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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
第四章 そして得たモノ
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第四章 そして得たモノ (その5)

 それは《観覧車かんらんしゃ》というものだった。

 赤煉瓦あかれんが倉庫そうこからそう離れていない遊園地にあるアトラクションの一つだ。

 巨大な風車――いや車輪を縦にして、円の外周に人が乗るかごを取り付けたものだ。それを回転させ、籠の中から外の景色を楽しむものらしい。そうマサトは華弥かやから説明を受けた。

「うわ、すっごいよマサトくん、どんどん高くなるよっ」

「うん。でも華弥さん、楽しそうなのは良いんだけど――」

「窓開くのかな? 開かないや。こっちから景色見えるかな?」

「あんまり動き回るとゴンドラが揺れて――」

「おおー、見て見て見て見てさっきの喫茶店が見えますよ、ちっちゃいですっ」

「だからはしゃぎすぎだって!」

 目の前にいる図体のでかい少女は本当に華弥なのか。

 マサトがそう疑うほど、華弥の豹変ひょうへんぶりはすごかった。乗った瞬間からソワソワし始め、狭い籠の中をいったりきたり。今では両側の窓へ交互に飛びき跳ね回っている。グワングワンと揺れるゴンドラは、今にも落ちるのではないかと錯覚させる。マサトは窓枠に掴まって揺れるゴンドラに必死に耐えた。

「か、華弥さん、随分楽しそうだね?」

「はいっ、小学生の時からずっと乗りたかったんです。でも小学生の時は母様に『貴女が乗ったらゴンドラが落ちちゃうからダメ』って……。流石に私だってそんな重くないのに、酷いですよねっ」

 いや重いとかじゃなくて、はしゃぎ回るのを心配したんだと思うよ。

 そうは思ったが、マサトは「そ、そうだね」と苦笑いを浮かべるだけに留めた。

 こんなにはしゃぐ華弥を見るのは初めてだった。だからもう少し見ていたいと思う。華弥が話す母との思い出の端々《はしばし》から、監禁かんきん以前は活発な少女だったのかもとは思っていた。けれど実際に目の当たりにすると驚きを隠せない。本当に同じ華弥なのかと、疑ってしまう。

 しかしこれもまた、華弥という少女が持つ性質の一つなのだろう。

「ほら、マサトくん! 桟橋さんばしが見えますよ!」

 言われて、マサトは窓の外へ視線を向ける。

 ゴンドラは頂上へと近づきつつあるらしい。随分と遠くまで見通せた。華弥の言う桟橋もここから二、三キロは離れているだろうにハッキリと見える。こんな高い所から景色を眺めるのは初めてかもしれない、とマサトは考え――それを否定した。

 二度目だ。

 一度目は、多神原たがみはらの塀の上で見た景色。あれは観覧車かんらんしゃよりももっと高かった。

 ふと、マサトの脳裏に一志かずしとナツメの顔が過ぎった。

 二人とも元気にしているだろうか。銃で撃った一志の背中は傷になっていないだろうか。ナツメはちゃんと、死んだフリをしていた一志を連れ帰っただろうか。《変貌者狩り》はまだ行われているのだろうか。

 気になる。心配だ。――けれど、確かめる事は出来ない。

 僕は塀の外へ出てしまった。

 目的を達成する為に、色々なものを捨ててここまで来てしまったのだ。

 デカチーの助言に従い、自分の中にある――好きな事や嫌いな事、正しいと思う事や許せないと思う事を探し続けてきた。

 そして華弥と出会い、自分という人間について知る事ができた。

 そうして僕は《意志》と《目的》を持った。

 《意志》と《目的》を持ったら、身体が自然と動いてしまった。

「あ、マサトくん。もしかして《日ノ出町ひのでちょう》ってあの辺りじゃないですか?」

 喜色満面の華弥は、中華まんを持った手で窓の外の一点を指していた。一際大きいビルの左手奥。確かにそこから先は、見た目からしてくすんだ色をしていた。恐らく日ノ出町スラムで間違いないだろう。

 あそこに行けば――華弥さんを連れて行けば、僕の《目的》が達成されるまで後少しだろう。

 デカチーが言ったように、まず自分自身が何を好み、何を嫌うのかをずっと探ってきた。そして華弥と出会ったことでようやく、一つだけではあるがソレを見つけたのだ。

 けれど、とマサトは思う。

 《目的》が達成された後――――僕は何をすれば良いのだろう?

「マサト、くん?」

 気づくと、華弥が心配そうにこちらを覗きこんでいた。

「な、なに?」

「…………すみません、私ばっかり、はしゃいじゃって」

「あ、いや。そういう事じゃないよ。ごめんごめん」

 マサトは笑ってごまかそうとしたが、上手く行かなかったらしい。華弥の眉尻まゆじりはどんどん下がっていく。折角の楽しい時間を自分で壊してしまうとは。マサトはどう言ったものかと悩む。

 が、マサトが答えを出すよりも早く――華弥の方が口を開いた。

「マサトくん。大丈夫です」

 華弥はマサトの正面に座り、精一杯といった笑顔を浮かべた。

「確かに、二人きりで暮らすというのは大変だと思います。けど……これからは私も、がんばります――からっ! マサトくんと二人ならがんばれますから!」

 マサトは、言葉を失った。

 華弥からこんな言葉が出てくるとは思っていなかったからだ。

 華弥が誰かを勇気づけようと言葉を発した事など、マサトが知る限りこれまで一度もなかった。もちろん華弥と一緒に過ごした時間はごくわずかではある。もしかしたら十河とうごに監禁される前は、こんな風に人を勇気づける事が出来る少女だったのかもしれない。だとしても、その性格は封印されていたはずだ。つい先日までマサトの背後に隠れてばかりだったのだ。

 成長した、のだろうか。

「ありがとう、華弥さん」

 マサトの心の中には『観覧車に乗って気分が高揚しているだけかもしれない』そう揶揄やゆする者もいる。だが、例えそうだとしても構わないとマサトは思う。『どんな理由であれ、行動が正しいのであればそれで良い』と飯塚いいづかは言っていた。

 そしてマサト自身も、その考え方は正しいと感じている。

「それで、ですね……」

 と、唐突に華弥が耳を真っ赤にして、俯いてしまった。もじもじと萎縮いしゅくする華弥に逆戻りしてしまった。マサトは少し残念に思う。

「なに、華弥さん?」

「あの……その、『華弥さん』っていう呼び方は止めて欲しいな、って。いや、別に名前を呼ばれるのが嫌というわけでは決してなくてそこは断固否定して是非とも名前で呼んで頂きたい所存ではありますが――」

「華弥さん、一度深呼吸しようか」

 言われて、華弥は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。そして左手に持っている中国茶を一口飲む事で、ようやく少しだけ落ち着いたらしい。

「その、ですね。『華弥さん』って呼び方をされると――――座敷牢ざしきろうでの事を思いだしてしまうので。マサトくんと、あの男が、重なってしまうようで恐くて……」

「そう、か。……ごめん」

 マサトは自身が殺した警察官を思い出す。あの男も華弥を『華弥さん』と呼んでいたらしい。あの男に関する事は華弥にとって恐怖そのものだろう。それを連想させてしまうような事を、僕はしていたのか。

 もう二度と思い出させてはいけない。僕が暗い表情をしていては、華弥の顔も暗いままだ。

 マサトは努めて明るく問いかける。

「それじゃあ、なんて呼んだら良いかな?」

「えっと……ですね。その――――」

 華弥は暫くうつむいたまま何も言わなかった。

 観覧車が頂点を越え、ゆっくりと下り始める。

 そして、

華弥かや――――って、呼び捨てにしてください」

 答えはシンプルだった。

 まあ、それが一番だろうとマサトも思う。

「じゃあそうするよ――――華弥」

 マサトがそう笑うと華弥は、再び耳も頬も首筋も真っ赤にして俯いてしまった。

 何故だろうか。

 何か不満なのかとマサトは思い、提案する。

「じゃあ華弥も僕の事『マサト』って呼び捨てでいいよ」

「わ、わわわわわわかりましたっ」

「そんなかしこまらなくて良いよ」

 マサトはそう笑い、

「友達はみんな、僕の事そう呼ぶし」

 と、口にした。

 途端に空気が変わったのが、マサトでも分かった。

 一瞬、ゴンドラが二つに割れたのかと錯覚するほどだった。

「友達――――ですよね……。ですよねー、へっへー」

 何故か華弥は遠い眼をしていた。心なしか声も乾いている。窓の外を眺めながら「飯塚さん、くじけそうです」などと呟き始めてしまった。一体、今の一瞬に何があったのだろうか。

「華弥……?」

「でも、私がんばるって言いましたし。がんばるます」

「おーい」

「がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ――――」

 なんかちょっと恐い。

 そうマサトが怖じ気づいた時、

「マサトくん! いえ、その、ま、まままマサトっ」

 言って、唐突に華弥が勢いよく立ちあが――――

 ゴンッ!!

 ――――り、思い切り天井へ頭をぶつけた。

 華弥は頭をかばおうとしゃがみ込み、その急激な動作によってゴンドラが大きく揺れた。

 結果、華弥はバランスを崩しマサトの方へ倒れ込んでしまう。

「ちょ、華弥!? 大丈夫? すごい音してたけどっ」

「だ、大丈夫……れす。頭ぶつけるの――慣れて、ます」

 慣れとか、そういう問題では無いと思うのだが。現に華弥は、マサトへ覆い被さった体勢のまま頭を押さえて動かない。あまりに痛くて動けないらしい。現にもう一分近く、頭を押さえたままうめき続けている。このまま暫くはソッとしておくべきだろうか。

 しかし、

「あの……華弥?」

「はい?」

「そのさ。このまま下まで行くのはちょっと恥ずかしい、かなあ――と」

 その言葉で、華弥はようやく自身の体勢に気づいたらしい。

 途端、華弥の耳がこれ以上ないほど真っ赤に染まった。むしろ赤黒いとさえ言える。マサトの目と鼻の先に、華弥の耳があるお陰でそれがよく判る。恥ずかしさのあまり思考が停止してしまっているらしい。ピクリとも動かない。どうにかして、冷静になって貰わないと。

 さて、なんと言うべきか。

 マサトは悩んだ末に、ひと言。

「いや、まあ、華弥がそうしたいなら、僕はこのままでも良いんだけど――」


 跳ね起きた華弥は、その日二つ目のたんこぶを作る羽目になった。



◇ ◇ ◇



 観覧車を降りてまずマサトが向かったのはトイレだった。

 華弥が倒れこんで来た際に、華弥が持っていた中華まんや中国茶で服が汚れてしまったのだ。そこまで酷いものではなかったが、洗い流すくらいはしておきたい。

 マサトは着ていた上着を脱いで、汚れた袖口を洗面台の水で洗い流していく。

 しかし、すぐ落ちると思っていた染みは、一向に落ちる気配がない。華弥をあまり長く待たせるわけにもいかないのだが、とマサトは少しだけ苛立った。

 華弥の様子が、なんだか少しおかしい。

 そうマサトが感じたのは、観覧車を降りた後、華弥にゴンドラの中で何と言おうとしたのかいてみた後である。

 華弥は「なんでもないです。また今度、がんばります」と言っていたが、その表情は憔悴しょうすいしきっており、とても何かを頑張れる様子には見えなかった。むしろ休ませた方が良いように思える。どこか悪い所を打ったのではないだろうか。言動も少しおかしかった。

「いや――言動は、前からあんな感じだったか」

 マサトは一人、納得する。

 少しどもってしまうのは前からだ。感情がたかぶると言いたい事が多すぎて喉でつっかえてしまうのだろう。一体何を言おうとしていたのか。

 まあいいか、とマサトは一人納得する。

 これから、いつでも聞けるだろう。

 なにしろ華弥は目に見えて成長しつつある。華弥を肉体的にも精神的にも束縛する存在から解放されたお陰だろう。このまま行けば僕の《目的》が達成されるのも近いはずだ。

 と、マサトは自身の心に不安が消えている事に気づいた。

 先ほどまで《目的》が達成された後の事を不安に思っていたはずなのに。マサトは自身の心を分析して、気づいた。

 ――どうやら僕は、華弥と一緒に居ることが好きらしい。

 なら《目的》が達成された後は、もう少しだけ華弥と一緒に過ごそう。

 その中で新しい《目的》を見出せばいい。

 そう思う事にした。

「よし、こんなもんか」

 マサトはまだ少しラー油の色が残る袖口を絞り、上着に腕を通す。ほのかに身体からラー油と中国茶の香りが漂ってはいるが、外に出れば気にならないだろう。

 と、

 鏡の中の自分と眼が合った。

 いつかとは違う。自分が何者かと自問自答していた僕ではない。

 僕も少しは成長したのだろうか。

 そう思い、マサトは何気なく自分の顔に手をやる。

 すると手の甲にまだ何かがはりついているのが見えた。かなり、ゴシゴシと洗ったつもりだったのだが。――と、手の甲を確認する。


 そして、ソレに気づいた。


 続いて洗面台の排水口を見た。その端に、何か薄いものが引っかかっている。薄い肌色をしている何かが、流れる水にヒラヒラと揺れていた。

 恐る恐るつまみ上げて、それが何かを確認する。

 ――全てが繋がったような感覚。


「そういうこと、か」


 呟き、マサトが考えたのは『どうして今なんだろうな』という事だった。



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