願い
海斗は真っ暗な中をそろそろと歩きながらベッドにたどりついた。
そっと布団に入り、伊吹の隣に体を滑らせる。ほっと息をつくと、隣で伊吹がボソッと言った。
「てめえのせいだ…。絶対に許さないからな」
「ごめん…」
「許さねえ」
歯を剥く伊吹を見て、ちょっと怒り方がしつこいなと思った。
「どうしたの、伊吹。何かあった?」
隣を見ると天井を仰いでいる伊吹の顔が見えた。すると、その横顔が一瞬苦痛そうに歪んだ。
「今日はむかつく事ばかりだ」
「え?」
どきんとして海斗は胸を押さえた。
伊吹は苦しそうに言った。
「男に告白された」
「えっ? 嘘っ」
「嘘じゃねえよ。放課後、呼び止められて、いきなり好きなんだとか言い出すんだぜ。勘弁してくれよ」
吐き出すように言われて、ずきりと胸が痛んだ。しかし、無理に笑顔を作って伊吹の肩を小突いた。
「こら。差別はダメだよ。その男の子は本気だったんじゃないか?」
「知らねえよ」
ぷいと背中を向ける。
「それでどうしたの?」
「彼女がいるからって断った」
海斗はそれを聞いてほっとした。
「そう。でも、もうちょっとデリカシーのある断り方でもよかったと思うけど。はっきりと断ったんだね。偉い偉い」
頭を撫でると、ぱしんと腕を払われる。
「子ども扱いするなよっ」
「だって、子どもじゃないか」
海斗はクスクス笑うと、もう一度、伊吹のやわらかい髪の毛を撫でた。
そう、伊吹は七歳も年下で、弟なんだから。
「僕は好きだな」
海斗はふと呟いた。
「え……?」
「好きな気持ちをきちんと伝えられるって偉いと思う。その子は伊吹の事が本当に好きだったんだね」
しみじみと言うと、伊吹はムッと口を尖らせた。
「男は好きじゃない。女の方がよっぽど可愛くていいね」
「お前、女たらしだからなー」
海斗は苦笑した。
伊吹は、中学の時からやたらと女の子にもてた。
海斗はそばで見つめ続けてきたのだ。
「ちゃんと避妊してる? 十六歳の父親は大変だよ」
「うるせえな…」
小さな声で伊吹がうめいた。
「だって……大切な事だよ」
そう言いながら自分で傷ついている。
自分を傷つける言葉を探して、傷を深めて今後のために慣れようとしている自分が常にいる。
伊吹は不快だという顔をして海斗を睨みつけた。
「もう寝る」
背中を向ける伊吹に声をかけた。
「伊吹」
何度か声をかけたが、伊吹は臍を曲げたまま寝入ってしまった。
転勤の話はまた今度にしよう。
ため息をつくと自分も背中を向ける。
隣にいるのに触れない。
こんなに近くにいるのに―――。
時々、教師でいる事とか、隣に住んでいる幼なじみのお兄さんでいる事に疲れてしまう。
今夜は伊吹の夢は見ないくらい深く眠りたい。
海斗はそう願いながら目を閉じた。




