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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
第五章 ヒトになるまで待ちましょう
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第五章 ヒトになるまで待ちましょう (その2)

 華弥かやがまず知ったのは『全て無意味だった』という事だ。


 多神原たがみはらへの移送中。防護服姿の自衛官が華弥へ問いかけたのだ。

 何故あのとき逃げたのか――と。

 当然、華弥は父である十河とうごから逃げる為だと答えた。

 すると隊員はいぶかしむように眉をひそめた。

 ――柳瀬やなせ十河とうごが逮捕された事を知らないのか?

 今度は華弥が問う番だった。十河が逮捕されている? いつ? どこで? 誰に?

 隊員は華弥を不憫ふびんそうに見つめながら話してくれた。

 華弥とマサトが逃げ出したあの日。片瀬かたせに助け出された十河は、警察へ通報。「養子にしていた子供が友人を殺してその娘を誘拐し、逃げる際に自分を刺した」と説明した。書類上、既に華弥はその警察官僚の養女である事になっていたし、マサトの血痕けっこんは十河と争った時のものと説明すれば何の不都合もなかった。

 しかし事態は、十河が刀傷の治療を受けた事から一変する。

 手術台に載せられた段階で既に、内臓の一部にまで届いていたはずの刀傷が治りかけていたのだ。そして不審に思った担当医が念のためと思い《変貌症へんぼうしょう》の検査を行った。

 結果は――陽性。十河は即座に拘束され《多神原病対策室》へと身柄を引き渡された。

 塀の外へ多神原病が漏れるなどこの二十年なかった事だった。混乱を避ける為、警察と対策室は協力して箝口令かんこうれいを敷き、十河が所有する全ての屋敷を封鎖。屋敷に務める人間全員を検査の為に隔離した。一時は第二の多神原保護区の誕生すら危ぶまれたが、幸い十河の他に《変貌症》にかかっていたのは、十河とうごの応急処置を行った片瀬かたせという男だけだった。

 ――が、代わりに十河の様々な犯罪が明らかとなった。

 恐喝や詐欺などは常日頃から。人身売買や殺人までごく当たり前のように行っていた事が、柳瀬家に務める人間の証言から判ったのだ。彼らも普段であれば、十河の粛正しゅくせいを恐れて口を閉ざしていただろう。しかし十河が変貌者として拘束されていると聞いた事で、彼らの口は軽くなった。変貌者になってしまったのであれば、それは裁判なしで刑務所行きが確定したようなものだからだ。ある意味で世界最大規模の刑務所と言える、多神原の『塀』の中へ。

 そうして十河は逮捕され、翌日には報道もされた。

 しかしこれは相当に脇の甘い対応である。当然、十河の《変貌症》罹患りかんについては伏せられたものの、本来ならば全てが終わったのち十河の逮捕も含めて『全ては多神原たがみはら保護区ほごく内部で起った事』として発表するべき所である。万が一にも『変貌症の流出』は世間に知られてはならない。可能性だけでも、国内の混乱だけでなく国際的な日本の立場への影響も考えられるのだ。

 それでも逮捕報道を許したのは、逃避行を続けるマサトと華弥を見つけ出す為である。

 十河と関わりの深かった彼らは《変貌症》に感染している可能性があった。無論、使用人達が感染していないことから可能性は低いものと思われていた。だがそれでも、早急にマサトと華弥が《変貌症》に感染しているか確かめなくてはいけない。しかし二人を《多神原病患者》として指名手配などするわけにはいかない。だが、万が一感染していた場合を考えると放置も出来ない上、何も知らない一般人や捜査員への伝染も考えられる。

 二人の対処についての議論は紛糾ふんきゅうした。

 そのとき誰かが言ったのだ。

『十河が潜伏期間なら彼らが感染している可能性も、やはり低いのではないか。

仮に感染していても、やはり潜伏期間だろう。大げさに動けば逆に怪しまれる。何かあるのではないかと、と』

 誰かが続いた。

『なら、彼らが自主的に出てくるのを待ちましょう。十河が逮捕されたと知れば、自分から名乗り出てくるのでは? 十河逮捕を下手に隠すと彼らもずっと隠れたままだ』

 そうして十河の逮捕は報道された。

 連日連夜の大スクープだった。警察から小出しに公表される罪状についてだけで、一週間もの間マスメディアの腹は充分に満たされたほどだ。

 しかしマサトと華弥が十河の逮捕報道を見ることは最後までなかった。

 二人が辿っていた山道のどこにも、テレビもラジオも新聞もインターネットもなかったからだ。

 その後の話は、華弥も知っているようなものだった。

 十河の逮捕から一週間以上経ったその日。『マサトと華弥らしき二人組をスーパー銭湯で見かけた』という目撃情報が入り、その後すぐ、飯塚いいづかという運送業者のトラックに二人が便乗している様子が《自動速度取り締まり機(オービス)》によって撮影されているのが見つかった。そうして遂に、横浜の遊園地で二人を発見したのだという。

 つまり、逃げ回る必要などまるでなかったのだ。

 さっさと警察にでも保護を求めていれば、マサトと二人で安心して過ごせたのだ。確かにマサトや私は多神原へと移送されてしまったと思う。しかし華弥としては、マサトと二人で過ごせればどこだって良かったし、むしろ、しがらみから解放されて気楽だったと思う。もしかしたらマサトが変貌症を悪化させたのは、逃避行での疲労がたたったからかもしれず、だとすればさっさと多神原へと戻れば今もマサトは隣で笑っていてくれたかもしれない。

 なんて、私はバカな行動をしていたんだ。

 こらえきれなくなり、身体を折って思い切り泣いた。

 それを見た防護服姿の自衛隊員はなぐさめるような声色で、

「大丈夫だ、幸いな事に君達に接触した誰にも《変貌症》は伝染してない。君はまだ潜伏期間だったし、マサト君が放出していた《t要因》も検出できないほど微量だったようだ。安心したまえ」

 と、まったく的外れな事を言った。

 いや、彼らにとってはそれこそが重要なのだろう。

 彼ら健常者は《変貌者》を自分達とは違う何かだと思っている。だから健常者の立場でしか考えられないのだ。

 身体を起こし、変貌症へんぼうしょう防護服ぼうごふくのヘルメットを見上げた。

 その時、華弥にもようやく彼らが宇宙人に見えた。



◇ ◇ ◇



 東部の店に行こうと考えていたはずが、気づけば多神原湖たがみはらこのほとりへ辿り着いてしまった。

 何も考えないよう、何も見ないよう、ひたすら逃げるように歩き続けた結果だ。

 この一ヶ月で忘れかけていた事を、出島でじまという男のせいで思い出してしまった。

 華弥かやは右手に握り締められた木偶人形をみやる。

 球体関節で四肢を繋がれた、簡素な作りの、何の変哲もない人形だ。足の裏側に『マサト』と彫られている以外は。つい一ヶ月前までは言葉を話し、笑い合える人間だった事以外は。

 華弥は全身が痺れるような感情を覚えた。

 それを、奥歯が割れるほど噛みしめる事で押さえつける。

 何も考えないよう、何も見ないよう、逃げるように記憶ごと木偶人形をナップザックへとしまう。

 ナップザックの中にはなけなしの配給券以外にも、鬼の仮面や朱色の鞘に納められた小刀が入っている。特に小刀は護身の為だ。こちらが武器を持っているのを見せるだけで解決できる揉め事もある。柳瀬やなせ十河とうごの娘である華弥が外出する際には、どうしても必要なものだった。

 ナップザックの口を閉じ、『さてどうしたものか』と華弥は周囲を見回す。

 突然、この場所に放り出されたような心境だった。

 押さえつけた感情と共に、出島や木偶人形の事はすっかり頭の中から抜け落ちている。ここ一ヶ月で華弥が身につけた『現実から目を逸らす技術』の成果だ。都合の悪い事は忘れてしまうに限る。

 そして目に入ったのは、多神原湖のほとりにある小さな墓だった。

 その墓は華弥がいる場所から五分ほど歩かねばならない程度には離れている。が、周囲に何もない多神原湖では、その小さな構造物は浮いて見えた。

 珍しい、こんな所に墓なんて。華弥は首を傾げ――そこに近寄る影に気づき、それが誰の墓であるかを思い出した。

 その小さな墓へ近づくのは三人の変貌者へんぼうしゃ

 一人は銀髪の頭に狼の耳を持ち、その横には小柄な身体を男物のトレンチコートとキャスケットで覆い隠した少女、そして異形そのものの変貌者。

 一志かずしという名の少年と、ナツメという名の少女。その後ろに、どこかで見た小さな変貌者が続いていた。

 つまりあの小さな墓は、彼らの親友であったデカチーという少女の墓なのだ。

 三人は墓へ歩み寄ると、花束を置いて、短く祈る。それが終わると『じゃ、またな』とでも言うように軽く墓へ向かって手を振り、去ってしまった。驚くほどあっさりした墓参りだ。

 声をかける間もない。いや、三人があの場に留まっていても声はかけられなかっただろうな、と華弥は独りごちる。だって――、


 『理由は考えてはいけない』と誰かが言った。


 ――――そういえば。華弥は一志という青年が言っていた言葉を思い返す。 

 死んでまで縛られたくないし、縛りたくもない。確か、一志という青年はそんな事を言っていた。彼らはそれを実践しているのだろう。

 かつて華弥はあの墓の前で、ナツメという少女に殴られた。

 今なら、少しだけ自分を殴ったナツメという少女の気持ちもわかる気がした。形だけの同情など向けられても不快なだけだ。例え相手には悪気がないとしても、だからこそ許せないという事もある。あの時、私が逆の立場であったなら、殴りこそしなかっただろうが「何も言って欲しくない」と相手を睨みつけただろう。

 ふと、腹の底から湧き上がるような痺れを感じた。

 危ない、どうにも情緒不安定だ。何かをしていないとマズイ。

 華弥は自身がすべき事を考え、思いつく。


 そういえば、母様の墓参りしてないや。

 


◇ ◇ ◇



 西部の森はいつか来た時よりも歩きやすい気がした。

 あの時とは違って防護服を着ていないお陰だろう。あのガスマスクのような防護メットは息苦しかった。どうして片瀬はあんな旧式防護服しか用意してくれなかったのか。嫌がらせだろうか。

 とはいえ、一ヶ月もろくに動かしていなかった身体は突然の重労働に悲鳴を上げていた。山道を歩いているだけで息が弾み、息が白いもやとなって華弥の背後に流れていく。

 もう暦の上では十二月。

 しかも多神原の冬はこれからが厳しいらしい。

 だというのに、墓の周囲には一面に紫色の花が咲き乱れていた。

 華弥の肩まで届く背の高い茎の先に、小さな薄紫色の花が寄り集まって咲いている。それが華弥の母親――牧ノまきのはら緋衣あけぎの墓の周囲を囲むように繁茂はんもしているのだ。以前来た時にはここまで背は高くなかったし、数もここまで多くはなかった。恐らく変貌症の影響なのだと思う。ここは中央禁区ちゅうおうきんくの外縁部にあたる。《t要因》の濃度も他の場所より高いのだろう。

 異様な光景だった。

 しかし不思議と嫌悪感は抱かなかった。

 その紫色の花達が、紫苑の花が、母親を守ってくれているように華弥には感じたのだ。

 華弥はその花をかき分け、《牧ノまきのはら緋衣あけぎ》と彫られた墓石へと辿り着く。

 不思議な事に、墓には既に花束が供えられていた。

 華弥は首をかしげる。この墓を知る人間はもう私しかいないはずだけれど。もしかしたら初めてここへ来たあの日に供えた花束だろうか。普通に考えれば何ヶ月も保つはずがないが、中央禁区に近く《t要因》の濃いこの場所ならばあり得るのかもしれない。

「母様、お久しぶりです」

 華弥はひざまづき、傍にあったまだ背の低い紫の花を摘んだ。何ともぞんざいな気もするが、花束を買う配給券が無いのだからどうしようもない。まあ母ならむしろ『華弥らしい』と苦笑して許してくれるだろうと納得する。

 元からあった花束の横に紫の花を添えて、手を合わせ祈った。

 途端に、華弥は焦った。

 母の墓に何と声をかけて良いかわからなかったのだ。

 こういう時には墓に向かって何か語りかけるものだ。故人に対して届けば良いなという願いを込めて、何かを語りかけるものだ。早く何か言わないと、止まってはいけないのだから、何かしていないと、そうしないと――――、

 そうだ、こういう時には近況報告をするものだ。

 墓穴を掘った。

 自分自身について語ろうとして、記憶を探ってしまったのだ。


「――――ぅぁあぅぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」


 限界だった。

 何も考えないようにする事も、何も見ないようにする事も、ひたすら逃げ続ける事も、これ以上続けられない。そんな気力は爪の先まで探しても残ってやしなかった。

「ぁぁあああああああああああぅううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううぁあぁぁ――――――ッ」

 一ヶ月もの間、ずっと腹の底に溜めこんできた感情が、声にならない何かになってとめどなく溢れ出してくる。いくら吐き出しても止まらない。腰を折って地面に手を突き、嘔吐おうとするように声を吐き出し続ける。

「や、だ」

 もう何もかもが嫌だった。

 なんで生きていなければいけないのだ。

 頭から生ゴミぶちまけられたり、呪詛じゅそが書かれたチラシをポストから溢れるほど詰め込まれたり、窓を投石で割られたり、出かけている間に家具を全部叩き壊されたり、金属バットを持った少年達に待ち伏せされたり、親だの友達だののかたきと言って刺されたり、誰かが襲ってきやしないかと部屋のすみで震えながら徹夜し朝陽あさひが昇るのを見てようやく眠るような生活をなんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで――――続けなくてはいけないのだ。

「いゃだ、よお……。もう、い、いや、えぐっ、いやだ……もう嫌なのぉっ!!」

 衝動的にリュックサックの中身をぶちまけ、朱色の鞘に収まっていた小刀を抜く。

 首筋に添え、勢いよく引き斬ろうとして――それが目に入る。

 何の変哲もない木偶人形。

 足の裏側に『マサト』と彫られた木偶人形。

 華弥の手から小刀がこぼれ落ちた。

 生きていなくてはならない理由はあった。

 忘れていた。

 マサトに嫌われたくないからだ。

 もう二度と、マサトに「気に食わない」などと言わせたくないからだ。

 そんな気持ちをマサトに抱かせたくない。マサトは不器用だから、他人を『気に食わない』と思う自分はクズ野郎だのと言い出しかねない。自分自身を罵倒しながら生きるような真似をこれ以上マサトにさせてはいけない。――例え、もうマサトが死んでいたとしても。

 それは、多神原たがみはらに来たその日に決めた事だったはずだった。

 何があっても生きていこうと決めたはずだった。

「ごめんなさい、忘れてた」

 華弥は地面に放り出されたままの木偶人形を拾い上げ、抱きしめる。

 木偶人形は小さくて固くて冷たかった。赤ん坊ほどの大きさもなく、ひと肌の柔らかさもなく、温もりもない。

 当たり前だ。ただの人形なのだから。

 なのに、

「え、」

 パシリ、と。

 木偶人形の手が不器用に華弥の頬をぬぐった。

 ギクシャクしていて、まるで水を通して跳ねるホースのような動きだったが、確かに木偶人形が華弥の頬をはたくように、涙を拭ったのだ。

 呆然と、手の中に収まる人形を華弥は見つめた。

 しかし、それきり木偶人形はぴくりとも動かない。

「――マサト?」

 呼びかけたが、何の反応もない。

 じっと見つめる。

 何故、動いたのだろう。取り乱して、人形を揺さぶったりもしなかったのに。

 じぶん自身でも不思議なほど、華弥は冷静だった。

 なんとなく判ったのだ。

 これは、最後のチャンス。

 何のチャンスかは判らない。しかしこれは感情に任せた行動で逃してはいけない。必ずものにしなければいけない。人形が動いた理由を考えなくてはいけない。

 抱きしめた拍子に木偶人形の腕が振り回されたのだろうか。いや違う。私はそっと抱きしめたはずだ。では球体関節のどこかを強く握り締めたせい? いやだからそっと抱きしめたはずでしょうに。髪が引っかかって腕を引っ張ったのでは? それも違う。

 つまり、そういった普通の理由ではないのだ。

 だから見方を変えなくてはいけない。自分の知識の中から使えそうなものを利用して、何が起ったのか判断しなくては。その知識も普通とは違う使い方をしなくては。関係のない事柄を繋ぎ合わせて手がかりを探さなくては。

 華弥はじぃっと、マサトの人形を見つめたまま思考する。

 はたから見れば、異様な光景だったかもしれない。

 深刻そうに眉根を寄せた少女が、木偶人形を見つめたまま五分も十分もぴくりとも動かないのだ。長いだけでボサボサの黒髪は振り乱され、衣服はよれよれの泥だらけ。近寄って見れば瞳孔どうこうも開いていたし、呼吸もろくにしていなかった。死んでいると思われても仕方がなかっただろう。

 幸い、華弥を見守るのはやたら背の高い紫色の花だけだった。

 そうして二十一分と三十六秒間たっぷり考え抜いた華弥は唐突に顔を上げ、立ち上がる。

 そして、どこかへ向けて走り出した。

 


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