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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
第三章 塀の外へ
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第三章 塀の外へ (その1)

 デカチーと二人きりで話したのは、後にも先にもそれ一回きりだった。


 それはマサトが一志かずし達と出会った翌日だった。

 いきなりデカチーの方から呼び出されたのである。

『釣りをしよう』

 デカチーが持つホワイトボードにはそう書かれていた。

 言葉を発せないデカチーは、筆談用のホワイトボードを常に持ち歩いていた。

「……えっと、一志かずしとナツメは?」

『来ない。二人だけ』

 正直、マサトは緊張していた。

 一志かずしとナツメは明るくフレンドリーな性格だ。それは記憶喪失きおくそうしつだというマサトの面倒を買って出た事からもわかる。だからマサトも気軽に話せたし、昨日一日だけでもそこそこ仲良くなれた自信がある。

 しかしデカチーは違った。

 人見知りとは言わないが、どちらかと言えば一歩引いて状況を見守るタイプだ。

 それに蜥蜴とかげの頭からは表情が読めない。おまけに筆談。おかげで本音と建前と冗談の区別がつけづらい。

 要は、マサトは未だにデカチーという変貌者へんぼうしゃの性格を掴みきれずにいたのだ。

 出来ることなら二人きりにはなりたくない相手である。

 釣りをする場所として連れてこられたのは西部の森林地帯。その大久利川おおくりがわ上流だった。

 デカチーは四本ある腕のうち二本で文字を書き、残りの二本で釣り竿を準備していく。

 川釣りの経験などないマサトはその準備にすらおたついてしまう。結局、見かねたデカチーが全てを用意してしまった。針に餌をつける事すらもデカチー任せっきりだった。

 小さな家ほどもある岩の上に腰かけて、デカチーとマサトは川へ糸を垂らす。

 沈黙が、長く、長く流れた。

 本当に長い。

 マサトは、何か話さなくてはいけないような焦りを覚えた。

「…………ねえ、」

『仮面は着けたままなのかい?』

 マサトの言葉をさえぎるように、デカチーはホワイトボードを突き出した。

 蜥蜴とかげ頭は川面へ向けられたままだ。だがその状態でも、爬虫類の視界を持つデカチーはマサトの顔を視界に捉えているのだろう。

「仮面は着けたままって――外したら、そこが傷になって変貌が進んじゃうし」

『ここには一志かずしもナツメもいないよ』

 マサトは息を飲んだ。

 会ってまだ二日目だというのに、もう嘘を見抜いたのか。

 絶句するマサト対して、デカチーは新たな言葉をホワイトボードに書きつける。

『別にバラしたりしない。でも、表情が見えないと話しづらい』

「…………わかった」

 表情が見えないのはお互い様だろうに。

 その言葉は飲み込んで、マサトは額から顎までを覆う鬼の仮面を外す。

「これでいい?」

『引いてるよ』

「え、」

 見ればマサトの竿が大きくたわんでいる。慌てて竿を引き上げようとするが、思っていたよりも糸を引っぱる魚の力が強く、なかなか持ち上がらない。竿にはリールなどの高級品は付いていない為、単純なマサトと魚の力勝負だった。

『思いっきり引き上げちゃっていいよ』

 その文字を見て、マサトは全体重をかけて竿を引いた。

 途端、何かがすっぽ抜けたように竿が軽くなる。マサトは尻餅をつきながら、中空に放り出された竿と糸の先にかかった岩魚(いわな)を見た。

 釣れたのか。

 そう喜びを感じる前に、勢い余って岩魚から針が外れた。川面へとダイブしていく岩魚。

 それをデカチーが背中の四枚のはねで飛び上がり、掴み取った。

 ぼちゃり、と水を溜めたバケツの中に放り込む。

『ナイスフィッシング』

「な……ナイスキャッチ」

 マサトの言葉を聞いて、デカチーが蜥蜴とかげの口を大きく開けて「キュロロロロッ」と鳴いた。

 それがデカチーの笑い声だという事は、一志かずしに後になって教えて貰った。

 しかし、その日のマサトは意味がわからず、呆気あっけに取られるだけだったが。

『やっぱりね。君は釣りが得意だと思ったんだ』

 得意も何も、今日初めてやったのだが。

 もちろん、記憶を失ってからという意味ではある。それともデカチーにそう思わせる何かをしていたのだろうか。もしかしたら僕の過去に関わるような何かを。

 そう期待して、マサトは「どうして?」と問う。

『君は機械みたいだからね。魚も警戒しないと思った』

 答えてデカチーは、すとんと岩の上へ腰を落とす。

 顔は再び川面かわもへ戻された。だが、空いた二本の手はせわしなく動きホワイトボードに言葉を書きつける。

『訂正。機械とは違う。けど、君には意志が感じられない』

「そうか、な」

 なんだ、そういう事か。僕の過去について何か察したわけではないらしい。

 マサトは落胆をもってデカチーの言葉を受け止めた。

 確かに受動的である事はマサトも自覚している。

「もっと積極的になった方がいいって事?」

『君は、アレをどう思う?』

 話が飛ぶ。はぐらかされている気がする。

 釈然しゃくぜんとしないものを感じながらも、マサトはデカチーの指の先を追う。

 デカチーが『アレ』と指したのは、多神原たがみはらの塀だった。天を衝くような高さを持つ巨大な塀。一志かずしいわく、365メートルあるらしい。それが半径十キロの円を描いて多神原たがみはらを囲っているのだという。天辺には巨大な風車が一定間隔を置いてずらりと並んでいた。

「どう……って?」

『あの塀には、ダムの建設技術が使われている』

 マサトが『ダムとは何か』と問うと、塀の外にある水を溜めておく設備だとデカチーは語った。多神原湖たがみはらこのような人工湖を作って、生活用水を確保するのだという。多神原たがみはらの生活用水も元を辿れば、塀の外にある湖から供給されているらしい。その余剰よじょう分が溜まったのが《多神原湖たがみはらこ》なのだそうだ。

 なるほど。それならダムなる物の技術が使われていてもおかしくないとマサトは思った。

 だが、デカチーが言いたいのはそういう事ではないらしい。

『だからいざとなれば、外の湖の水をそっくり中へ移せる』

「中って?」

 デカチーは、ペン先を下に向けた。

 しばらく考え、マサトはそれが多神原たがみはらそのものの事を指していると理解した。

「……そんな事、なんで準備するの」

『《変貌症へんぼうしょう》の原因がまた噴火するかわからないからだと思う』

「原因? 噴火って?」

 デカチーはチラリとマサトへ視線を向けた。やれやれと言わんばかりにため息を吐く。

『二十年前。《何か》が多神原たがみはらの土地から溢れ出した事で《変貌症へんぼうしょう》は誕生した。それを研究者の間では『噴火』って呼んでる。けど今は《中央禁区ちゅうおうきんく》の極一部でしか放出されていない』

 せわしなくホワイトボードの文字を消しては書きつけて、デカチーは説明する。

『その《何か》は一定速度以上の流体りゅうたいには蓄積ちくせき出来ないことがわかってる。あの風車も壁周辺に風を巻き起こして、空気の壁を作るためにある。そして空気の壁で手に負えないくらいその《何か》が沢山溢れてきたら、流水で蓋をする』

「その時、僕等はどうするの?」

『一緒に蓋をされる。ついでに水棲生物型の変貌者へんぼうしゃ対策に高圧電流か何か流すらしい。多分他にも何か。ともかくそれらで《変貌症へんぼうしょう》を一掃いっそうするってことだろうね』

 つまり全員殺されるという事だった。

 デカチーは書いた文字を消して、新しい言葉を書きつける。

『その代わり、噴火がなければ何もしなくても生かしてもらえる。貴重な資源としてね』

「資源って何?」

 デカチーは『君は聞いてばかりだね』と書いてから、説明してくれた。

『物理法則を無視して生物の肉体を作り替える事は、とてつもないエネルギーが必要な行為のはず。だから研究を進めれば日本独自のエネルギー資源として利用できるかも。という風に塀の外の人達は考えてるみたい』

 だから一志かずしの言う『飼われている』という表現は的を射ているのさ。とデカチーは続けた。

「……よくそんな事知ってるね」

 そう問うと、デカチーはなんでもないように、

『うん。ぼくは変貌へんぼうが完了してるからね』

 と答えた。

 わけがわからずマサトが続く言葉を待っていると、デカチーはため息混じりに、

変貌症へんぼうしょうってのはさ、変貌が行くとこまで行って完了しちゃうと、他人には伝染しなくなるんだよ。もちろん、体液の交換くらいすれば別だ。けど、そんな事しないし。だから、たまに出島さん辺りに頼んで、治安維持隊ちあんいじたいの基地にある図書館に入れてもらってるのさ』

 と説明した。

 そして、

『というわけで、ぼくは養殖業ようしょくぎょうをしようと思ってる』

「は?」

『さっき言ったように流水の中なら《変貌症へんぼうしょう》の影響は最小限に抑えられるからね。塀の外のやり方を真似られるはずだ』

「いや、まあ……それはわかるけど」

 話が飛びすぎだ。

 マサトはかなり苛立った声を漏らしたはずだったが、デカチーの表情も態度も変わらない。

 淡々と、自身の言葉の説明を書き連ねる。

『要は多神原たがみはらが自給自足できるようにしたい。そうすれば、ぼくの弟や親が配給券の為に、何度も人体実験に協力する事もなくなる。――いざとなれば殺されるのは仕方がない。けど《生きる》ことまで捨てたくないのさ』

 ああ、ようやく話が見えてきた。

 マサトは最初にデカチーが書いた「意志が感じられない」という言葉を思い出す。

『君が何者か、ぼくは知りたい』

 失った記憶を思い出せと言っているわけではない。

 むしろデカチーはそんなことはどうでも良いと思っているらしい。

『記憶を失くして怖いのはわかる。けど、なら余計に《意志》や《目的》を持つべきだとぼくは思う。記憶なんかよりもそっちの方が今の君を形作ってくれるはずだ。好きな事、嫌いな事、正しいと思う事、許せないと思う事。まずはそういう事から自分を知ればいい』

 その一例として、デカチーは自身の境遇きょうぐうや考え方を語ったのだ。

 デカチーのトカゲ頭が、マサトを見据える。

『君はどんな風に生きたい? 何がしたい?』

「判らない……まだ」

 つい、とデカチーは竿へ視線を戻してしまう。

 その横顔が『気長に待つよ』と言っているようだった。

「――でもどうして、こんな話を?」

 会ったばかりではあるが――いやだからこそ、ここまで気を遣ってくれる理由がわからない。

 しかも、わざわざ呼び出してまで。

 デカチーの竿がたわむ。

 ゆっくりと竿を引きながらデカチーは答えた。

『自分でもよくわからないけど。多分、嫉妬しっとの裏返しかな』

「嫉妬? 誰に?」

『だからさ。君が一志かずしとすぐに仲良くなっちゃったもんだから、ぼくとしては嫉妬しちゃうわけだ。ぼくは一志かずしの事ならなんでも知っている――ナツメが知らないような事だってね。まあバカな考えだけど、君に一志かずしが取られるような気がしちゃったんだな』

「…………えっと?」

 話が見えない。

 いや、文字通り解釈すれば、デカチーが一志かずしへ恋愛感情を抱いているように思える。マサトは思わずまじましとデカチーを見つめてしまった。

 しかしデカチーは何も答えず、釣り上げた魚をバケツへと放り込む。

 そして釣り針に餌を付けて再び川面へと糸を垂らした。

 デカチーが再びホワイトボードに言葉を書いたのは、沈黙が何分も経ってからだった。

『やっぱり勘違いしてるね。慣れてるけど、こんな話をした後にはちょっと辛い反応だ』

 デカチーはため息を吐いて、ホワイトボードに文字を書き連ねた。

『《《ぼくはこれでも《女の子》なのさ》》。外見もこんなだし、よく男だって勘違いされるけど。まあ親も最初は男だと思ってたみたいで《かぶと》なんて名前つけて男の子として育てられたし。普段から男として振る舞ってるしさ。ま、一志かずしには一発で女だとバレたけどね』

 蜥蜴とかげ頭からは表情は何も読めない。

 デカチーは変わらぬ調子で、ホワイトボードに書き続ける。

『まあそんなだから、叶わぬ恋だってのも判ってる。でも好きな人には尽くしたいと思うのさ。だからバイクの修理だって覚えたし、こうして新しくメンバーになる人間の素性も調べて危険がないか確かめる』

 君の外見を知った時には驚いたよ。と、デカチーは続けた。

 デカチーは蜥蜴とかげ頭をマサトへと向ける。

『できたら君には早く独り立ちして欲しい。だからこんな話をしたんだ。だって、そうじゃないと一志かずしが君にばっか構うようになるだろ?』


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