第一章 宇宙人の少女 (その2)
「バイクの調子が悪いんだよ」
今朝方、プチを連れた一志が放った第一声である。
一志は益打屋の団子に釣られて出てきたマサトとナツメを前にして、
「色々試してみたけどよ、多分モーターがいかれたんだと思う。けどよ部品丸ごと代えんのは次のキャラバンが来るまで無理だろ? となるとデカチーに頼むしかない」
「チーちゃん、そんな事まで出来るの?」
遠慮無く団子を追加注文してからナツメが訊いた。
「ああ。アイツにみて貰ってからのバイクは別モンだよ。天才だなデカチーは」
「それで、何で僕らは呼ばれたのさ?」
「そりゃ決まってんだろ。デカチーを捜すんだよ」
前金は受け取っただろ、と一志は山と積まれた串を指差す。
そういう意味か。いきなり益打屋の団子を奢るなんて気前が良いとは思っていたが。
「別にあたしはいーけどさー、ヒマだし」
四十三本目の団子を平らげたナツメは一志の隣へと七つの眼を向ける。
「なんでプチも?」
「おいおい、それも説明すんのか?」
一志は狼耳の後ろを掻いて、少し呆れたように、
「プチにデカチーの匂いを辿らせるんだよ。コイツなら二週間前の匂いも分かるからな」
◇ ◇ ◇
そして、辿り着いたのは多神原西部に広がる森林地帯だった。
多神原の四分の一を占めるのがこの森であり、多神原の中央から西へほぼ扇状に広がっている。多神原が保護区として隔離される前には自然公園として人通りもあったらしいが、今ではまず足を踏み入れる者はない。
そんな事をするのは、デカチーくらいのものである。
「プチ、ダメか?」
一志の問いに、地面の匂いを巨大な掃除機のように吸い込んでいたプチが顔をあげた。一志の言葉を肯定するように、困惑した表情を浮かべている。
流石に二週間も前の匂いを嗅ぎ分けるのは難しいらしい。人間しか通らないような場所ならまだしも、この森には変貌症に罹った野生動物も多く住んでいる。それだけ様々な要素が加われば、プチでも無理だという事なのだろう。
マサト達は森の端から数メートル入った所で立ち往生してしまっていた。
一志はプチを慰めるように『ぽんぽん』と叩いて、
「しゃあない。こっからはデカチーが行きそうな場所を手分けして捜そう」
「えー」
ナツメがあからさまにイヤな顔をした。
当然の反応だと思う。マサトも同感だった。ありのままの自然が残る西部の森は歩くだけでも骨が折れる場所である。正直言って、ただの暇潰しで入りたくはない。
――実際の所、マサトを含めた三人は別段デカチーの身を案じているわけではないのだ。
デカチーは生まれも育ちも多神原。怪我の危険がある場所も、それこそ変貌した野生動物がどこに生息しているかも知っている。そもそも、ここでは自分の面倒は自分でみるのが当たり前だ。
何より、デカチーが何も言わずにどこかへ出かけて何日も帰って来ないというのもよくある事らしい。大して付き合いの長くないマサトも、一志からその話を聞いた時すぐに納得した。フラッとどこかへ消えてしまうデカチーに、マサトは憶えがある。
それを考えると、団子五十四本――うち四本がマサトの取り分――でやるには、少々割に合わない。
と、二人の不満を察した一志は人差し指を立てて、
「洋衆上人のラーメン食い放題」
「もうひと声!」ナツメが食いつく。
「うし。塀の外から好きな帽子取り寄――」
「乗った!」
まったく現金な女である。
マサトとしてはラーメンだけでも充分だ。特に《洋衆上人》のラーメンは美味いという噂は聞けども、未だに口にした事はない。配給券ではなく《円》でしか買えないからだ。マサトは未だ《円》を手に入れていないのだった。
「で、チーちゃんが行きそうな場所ってどこー?」
「団地跡とか、あとは川沿いだろ。――マサト、他に知ってるか?」
「ううん、知らない。会ってまだ一ヶ月だよ」
「おっと……そうだった。わりいな、どーも新参者って感じがしなくてよ」
一志はポリポリと狼耳の後ろを掻く。
マサトが一志達と会ったのは、ついひと月ほど前に《キャラバン》が来た日である。一志はマサトが《記憶喪失》だと聞いて「マジかよ」と、世話を焼き始めたのだ。お陰でマサトは一志やナツメ、デカチーと、この一ヶ月ほぼ毎日過ごしていた。
「じゃ、一時間後にまたここに集合って事で」
話し合いの結果、ひとまず団地跡へはプチを連れて一志が、川沿いにはマサトとナツメが行く事になった。
「ああ、それと」
別れ際、一志はマサトを指差し、
「大久利川の向こう側には行くなよ、そっちはもう《中央禁区》に近いからな」
《中央禁区》は、治安維持隊が立ち入りを禁止している一画の事だ。多神原のほぼ中央に位置している事から、住民は『中央禁区』と呼ぶ事が多い。
と、マサトが一志から聞いているのはここまでである。
「でもさ。《中央禁区》って、なんで立ち入り禁止なの?」
「それはねえー」
見れば、フッフッフと不敵な笑みをナツメが横で浮かべていた。実に悪い笑みである。七つの眼を半目に開きながら、マサトにそっと耳打ちする。
「《大食い婆さん》が出るからよ」
「…………ナツメのお婆さん?」
「なんでそこであたしが出てくるのよ」
そりゃ、団子五十本も食うからだろ。
と言いかけて、マサトは口を噤んだ。自分でも賢明な判断だと思う。
「《大食い婆さん》はね、中央禁区に住んでる変貌者の一人なの。大きな老婆の顔にいっぱーい脚が生えてて、中央禁区に迷い込んだ人間を捕らえて食べちゃうんだって……キャーッ!!」
何故かナツメは嬉しそうに悲鳴を上げた。
そんなナツメに一志は苦笑しながら、付け加える。
「まあ《大食い婆さん》の話は眉唾だけどな。だがヤバイ変貌者がいるってのは本当だと思うぜ。――そうでなくても」
一志はマサトの鬼面をコツンと叩き、
「お前の変貌症は《水》だろ? あそこは変貌の進行が早まる。早死にしたくなかったら、近づかない事だ」
一志はそう笑った。
マサトの鬼面の下には《水》となって溶け出した肌がある。放っておけば、溶けた部分が治癒する過程で更に変貌症が進行する。それを防ぐ為に、常に鬼面で肌を覆っているのだ。
そんなマサトの嘘を一志は信じ、そして心配しているらしい。
「そうだね、ありがとう」
マサトは笑って答えながら思う。
僕も《変貌症》だったら良かったのに。
せめて皆と同じなら。
せめて皆と素顔で接する事が出来れば、どんなに良かったか。
◇ ◇ ◇
一志と分かれてデカチーの捜索を始めたのは良かったが、光の速さでナツメが飽きた。
「拙者、もー動きたくないでゴザルよ」
大久利川沿いに広がる芝生に寝転がり、ナツメはそう言い放った。
飽きっぽいにも程がある。
「いや、そう言わずにさ」
「あー、あたしがプチを連れてきたかったなー。そしたらモフモフしながらお昼寝できたんだけどなー」
聞いちゃいない。
マサトはため息をついて、辺りを見回す。
まあ確かに、ナツメの気持ちも分かる。こんな広い場所からデカチー一人を探し出すなんて至難の業だし、そもそも二週間前にここに来ていたとしても、今はどこか別の場所へ移動しているはずだ。こんな鬱蒼とした森の中で、デカチーの痕跡を見つけろってのは無茶ぶりもいいとこである。しかもその理由は『電動バイクを直したい』という一志のワガママだ。
「あー、団子食べたいなー」
「さっき食べたでしょ」
五十本も。
と、
マサトが川上へ視線を向けた時である。
何か、人影のようなものが動いた。
「ありゃ? なんでこんなとこに宇宙人がいるんだ?」
「ナツメ、見えたの?」
本当にチラッとしか見えなかったはずだが。
「あったりまえー。眼の良さだけは自信アリますよあたし」
ナツメは七つの眼を指差す。左顔面、マサトから見て右こめかみから頬にかけて並んでいる、小さな五つの眼球。それらは様々な動物の眼が生えてきているものらしく、中には鷹のような視力を持つものもあるのだと言う。
キョロリ、とその中の一つがマサトを見据えた。
「ま、でもデカチーとは関係ないんじゃなーい?」
「うん、まあ、そうだろうけど」
「…………気になるんなら行ってくれば? あたしココでお昼寝たーいむ」
ごろりと川縁の芝生で寝返りを打ち、マサトに背を向けるナツメ。
これは本気で飽きている。
実際のところ、飽きているのはマサトも同じだった。最初こそ初めて訪れる西部の森に心を弾ませていたが、別段、普通の雑木林と変わらない風景には拍子抜けした。もっと《変貌症》に罹った植物がうじゃうじゃ生えているものだと思っていたからだ。
そこに現れた謎の人物には正直、興味をそそられた。
追いかける理由ならある。『デカチーを見かけているかもしれない』というものだ。自分自身に対する言い訳なら、これで十分だろう。
だが同じ心境であろうナツメはそんな気は一切ないらしい。健常者嫌いのナツメらしい態度だ。《宇宙人》などと口にする辺り、むしろ気分を害したようでもある。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「んー、戻ってきたら起こしてー……」
ヒラヒラと手袋を振ったきり、ナツメは寝息を立て始めた。