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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
間章 千里眼の少女と、狼の青年
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間章 千里眼の少女と、狼の青年

 スーパーの廃墟から百メートルほど離れた場所に、かつて三階建てのショッピングモールとして存在した建物がある。

 その屋上で、ナツメは左腕を空へ掲げてたたずんでいた。

 普段のトレンチコートにキャスケット、手袋までも脱ぎ捨てている。着ているのはタンクトップにジーンズのみだ。――そして露出した肌には無数の眼が存在していた。

 特に左腕には、眼球が折り重なって腕をかたちづくったのではないかと思えるほど、無数の『眼』がうごめいていた。あまりに数が多い為、眼を保護する粘液がネチャネチャと音を立てている。

 今、ナツメの視界は360度全てをカバーしていた。

 それは治安維持隊ちあんいじたいが近づいて来た際にすぐさま一志かずしへ伝える為である。

 と、唐突にナツメは苦悶くもんの表情を浮かべた。

「――ほんと、一志かずしも無茶言うんだから……」

 頭が割れるように痛い。

 当然だ。人間の脳はこれだけの視覚情報を受け止められるようには出来ていない。

 ナツメが常に帽子とコート、更に手袋で肌を隠すのはこれが理由だった。要は『目隠し』なのだ。全ての眼を半日も開いていたら気絶してしまう。ナツメの眼には目蓋もあったが、全てを意識的に閉じるのは難しい。例え閉じていたとしても、目蓋の上から感じる陽光だけで辛いのだ。外に出る時にはどんなに暑くても、コートが必要だった。

 唯一安らげるのは寝ている時だけ。

 睡眠時には意識せずとも全ての目蓋が閉じる。

 それでもまだ最近はマシになったとナツメは思う。同時に開いていられる眼の数が数十個にまで増加した。管理事務局かんりじむきょくの定期検診では『視覚野が肥大化している』との事。このままいけば全ての眼を開けた状態でも生活出来るらしいが、流石にそれは何十年も先の話らしい。

 そしてナツメは、右手を前方へと突き出した。

 右腕は比較的に綺麗なままだった。眼は肩と二の腕辺りに一つずつだけ。

 そして右手の平に一際大きな眼があった。

 ナツメ自慢の、天体望遠鏡並の視力を持つ眼である。

 これがあれば多神原たがみはらを囲む、あの巨大な塀につけられた小さな傷まで見て取ることができた。しかも光量が少ない場所も、昼間のように明るくる事が出来る。その分視野は狭い為、周囲の警戒には向いていない。しかもこの眼は桁違いに脳を痛めつける。

 それでも右手の眼を開いたのは、一志かずしの様子を窺う為だった。

 スーパーの廃墟へ十河を連れ込んだきり、一志かずしは出てくる気配がない。既に大食い婆さんはカシマ組の男たちによって仕留められてしまった。一度だけ発砲炎が見えたが、ちゃんと十河を殺せたのか。それとも何かマズイ事でもあったのではないか。しかし、左顔面にあるたかの目でも暗いスーパーの廃墟の中を見通すことはできず、右手の眼を使うことにしたのだ。

 そしてナツメの悪い予感は的中する。

一志かずし……!!」

 右手の眼がとらえたのは、床に組み伏せられた一志かずしと、それを囲む数人の変貌者へんぼうしゃ。そして柳瀬やなせ十河とうごだった。――いや、それだけではない。あの華弥かやという娘も捕まっている。

 そして物陰から、マサトが姿を見せた。

 両手を挙げたまま十河とうごへと何かを語りかけているようだ。しかしナツメの眼をもってしても、仮面の下の口が何を言っているのかまではわからない。やがて何らかの結論が出されたらしく、マサトの手に拳銃が渡された。

 そしてマサトは誰に邪魔されるでもなく一志かずしへと近づき、

「な、」

 その背中を撃った。

 何度も、何度も、何度も撃った。

 なにしてんの!? アンタは味方じゃないの!?

 ナツメは眼を疑う。わずらわしいが信用はおける自身の眼を、疑わずにはいられなかった。

 その間にも事態は進行する。

 そしてまた、ナツメは眼を疑う事になった。

 鬼の仮面を外したマサトの素顔を見たのだ。

 健常者と変わらぬ顔。『水に変貌しかけて肌が溶けている』はずのその顔には、傷一つない。

 宇宙人けんじょうしゃそのものだった。

 再び、マサトと十河とうごの間で交渉が持たれた。途端、笑い出す十河とうご

 まるで息子の成長を喜ぶように、十河とうごはマサトの肩を抱いて廃墟の奥へと消える。やがてカシマ組の男たちも眠らせた華弥かやを肩に背負って十河とうごの後を追った。

 長い間、動く事が出来なかった。

 ナツメが思考停止から立ち直ったのは、南部の基地から治安維持隊ちあんいじたいの武装ヘリが近づいてくるのを認めてからだった。この廃墟まで十数分だろう。

 脱ぎ捨てていたトレンチコートとキャスケットを拾って、走り出す。

 目的地は一志かずしが倒れているスーパーの廃墟だ。治安維持隊ちあんいじたいは恐らく、大食い婆さんの鎮圧と回収を目的として向かってきているはずだ。当然、その場に転がる死体は『研究材料』として回収するのだろう。

 一志かずしを連れて行かれるわけにはいかない。――例え、死んでいたとしても。

 ナツメはショッピングモールからスーパーまでを飛ぶように駆けていく。足も肺も悲鳴を上げているのがわかった。酸欠で視界がかすむ。それでも走る。脳裏に剥製にされたデカチーがチラついていた。

 その甲斐あって、ナツメはヘリの音が大きくなる前にスーパーの廃墟へと辿り着く。

一志かずし!」

 床に倒れ伏す一志かずしに駆け寄った。銃で撃たれたのか右手は無残に砕け散り、赤い何かが周囲に飛び散っている。その上、一志かずしのフライトジャケットの背には、いくつもの黒い穴が穿うがたれていた。

 ナツメは再び固まってしまう。

 本当に。本当に死んでしまったのか。

 あの一志かずしが。誰よりも強い一志かずしが。

 あの時、あたしを救ってくれた一志かずしが。

「かず、し――」

 その時、一志かずしの身体が動いたような気がした。

 もう何度、眼の錯覚を疑ったかわからない。

 だが、錯覚ではなかった。

「――ぅ、あッ…………痛ってええええええええええええッ!!」

 一志かずしが絶叫しながら跳ね起きた。

 原形を留めないほど破壊された右手を、無事な左手で押さえて「痛てえなクソ」と悪態をついている。

 そしてようやく、一志かずしはナツメに気づく。

「ナツメ――? なんでお前ここに、」

一志かずし、生きてる」

「ああ、生きてるよ」

一志かずし、生きてる。すごい生きてる。死んでない」

「ああ、死ぬほど痛えけどな」

一志かずし、生きてるッ!!」

 ナツメは一志かずしを抱き締めた。嬉しくて、涙が七つの眼全てからあふれる。一志かずしは「な、なんだなんだ!?」と驚いていたが、すぐに普段の苦笑いを浮かべ、ナツメを落ち着かせるようにその背中を撫でた。

「どうして? どうして生きてるの!?」

「いや、まあ、親父に護られたってとこかな」

「……?」

 一志かずしは着ていたフライトジャケットを脱いでみせる。――その裏地には見た事もない繊維で覆われていた。

「防弾性能のある特注でよ。親父が生きてた頃に着てたもんなんだ。――ま、弾を通さないだけで衝撃はそのままだから、今みたいに当たり所が悪いと気絶しちまうけどな」

 はっはっは、と笑う一志かずし。ナツメもある事に思い至り、頬が緩む。

「――あ、じゃあマサトもそれを知ってたんだ! それで十河とうごを騙す為に撃ったって事?」

 途端、一志かずしの顔から笑みが消えた。

「いや、知らないはずだ」

「え?」

「知ってるはずがねえんだ。俺はこの事をマサトどころか誰にだって言った事はない。知ってるのは俺の親父と付き合いのあった極少数だけだ。その殆ども死んじまって、今じゃ静佳しずかさんしか残ってねえ」

 ナツメは言葉を失った。

 一志かずしは自身のズボンを引き裂いて、その布で右手を縛り上げ止血する。

「あのさ……じゃあ、」

「あ? なんだ」

一志かずしはさ。マサトの顔の事も知らないの?」

「なんの話だ?」

 ナツメは、自身が見た光景を語った。

 マサトが常に付けている鬼の仮面。

 その下にあった、変貌の片鱗すら見えない健常者の顔の事を。

「もしかしたら一志かずしは知ってて――その、あたしが嫌がるから黙ってたのかなって思ったんだけど、そうじゃないの?」

「いや、初耳だ。本当に変貌は無かったのか? 《水》じゃなくても、何か他の変貌は?」

「なかった、と思う。あたしの右手の眼で服の下も透視できたけど……何もなかった」

「そうか」

 そう呟いたきり、一志かずしは黙り込む。

 ナツメとしては状況がまだ理解できていなかった。というより理解したくなかった。

 確かに付き合いはたったの一ヶ月程度だ。だが確かに《仲間》として信頼していたのだ。

 その相手に裏切られたとは、思いたくなかった。

 しかし、一志かずしは眉をひそめてナツメが避けた言葉を口にする。

「……考えてみりゃおかしい話だ。会って一ヶ月の奴に、どうして俺はあそこまで信頼を寄せていたんだ? 仮面の下を見たわけでもねえのに、『水』の変貌症へんぼうしょうだなんて、どうして信じてたんだ?」

一志かずし?」

「――あいつは一体、何者なんだ?」

 ナツメの呟きに答えず、一志かずしは立ち上がる。

 スーパーの廃墟に、武装ヘリのローター音が響き始めた。


「行こうナツメ、治安維持隊ちあんいじたいが来る」

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