これからのプロローグ
少年少女の恋愛ものです。『せつない後味の物語』を目指して作成しました。
以前に書いたものに加筆修正を加えて掲載します。
楽しんで貰えれば幸いです。
また、もしよろしければ今後の技術向上の為にも感想などを頂けると助かります。
玄関のチャイムが鳴った。
もうそんな時間か。
やたらと背の高い植木に水をやっていたマサトは、慌ててバルコニーから6畳1Kの部屋へと戻った。その間にもチャイムは落ち着きなく繰り返されている。「おーい俺だ、一志だ」と、急かすような声までドアの向こうから届いてきていた。
マサトは声に「はいはいはーい」と答えながら鍵を外そうとして――急ブレーキをかけて前へつんのめる。
忘れ物に気づいたのだ。
反動を使ってバックステップを踏み、キッチンへと向かう。
キッチンへ無造作に放り出されていたのは、鬼の頭蓋骨を模した仮面だった。
勢い余って通り過ぎたものの、マサトは指に引っかけるようにして仮面をキャッチ。そのまま顔にあてると、仮面は肌に吸い付くように馴染んだ。そしてすぐ横の洗面所へ。
洗面所の割れた鏡に一角鬼の頭蓋骨を被った、小柄な少年の姿が映った。
よし、問題ない。
今度こそ、玄関のドアを開けた。
「おう、マサト」
アパートの共同廊下に立っていたのは、なんとも野性味溢れる青年だった。
きらめく銀髪。その両側からは狼の尖とがった耳が飛び出し、羽織ったフライトジャケットの背後では、銀色の柔らかそうな尻尾が揺れている。
《狼男》に変貌しつつある青年――大友一志は二カッと笑い、鋭い犬歯をのぞかせた。
「んじゃ。《キャラバン》に行こうぜ」
◇ ◇ ◇
まるで仮装行列。
でなければ昼間の百鬼夜行だろう。
通りを埋め尽くす彼ら全てが人間だとは、マサトには信じ難かった。
頭に動物の耳を生やしている者、背中に虫の翅を生やした者、腕に蟹の鋏を生やした者、全身を鱗に覆われた者、毛むくじゃらの者、口が腕にある者、腕が口にある者、よく分からない丸い毛玉の者、身体の半分が鉄の骨格の者――――。
「ほんとに何も憶えてねえんだな」
「――え?」
唐突に、隣を歩く一志がつまらなそうに呟いた。
マサトを横目で見下ろし、
「《変貌者》見てビビる《変貌者》なんか初めてだよ。これから《キャラバン》に行くってのに、そんなんじゃ心臓もたねーぞ」
「す、みません……」
「謝んな」
ガシガシと、一志はマサトの頭を乱暴に撫でる。
「仕方ねえだろ。――記憶喪失、なんだろ?」
「はい、多分……」
「んで、どこまで忘れて、どこまで憶えてんだ? 《変貌症》が何かもわかんねえ?」
「え、と――」
マサトはろくに残っていない記憶を探る。
「身体がどんどん、人間以外の何かに変わってしまう病気。――だから《変貌症》?」
「うん、そうだな。――で?」
「……他は、何も」
「マジかよ」
うへえ、と漏らして一志は狼耳をしおれさせる。
「でもまあ、それだけでも憶えてて良かったな。だからその仮面つけてるんだろ」
こくり、とマサトは首肯する。
「お前の変貌は《水》――だったか。もう顔が少しやられてんだよな?」
再びマサトは首肯。
それを見て、一志かずしは少しだけ眉をひそめた。何かマズイことをしたかと思い、マサトがたじろぐと「ああ、すまんすまん」と一志は笑った。
「俺の親父の時を思い出してな。親父は《砂》に変貌して死んだからよ。ちょっとした怪我だったのにそこからどんどん《変貌症》が進行して、あっという間に砂になっちまった。気をつけろよ、変貌が始まった個所は絶対怪我しちゃ駄目だ。その仮面、絶対外すな」
「はい」
マサトは鬼の仮面の下から笑みを返す。声色だけで察してくれれば良いが。
「まあ《多神原》での生活は、知るよりも慣れろって感じだからな。記憶があろうがなかろうが、あんま関係ないさ」
けどよ、と一志は付け足した。
「それでも『踏んだら一発アウトの地雷』ってのもある。それは先に教えておく。まず――」
一志は軽くマサトを小突き、顎で左の方を指した。「あんま露骨に見んなよ」と釘を刺されたので、視線だけをそちらへと向ける。
そこには迷彩柄の人影があった。《変貌者》の一人かと思ったが、違う。
それは宇宙服のような何かを全身に纏った健常者だった。
「第一に、治安維持隊には逆らうな。しょっぴかれたら最期だ。目印は迷彩柄の変貌症防護服。母体が自衛隊だから武器も持ってる。んで――、」
続いて一志は、視線を遠くへ飛ばしその方向を顎で指す。つられてマサトもそちらと視線を向けた。
見えたのは、空の下半分を覆う灰色だった。
高い――とてつもなく高いコンクリートの塀。その上にはズラリと巨大な風車が並んでいる。
あれこそが《多神原》と《日本》とを隔てる塀。
ここから数キロは離れているはずなのに、その存在感は圧倒的だった。
一志は言う。
「第二に、あの塀には近づくな。治安維持隊がすっ飛んで来る。似た理由で《中央禁区》って場所もだ。場所は今度教える。そして第三に――これが一番やっかいなんだが――」
そう言うやいなや、一志はマサトの頭をガシリと掴んで自分の方へと向けさせた。
マサトが恐る恐る「な、んでしょう?」と問うと、「それだ」と一志は犬歯を見せた。
「その敬語口調やめろ、腹立つ。――俺達はもう友達だろ? タメ口でいいんだよ」
ニカッと、一志が犬歯を見せて笑った。
◇ ◇ ◇
日本に《多神原保護区》が出来たのは20年前の事。
ここ《多神原保護区》はK県の北東部を高さ365メートルのコンクリート塀で、半径10キロの円を描くように囲う事で誕生した。当然、莫大な費用がかかったし、当該地域の住民からは猛反発を食らったし、在日米軍の基地までも含まれていた為に国際問題にもなりかけた。
それでも当時の日本政府が《多神原保護区》を造り上げたのには理由がある。
当時、突如として現れた未知の病。
――《変貌症》だ。
そもそも『病気』と言っていいのか現在でも議論になる。感染した人間は徐々にその肉体を変質させていき、最終的には『化物』としか言い様のない姿へと『変貌』するのだが、それは腫瘍だの遺伝障害だのでは到底説明できない変化なのだ。人間が獣や昆虫、植物などの生物に変貌するなど序の口で、中には鉱物や液体などに変貌する者もいた。まったく物理法則を無視した変化だ。
そして何より問題なのは、その感染経路。
一つは現在、《多神原保護区》として隔離されている地域に足を踏み入れると感染するというもの。当初は空気感染を疑われたが、多神原保護区にどれだけ近くとも当該地域に足を踏み入れない限りは感染しなかった。逆にどんな短時間でも、その地を『踏んだ』者は感染してしまったのだ。
そしてもう一つは、感染者に触れると感染するというもの。
相手の衣服の上からだろうが、自身が手袋をしていようが、最新のNBC防護服を着ていようがお構いなし。とにかく感染者に触れれば伝染してしまう。恐らく当該地域に足を踏み入れると感染するというのも『土地が変貌症に感染している』という事なのかもしれない。
これでは映画に出てくる動く死体や吸血鬼の方が余程マシだった。
だから隔離するしかなかった。
まず当該地域をコンクリートの塀で囲んだ。感染を防ぐ為、塀は当該地域外縁から更に5キロほど距離を置いて建築された。それでも作業員には感染者が多数出た。
次に感染者を塀の中へ放り込んだ。患者は片っ端から拘束し、疑わしい者も拘束し、彼らを捕縛した者をも拘束しーー全部まとめて放り込んだ。脱走を防ぐ為に塀の上には自衛隊が常駐し、不届き者がいれば狙撃だろうが爆撃だろうがあらゆる手段で妨害した。その横暴に反発する形でテロ活動を繰り返す集団が生まれたが、やがて彼らも多神原保護区の北部一帯を焦土とする事で鎮圧された。その過程で《多神原保護区》の警備を担当する部隊は《治安維持隊》と名を変えた。
そして日本に《変貌者》という言葉が生まれ、
《多神原》は《変貌者》の町となった――。
◇ ◇ ◇
「――なんて話をする日が来るとはな」
そう呟き、一志は《キャラバン》の屋台で買った焼きイカを噛み千切る。
一志に連れられやってきた《キャラバン》は、溢れんばかりの《変貌者》が集まり、お祭り騒ぎだった。縁日とフリーマーケットを足して割ったようなものだろう。多神原東部の開けた場所に幾台ものワンボックスカーが並び、個々が様々な屋台を出している。《キャラバン》という呼び名は、そのワンボックスカーの名前から取ったものらしい。
そんな事よりも、マサトは『縁日』と『フリーマーケット』という知識を、自身がどこで手に入れたのだろうかと思議だった。が、いくら記憶を探ろうとも知識の出所はわからない。
「何、暗い空気出してんだ。おらよ」
必死に記憶を探っていたマサトへ、一志が屋台のオヤジから二本目の焼きイカを差し出す。
「あ、りがとう……」
そうマサトが礼を口にすると、一志は『気にスンナ』とばかりに手をヒラヒラと振った。マサトとしては恐縮するしかない。
何しろ、マサトと一志は今日会ったばかりの仲なのだ。
キッカケは、一志がマサトを別人と勘違いして声をかけた事。まるで久しぶりに会った友人に接するような態度の一志に、マサトが「僕の事、知ってるんですか?」と聞き返したのだ。
そこから事情を問われ、記憶喪失だと話すと「じゃあ俺達が多神原を案内してやる」と、ここまで連れて来られたのだ。今の話も、マサトが「《多神原保護区》ってここの事ですか?」と訊いたのがきっかけで始まったものだった。
と、
「ねー、一志ぃ。あたしのはー?」
一志の向こう側から少女の声がした。
マサトと一志がそちらへ視線を向けると、そこには二人の《変貌者》の姿がある。
二人の顔にはマサトも見覚えがあった。
今朝、一志と共にマサトへ声をかけ、また多神原を案内すると言った『俺達』の内の二人だ。
「遅せえぞ。ナツメ、デカチー」
「そおー?」
一人は殆ど健常者と変わらない姿をした少女だ。頭にはキャスケットを被り、ぶかぶかのトレンチコートを羽織っているのは少し風変わりだが、それだけだ。
だがキャスケットを少し持ち上げて顔を見せると、少女の《変貌》が露となった。
左顔面に、眼が五つ余計についている。
彼女の名は、中村ナツメという。
「……ったく。ナツメ、お前は《円》持ってんだろ。なんでいつも俺にたかろうとするんだ」
呆れたように一志が言うと、ナツメは合計七つの眼を細めて「にひーっ」と笑い、
「だって『可愛い子には食べ物を与えよ』って言うじゃん?」
「……『旅をさせよ』じゃねえのか?」
「《多神原》のどこに旅なんてする場所あんのさー? ねー、デカチー?」
話を振られたもう一人の《変貌者》が、返事の代わりに『ヴィィィィ』と翅を鳴らす。
こちらは、まさに《変貌者》と言うべき姿をしている。
大きな蜥蜴の頭に、甲虫の肉体を持った少年だった。
四本の腕に二本の脚。背中には透き通る四枚の翅を持っている。蜥蜴の頭は鱗に覆われ、口は耳の方まで裂けていた。『デカチー』という呼び名は、その『デカイ口』から来ているらしい。彼は《変貌》が完了した状態で、要は『変貌するだけしきって、これ以上は変貌しない』のだとか。それを聞いてマサトはホッとしたものだ。正直、これ以上変貌していたら冷静に接する事ができないと思う。そうでなくても、この鬼の仮面をしていなければ引きつる顔を隠す事ができないのだ。
「で、一志。私の分は?」
「だから自分で買え。……つかお前、今朝も団子四十本くらい食ったろ。あれからまだ二時間経ってねえぞ?」
「四十本も食べてないですぅー。三十八本ですぅー」
「同じだろっ! なあデカチー、なんか言ってやってくれ」
そう一志が言うと、デカチーは首から提げていた小さなホワイトボードに文字を書き始める。蜥蜴の頭では発声が出来ないからと、筆談用に持ち歩いている物らしい。
書き終わったデカチーがホワイトボードを掲げる。
『ぼくは肉まんが食べたい』
「あ、私も!」
「お前らいい加減にしろよ!」
そのやり取りに、思わずマサトは噴き出した。
途端に三人の視線がマサトへ集まる。
「あ、……いや、ごめん」
「ねー、えっとマサト……だよね名前?」
ナツメがマサトへ七つの眼を向けてきた。今朝、初めて会った時には話さなかったので、マサトは少したじろぎながら「はい」と答えた。
七つの眼を半目にして、ナツメは面白い悪戯を思いついたような笑みを浮かべた。
「マサトも肉まん食べたいでしょ?」
ナツメの思惑を察した一志が、「お前、」と焦るがもう遅い。マサトは口を開いていた。
が、出てきた言葉はナツメが求めていたものとは違った。
「肉まん――――って、何?」
◇ ◇ ◇
結局、四人で肉まんを買った。
ナツメが「知らないなら買うしかないね!」と一志を言いくるめたのだ。『肉まん』自体は別段マサトも驚くような食べ物ではなかった。要は、まんじゅうの中身が肉だから『肉まん』なのだろうと思う。
それよりもマサトが驚いたのは、肉まんを売っていたのが変貌症防護服を着た健常者だった事だ。それを一志に問うと「つか、そもそも《キャラバン》は健常者が開いてんだ」と説明された。変貌症の感染を防ぐ事が出来る防護服がようやく開発された頃、当時荒れに荒れていた《多神原》の住民へ、健常者のボランティアが援助物資の届けたのが《キャラバン》の始まりらしい。今でも《キャラバン》に集まる店の六割程度が、健常者が開いているのだと言う。
「今じゃもう援助の為にって人間は少ねえがな。大半は観光のついでに小遣い稼ぎしに来てるんじゃねえかな。まあ……さっきの奴みてえのもいるけどよ」
一志が言っているのは、肉まん屋にいた健常者の事だった。
その人物は「最近、君たちと同い年くらい女の子が多神原に来てないか? やたら背の高い」とマサト達へ訊いてきたのだ。マサトは勿論、一志達も首を横に振ったが「もしそれらしい子がいたら、飯塚が会いたがってると伝えてくれ」と念を押されてしまった。
「ま、関わらないのが吉だな。大方、塀の外でなんかやらかした奴が多神原に逃げて来たんだろ。何ヶ月か前にどっかの金持ちが変貌症になったって以外には、塀の外で変貌症が出たなんて聞いてねえし」
「――そういうのってよくあるの?」
「まあな。よく外の犯罪者とかが逃げ込んで来んだよ。死刑になるよりは変貌症の方がマシだって。まあ多神原なら、治安維持隊に目を付けられなきゃ後は何しても自由ってとこあるしな。ま、けど――」
唐突に、一志が立ち止まって遠くを見やった。狼の耳をピクピクと神経質に動かし、耳をそばだてている。マサトは一志の視線を追いかけるが、特に何かあるようには見えなかった。
「――流石にアレはどうだろうなあ」
「どうしたの?」
「ナツメ、見えるか?」
「まーねー」
どうやら一志とナツメはその『何か』を共有しているらしい。わけがわからずデカチーの方へ『どういう事?』と視線で問うが、デカチーの方も首を傾げるだけだった。つまり一志の『耳』とナツメの『眼』が無ければ気づかないようなものなのだろう。
その間も一志とナツメの会話は続き、やがて何らかの結論が出たようだった。その結論が不満なのか、先ほどまで肉まんを頬張りご機嫌だったナツメは、見るからに不機嫌になっている。対照的に一志はどこか活き活きとしていた。
一志は親指で自身の背後を指しながら、マサトとデカチーへ不敵な笑みを浮かべた。
「よし、ちょっくら顔出そうぜ」
◇ ◇ ◇
知り合いでもいるのかと思えば、そんな事はなかった。
その場所は《キャラバン》が開かれている広場から少し外れた場所だった。東部の仮設住宅群へ向かう途中にある、燃えかすのような廃墟が連なる通りだ。
つまり人通りの少ない場所である。
「よお」
そう一志が旧来の友人に対するように声をかけた相手は、変貌者の四人組だった。一志と同じように動物の耳や角を生やした獣人型の変貌者である。しかし相手は一志を知らないらしい。怪訝そうな――いや、むしろ敵意すら感じる視線を一志やマサトへ返してきた。
「なんだ?」
不機嫌な声は思ったよりも幼かった。もしかしたらマサトよりも年下かもしれない。
そこでマサトは、彼らが何かを囲むように立っている事に気づいた。
「いや、何してんのかなーって」
「なに? あんたらに関係あんの?」
「あるさ」
そこて一志は犬歯を見せるように笑って、
「《宇宙人》だろ? そこにいんの」
と、四人が囲む中心を指した。
宇宙人――? 変貌者の系統の一つだろうかと思い、マサトは一志が指した場所を見る。
だが、そこに居たのは変貌症防護服を着た健常者二人組だった。
少し考え、マサトは『宇宙人』という単語が、健常者を指す隠語だと悟った。頭に大きな防護メットを持ち着用者の全身を覆う変貌症防護服は、見ようによっては宇宙服ととれなくもない。変貌者四人組が「だから?」と返す所を見ると、マサトが知らないだけで多神原ではポピュラーな呼び方なのだろう。
一志は馴れ馴れしい態度で、額にネジのような角のある変貌者の肩を抱いた。
「いやな。楽しそうだなー、と思ってさ」
「なんだよ、そういう事かよ」
昆虫の四つ脚を生やした変貌者が、一志の意図を察したように笑った。
「あんた達もストレス発散したいってわけね」
「そゆこと」
笑い合う一志と四つ脚の変貌者を見て、変貌者達に囲まれている健常者二人組が恐怖するように身を竦めた。「ひ、」と、小さく悲鳴も聞こえてくる。
――ようやくマサトにも事情が飲み込めてきた。
一志は四人へ不敵な笑みを浮かべたまま続ける。
「んで、こいつ等なんかしたわけ?」
「ああ。この宇宙人ども俺達を化物呼ばわりしやがってな。つまり俺達が人間じゃねえって言いたいらしい。だから俺達が優しく間違いを訂正してあげようってわけ」
「…………ふーん」
一志はネジ角の変貌者の肩を抱いたまま、笑みを崩さない。
一体どうするつもりなのだろう、とマサトは思う。どうやらあの健常者二人は、変貌者に反感を買うような事を言ったが為に絡まれているようだ。ある意味、自業自得であり当然の結果だ。
けれど、一志がわざわざそれに介入する意味はなんだ?
マサトは理由を問おうと、ナツメへ視線を向ける。が、結局声すらかけられなかった。ナツメの表情があまりにも不機嫌だったからだ。それがマサトには、ナツメが心底、一志かずしの行動に『呆れている』ように見えた。
そして、遂に一志は具体的な行動を起こした。
「まあ、その辺にしといてやんなよ」
一瞬で場が凍った。
一志は、自身の懐から取り出したモノを肩を抱いている変貌者の顎に突きつけたのだ。
拳銃だった。
「……何してんだ、おめえ」
絞り出すように、四つ脚の変貌者が問いかける。
対して一志は、何でもないように答えた。
「いやなに。こうした方が話が早いかと思ってさ。治安維持隊が来る前に、さっさと終わらしたいだろ?」
「治安維持隊だあ? 来る訳ねえだろ、この辺は巡回ルートに入ってねえ」
「いや来るぜ」
一志が拳銃の引き金をひいた。
乾いた破裂音が周囲に響き渡る。
――ただし、銃口は空を向いていた。
「おーい、どうだー?」
一志が振り返って、ナツメを呼んだ。苛立たしげに、七つの眼をヒクヒクと痙攣させながらナツメは答える。
「ちゃんと聞こえたみたい。ジープが一台、まっすぐこっちに来てる」
「――だってさ、皆々様?」
そう言って一志は肩を抱いていたネジ角の変貌者を突き飛ばし、一歩後ろへ下がった。
「早く解散しねえと、捕まっちまうぜ?」
「……おめえ、」
四つ脚が拳を握り締め、一志を睨みつけた。
「おめえは宇宙人の肩を持つってのか!? こいつらを、こんな奴等を!」
「別に。俺は、お前等が囲んでんのが変貌者だったとしても同じことしたぜ? 弱い者イジメしてる奴を虐めるのが俺の趣味だからな」
「この――、」
「やめろ。マジでヤベえって」
一志へ殴りかかろうとした四つ脚を、他の変貌者三人が止める。そのまま「クソが」と捨て台詞を残し、四人は廃墟の奧へと消えていった。
それを一志は笑顔で見送る。
途端に、その場に廃墟らしい静寂が戻ってきた。
「あ、あの――」
沈黙を破って最初に声をあげたのは、健常者二人組の片割れだった。
今まで四人の変貌者の陰にいた為わからなかったが、健常者は男女のカップルだった。女性の方は怯えきっており、男性の防護服へぴったりと身を寄せたまま動かない。まだ冷静な男の方が一志の方へ頭を下げた。
「ありがとうございます。助けて、頂いて」
「別に感謝される事はしてねえ。あんま騒ぎ起こされても迷惑だからだ」
口調は軽く、表情も明るいが、一志の言葉は辛辣だった。
「本当に治安維持隊が来たりしたら困るからよ。あんたらに関わってアイツ等が捕まったりしたら寝覚めが悪い」
「本当に――、って。嘘だったんですか?」
「当たり前だろ。宇宙人しかいねえ治安維持隊がこんな豆鉄砲一発で気づくかよ。――さっきはあんがとなー、ナツメ」
一志はマサト達の方を振り返って軽く手を振る。
しかし、ナツメは相変わらず不機嫌なままだ。そっぽを向いたまま答える。
「別にー。デカチーがした方がいいって言うからさー」
いや、デカチーは何も言ってなかったと思うが。
マサトは確かめるようにデカチーへ視線を向ける。と、デカチーはマサトにだけ見えるよう、ホワイトボードに『ツンデレ』とだけ書いた。だが悲しいかな、マサトはその言葉の意味を知らない。
「でも助かった事は本当です。礼だけは言わせて下さい」
健常者の男性は「――ほら、お前も」と背中に庇っていた女性に声をかける。男性に促され、ようやく女性の方も顔を上げた。
途端に「ひ」と小さく悲鳴を上げる。
彼女の視線の先には、デカチーがいた。
廃墟の静寂の中に、女性の声が響く。
「ば、化物……」
「おい、やめないかっ」
即座に男性が止めるが、女性の耳には入っていないようだった。恐慌状態にあるのか、誰も一歩も動いていないにも関わらず「やだ、来ないで!」と叫び出す。
「あんなの人間じゃない! あんな化物! 人間じゃない!!」
「やめないか! この人達は助けてくれたんだぞ」
「――ほら、」
マサトの隣で、ナツメが「ふん」と鼻で笑った。
「宇宙人なんかみんな同じ。こうなるって判ってた。――一志、なんでこんな奴ら助けたのよ」
「助けたわけじゃねえって言ってんだろ」
健常者二人のやり取りを、一志は冷めた目で見つめながら言った。
「別に俺達は別にあんたらと仲良くしたいわけじゃない。さっきの四人――あんなんでも一応は同郷の人間だし、同じ変貌者だ。あんたらに関わって本当に治安維持隊に捕まったら寝覚めが悪いからした事だ。だからな、好きに呼んでもらって構わん」
言葉を失う健常者の男性に「だが」と一志は続けた。
「あんたの連れは静かにさせた方がいいと思うぜ。次は本当に、化物に食われちまうかもしれねえからな」
◇ ◇ ◇
アパートへ帰ると、ドアの鍵が開いたままになっていた。
泥棒でも入ったかと思い、マサトは音を立てないようにドアを開いて中を覗く。
6畳1Kの部屋には誰もいなかった。だが、フローリングを見れば泥の足跡が点々と部屋の奥からドアの方へと続いている。これはやられたな。そう顔をしかめ、マサトは部屋の中へと入った。
だが、足跡の主は泥棒ではなかった。
足跡を遡ていくと、バルコニーの鉢植えの所で唐突に途切れていた。代わりに、鉢植えにあったはずのやたら背の高い植木が姿を消している。
あの植木が逃げちゃったのか。と、マサトは無感動に思った。
植木は《変貌症》に罹っていた。きっと変貌して生えた足で歩き出したのだろう。マサトなりに大切に育てていた植木だったが、向こうからしてみればそんな事は関係ない。足と、それを扱う知恵を手に入れて、これ幸いと逃げ出したとしても不思議はない。もしかしたら仲間でも探しに行ったのかもしれない。
なにせここは――《変貌者》たちの街なのだ。
マサトの口から大きなため息が漏れた。
後味の悪い最後だった。
結局、一志達とはあれで解散となってしまった。ナツメはブチ切れていたし、マサトにしても再び《キャラバン》に戻って遊ぶというような気分にはとても慣れなかった。別れ際、一志は「悪いな」と謝っていたが、マサトは大した言葉も返せなかった。
ショックだった。
判っていたはずだ。健常者と変貌者の確執の事は。
――それは読んだ事があった。
マサトは部屋へ上がると、狭いキッチンへと向かう。
そこには書きかけと思しき便箋が放り出されていた。差出人も書かれておらず、最後の方は殴り書きもいいところで読めやしない。
だが、記憶のないマサトが多神原で生きて来られたのは、この手紙のお陰だった。
数ヶ月前。
マサトは目を醒ました時、何も憶えていなかった。
ここが何処なのかも、自分自身の名前すらも、何ひとつ憶えていなかった。マサトを知る人もおらず、外には化物としか思えない人間ばかり。
そんな冗談みたいな状況下で、唯一の救いがこの手紙だった。
目を醒ました時に、鬼の仮面と共にこの手紙を握り締めていたのだ。手紙にはマサトの名前はもちろん、ここが《多神原》と呼ばれる場所である事や、配給券の入手方法、避けるべき危険なもの、更には《変貌症》に関する最低限の知識も記されていた。それらが正しい事はこの数ヶ月の生活で、マサトが身を以て確認している。
冒頭が『親愛なるマサトへ』と始まっていることから、家族かそれに近い誰かが書いてくれたものなのかもしれない。しかし、差出人が判らない以上、真実は闇の中だ。
――実は言えば、一志から聞いた話の殆どの事が、この手紙にも記されていたのだ。
それでも知らないフリをしたのは、一志がどこまで信用できるかわからなかったため。記憶喪失だと聞いて親身になってくれているのか、それとも騙してカモにしようとして近づいてきたのか。それを確かめる為にわざと知らないフリをしたのだ。治安が良いとは言えない多神原で、マサトが身につけた処世術の一つである。
そしてマサトは、一志が信用に足る人物だと結論した。
本当の事を話そうと、決意した。
――だが、
健常者と変貌者の関係をまざまざと見せつけられた後では、そんな勇気はもう欠片も残っていなかった。
再びため息をつき、洗面台へと向かう。
そこでマサトは鬼の仮面を外し、鏡を覗いた。
鏡に映っているのは、健常者の顔だった。
一志達に話したような《水》に変貌した部分などどこにもない。
少なくとも《変貌症》に罹った人間ならばあり得ない外見である。
嘘を吐いたのだ。
目を醒ましてからの数ヶ月間、誰に対してもずっとそうしてきた。
自分が健常者と変わらぬ外見をしている事が、恐ろしくて、隠した。鬼の仮面を被り、顔が《水》に変貌していると嘘を吐き、《変貌者》のフリをした。
本当は誰かに相談したかった。この姿を嫌わない誰かに。信頼出来る誰かに。
何故、この変貌者の街で健常者の姿を保っていられるのか。
何故、記憶を失ったのか。失う前は何をしていたのか。
そして――、
マサトは、鏡に映る誰かに問いかける。
「君は一体、何者なんだ?」