていった。

 我慢の限界だった。

 マサトは少女の側へと駆けた。その瞬間にも、アケビは口を広げて少女へと近づけている。これだけの速度しか出せない自分が恨めしい。一志かずしのような狼の脚力が欲しかった。

 アケビの口が完全に開く。

 マサトが少女の下へ駆けつけたのは、丁度その瞬間だった。

 そしてマサトはアケビの中身を見た。

 そこにあったのは、巨大な老婆の頭だった。

 しわくちゃの肌に、すっかり色が抜けてしまった白髪が貼り付いている。死人のような顔だった。なのに、その双眸そうぼうは力強く開かれており、半開きの口からは不気味なほど白い歯が整然と並んでいる。

「……《大食い婆さん》か」

 何が眉唾だ。しっかり居るじゃないか。しかも中央禁区ちゆうおうきんくまでまだ距離があるというのに。

 マサトは少女を抱き起こした形のまま動けない。マサトの身体ほどもありそうな、巨大な二つの瞳に見据えられ、身体が石になったようだった。右手に握り締めた小刀など、糞の役にも立ちそうにない。

「――――ぁ」

《大食い婆さん》が口を開き、うめき声をあげた。

 何か、言おうとしているようだった。

 眼前で開いた巨大な口を前にして、マサトの膝がガクガクと震え始める。

 そして、

「――――おや、正人まさとかい?」

 《大食い婆さん》は笑った。



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