リンゴ
「おい、大丈夫か?」
太一のジャージを借りて、家に向かう海斗の足元はふらついていた。
太一は、体調が悪くなった海斗を家まで送ってくれると言ってくれた。
正直言って助かった。
部室を出てから何だか気分が悪い。寒気がひどくて次第に頭も重くなった。
「少し熱があるな…。明日は休みだから温かくして寝ろ。絶対に起きるなよ」
額に手を当てて海斗のほてった顔を覗き込んだ。
「顔が真っ赤だ…」
「先輩……。ご迷惑をおかけしてすみません」
頭を下げると、大きな手のひらで頭をゆるゆると撫でられた。
「お前は可愛い後輩だからな。俺にできる事があれば何でも言え」
「はい」
海斗は安堵すると目を細めた。
「じゃあな」
門のところまで送ってくれると、太一が帰って行った。
きちんとお礼も言えず引き止める事もできなかった。
海斗は、玄関に入ったとたん、ぞくぞくと寒気がした。手に力が入らない。しかし、なんとか靴を脱いだ。
「ただいま……」
壁に手をついて台所に向かうと、
「お帰り。あんた何でジャージなんか着ているの?」
と母が不思議そうに言った。
「母さん、僕寝るね」
「えっ?」
海斗はカバンを抱えて階段をのろのろと上がった。
「どうしたの? 具合悪いの?」
下から母の声がする。
「風邪引いたみたい……」
答えると、
「あら、うつさないでよ」
と母の言葉に思わずムッとした。
「ひどいな。風邪薬持って来てよ」
「はいはい」
母はすぐに台所に消えた。
部屋に入って明かりをつける。
本当にやばいかもしれない。体はだるいし、寒気が止まらない。
海斗はフラフラしながらベッドの中に潜り込んだ。
横たわってぐったりとするとそのまま目を閉じた。
少しだけ楽になってほっとすると、きいっとドアが開いて誰かが入って来た。
「海斗?」
母の声がした。それから冷たい手が額に当たる。
「あら、熱があるわ」
「え? 大丈夫か?」
続いて伊吹の声がした。
「伊吹…?」
うっすらと目を開けると、心配そうな顔をした母とちょっと怖い顔をした伊吹がいつの間にか立っていた。
「海斗、食べられそう?」
リンゴを見せて母が訊ねた。海斗は首を横に振った。
「……いらない。何も欲しくない」
「でも、少し食べないと薬が飲めないわ」
母はそう言ってから、机にお皿を置いた。
「少しでいいから食べなさい」
「ん……」
海斗はのっそりと起き上がった。気分はどんどん悪くなる一方だ。
「ほら、海斗」
フォークに刺したリンゴを伊吹が口の前に持ってきてくれる。海斗はわずかに口を開けてリンゴを齧った。
シャリシャリといい音がする。
冷たいリンゴの甘みが口の中に広がった。
「おいしい…」
そう言うと伊吹がほっとしたのが見えた。
「小母さん、俺が見ているからいいよ」
「あら、そうお?」
母は、海斗のふとんを一枚増やしてから、
「あら」
と手を止めた。
「海斗、パジャマ着なきゃ」
「面倒くさい…」
伊吹に食べさせてもらいながら、海斗は首を振った。
もう何もしたくない。動きたくない。
伊吹は、海斗のジャージ姿を見て眉をひそめた。
「何でそんなの着てんだ…?」
言い訳をするのも面倒くさい。
海斗はただひたすらリンゴを齧っていた。
「伊吹ちゃん、後で海斗のパジャマ着替えさせてくれる?」
「いいよ」
素直に頷いている伊吹が別人に見える。しかし、海斗の思考は熱に浮かされて、自分がどのような事になっているのか見当もつかなかった。
「お願いね」
と言った母の言葉が何を差すのかも分からないまま、海斗は薬を口に含みコップの中の水を飲み干してぐったりと倒れた。
「海斗、しんどいのか」
「うん……」
ダメ……。もう、放っておいて…。
海斗は目を閉じた。目を開けていられなかった。