第四章 そして得たモノ (その4)
「おまたせ、しました」
その声にマサトが顔をあげると、華弥がテラス席へ戻ってきた所だった。
横浜、赤煉瓦倉庫。
その喫茶店の一つに、マサトと華弥はやってきていた。店内の席は満杯で、仕方なくテラス席へと座ったのだが、思ったよりも冬の寒さは感じられない。飯塚と別れた頃は低い位置にあった太陽が、もう頂上まで昇ってきているお陰だ。
華弥の姿を見上げ、マサトは「随分と見違えたな」と感嘆する。
今の華弥は、華弥自身が言っていたような『呪いのビデオから出てくる怨霊』ではない。
例えるならば『トップモデルの休日』と言った所かもしれない。
まず髪形が変わった。ただ長いだけだった黒髪を一本にまとめポニーテルに。長すぎる前髪は切り揃え、そうして露わになった目元、鼻筋、頬、口元に薄く化粧を施し、魅力を引き立たせた。元が良かったお陰か、美容院での簡単な化粧で済んだのは助かった。
次に衣服を揃えた。もう既に十一月。冬が到来している横浜でワンピースにジャージを羽織るだけでは寒すぎるからだ。足元は踵の低いブーツに、スキニーパンツ。上は丈の短いニットのタートルネックセーターで、上からハーフコートを羽織っている。
そうして完成した華弥の姿は、性格とは異なり『凛々しい女性』という風情にまとまった。
もちろん華弥は恥ずかしがったが、マサトの「この方が華弥さんの魅力が引き立つと思うよ」のひと言で華弥は納得してくれた。
何故だろう、とマサトは首を捻る。
まあ、僕も身なりを整え「マサトくんカッコヨシ、です」と言われた時には少し嬉しかったし、恐らく華弥も褒められて嬉しかったというだけの事だろう。そうマサトは納得している。
「よっこい――しょ」
華弥が身を屈め、中華まんと飲み物を乗せたトレイをテーブルへ置いた。その拍子に、ポニーテールにまとめた黒髪が肩へと落ちる。
華弥は艶のある尻尾を背中へと払いながら身を起こし
と、
「あれ? こんなに頼んだの?」
トレイには中華まんが四つあった。
華弥が「私、買ってくる、ますっ」とはりきって出かけた時には、中華まんをマサトと華弥で一つずつという話だった。温かい中国茶も、頼んだ覚えはない。
気を利かしてくれたのかな、とマサトが訝しがっていると、
「お店の人が、その――くれました。サービス、だって」
「サービス? 何かキャンペーン中だったとか?」
「いえ……、その……、あの……、」
華弥は頬や耳を真っ赤に染めながら、俯いてしまう。
だが、少し待つとゆっくりと口を開いた。
「わ、わわわ私が、美人? 私キレイ、だから? とかあれみたいなそんなニュアンスを仰っておりましたといいいましょうかとはいいましても当方と致しましては甚だ疑問ではありますのでお伝えするのもいかがなものかと! ですた!」
「ああ、華弥さんが美人だからサービスしてくれたってことか」
「――――――――ッ」
顔や耳どころか首筋まで真っ赤に染めて華弥は、すとん、と椅子に座った。今にも頭から湯気が立ち上りそうな雰囲気である。その姿は傍目からでも可愛く映るに違いない。
良かった、とマサトは思う。
これだけ見た目が魅力的になれば、それは生きる上での武器になるだろう。後は自覚して、利用することが出来れば上々《じょうじょう》。
それもこれも飯塚のお陰だ。
飯塚との別れ際。華弥を通じてマサトへ渡されたメモには、要約するとこのような事が書いてあった。
『華弥を美容院と服屋に連れて行って身なりを整えさせろ』
『今日は横浜で仮装パレードがある。せっかくだから観ていけ』
『この三十万はその資金にしろ。しかしそれ以外に使った場合は返して貰う』
の、三点である。
最初、マサトには何の意味があるのか判らなかった。だが少なくとも一つ目の指示に対する疑問は、今の華弥の姿を見れば氷解する。飯塚は華弥の魅力を引き出す方法に気づいていたのだ。
恐らく二つ目の指示も何らかの意味があるのだろう。マサトはそう考えて、仮装パレードが始まるまでの間、赤煉瓦倉庫というアミューズメント施設で時間を潰す事にしたのだ。
そこまで考え、マサトは華弥がまだ硬直している事に気づいた。
「華弥さん、食べようよ。冷めちゃう」
「――はい。私は、食べます」
「華弥さん待って、包み紙は食べられないよ。剥いてからね」
「――はい。私は、包み紙、剥く」
大丈夫だろうか。
華弥は視点の定まらない瞳で中華まんを取り、両手で掴んで口へ含む。もぐもぐと数回顎を動かし――――途端、華弥の瞳に意思の色が戻った。
「美味しい……ですね。これ」
「うん、初めて食べたけど。流石、塀の外だね」
マサトと華弥は二人して感動していた。
中華まんを頼んだのも飯塚のメモに従ったからだ。マサトと華弥が中華まんを食べた事がないと言った事をを覚えていたらしい。横浜なら中華料理。冬に外で食べるなら中華まんだ。特に『東坡肉』が具の奴が最高だ。と、飯塚のメモには書いてあった。
本当に、何から何まで飯塚という男には世話になりっぱなしだ。
出会った時。十河からの追っ手を躱す為に山の中を一週間近く歩き続けてきたマサトと華弥にとって、飯塚の存在は天からの救いのように思えた。しかもマサトの悩みを見抜き、その迷いすらも消してくれたのだ。しかも別れた後の事まで、こうして気遣ってくれている。
『捨て犬に餌をやる気持ち』などと言っていたが、その程度の心持ちでここまで出来るというのは、飯塚自身の人徳がなせるものなのだろう。
たった数時間の付き合いだったが、マサトにとって飯塚は人生の恩人だった。
「あの、ま、マサトくん……」
唐突に、華弥が中華まんに視線を落としたまま、口を開いた。
マサトがどうしたのだろうと続く言葉を待っていると、
「マサトくんも、私は美人だと――思いますでしょうか?」
なんだそんな事か。とマサトは笑った。
「華弥さんは美人だよ。その事に周りの人がようやく気づいただけ。緊張する事ないって」
「――――――」
華弥は黙って、中華まんを口に頬張った。口元が先ほどよりも弛んでいる。
よほど中華まんが気に入ったんだろう。マサトは微笑ましく感じた。
「でも、ですけど」
「ん?」
「こんな事、してて良いんでしょうか? 私達……」
華弥は声を抑えて、不安そうにマサトを見据えてきた。
その心配はもっともだ。マサトは左右へチラリと視線を流しながら思う。
なにしろ僕等は今『追っ手から逃げている最中』なのだ。十河の追っ手がどこから現れるか判らない。警察も信用出来ないし、一刻も早く隠れ家を見つけなければならない。
一応、隠れ家の見当はつけている。横浜に来たのも、その場所が横浜にあるからだ。
横浜には二十年前、変貌症患者が発見された事で住民が逃げ出した一角があるという。
かつて《日乃出町》と呼ばれた場所。そこは《変貌症》への偏見から誰も再開発に手を付けなかった為に荒廃が進み、やがてホームレスや不法滞在者がたむろする一大スラム街と化したらしい。――それがテレビを通じて得た情報だった。
そこならば身元不明の子供が二人紛れ込んだ所で騒ぎにならないだろう、と踏んだのだ。
それに、そうした場所にマサトは慣れ親しんでいる。一志のような腕力やナツメのような眼が無くとも、危険を避ける為の知識と経験は、多神原でそれなりに積んでいるのだ。
だが、一度足を踏み入れれば、再び《日乃出町》スラムの外へ出る余裕は無いだろう。
今日が、気楽に遊べる最後の日になるかもしれないのだ。
「大丈夫だよ。今しか出来ない事だし、骨休めだと思おうよ」
そうマサトは諭したが、それでも華弥は不安の色を浮かべている。
華弥も周囲へ視線を巡らし、
「私達、目立ってる、んじゃないですか? なんだか凄い見られている気が……。もしかして、十河の追っ手から何か言われて――」
いや、単に華弥さんが美人だから気になってるだけだろう。
マサトの考えを証明するように、華弥やマサトを見る視線は主に感嘆や羨望の眼差しだった。不安に思う必要は無いとマサトは思う。――が、少し不快感を感じるのも確かだ。中には写真を撮って逃げるようにその場を後にする者もいる。被害妄想かもしれないが、マサトと華弥との身長差を面白がっているのではないかとすら思えた。
「じゃあ移動しようか。中華まんなら、歩きながらでも食べられるし」
「は、はいっ」
「でも――どこへ行こうか。仮装パレードはこの近くを通るみたいだし、あまり遠くまでは行けないけど……」
「なら――ですねっ」
マサトの呟きに、華弥が勢いよく反応を返してきた。
珍しい。マサトは「なら?」と続きを促しながら、嬉しく感じていた。華弥が少しずつではあるが頼もしくなっている。さっそく、外見が中身を変えつつあるのだろうか。
華弥はビシリ、と斜め上方向を指差す。
そして勢いよく、
「アレに、乗ってみましぇっ――」
噛んだ。
どうやら、まだ頼りない所の方が多いらしい。




