第四章 そして得たモノ (その8)
宇城巧己は、酷く苛立っていた。
追っていた対象に「ストーカー」などと言われたからだ。
確かに、見ようによっては『ストーカー』とやってる事は変わりないかもしれないが、これも仕事なのだ。責められる謂われがどこにある。
「くそっ」
宇城は遅れて来た仲間に助け出され、ようやく柳瀬華弥の捜索へと戻った所だった。
無線を聞いていた部下が、宇城へと報告する。
「宇城さん、対象が潜んでいると思わしき場所を特定しました。向こうのプレハブです」
「よし。――あと名前を呼ぶな、仕事中だぞ」
まったく、手間を取らせやがって。
宇城は《保護対象》が隠れていると思しき場所へと向かった。既に他の仲間達がそのプレハブ周辺を包囲している。どう頑張っても人ひとり抱えて逃げる事など出来ない。
「突入するぞ。武器は持っていないはずだが、油断はするな」
手早く済ませなくてはならない。何しろ一応は極秘任務なのだ。確かに隠密性よりも早さを重視しろと言われている。多少の騒ぎは目をつむると。しかし、こんな遊園地の職員も出入りする場所を、長々と包囲などしていられない。ストーカーどころの騒ぎではなくなる。
宇城は部下三人と共に、プレハブのドアを開ける。
誰もいない――ように見えた。
しかし出口は二個所。今、宇城が入った側と、その反対側にもう一つ。そこから《保護対象》と思しき人物は出てきていない。
宇城は物陰に潜んでいないか確認するよう、ハンドサインで指示を飛ばす。宇城自身も同様に積み上がった資材の裏側を覗きこんでいった。
だが、どれだけ探しても、人ひとり見つからなかった。
「おい、対象がここに入った事は確かなのか?」
「――ええ、少年を抱きかかえた黒髪の女性が入っていくのを見たと。遊園地職員には見えなかったので覚えていたという事です」
「なら何故いない!」
「それは……」
部下が自身の剣幕にたじろくのを見て、宇城は失態に気づいた。すぐさま「すまない」と詫びる。どうやらまだ「ストーカー」と言われた事の苛立ちを引きずっているらしい。
そこへ、
「宇城さん、これをっ」
「なんだ」
部下が名前を呼んだ事を叱責するのも忘れて、宇城は示された場所へと駆け寄った。
それを見て、宇城は僅かに眉根を寄せた。
奴等がここに居ない理由は判った。確かにこれなら、出入りしても怪しまれはしない。
だが、その分、余計に目立ってしまうではないか。
その時、先ほどから何度か繰り返されている遊園地の放送が流れた。
『――――当園へお越し頂き、まことにありがとうございます。ただいま山下公園から横浜駅方面へ向けまして《横浜仮装パレード》が催されております。年に一度のお祭りです。一般参加も可能ですので、どうぞ皆様、ふるってご参加ください』
「――――やられた」
「……はい」
宇城の呟きに、部下達が同調した。
宇城達の目の前にあるのは、脱ぎ捨てられた衣服。
柳瀬華弥が着用していたコートと、同じく柳瀬マサトが着ていたジャケットだ。
そして宇城達が居るのは《仮面タイター・ショー》の衣装部屋である。
舞台衣装がギッシリと並んだハンガーラックには、服のかかっていないハンガーが二つだけ残されている。
◇ ◇ ◇
「ご、ごめんなさい――」
「ちょっと、君……」
華弥は警備員の隙を突いて、ショッピングモールへと駆け込んだ。
追いすがるように、パレードを見守る警備員の声が届く。交通規制の都合上、パレードの途中退場は認められていないからだ。しかし追ってくる気配はない。これだけ大勢の人間がいれば、無断参加や途中退場が後を絶たない。華弥だけを追いかける余裕はないのだろう。
「お、ネーちゃん。派手な格好だねえ!」
同じく途中退場したと思しき半被姿の男性に声をかけられ、華弥は曖昧な笑みを返した。
《横浜仮装パレード》の只中に身を潜める事で黒服達を撒いた華弥だったが、正直な所、こんな派手な衣装を着るのは恥ずかしくて仕方がなかった。
華弥が着ているのは《仮面タイター・ショー》で悪役の女性が着ていた、鬼を模した刺々しい鎧衣装である。ついでに顔も隠す為、マサトの鬼面を額の上に乗せていた。
「……ん、妹さんは歩き疲れちゃったのかい?」
「ええ……。あ、ははー」
中年男性が覗きこんだのは、華弥が無断拝借した車椅子に乗るマサトである。
既に意識はない。頼りなく繰り返される浅い呼吸だけが、マサトが生きている証だった。それを中年男性は『疲れて眠っている』と解釈したらしい。『妹さん』と言ったのは、マサトが纏っているのが所謂『ゴスロリファッション』だったからだろう。衣装を探した際、小柄なマサトにはこれしかサイズが合わなかったのだ。
とはいえ顔はヘッドドレスで多少は隠す事が出来るし、少年と少女を探している黒服達の目も誤魔化しやすい。悪い事ばかりではない。
何より――不謹慎かもしれないが――ちょっと可愛い。
「でも私より可愛いって……どうなの」
「んあ、なんか言ったかネーちゃん」
「――い、いえ。失礼します」
華弥は中年男性を振り切って、そのまま車いすを押して女性用トイレへ駆け込んだ。
そのまま個室の中へ、自身とマサトが着る衣装を脱ぎ捨てる。パレードの中では溶け込んでいた悪役の衣装も、ここから先は目立つだけだ。元のニットのセーター姿へ戻った華弥は、同じくシャツとスラックス姿に戻ったマサトを車椅子に乗せて、そ知らぬ顔でショッピングモールを後にする。
そうすれば《日乃出町スラム》は目と鼻の先だった。記念館となっている古い帆船を背中にして《紅葉坂》方面へと向かう。すると現れるのは穴だらけの錆びたフェンス。恐らく二十年前に《日乃出町スラム》で変貌症患者が現れた際、作られたものなのだろう。
華弥は車椅子を押したまま通り抜けられる穴を探し、《日乃出町スラム》へと足を踏み入れた。雑居ビルの階段で横たわっていた汚らしい男が、チラリと華弥へ視線を飛ばしてくる。華弥はそれを完全に無視して、マサトを乗せた車椅子を押し進めた。
《日乃出町スラム》は、みなとみらい地区の華やかさが嘘のように静かだった。貧民街というよりゴーストタウンと言った方がいいかもしれない。十軒のうち一軒でも人の気配があれば良い方で、大抵は無残に朽ちた廃屋だけが残されている。かつては小学校だったらしい建物も、火事でもあったのかコンクリートの枠組みだけになっていた。そうした廃屋が放置されるままになっているのは、かつて変貌症患者が居た場所へ誰も足を踏み入れたがらないからだろう。
それでも残っている人が僅かに居るのは、他に行き場所が無いためか、それとも生まれ育った場所から離れたくないからなのか。華弥には想像もつかない。
「いらっしゃい」
声かけられて視線を向けると、老婆がカウンターの奥で笑っていた。
そこは恐らく二十年以上前からそこにあったであろう古めかしさを持った菓子屋だった。
「珍しいねえ……。若い人がこんな場所まで」
老婆は物珍しそうに華弥と、車椅子で眠るマサトを眺めている。華弥はぎこちなく愛想笑いを浮かべて、その場を立ち去ろうとしたが、その前にあるものが目に入った。
公衆電話だ。
「――お婆さん、これって使えるんですか?」
「ん? ああ、使えるよ。なんだい今どきの娘なのに『ケイタイ』持ってないのかい。使い方、わかるかい」
「だ、大丈夫です」
華弥は公衆電話の前に立つと、スキニーパンツのポケットの奥へ突っ込んでいたものを取り出し、そこへ書かれていた番号をダイヤル。
相手は3コールもしないうちに出た。
『はい、白鳥ですが』
その声はさっき聞いたばかりのはずなのに、もう遠い昔のように思える。
「すみません、あの……先ほど由美ちゃんと――っ」
『ああ、柳瀬華弥さん……でしたよね? どうされました?』
遊園地で迷子になっていた少女、由美の父親。
《白鳥クリニック院長 白鳥正行》の声だった。




