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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
第三章 塀の外へ
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第三章 塀の外へ (その4)

 そうして、昼食会はつつがなく終了した。

 十河とうご美樹みきはそのままどこかへ出かけるのだという。マサトは二人を見送って、再び片瀬かたせが運転する黒塗りのベンツへと乗り込んだ。

 運転席に片瀬。

 後部座席にはマサト一人。

 他には誰もいない。

 今しかないと思った。

「片瀬さん」

「なんでしょうか、坊ちゃま」

華弥かやさんは、今どこにいるんですか?」

「――申し訳ありません坊ちゃま。それはどなたでしょうか?」

「とぼけないでくださいよ、片瀬さん」

「………………物騒ですね」

 片瀬が、首筋に突きつけられた銀のナイフを見て呟いた。

 運転席の背後から片瀬の首に腕を絡ませるようにして、マサトがナイフを突きつけたのだ。

 チラリと、片瀬がバックミラー越しにマサトを見やる。

「こんな事をして、人間としての暮らしを捨てる気ですか? 確か、旦那様に拾われてきた時には『人間として暮らしたい』と言って、ここへ来たと伺っておりますが」

「人間としての暮らし? 僕が人間として暮らすのに十河の力なんか必要ないでしょう」

「つまり、方便だったと? 本日の昼食会は私も警備も兼ねて別室から様子を覗わせて頂きましたが、あの卑屈な態度も何らかの目的があっての事なのですか?」

「当たり前じゃないですか。片瀬さん、時間稼ぎはやめて下さい」

 マサトはナイフを首筋へ押し込む。気持ち横へナイフを引くと、刃が皮膚に引っ掛かる感触がした。このまま力を入れればプツプツと首の皮が切れていくだろう。

 しかし、片瀬が動じることはない。

 何事もなかったかのように、ハンドルを切る。

「早く教えてください片瀬さん。華弥さんは何処ですか?」

「さあ……? 《かや》などという名前に覚えはありませんが」

 無言のままマサトはナイフを横へ引く。

 もちろん殺しては意味がない。脅す為に少し切り傷を作っただけだ。

 赤いねっとりとした液体が、銀のナイフを伝って片瀬の黒服へとしたたり落ちる。

 それでも、片瀬の態度に変化はない。落ち着き払った態度のままだ。

 だが、

「マサト坊ちゃま。質問があります」

 話す内容だけは、少し変化した。

 マサトが無言のままでいると、それを肯定と受け取ったのか片瀬は続けた。

「貴方は自分が何者か知っていますか」

「ええ」

 迷わず答えた。

 当然だ。でなければ今、僕はここにいない。

 更に片瀬は問いを重ねる。

「その根拠は?」

「僕には何に代えてもやりたい事がある。それが根拠です」

「自身の命を賭けてもですか? 今の貴方の行為は自身の首を絞めていると思いますが」

「違う」

 否定し、マサトは正直に答える事にした。

 この答え次第では、片瀬の態度が変わるかもしれない。

「命は大切だ。僕は死にたくない。――けど、これをしないという事は、僕が死ぬ事と同じなんだ。だから……やる。やって死ぬのも怖い。失敗するのも怖い。でもやらずに、心が死んだまま生き続ける方がもっと怖い」

「…………左様でございますか」

 片瀬はここではない何処かを見ていた。バックミラー越しに見える片瀬の表情は、何かを思い出しているようだった。

 ふと、片瀬が口を開く。

「私は華弥という名の少女は知りません」

「まだそんな事を……」

「ですが、旦那様はマサト坊ちゃまの他に、もう一人、孤児を拾ってこられました。その孤児は丁度、マサト坊ちゃまと同い年くらいの少女でございます」

「――!?」

 遠回しな表現だが華弥の事で間違いないだろう。

 つまり、建前としては華弥はいない事にされていて『拾われてきた孤児』として扱われているという事だ。問題は、どんな扱いを受けているかだ。

「その少女は明日、さるお方の養子として迎え入れられる事になっております。そこで奉公ほうこうするように言いつけられているはずです」

「奉公?」

「家政婦として奉仕するようなものです。仕事には夜伽よとぎの相手も含まれるでしょうが」

「よとぎ、ってなんです?」

「ああ、マサト坊ちゃまにはまだ早い表現でしたね。つまり女が男の性欲処理の相手を務め、犯されるという意味です。もちろん相手方の趣味によって内容は変わるでしょう」

「つまりレイプされるという事ですか?」

「違いますよ、マサト坊ちゃま。奉公です――よっと」

「あ、ぐっ!」

 話に聞き入った隙を突かれマサトは腕を捻り上げられた。

 そのまま唯一の武器であるナイフを取り落としてしまう。甲高い音を立てながら、ナイフは助手席の下に転がった。手を伸ばそうとしたマサトのこめかみに、冷たい感触。

「甘いんですよ、マサト坊ちゃま」

 拳銃だった。

 やられた、と自嘲じちょうする。

 運転中ならば、反撃は難しいと踏んでマサトは事に及んでいたのだ。

 しかし今、片瀬が両手をハンドルから離しているにも関わらずベンツは勝手に道を進んでいる。マサトはテレビのコマーシャルでやっていた『自動運転機能オートドライブシステム搭載車両』の意味をようやく理解した。――なんだ、塀の外にはちゃんと夢のある乗り物があるじゃないか。

「坊ちゃまには知識が足りない。経験も足りない。だから想定が甘い」

 マサトは何も答えられない。

「先ほど『やらずに心が死んだまま生き続ける方が怖い』と仰いましたが、これは逃げた事がある人間が口に出来る言葉です。何に代えてもやりたい事から逃げて、生き延びる道を選んだ者だけが言える言葉なんです。心が死ぬような思いをした人間の言葉なんですよ」

 声に、少しだけ怒りが滲んでいた。

 これまで一切の感情を見せなかった片瀬が、初めて心を覗かせていた。

「そして、そういった方々はえてして『心が死んだまま生き続ける方が怖い』などと言いません。そんな軽々しく口に出来る『恐怖』じゃないんです。――少なくとも、あの方はおっしゃらない」

 撃鉄が起こされる。

 逃げたくとも、片手は捻りあげられたまま固定されている。

 僕はここで終わるのか。

 友人を捨て、かたきに愛想を振りまき、そうして得た物を捨てても僕の目的には足りないのか。

 そして、


「貴方の言葉は軽すぎる」


 片瀬かたせは引き金を引いた。


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