お菓子な彼氏
少し、私の彼氏の話をしようと思う。現在私は、彼氏の家にいる。しかし、彼は私の事を肩車しながら念仏を唱えている。そう。私は今、彼氏が唱える念仏を死んだ魚のような目をしながら右から左に聞き流しつつ、肩車をされながら考え事をしているのだ。
「ねえ、なんで念仏唱えてるの?なんで私の事肩車してるの?」
私は彼に質問するも、念仏を全て唱え終わるまで待って欲しいのかなんなのか、彼は一向に口を開かない。
「やめて!私の質問を無視した挙句に、スクワットを始めるのはやめて!」
念仏も中盤に差し掛かり、彼はスクワットを始める。私を肩車したまま。
昔、と言っても2年前の事。当時高校1年生に成り立ての私は、桜が舞う入学式を終え、期待と緊張の入り混じる不思議な気持ちで高校生活を過ごしていた。
そんな初々しい私は、無駄にだだっ広い学校の敷地内で迷子になっていた。放課後の変なテンションで、広い学校内を探索しようとしたのが運の尽き。
どちらが出口なのか、自分の教室が一体何処にあるのか、全くもって分からない。学校広過ぎるんだよ!イライラを雑草にぶつけ、高速で草を抜いていく。その速さといったら、獲物を狩ろうとするチーターよりも素早い。我ながら天晴れである。
用務員さんが私のお陰で楽ができると、ピクニック気分でお茶を飲んでいるを横目に、私はまだ雑草を抜いている。すると、何処からかいい匂いが漂ってきて、高速雑草抜き機の私も、ついつい手を止めてしまう。雑草を高速で抜くのと引き換えに、エネルギーを消費し続けていた私は、グーとお腹の虫がなってしまって、反射的に頬を赤らめる。
ブヒブヒとまるで豚のように漂う匂いの元を探し続け、ついに私はそれを突き止めた。
男が1人で、調理室にいる。そして、手際よくボウルの中にあるものをかき混ぜ、型に流し込んでいる。その姿は綺麗で、なににも変え難く、例えることもできない。
ボーッと、1人の男に見惚れていると、忘れていたお腹の虫がまたもや鳴り、私は頬を赤らめる。と同時に、相手も此方を見る。お腹が鳴ったのが聞こえてしまったかもしれない。そう思うと、私は頬をどころか顔全体が赤くなってしまう。
「あの、えっと、いい匂いがしたから、つい覗いちゃって、それで、あの。」
私は言い訳をしようとするも、お腹の音が聞こえてしまったかもしれない事を考えると、恥ずかしくて上手く言葉を紡げない。まるで、電池の切れかかったおもちゃみたいだ。
恥ずかしさと、勝手に覗いていたという罪悪感に板挟みにされ、このまま去ってしまいたい。でも、それは失礼になってしまうのではないかという葛藤に頭を張り巡らせながら俯く私。そして、またもや鳴り響くお腹。最早切腹するしか道はあるまいと、最期に彼の顔を拝む。
すると彼は、マドレーヌやカップケーキ、フィナンシェ等が載ったお皿を私にずいっとよこしてきた。どれもこれもとっても美味しそうで、見ているだけで涎が止まらない。
「これ、食べていいの?」
頷く彼。
「ぜ、全部いいの!?ホントに?」
うんうんと、2回頷く彼。
「感想だけ、頂戴。」
ポツリと呟くように言った彼の言葉に、私は元気よく返事をし、もぐもぐと勢いよくお菓子に食らいつく。エネルギーが充電されていき、私の中のチーターもようやく休暇を地面に叩きつける。
「美味しい、すっごく美味しいよ!貴方凄いのね!」
ペロムシャとお皿の上にあったお菓子をすべて平らげ、気分を落ち着いてきたところで、私はハッとする。
見ず知らずの男に恥ずかしい所を見られたあげくに、お菓子を勧められ、脇目も振らずに食らいついていた。その事実に、またまた顔を赤らめ、とりあえず、とりあえずお礼をと彼の方をむく。
「お礼なら、別にいらない。食べてくれる人がいて、感想を貰えて、嬉しそうな顔をしてくれて、お礼をいうのはこっちの方。」
私がお礼を言う前にそう言われ、彼は先程焼き始めていた焼き菓子の具合を見に行ってしまい、まごまごと、どうしたらいいのか分からなくなってしまった私は、そのまま立ち尽くす他なかった。
その後、突っ立っている私に彼はお菓子を渡し続け、私はそれを食べ続けた。お菓子を自動で食べる機会と私はなっていた。その繰り返しをしていると、無口な彼は急に口を開く。
「名前、なんて言うの。」
食べていたお菓子を急いで喉を詰まらせないように飲み込み、私は彼の質問に答える。
「藍坂加奈深、です。」
「俺の名前、巳内信介。よろしく。」
気がつくと彼は、現在私が持っている皿を残して、全ての片付けを終えていた。そして、私の食べ終えた皿を引き取り洗い終えると、「じゃあ、また会えたら。」と調理室を出て行こうとする。そこで私は、どうして彼と出会ったかを思い出した。もうチーターもびっくりの、高速雑草抜き機にはなりたくない。
「あ、待って!その、私迷子になっちゃって、助けてくれたら嬉しいなって。」
今日何度目かの頬の赤らめ。それもこれも、学校が無駄に広いせいだ。
「学校、広いもんね。そこで待ってて。」
彼にそう言われ、私は待ち続けた。
そこからは、よく覚えていない。初めて出会った、よく見ると中々にイケているんじゃないかと思われる男と、帰り道が一緒な事が分かり、学校の外へ出ても共に歩いていた。という事は覚えている。
その日の夜は、何故だかドキドキして眠れずにいた。巳内信介。一体彼は何者なんだろう。どうして1人で調理室にいたんだろう。あんなに美味しいお菓子を作れるだなんて、彼はなんて素敵な人なんだろう。
私の中の彼は膨らむばかり。山頂へ持っていった袋菓子もびっくりだ。
明日、また行こう。また、彼に会いに行こう。
そうして通い詰めた、1ヶ月。気がつくと私は彼とお付き合いをする仲になっていた。付き合い始めて知った彼の凄さ。凄さというかなんというか、うん。まあ、凄さかな。
彼は変人だったのである。どの位変人かという話をする所で、この話の最初に戻る。
何故私が、彼とお付き合いをするまで変人だということに気が付かなかったかというと、それは私が彼とは調理室以外では出会う事が無かったからなのである。彼の事を友達に訊いても、無駄に広い学校。生徒の人数も凄く、ちょっとやそっとの変人じゃ埋れてしまうようで。結局、調理室以外の彼の姿を観る事は無かった。
そして付き合い始めに至り、変人だという事を嫌という程、私は知るのである。
「ねえ、念仏唱え終わったのになんでまだ私の事肩車したままスクワットしてるの…?」
変わらず肩車をしたままの彼に、私は降ろせと猛抗議。
「暴れたら、危ないよ。」
そう言い、彼は私をそっと降ろす。
「私を肩車する必要あった?なーんでそんなに変わってるんだか。」
彼が変人だと気が付かなかったもう1つの理由。それは、彼はお菓子を作っている間は大真面目なのだ。私は彼の二面性の罠にまんまとはまってしまったのだ。我ながら何とも言えぬ。しかし、彼のことは嫌いなわけではないから、どうしたもんかと悩みつつも、どうしようもできない。私が彼の事を大好きだから。
「パウンドケーキ作るけど、加奈深は食べる?」
彼のその言葉に、私は元気よく返事をした。