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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
第四章 そして得たモノ
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第四章 そして得たモノ (その2)

 メシどころか、深夜営業のスーパー銭湯へ連れて行った。

 まあ仕方がない、と飯塚いいづかは風通しが良くなった財布を眺めて思う。あんな泥まみれの格好でファミレスになど入れるわけがない。乗りかかった舟、こうなりゃヤケだとスーパー銭湯に連れて行き、そこで新しい服も買ってやった。少年と少女が着ていた衣服は、ランドリーの乾燥機の中をぐるぐる回っている。

 飯塚いいづかはタバコに火を点けた。

 フードコートの座敷で、飯塚は少年と少女が風呂から上がるのを待っていた。飯塚自身はからす行水ぎょうずいよろしくシャワーで汗を流すだけで、さっさと出てきている。会ったばかりの子供と風呂に入って話す事などない。飯塚はタバコをふかし、吐き出した煙を意味もなく眺める。

 そこへ、

「飯塚さん」

 呼ばれて視線を横へ流すと、黒いジャージ姿の少年がいた。ジャージは飯塚が買ってやったものである。風呂に浸かりさっぱりしたお陰で、その端正たんせいな顔立ちがよくわかる。

 少年アイドルでもやればいい、金になる。と、飯塚は嫉妬しっと混じりに思った。

「おう。……マサト、だったよな? 名前」

「はい」

「これでメシ頼んで来い。もうソバ屋しか開いてねえけど」

「……ありがとうございます。ここまでして頂いて」

 飯塚が渡した千円札を見つめて、マサトという名の少年が頭を下げた。絞り出したよう声には確かに、感謝の念が込められている。それを飯塚は意外に感じた。こういうガキは『とりあえず礼くらいは言っておくか』などと思っているものと考えていたからだ。

 少し、からかいたくなった。

「なあ、マサトくんよ」

「はい?」

「もし俺が『十万出すからあのとヤらせろ』って言ったらどうする?」

「え、」

「いやむしろ、金なんか出さずに、あの娘だけをトラックに乗せて山奥行って勝手にヤればいい話か」

「…………」

 絶句ぜっくしていた。

 しかし少年の目に混乱の色はない。その可能性も考えていた、という事だろう。マサトという少年の視線が、飯塚のそばに投げ出されたナップザックへと伸びた。何か護身用品でも入ってるのだろうがバレバレだ。多少は世慣れちゃいるが、まだまだ甘いガキだな。

 頃合いだろう。

 飯塚はニカッと笑い、

「冗談だ」

 と、マサトという少年の肩を叩いた。

「そうしたきゃ車乗せる時にお前だけ置いてってるよ。わざわざ銭湯なんか連れてこねえって。安心しな」

「あ……あ、ははは。良かった、恐いこと言わないでくださいよ」

 マサトという少年は苦笑いを浮かべて、安堵あんどした雰囲気を作っている。――そう、決して緊張感は失っていない。もしかしたら既に似たような目に遭ったのかもしれん。そう飯塚は思ったが、深くは問わなかった。そこまで関わる義理はない。

 面倒だ。

「でも、飯塚さん」

「ん?」

 少年が飯塚の向かい側に腰を下ろす。チラリと女湯の方をうかがってから口を開いた。

「実際のところ。どうして僕等にここまでしてくれるんですか?」

「なんだ、お節介はキライか?」

「いや……そういうわけじゃ。でも僕等、どう見ても怪しかったでしょう?」

 その言葉を聞いて飯塚は噴き出した。

 この際だと、思い切り大声を出して笑ってやった。

 フードコートに飯塚の笑い声が響き、座敷でうたた寝していたオヤジが目を覚まして飯塚に責めるような視線を向ける。

 オヤジの視線に飯塚はおがむようにびを入れてから、マサトに向き直った。

「まあな。お前等よく警察に補導されなかったな」

「警察の目は、避けてきましたから」

 そうハッキリ言って、マサトという少年は口元をほころばせる。――が、目は笑っていない。

 飯塚はタバコの煙を吸い込み、

「んで泥んこになったわけか。へえ」

 飯塚は、わずかに口角を上げた。

 意地の悪いガキだ。『怪しかったでしょう』のひと言で、俺が言い分を信用しているか探りを入れてきやがった。しかも俺が信用していないとわかれば、下手に隠さず『警察の目は避けてきた』とハッキリ告げる。続く笑いは『理由は訊くな』と釘を刺す行動だ。

 それを自分より二回ふたまわり以上、年上の俺にしたのだ。

 からかわれた意趣いしゅがえしということか。それとも、それが当然の環境で暮らしていたのか。

「……それで、どうして?」

 マサトという少年は頃合いを見計らって、飯塚へ続きを促してくる。

 飯塚は短くなったタバコを消して、新しいタバコをくわえた。ガスが切れかかった百均ライターで苦労しながら火を点ける。一度、大きく吸ってその煙を吐き出した。

 天井へ向かって伸びた煙が、空気ににじんで消えていくのを眺める。

 そうして稼いだ時間で、飯塚は自分の言葉をまとめた。

「捨て犬に餌をやるような気分で、かな」

僕等ぼくらが捨て犬、ですか?」

「ま、そういうこった。別に善意でも何でもねえ。後ろめたい気分で今日一日を過ごしたくねえから、とりあえず食いもんだけやって『誰か良い人に拾って貰えますように』と祈る。それと一緒だ。その後の責任なんか取るつもりはねえよ」

「それは『捨て犬を助けちゃう俺ってカッコイイ』って事ですか?」

「なんだそりゃ、変な事言うなお前」

 まったく失礼な奴だ。飯塚はそう腹を立て――ふと思い至る。

「それ誰かに言われた事でもあんのか?」

 飯塚が問うと、マサトという名の少年は押し黙った。図星か。

 そして同時に『そういう事か』と飯塚は納得した。

 このマサトという少年と、あの華弥かやという少女の関係が少しだけ見えてきた。

「……ま、極端な言い方だとは思うがその通りだな。俺は捨て犬のようなお前等を助ける自分の事をカッコイイと思ってる。ろくな奴じゃねえわな俺は」

「…………」

「だけどよ、さっきお前『ありがとうございます』っつったよな?」

「……はい?」

 飯塚はマサトの疑問を無視して語り続ける。

「つーことはだ。ろくな奴じゃねえ飯塚いいづか健成けんせいは、更にろくでもねえ理由で人助けをしてるが、そのお陰でお前等は『助かった』んだろ?」

 マサトという少年は、コクリと頷く。しかしまだ話は見えていないらしい。

「だからよ。どんな奴がどんな理由や考えでした行動であろうと、その結果に直接は影響しねえんだ。《考え方》と《結果》は別物っつーか。《結果》を出すのは《行動》であって、あー、だからよ。なんつーかな……」

 人に説明するのは苦手なんだよな。そう飯塚は頭をボリボリと掻きながら『言いたい事』と『言うべき事』を取捨選択しゅしゃせんたくして、言葉へと変える。

「結果的に相手の為になんなら、どんな動機で行動したっていいじゃねえか。どんな理由でも行動がい結果を出すのなら構わねえだろ。……後は、自分が偽善で行動してんのを判ってんなら上出来。失敗したら言い訳せずに受け止める。――そんなんでどうよ?」

 ようやく、少年の目に理解の色が浮かんだ。

 どうやら自分の事を話されていたとは思わなかったらしい。

 ああそうか。そういや俺、主語を抜いて話してたな。慣れねえ事するからだ。

 そう飯塚は自嘲じちょうしながら、吸い終えたタバコを灰皿へ押しつける。

 迷っているな。

 ――それがマサトという少年を見て、飯塚が抱いた印象だった。

 想像でしかないが、この少年は華弥かやという少女の為に何かをしようとしているのだと思う。それは飯塚と出会った時に、あえて華弥という少女に話をさせようとした時にも感じたことだ。

 だが。

 この少年は、その行為が自身のいやしさから出ていると考えているらしい。だからこそ『助けちゃう俺ってカッコイイ』なんて言葉が出てきたのだろう。普段からそう自分を責めているのかもしれない。まったく世慣れた大人か、世間知らずのガキかはっきりして欲しいぜ。考え過ぎは、考え無しと同じだって知らんのかコイツは。

 そうは思うが、飯塚は指摘しない。そこまで他人の人生に深入りしたいと思わない。

 それでもマサトという少年は、再度、頭を下げた。

「……本当に、ありがとうございます」

「おう。迷える若者を導いちゃう俺って――カッコイイだろ?」

「ハハハ。ええ、確かに」

 マサトという少年は飯塚の前で初めて、屈託くったくのない笑顔を浮かべた。

 釣られて飯塚も口元が綻んだ。珍しく自身が純粋に笑えている事に飯塚は気づく。

 そこへ、

「おまたへ、しました……」

 湯から上がったらしい少女の声が届いた。

 何気なく声の方向へ視線を向け、飯塚は息をむ。

 華弥という名の少女の姿に見惚れてしまったのだ。

 ここまで上玉じょうだまとは、思っていなかった。

 おずおずと現れた浴衣姿の少女は、田舎道で薄汚くすすけていた時とはまるで別人だ。

 その顔が露わになっているお陰だろう。少女は飯塚)が『前髪が鬱陶うっとうしい』と買って渡したヘアピンで、前髪をおでこの上で留めている。でなければ少女の美貌びぼうに気づく事はなかった。

 ――モデルか何かじゃねえのか、と飯塚は感嘆する。

 考えて見れば小顔で高身長、足も長いし肌も白い。八頭身の肢体したい均整きんせいが取れているし、つやのある長い黒髪はそれだけで女性としての魅力を感じさせる。

 なにより身長に比べ随分小さな顔は、図抜けて魅力的だ。熟練の人形師が手がけたようなスッとした目鼻立ち。伏せられた二重まぶたと長い睫毛まつげの向こうには黒真珠くろしんじゅの瞳が見通せる。黒髪のベールが隠していたそれらが今、露わになったのだ。

 もちろん、少女の表情は未だ固く、飯塚と視線を合わせようともしない。

 それでも少女の魅力は全く薄れることはなかった。

 確かに『女性の色香』というものがそこにはあるのだ。

 飯塚は華弥という少女が自分から目を逸らしている事をありがたく思う。この双眸そうぼうで正面から見据えられたら、深く透き通る瞳に心が沈んでしまうに違いない。――そんな、臭いポエムを思いつくほどに強烈だった。

「――?」

「あ、いや、おう。……メシ食って来いよ」

 不思議そうに飯塚を見る少女から目を逸らして、新しいタバコをくわえた。そうでもしなければ平静を保てない。上気した肢体から立ち上る少女の香りは飯塚の脳髄のうずいしびれさせ、冷静さを失わせる。これをタバコの臭いで打ち消さなくてはならない。なのにガスが切れかかった百均ライターは中々火を点けてくれない。カチカチカチカチカチカチ――――。

 そんな動揺を隠しきれない飯塚に気づいた様子もなく、マサトと華弥という二人の若者は飯塚から渡された紙幣を見つめて話し始める。

「華弥さん、何食べる?」

「……え、えと。マサトくんと同じものが食べたい、です」

「なんで? 好きなもん頼めば? 蕎麦にも色々種類あるみたいだし」

「そうじゃなくて、その、好きなのはお蕎麦じゃなくて……えっと、」

「そっかあ。でも蕎麦以外だと、カレーかうどんしか頼めないみたいだね」

「それも違くて――、あっ……いや何でもないです。とにかく、同じものがいい……です」

「そお?」 

 飯塚はタバコの箱を握り潰した。

 そお? じゃねえだろ! どんだけ鈍感なんだ。これだけの上玉に、これだけ意味ありげな言葉投げられてスルーすんじゃねえよ。本当に人間かテメエは。

 飯塚はあきれ、少年へ苦言をていそうと視線を向け――――そして気づいてしまった。

 そう、華弥という少女が、男性用の浴衣を着ている事に。

 身長170センチでも着れる女性用の浴衣が無かったのだろう。だが男性用は肩幅が合っておらず、うなじや胸元が男を誘うように程良くはだけているのだ。そこから覗く透き通るように白い肌は、飯塚にけがれのない新雪を思い起こさせた。谷間などない控え目な胸元には、むしろ清純さすら覚えてしまい、飯塚は『浴衣ゆかたいて少女の雪原を暴いてみたい』という衝動にさいなまれる。

 不意打ちだった。

 俺に少女趣味はないというのは分かっている。そう油断していたからこその衝撃だ。

 華弥という少女には、未熟ながらも完成した女性の魅力が隠されていたのだ。

「なあ、マサトくんよ」

「なんです、飯塚さん」

 蕎麦屋のカウンターへ向かおうとした少年を呼び止め、飯塚は「ちょっと耳貸せ」と肩を抱くようにして囁く。

「あのよ、さっきの『十万で一発』の話って実は有効だったりするか?」

「しません。無効です」

「……だよな。健成けんせい知ってた」

「ついでに言うと、今の飯塚さんの台詞……すごくカッコワルイです」

「ですよねー」

 俺、情けねー。

 飯塚はため息を吐く。視線の先にいる少女は、駆け戻る少年を見て心底安堵している様子だった。つまり華弥という少女は、既にマサトという少年の物なのだ。

 それを無理矢理奪うような行為をしてみろ。『あんな事しなければ――』なんてバカな妄想に最低十年以上は付き合う事になる。

 それは嫌だ。面倒だ。だったら根性焼きの数を増やした方がマシだ。

 まったく、慣れないお節介を焼くとろくな事がねえ。

 ――けどよ、と飯塚はマサトと華弥の背中を眺めて思う。

 あのマサトという少年は、華弥という少女の事をどう思っているのだろうか。

 あれだけの美貌びぼうを前にしながら、少年の表情には何の変化もなかったのだ。同性愛者でももう少し驚くような反応はするだろう。『日頃から見慣れている』とも違う。好意を寄せられている事にも気づいていないようだ。

 しかし、マサトという少年は華弥という少女に何らかの『想い』を抱いているはず。でなければさっきの会話は成立しなかった。

 それはなんだ。何がしたいのだコイツは。

 一体どういうつもりで、華弥という少女に関わっているのだろう。

 あれでは、華弥という少女が可哀想だ。

「ま、俺の知ったこっちゃねえか」

 呟き、飯塚は新しいタバコを取り出し火を点け――考える。

 だが、このまま放っておくのも、つまらねえな。


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