第二章 変貌者狩り (その5)
同時刻。
連続する銃声が響く。
同時に、必死に逃げていた変貌者の男が倒れた。
わっ、と取り巻きから歓声が沸き起こる。
「ナイスショット!」「流石ですね旦那」「いやはや敵いませんね」口々に褒め囃す取り巻きにM4カービンを掲げて防護服を着た男が振り返る。その顔には得意げな表情が浮かんでいた。
男は角田という名の会社経営者である。
その男を少し離れた場所から眺める、別の男がいた。
「楽しそうだねえ、うん」
柳瀬十河が、細い目を更に細くして微笑んだ。
その横に立つ一志は、横目で柳瀬十河の様子を窺う。
静佳の手配により、一志は単身、《変貌者狩り》のメンバーの一人として北部廃墟まで来ていた。北部廃墟の案内人としてカシマ組に雇われた事になっている。実際、主要な道路が寸断され陸の孤島となっていた旧北大澤駅の廃墟まで《変貌者狩り》のメンバーを案内もした。
二台の装甲車に乗って《変貌者狩り》に現れたのは十二人。うち五人が健常者であり、その中に柳瀬十河はいた。残りの七人は全員、カシマ組の人間である。一志が知る限りカシマ組の中でもかなりの実力派揃いだった。同数の治安維持隊と正面からぶつかり合って、確実に勝てる面子だ。それだけ柳瀬十河は『お得意様』なのだろう。
だが、
「いやあ、角田さん。上手い上手い」
「そうだろう柳瀬くん。練習したからな」
がっはっは、とカービン銃を片手に角田と呼ばれた男は笑う。
その角田を柳瀬十河は、何も持たぬ手を叩いて称賛する。
柳瀬十河は北部廃墟に来てから、狩りに参加するどころか銃すら手にしていなかった。
この男は、何の為にここまで来たのか。
一志は戸惑い、柳瀬十河を改めて観察する。最新型ではあるが、ごく一般的な変貌症防護服。視界が広く取られた防護メットからは、柳瀬十河の顔がよく見えた。
特徴を挙げるのが難しい、ごく平凡な顔つきだった。整っているといえばそうなのだが、美形というわけでもない。唯一の特徴は、細く切れ長の目元だ。この目のおかげで、常に微笑んでいるような印象を受ける。しかし一志からすれば、それは人を安堵させる笑みではない。どちらかと言えば狐を思わせる、油断ならない笑みだ。
「――どうしたのかな?」
視線に気づいて、十河が顔を一志へと向ける。
「いえ、柳瀬様は狩りに参加されないのかと思いまして」
一志は慇懃に答える。
十河は《変貌者狩り》に参加しているにも関わらず、変貌者に対しても対等に話していた。もちろん『客』という立場からの発言ではあるが、他の健常者などカシマ組の連中とろくに目も合わせようとしない事を考えれば、十河の行動は異常であった。
「狩り、ねえ」
十河は腰に両手を当て、遠くで「さあ次の獲物を出すんだ」とカシマ組を急かしている健常者達を眺める。
「あんなもの殺して、何が楽しいのかねえ」
一志にとって、聞き捨てならない一言だった。
「……柳瀬様は、狩りがお嫌いなのですか?」
「別に嫌いじゃないよ。好きでもないだけ」
十河は鼻だけで小さくため息を吐き、
「ここまで来たのは付き合いみたいなもんだよ。君らと一緒さ。金持ちと権力者の接待だよ」
「三週間前の狩りも『付き合い』で参加されていたのですか?」
「ま、そんなとこかな」
聞き捨てならない。聞き捨てならなかった。
一志は必死に自分を抑えこみ、顔に狼耳に尻尾に、感情が滲み出ないよう努力した。
柳瀬十河がその手でデカチーを殺した事は再度確認している。柳瀬十河がライフルを構えて、逃げるデカチーの側頭部を撃ち抜いたのだ。角田とその取り巻きが自らの手柄のように話していた事で確認できた。それを立ち聞きし、一志は改めて十河を殺す決意を固めたのだ。
だが、なんだ。
柳瀬十河にとって、デカチーを殺す事とは『付き合いで仕方なく』する事だったのだか。
そんな娯楽以下の理由で、俺の友達を殺したのか。
一志の手が懐のS&Wに伸びる。もう後先を考えて行動出来る精神状態ではなかった。
その時、
「というか、さ」
十河がぽつりと口を開いた。
一志の手が止まる。
「ボクがしたいのは『人殺し』なんだよね」
「……と、言いますと?」
「だからさ。あんな人間モドキ撃っても楽しくないって話。三週間前に『人間』を撃てた事があったけど、それからはずっと外れだなあ」
一志は心の中で首を傾げた。
人間モドキ――とは、今殺された変貌者のことだろう。
三週間前に撃った『人間』とはデカチーで合っているはずだ。
狩りが始まって一時間が過ぎた。既に三人の変貌者が殺されている。中には殆ど変貌などしていない者もいた。恐らく塀の外から逃げ込んできた犯罪者だろう。そういう者は管理事務局に名が登録されていない上、改めて申請をするわけにもいかない。犯罪者とバレれば治安維持隊に逮捕されてしまうからだ。結果、配給券も何も得られずに飢えていく。カシマ組はそういう変貌者に『高給の仕事がある』と唆し、ここまで連れてきているらしい。
その変貌者達を十河は《人間モドキ》と呼んだ。
多神原に来たばかりでろくに変貌していない男たちを、である。
どう考えても、デカチーの方が『人間』には見えない。人間モドキと称するなら、デカチーの方だろう。一志には十河の思考が理解できなかった。
「ところで、」
十河が再び一志へと顔を向けた。
相も変わらず、狐のような微笑みを浮かべている。
「君はどうしてボクが三週間前にも《変貌者狩り》に参加してるって知ってたんだい?」
「――カシマ組の方々から伺いました」
「そうなのかい? ここに来るまで、そんな話をしてたようには見えなかったけど」
十河が口角を上げて、首を傾けた。
こいつ、何か勘づいたのか。一志は動揺を悟られないよう「お客様の趣味嗜好と経歴は打ち合わせの段階で伺っております」とだけ答えた。
「……へえ、」
十河はわざとらしく、驚いたような表情を見せた。
「それなら、ボクがただの《変貌者狩り》には参加しないって聞いていたんじゃないかな? カシマ組の人達には、毎度言っている事なんだけど」
「そうなのですか? 俺はうかがいませんでした」
しれっと答えはしたものの、一志は墓穴を掘った事を自覚した。
語るに落ちた。そう一志は歯噛みする。これで会話の主導権は完全に柳瀬十河へと移った。それだけではなく、疑惑以上の何かを十河は抱いたに違いない。
そして十河は一志へと顔を少しだけ近づけ、
「じゃあ、もう一つ訊きたいんだけど――」
「おいおいおい、なんだなんだっ!?」
その叫び声は、角田があげたものだった。
一志も十河も、角田と取り巻き達がいる半壊したバスロータリーの方へ視線を向けた。
その時には、近づいて来る何かの足音がはっきりと聞き取れるまでになっていた。すぐにビルの陰からそれが姿を現す。
土埃をあげ、巨大な犬がこちらへ向かってきていた。
その背後には、無数の昆虫の脚を持つ更に大きな変貌者。
プチに乗るマサトと、彼が誘き出した《大食い婆さん》だ。
「わふっ!」
一吠えして、プチはバスロータリーを駆け抜けると、その横に聳え立つ駅ビルの廃墟の壁面を駆け上がった。そのまま屋上へと姿を消す。ああ見えて身軽なプチらしい芸当だ。
しかし《大食い婆さん》はそうもいかない。
《大食い婆さん》はそのままの勢いで駅ビルへと突っこんだ。地を揺るがす程の衝撃。僅かに残っていた駅ビルの窓ガラスが《大食い婆さん》へと降り注ぐ。
一瞬の静寂。
そして、
「ああうあぁぁあ――」
《大食い婆さん》は身体を起こした。
理性の消えた双眸が、ギョロリと互い違いに周囲を見回している。口の端からは涎とだらりと伸びた舌が垂れていた。『バスンバスン』と杭のような脚をひび割れたアスファルトへと打ちつけて方向転換し、《変貌者狩り》のメンバーへと身体を向ける。
ニタァ、と《大食い婆さん》が嗤った。
「――か、構えろ! 撃て!!」
カシマ組の男達の反応は早かった。
《大食い婆さん》の興味が自分達へと向けられた事を瞬時に察し、手にした銃器を発砲する。連続する銃声は、単一の爆音となって一志の耳朶を叩いた。
が、
「ああああああああああぁぁああああぁあうあぁっ!」
《大食い婆さん》は嵐のように降り注ぐ銃弾をものともせず突進する。見れば甲虫の脚はもとより、その巨大な老婆の顔に当たった銃弾すらも弾かれていた。それでも多少の痛みは感じるのだろう。銃弾が浴びせられる度、苛立たしげに顔を歪めている。
「うわああああっ! 助け、助けろ!! お前らたす」
始めに犠牲になったのは、バスロータリーで固まっていた角田だった。《大食い婆さん》の巨大な昆虫の脚に頭から押し潰され、小さな水たまりへと変貌する。
「あーれま。こりゃまずいな」
横から聞こえたその声に、一志は視線を向ける。
十河の顔から微笑みが消えていた。この男も焦ることがあるらしい。今、この瞬間は冷静な判断力と決断力を失っているのだろう。
チャンスだった。
「柳瀬様、こっちです」
「ッ? おい、なんだ?」
一志は十河の手を引いて、駅ビル向かいにあるスーパーマーケットの廃墟へと駆け込んだ。
何かを繰り返し叫んでいる十河の言葉は無視して、入り組んだ店内を駆け抜ける。月明かりも十分に届かない暗闇の中を、狼の夜目で探り十河が転ばないようなルートを選ぶ。
正面。壊れて動かなくなったエスカレーター。「階段です気をつけて」とだけ言って、十河の手を引いたまま駆け上がる。
そこで、ようやく一志は立ち止まり背後を確認した。普段なら狼耳だけで十分だが、今は外から響く銃声と唸り声のせいで耳が塞がれている為だ。
――誰もついてきていない。
《大食い婆さん》は元より、十河を護衛するカシマ組の連中も。
「――はあ、ひとまず助かったのかな?」
肩で息をしながら、柳瀬十河は《大食い婆さん》が暴れているであろう方向へ顔を向ける。明りのない廃墟の向こうからは、銃声と叫び声が木霊していた。
スーパーの廃墟の中は駅ビルよりも更に荒廃が進んでいた。年月による風化もあるが、それ以上に爆破跡や弾痕がいくつもあり、陳列棚を盾代わりにした形跡も垣間見える。治安維持隊になる前の自衛隊と武装集団との交戦跡だろう。壁も砲撃によるものと思われる穴が無数に空いている。お陰で、電気の通わぬ店内にも月明かりが届いていた。
これでは健常者でもぼんやりと周囲の様子を確認できてしまう。
念には念を。一志は月明かりから逃れるように影へと身を滑り込ませる。足元には様々な物が散らばっていたが、踏んで足音を立てるようなヘマはしない。ナツメほどではないにしろ、一志も狼の感覚器官を得ているのだ。
「ありがとう、君。助かったよ」
「いえ、当然のことをしたまでです」
言って、一志は柳瀬十河の背中へS&W《スミスアンドウェッソン》の銃口を向ける。
暗闇に潜む一志の動きを、十河が察した様子はない。
ここに来て作戦は最終段階に達した。
《変貌者狩り》のメンバーに忍び込み、《大食い婆さん》を使って混乱を作りだして、柳瀬十河と二人きりになる。単純な作戦だが、それ故に応用も利く上、失敗する可能性も低い。
あとは、この引き金をひくだけ。
これで俺達の報復は完了する。
「いや本当に助かったよ――」
銃声。