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ヒトになるまで待ちましょう  作者: 忍野佐輔
第二章 変貌者狩り(マンハント)
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第二章 変貌者狩り (その4)

 時計の針は進む。


 まるで夜闇よやみが絡みついてくるようだった。

 実際にはそんな事はあり得ない。だが、自分の手すら溶けて見えなくなる程の暗闇は、マサトにそう錯覚させる。鬼面きめんの隙間から入り込む風すらも、自分を飲み込もうとしているように思えた。

「ばふっ」

 と、プチが小さくひと鳴きして背中に乗るマサトへ振り返った。そこでようやく、緊張のあまりプチの背中の毛を引き抜かねないほど強く握り締めていた事にマサトは気づく。慌てて毛皮を放して「ごめんプチ」と謝罪した。

「マサト、くん?」

 風の合間を縫って、背後から透明感のある声が届く。

「なに? 華弥かやさん」

「い、いえ……。いますよね、ごめんなさい」

 身をすくめるような気配が伝わってきた。どうやら華弥かやも緊張しているらしい。

 不安や恐怖も含まれているのだろう。あまり過ぎるようなら、あらぬ事故を生むかもしれない。プチの背中から地面までは三メートルはある。死にはせずとも怪我くらいはしてしまう。

「ねえ、華弥かやさん」

 マサトは華弥かやの緊張を解す為、話題を振る事にした。

「どうして僕達に『父親殺し』を頼んだの?」

「……他に、頼める人がいなくて」

 まあ、それはそうだろう。

 しかしマサトが訊きたいのはそういう事ではない。

「いやさ。華弥かやさんは《健常者》だろ? なら治安維持隊ちあんいじたいに頼って助けて貰う事も出来たんじゃないかと思ってさ。塀の外には《ケーサツ》っていうのも居るんでしょ? その人達に柳瀬やなせ十河とうごのした事を言って捕まえて貰うだけでも、良かったんじゃないかって」

 マサトとしては執事の《片瀬かたせ》という男についても気になる。華弥かやを外へ連れ出したのなら多神原たがみはらなどに長居せず、華弥かやを連れてどこかへ逃げるなり、塀の外の司法機関しほうきかんか何かに頼れば良かったではないか、ともマサトは思う。しかし、それを華弥かやに訊いても混乱させるだけだと思い、ひとまず『華弥かやが司法機関に頼らなかった理由』だけに絞ったのだ。

 ――が、それだけ絞っても、華弥かやからの返答は酷く遅い。

「…………まだ、屋敷に居た頃です」

 ようやく口を開いた時には、数分の時が過ぎていた。

十河とうごと、警察の人が一緒に屋敷へ来た事があったんです」

 聞いてマサトは驚く。

「じゃあ、その時に助けて貰えば良かったじゃん」

「……ええ、そうしようとしました」

 華弥かやの声から徐々に感情が消えていく。吃音きつおんすらなくなっていった。

「その人に事情を話しました。まだ、当時は閉じ込められてさほど時間も経っていなかったので、どうにかして脱出しようと、母を探そうと頑張っていた頃でしたし。必死に自分が閉じ込められている事を話しましたし、その人も『うんうん』と話を聞いていました。――そして、その人は何もせずに帰りました」

「え?」

「まるで何も聞かなかったみたいに、十河とうごと親しげに話してそのまま帰ったんです。それで何となくわかりました。今の人は十河とうごの仲間なんだって。私の事をどう思っていたのかはわかりませんでしたけど、きっと『ちゃんと閉じ込められているか』確認しに来ただけだったんだと思います」

 マサトは何も言えなくなった。

 柳瀬やなせ十河とうごが相当な金持ちだとは聞いていたが、塀の外の政府機関すらも従わせているというのか。――いや、それは考え過ぎだろう。しかし少なくとも共犯者は居るということになる。華弥かや治安維持隊ちあんいじたいや《ケーサツ》を頼ろうとしなかった事も理解出来た。

「それ、に、」

 華弥かやの声に、再び吃音きつおんが混じる。

 感情がたかぶっているのが伝わってきた。

「か、母様かあさま、を消した十河とうごを、私、は許せません。ぜ、絶対に、殺さなきゃ――」

 華弥かやの声に、カチャカチャという音が混じる。どうやらあの小刀を握り締め、身体を震わせているらしかった。

 それは決意の表れ――とは、マサトには思えなかった。

 何かおかしい。

十河とうご、は、殺さなきゃいけ、ないんです。これ、で――」

 振り返ると、華弥かやが握り締めたものを見つめているような影がぼんやりと見えた。

 違和感はコレだ。

 恐らく、華弥かやが今握り締めているのは母親から受け継いだという小刀だろう。それで十河とうごを殺そうとでも思っているのかもしれない。

 だが、出会った時はその小刀で自殺しようとしていたのではなかったか。

 あれから十日ほど過ぎた。その間に心変わりしたのだと言われればそうなのかもしれない。けれどもここまで『十河とうごを殺さなきゃ』と連発するほどの飛躍ひやくをするだろうか。

 華弥かやはマサト達と別れた後は、執事の片瀬かやせと共に塀の外にある一般の宿泊施設に居たらしい。

 その時に何があったのだろうか。

 マサトは思う。

 その片瀬かたせという男は、きっと信用できない。

 しかし、もう後戻り出来る場所にはいなかった。

 プチが突然立ち止まる。勢いあまってマサトは前に飛び出しそうになり、華弥かやに至っては実際に前方のマサトの背中にぶつかってきた。

 華弥かやに「大丈夫?」と訊いて、ガスマスク型の防護メットを押さえながら頷くのを確認し、マサトは目の前のソレを見る。

「……また、ここに来ることになるとは思わなかったな」

《大食い婆さん》のツリーハウスは、月明かりのスポットライトに照らされていた。

 この中央禁区ちゅうおうきんくの支配者とでも言うかのように高く、黒く、そびえ立っている。今にも動き出しそうに思えたし、実際動き出してもおかしくない。これもまた《変貌症へんぼうしょう》にかかっているのだ。

「プチ、ゆっくり」

 そう言って首筋を叩くと、プチは頭を下げ姿勢を低くしてそろりそろりとツリーハウスへ近づき始めた。プチの鼻がヒクヒクと動き、視線はまっすぐにツリーハウスの入口へ向けられている。マサトには暗くて見えないが、恐らく中に《大食い婆さん》がいるのだろう。

 マサトは鬼面きめんを外す。どれほど意味があるかわからないが、もしかしたら《大食い婆さん》がまた、孫と勘違いしてくれる事を期待してのことだ。

 巨大な木に穿うがたれた穴をくぐる。

 ぼんやりとした光でツリーハウスの中は照らされていた。見回すと、壁に無数に生えたキノコがぼんやりと光を放っている。以前来た時も、このキノコが内部を照らしていたが、今は随分と光が弱々しい。

「ま、マサトくん」

 華弥かやがマサトの肩を掴む。

 誰かが近づいて来ていた。

 だが《大食い婆さん》ではない。

 その何者かは十メートルほどの距離を置いてマサト達の姿を認め、立ち止まった。迷彩柄の防護服ぼうごふくが小銃を構える。あれは恐らく《フタマル式》。治安維持隊ちあんいじたいの装備だ。

「……誰だ」

 聞き覚えのある声。しかし誰だったか思い出せない。

 けれど、悩むほど治安維持隊ちあんいじたいの知り合いが多いわけでもない。

「――出島でじま、さん?」

「っ!? もしかして大友おおとも君の友達か?」

 出島でじまが構えていた小銃を下ろした。

 そして声をひそめ、

「早くここから逃げるんだ。そのワンちゃんなら逃げ切れるだろ」

「……《大食い婆さん》が奥に居るんですか?」

「知っているのか? ならどうしてここに来たんだ。中央禁区ちゅうおうきんくだぞ」

「それは……」うまい言い訳が思いつかない。「出島でじまさんこそ、どうしてここに?」

 マサトが問うと出島でじまは、当然のことのように答えた。

「ああ、デカチー君を探しに来たんだ」

「え、」

「ここに入ったと目撃情報をようやく聞き出せてな。君も知っての通りここは危ない。誰かが助けに来る必要があるだろ」

 マサトは言葉を失った。

 治安維持隊ちあんいじたいの人間が変貌者へんぼうしゃの身を案じるなど、マサトには考えられない事だった。

 まさか、この出島でじまという男は十日前のあの日からずっと探していたのだろうか。住民の協力などろくに得られなかったはずだ。それどころか今一人の所を見ると、治安維持隊ちあんいじたいの仲間からも協力して貰えなかったのだろう。デカチーの足取りを追う事は相当困難だったはずだ。

 それでもこの男は、ただの知り合いの為にここまで来たのか。

「もしかして君もデカチー君を探しに来たのか? 心配するな。必ず俺が探して連れ戻す。治安維持隊ちあんいじたいを信用出来ないのはわかる。だから信じなくていい。だが俺は、必ず君の友人を君たちのもとへ返してみせる。治安維持隊ちあんいじたいも変えてみせる。信用するのはそれからでいい」

 安心しろと、グッと防護服ぼうごふくが親指を立てた。

 防護メットの向こうの顔は暗くて見えないが、恐らくプチを『可愛い』と言った時と同じ顔をしているに違いない。

 多神原たがみはらで働く男は、多神原たがみはらに住む者の為に働いていたのだ。

「さ、ひとまずここから出るんだ。奴がこっちに気づく前に――」

 出島でじまがプチに近づきながら、その後ろの出口を指す。

 そして、その手だけを残して出島でじまの身体が掻き消えた。

 人指し指を立てた右手首が、ぼとりと地面に落ちる。

 少し遅れて、はるか右奥の壁から『ビチャリ』と粘着質ねんちゃくしつな物がぶつかり、潰れた音が聞こえた。

「――あああああぅあああぁぁあ、」

 唸り声と共に《大食い婆さん》が、闇からい出してくる。

 その昆虫の脚の一本に、赤黒い何かがこびりついていた。

「……はは、」

 マサトは笑うしかなかった。

 なんだこれは。

 ろくでもない。こんな事であの男は死ぬのか。

 僕等が『デカチーは死んだ』と言っておけば、出島でじまはここに来る事もなかっただろうに。それどころか、出島でじまならばデカチーを殺した柳瀬やなせ十河とうごやカシマ組に法の裁きを与えられたのではないかとすら思う。それが出来なくとも、たかが知り合いの為に単身で《大食い婆さん》が住む場所まで来れる男ならば、マサト達の味方になってくれたはずだ。

 その男はたった今、赤黒い何かに変わってしまった。

 たった一言、伝えなかっただけで。

 と、

「――――おや、正人まさとかい?」

 いつかと同じ台詞。見れば《大食い婆さん》の目が正気を取り戻していた。何度か瞬きをして、マサトの素顔を見つめて不思議そうな表情を浮かべている。

「どうしたんだい? こんな時間に――、なんだいこれは!?」

 地面に落ちた出島でじまの右手首を見て、《大食い婆さん》が恐れおののく。本気で驚き怖がっていた。正気を失っていた時の、自分が人を殺した時の記憶はないらしい。

《大食い婆さん》はバスンバスンと後ずさり、慌てて周囲を見回す。

「ま、また出たのかい?」

「……また?」

 マサトはそれだけで気づいてしまった。

 ここから先は華弥かやに聞かせるべきではない。

 だが《大食い婆さん》は、マサトが止める間もなく喋り出す。

「人食いの怪物だよ! 前にも出たんだよ、その怪物に緋衣あけぎさんも殺されちまったんだ」

 マサトの肩を掴む手に力が込められる。

 今まで身じろぎ一つしなかった華弥かやが震えていた。

「いま……なんて?」

華弥かやさん、やめ――」

「マサトくんは黙っててください!」

 マサトが初めて聞く、華弥かやの力強くはっきりとした声だった。

 華弥かやはプチの背中の上で立ち上がる。

「あの……お婆さん。私のお母さんが手紙を書いたのは、死ぬ直前だったんですよね?」

「え? ううん、ここに来てすぐよ。怪物に殺されるずっと前。……どうして今そんな事訊くんだい? そんな事より早く逃げるんだよ! 怪物が戻ってくる前に」

「……お婆さんは、逃げなくても、大丈夫ですよ」

 とすん、と力なく華弥かやはプチの背中に腰を落とす。

《大食い婆さん》が「どういうことだい?」と訊いても何も答えない。

 マサトは背後に座る少女にどう声をかけたら良いかわからなかった。

「マサトくん」

 華弥かやがぽつりと口を開いた。

「何?」

十河とうごを殺しに行きましょう。……《大食い婆さん》を利用するんでしょう?」

 図星だった。

 華弥かやには作戦の全容は伝えていない。そもそも、華弥の役割は十河の顔写真をマサトたちに提供した時点で終わっている。中央禁区ちゅうおうきんくに連れてきたのも、マサトが華弥かやを監視しながら自分の役割を全うする為で、協力させる為ではなかった。

 だが、ここに来た時点である程度は察していたのだろう。

 華弥かやの虚ろな声が響く。

「どうしたんですかマサトくん。……自分の祖母を危ない目には遭わせられませんか?」

「そんなことは、ないよ」

「そうですか? マサトくんは優しそうだから、出来るか心配です」

 これまでと雰囲気の違う華弥かやに戸惑いながら、マサトは答える。

「いや《大食い婆さん》は僕のお祖母ちゃんじゃない」

「……?」

 マサトは十日前に感じた違和感についてずっと考えていたのだ。そして、その答えには割と早くに気づいていた。だから《大食い婆さん》を利用する作戦に同意したのだ。

「この人は『塀の建設が始まって家に帰れなくなった』って言ってただろ? あの塀が作られ始めたのは二十年近く前なんだ。その時に僕を助けようとしたって言うけど、当時僕は一体何歳だったと思う?」

 マサトの外見はどう見積もっても、十六歳の華弥かやと同い年かそれ以下である。マサト自身、正確な年齢は判らないが、二十年前には産まれてすらいなかったはずだ。

 他にも矛盾点は沢山ある。一つ挙げるなら『緋衣あけぎさんに助けられた』という話。華弥かやの母親が多神原たがみはらに来たのはせいぜい四年前だ。だが『自衛隊と喧嘩してる怖い人達』は塀の建設が始まった後すぐに北部でテロ活動を行い、廃墟を作り出して消えたと一志かずしから聞いている。彼らから《大食い婆さん》を緋衣あけぎさんが守れるはずがないのだ。

「この人はとっくに壊れてるんだよ。早く引導を渡してあげよう」

 言って、マサトは鬼の仮面を着ける。

 何となく、今の顔は誰にも見られたくなかった。

 ふと、華弥が不思議そうに首を傾げた。何かに気づいたらしい。

 が、マサトは特に気にせず《大食い婆さん》へ声をかける。

「ねえ、お婆さん。マキって人覚えてる?」

 途端に、《大食い婆さん》の顔から理性が消し飛ぶ。

 真紀まきという人が一体誰なのかは知らないが、余程酷いことをしたらしい。

「ままま真、紀き?」

「そうだよお婆さん。その人が今、この近くに来ているんだ」


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