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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
第五章 ヒトになるまで待ちましょう
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第五章 ヒトになるまで待ちましょう (その1)

 外に出ようと思った。

 理由は単純で、お腹が減ったのだ。買い溜めていたレトルト食品の残りは、昨日の朝で消えている。首を横に転がすと、カーテンの無い窓から朝陽が射し込んでいた。つまり丸一日何も口にしていないことになる。もう一日くらいなら我慢できるが、それをやると身体も頭もまともに動かなくなってしまうし、やはり今日買い出しに行かなくては。

 そう結論して、華弥かやはようやく無骨なシングルベッドから身体を起こした。

「……ん、」

 視界を格子こうし状にさえぎる影。華弥自身の前髪だった。

 ここ最近、髪が異様な速度で伸びている。もちろん伸びたのは前髪だけでなく、後ろ髪は立ち上がると足首をくすぐるほどの長さだった。つい一ヶ月前までは背中に届く程度たったのに。

 恐らく変貌症へんぼうしょうの影響なのだろう。

 華弥はゆらゆらと覚束おぼつかない足取りで、六畳1Kの部屋を横切っていく。

 ふと立ち鏡が目に入った。前の居住者が忘れていった物だ。

 映っているのは伸ばし放題でボサボサの黒髪と、痩せ細った肢体(したい)を下着だけが覆った姿。目はうつろで大きなくままである。

 まるで怨霊おんりょうだった。

 これじゃあ監禁されてた時と何も変わらない。そう華弥は自嘲じちょうする。これを自分だとは思いたくない。まさに骨と皮だけだ。

 しかしお陰で、自分が下着だけだと気づけた。

 外に出るにはまず服を着なくてはいけない。部屋の中は暖房で温かいが、寒空の下をこんな姿で出歩いては風邪をひいてしまう。華弥はダンボールから入居した時から入れっぱなしのジーンズとセーターを取り出す。風呂にも入るべきかと思ったが面倒なので諦め、そのまま袖に腕を通した。

 よたよたと、玄関へと向かう。

 玄関脇の小さな下駄箱の上には、入居する際に支給された配給券の残りが無造作に置かれている。数えると、どうにか今日の食事は買えそうだった。渡された時に「これは二週間分だ」と説明されたが、よくもまあ今日まで保ったものだと思う。早く検診けんしんを受けて配給券を貰わなくてはならない。

 次の検診日はいつだろう。

 華弥は配給券と一緒に放り出されていた卓上カレンダーをめくった。

 こよみは十二月。

 多神原たがみはらへ送られてから一ヶ月が過ぎていた。



   ◇ ◇ ◇



「おっと」

 押し開けたドアの向こう側で声がした。

 どうやら部屋の前に誰か居たらしい。華弥かやは半開きのドアからゆるゆるとアパートの廊下へと出る。

「……すみ、ません。気づかなかった、です」

「あ……、ああ。いやいや。良いんだ、自分もうっかりしていた」

 そうほがらかに笑ったのは、変貌症へんぼうしょうの男だった。

 いや、朗らかと言ってよいものか。

 男の右顔面には、鉄で出来た骨格が剥き出しになっていた。有り体に言えば、ロボットかサイボーグの顔だ。『朗らかに』笑ったせいで、むしろ恐ろしい形相である。華弥は昔母親と見た未来から殺人マシーンがやってくる映画を思い出した。

「ん? ……ああ、恐がらせちゃったかな? 気にするなってのは無理だろうけど、新手の義肢ぎしか何かだと思ってくれ」

 そう頬をく手も、鉄へと変貌した骨格が剥き出しになっている。恐らく右半身の全てが変貌しているのだろう。珍しい変貌の進行の仕方だと、多神原に来たばかりの華弥でもわかった。

「ところで、君。柳瀬やなせ華弥かやちゃん――だよね?」

「…………、」

 思わず身構える。

 《柳瀬》の名前に多神原たがみはらの住民は良い印象を持っていない。

 南部の外れにあるこのアパートにやってくるまで嫌がらせは飽きるほど受けた。殺されかけた事だってある。だから誰も寄りつかない治安維持隊ちあんいじたい基地近くのアパートにやって来たのだ。

 男は華弥の名前だけでなく、その辺りの事情も理解しているらしい。すぐさま取りつくろうように「ああ、大丈夫。君の居場所は管理事務局の人間以外知らないよ」と微笑んだ。

「自分は事務局の現地協力員みたいな事をしてるんだ。以前、治安維持隊にいた縁でね。君、まだ一度も定期検診に行ってないだろう? 様子を見てこいって上から言われたんだ」

 はい、これ身分証。男はそう言ってIDプレートを差し出す。

 華弥は眉をひそめた。何度か聞いた覚えのある名が書かれていたのだ。

 そこに書かれていた名は、

出島でじま――さん?」

「ん?」

 IDから視線を上へと戻す。が、そもそも顔など知らない事を思いだした。

 華弥は恐る恐る問う。

「生きて……たんですか?」

 出島はあごに手を当て「……もしかして《大食い婆さん》の家にいた子?」と聞き返す。

 華弥が頷くと、出島は破顔した。

 華弥の手を、人間と機械の両手で包み込み、

「いやあ、良かった! 君こそ、無事だった――と言っていいかわからないけど、いや、命あっての物種だからねっ。《大食い婆さん》から逃げられたのか、いや、本当に良かった!」

 あまりの喜びように、華弥は少なからず気圧される。だが華弥としても死んだと思っていた人間が生きていたというのは喜ばしい事だった。「生きていて良かった」と繰り返す出島に「ええ、お互いに」とだけ返す。

 だが聞いてみれば、出島の生還の過程は手放しで喜べるようなものではなかった。

 あの時、出島は《大食い婆さん》の一撃で右半身のほとんどを文字通り潰されたのだという。しかも、そのままの状態で一週間ほど生きていたらしい。「ちょっと痛かったけどね」と出島は笑うが、華弥は正直笑えなかった。その痛みを想像したくない。

 そもそも何故、左半身だけで生きていられたのか。

「いや、場所が良かったというか……あそこは幾つかある《噴火口》の一つなんだよ。俗に言う《t要因(ティーよういん)》の濃度が高いから、防護服が破れただけで潜伏期間なんかすっ飛ばしていきなり発症してね。『変貌症患者は負傷を変貌によって治癒させる』って言うだろ? いや全く運が良かった、変貌したのが人工臓器を持ったサイボーグで」

 わっはっは、と笑う出島。

 華弥もつられて、少しだけ頬がゆるむ。

 が、

「これがサイボーグじゃなくて、ただの人形か何かに変貌していたら、今ごろ死んでいたよ」

 その言葉で華弥の表情が、笑顔のまま凍った。

 出島はその変化に気づかず続ける。

「そういえばマサトくんは? 今どうしてるのかな?」

 意地の悪い事を思いついた。

 出島に悪気がないのはわかる。

 ――だが、そういう理屈で処理できる感情ではない。

 華弥は「ああ、少し待っててください」と言い残して、部屋の中へと戻る。そしてベッドの上に残されていたものを持ってきて、出島に見せた。

 木偶でく人形にんぎょうだ。

「マサトです」

「――――――、」

 華弥の一言で、出島は全てを察したらしい。

 自身の失言についても。

 元は治安維持隊だったのだから、無機物に変貌して死んだ人間も沢山見てきたはずだ。

「あ……いや、何と言ったらいいか――――」

「何も言って欲しくありません」

 それだけ言って、華弥は出島を背後に残しアパートを後にした。

 自分でも嫌な女になったと思う。


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