03-17 帰路記録『砂漠01』
目をあけた。
頭上には夜空の闇が広がるのに、辺りは明るく星が霞んで見える。
自分はあおむけに倒れている事は直ぐに分かったが、動く事は出来なかった。
あの時、あの世界で、肉体を取り戻す事が出来なかった。
探そうとしなかったわけでは無かった。だが、諦めてしまった事も事実だった。
あの世界で出会った青年の力で、魂は常に部室のある場所へ引っ張られる。魂のみで放り出された八月一日アコンは、世界の移動も魂のみでしか行えない。
そのため、世界に下りるには同じタイミングで死亡した者の身体に降りてその身体を借り、移動の際にはもう一度死亡して肉体から抜けるという、かなり苦痛を伴う旅をしていた。
降りたときに死亡の原因になった致命傷は完治する親切機能がついていたが、治療が出来るのはその時だけで、治せる範囲も致命傷のみ。元々回復が使えたなら話は別だが、死体となった人物が新たに回復魔法が使えるようになるわけではなく、今後この新しい身体を動かすために必要な処置であるのだろうと容易に推測ができた。そしてはじめのうちは気付いていなかったが、1つの世界にとどまれるのはどう頑張っても3年ほどのようだった。しかも部室が同じ世界につながらない事のほうが多い。
それとこの時には考えた事すらなかったのだが、時間も越えて世界を渡る部室とそれを追いかけて死に続ける八月一日とでは既に旅をしてきた時間にかなり差が出ていた。部室が2つめの世界につながったとき、八月一日は既に十数回も世界の移動を終えていたのだ。当然、1つの世界で3年生きれば10回の移動で30年ほどの時間を一人で旅していたことになる。
今回は彼らに出会えるだろうか。
そんな事を考えながら、八月一日は何度目か数えるのも止めた世界の移動が完了した事を悟って静かに目を閉じる。
他人の身体に魂を定着させるために1晩の眠りが必要だったからだ。
その間に肉体と魂の接続を完了させて不具合をなくし、身体の持ち主の記憶をダウロードする事でその世界の生活に溶け込む。
それでこの肉体を今後自由に動かす事が可能になるのだが、それでもこれは『死体』であった。それ以降は睡眠も食事も、とる事は出来ない。身体の腐敗を防ぐために呼吸と脈は復活するようだが、後は水分を少し飲める程度。攻撃や薬物等を受けて気絶する事はあるがそれは睡眠とは別の物で、次に眠りにつけるのは再び世界を移動するために死んだ時となる。
「眼を開けて…死んじゃいや…」
「…?」
とりあえず今は成り行きに任せるしかないと息を深く吐き出した時、側から女性の声が聞こえた。再び眼をあけて視線だけでそちらを向くと、隠すように、守るように、布のようなもので包み、シッカリと抱きしめている女性が腕の中に居て、こちらを見て泣いていた。感覚が麻痺していて腕で何かを抱いているのに気づかなかった。
此処で初めて回りに沢山の死体が転がっている事に気づく。体が動かないのも降りたばかりで接続が上手くいっていないというだけではなく、かなりの傷を負っているのだろう。血も多く流しているのかもしれない。
戦死者の体に降りたか。だとしたらこの後止めをさされて移動になるかもな。若干の諦めも直ぐに混じる。
1晩の睡眠を行っていないため、この身体とこの世界の記憶が無い。そのため彼女が誰であるかはまだ分からない。それでも此処までして守ってやっているのだから、初対面ではないだろう。そう思って“大丈夫か?”と声を出そうとしたがかすれた空気しか出てこなかった。
自分がパクパクと口を動かし、ヒューヒューと喉の音を漏らす様子を見て、彼女の表情はさらに悲痛なものとなる。
「ごめんなさい。ごめんなさい…。私のせいで、こんな事に…」
状況が分からないため何ともいえない。それでもすまなそうに涙を流す彼女は何度も何度も謝罪を口にしたが、八月一日からして見ると目の前の彼女の方が具合が悪そうに見えた。
こちらを見つめる彼女は、月夜に輝く白い髪に、青い瞳。至近距離で見える彼女の瞳の中の自分も、同じような容姿をしている事が分かった。
「“これで全てか?”」
ふと、少し離れた場所から声が聞こえた。何を言ったのか、言語が分からない。誰だろう?誰かは知らないが、何故か心がざわつく。無意識に不機嫌そうに眉を寄せれば、腕の中の女性も後悔と悲しみに染まった瞳を声のした方に向けた。
「“はい、アルトゥーロ様”」
「“そうか。…では、火をくべよ”」
その言葉に彼女が悔しそうにうつむき、自分の胸に頬をつけた。それと同時に放たれる炎。油でもまかれていたのかあっという間に広がっていく。ボロボロの身体は既に痛みを感じなく、広がる炎が肌の上を這っても既に何も感じない。
肉が焦げる臭いも、喉を襲う熱気も、感じ取る事が出来なかった。
炎が燃え上がる音のほかに、誰かの声が混じる。
相変わらず何を言っているのか分からなかったが、何度も繰り返される“アルトゥーロ”というワードが、人物名か、都市名か、とりあえず名詞であると考えた。
「ごめんなさい…。でもあなたを一人で死なせたりしないわ」
「駄目…だ…」
目の前の相手が誰か分からない今、守る守られると言い合っても良く分からないが、思わず反射で発した声はシッカリと言葉になって八月一日に覆いかぶさり盾になろうとした彼女の動きを止めた。そして腕の中の彼女を火が回っていない場所へ突き飛ばすと、無理やり体を動かしてうつ伏せになり、四つんばいの格好になる。自分の下にも沢山の死体。しかしそれらに怯えている暇は無い。
「君は逃げろ。…俺はもう、駄目だから」
「いや!駄目よ!あなたがいないと、私…」
「この怪我では、もう無理だ。…俺が注意をひきつけるから、その隙に」
「でも!」
「忘れたか!?…何故俺たちが、降りてきたのか」
「…シン」
何故ここに居るのか、何故こんな事になったのか。記憶は無くて何も分からなくても、この肉体の持ち主が時間をかけて肉体に刻んだ身体の記憶がすべき事を覚えていた。とっさに彼女を守らなくてはと動いた事をきっかけに、どうせ直ぐに殺されるならばと深く考える事はせずこの体の持ち主の僅かな残滓に全てをゆだねた。
自分の名だろう。涙を流しながら声を出す彼女に今出来る精一杯の笑顔を向けた。傷口からは血がボタボタと落ちていくが、名も知らぬ彼女を守らなければ、という気持ちが心を支配する。
そして
“ウオォォー!”
気合を入れるように夜空に向かって声をあげ、八月一日は炎の中から飛び出した。
**********
部室の扉を開けた場所で、外にまだ立ち尽くしたまま八月一日は船長を見ていた。
表情は穏やかな笑顔、やっと出会えたという安堵が大きく、彼の後ろに見える部室内をゆっくりと見渡す。
あぁ。何も変わっていない。
…いや、階段とか無かった気がするから、内装はちょっと変わってる。それでもそれ以外の部分は懐かしい間取りそのままだった。
入室を促したのに動かない相手を見て、船長がそっと口を開いた。
「直ぐ行くのか?」
「あ…うん、ごめんね、中に入るとせっかく昨日かけてくれた魔法がとけてしまうから」
「また掛け直せばいい。手間では無い」
「ありがとう。でもごめん。今は向こうに行かなくちゃ。皆の事が心配なんだ。今こっちの部室に残っているのは?」
「鷹司ナガレと、九鬼ケイシ」
「あぁそうか。頑張っていたみたいだもんね、ナガレは」
そう言って八月一日は右手をスッと差し出して船長に握手を求めた。部室のドアから部室の中へ手を入れると、光の粒子が中に入った部分に発生し、直ぐに消える。すると部屋に差し入れた奴隷として生きたていた傷や火傷だらけの腕は、八月一日アコンとして地球でほのぼのと生きていた綺麗なものへと変貌していた。
しかし船長も八月一日も、この現象には驚く事はない。
「また来るよ。必ずこの世界の君に会いに来て、そしてその時に君の名前を聞く。…さぁ俺の手を取って。今までの記憶を君に託そう。だからお願い、この世界の問題に皆が踏み込みそうになったら、ブレーキをかけてあげてほしい」
「善処しよう。だが、約束はしない」
「OK。それでも構わないさ」
しっかり握ってゆっくりと2度。上下に手を振ってから手を放す。その間に、部室内で接触したこの身体の持ち主が刻んでいた記憶を読みとった船長は、深い息を1つ吐き出した。そしてそれを見ながら八月一日は1歩下がりクスリと笑う。そして部屋からひきぬいた彼の腕には、先ほどと同じく光が腕にまとわりつき、入れる時に消えた傷跡がまた浮かび上がっていた。
「抱えた問題は大きいんだ。お互いにね」
「そのようだな。八月一日、今後の予定は?」
「まずは皆を戦えるようにしたい。いざという時に相手に怪我をさせても動じない、その上で退けられる力を得てほしいんだ」
「そうだな。群れるしかない草食動物は危機を脱するために仲間を囮にするしかない。しかしその少ない犠牲すら拒むならば、守れるだけの牙が必要。だが、ここの仲間はお人よしすぎる。偶然攻撃が届いたような強敵にすら情けをかけるようならば、救いようのない馬鹿だと言わざるをえない」
「辛口だね。でも、確かにその通りだ」
「…皆の記憶の中の君は、誰よりもこういった物騒な事を嫌うと思っていたが」
「なにも殺してほしいとまでは言わないよ。でも…うん、そうだね。何十年も時間がたてば、人間が変わるという事…かも」
どういう意味だ?とでも言いたそうな顔をした船長には気付かないふりをして、外に開いたドアを閉めるためにドアノブに手をかけた。そしてもう一度笑みを浮かべながら軽く頭を下げる。
「皆を頼むよ。…それと、この姿の時は『シン』って呼んで?それがこの身体の持ち主の本名らしいんだ。八月一日アコンだと、皆の前で呼べないだろう?」
「わかった」
「なるべく早いうちに名乗るつもりだから。まぁ、側に置いてもらえるか解放されちゃうかはまだ分からないけど今の状況で奴隷ゼロは危険だからね、何としても潜り込むつもりだよ。…じゃあ、よろしくね」
部室の仲間の事を何度お願いしたか分からない。
八月一日の言葉の返事の代わりに、船長も深く頭を下げた。それを見てから静かに扉を閉めて、仲間がいるもう一つの家へと走りだした。




