03-16 I'm home
太陽が上がっているのに薄暗い室内。十数人の人間が床にうずくまっている。
壁に窓が一つも無く、唯一あるドアは開けられた状態ではあるが、道を塞ぐかのように1人の男が立っていた。
「…男の奴隷の数がそこをつきそうだな」
モロンは大きな葉っぱにタバコの葉を丸めた簡単な葉巻のようなものをくわえ、中に居る頭数を数えて呟いた。確認を終えて入り口から離れたモロンを見て、側に控えていた1人がドアを閉め、歩いていくモロンについていく。
「そろそろトバルス攻略の季節ですから」
「あぁ、もうそんな季節か。…闘技場のほうは?」
「相変わらず、勝者は毎回違うので今回の予測は…難しいかと」
会話をしながら別の部屋に入り、そこにあった椅子に腰掛けた。モロンは息と共に煙を吐き出しながら天井を見る。
トバルス攻略。
これはこのトロアリーヤに住む者すべての目標でもあった。初めのうちは個人で山に挑戦する者が殆どだったが断崖絶壁の前の豊かな緑が前進を阻んだ。そこで人数を集めて集団で臨む方針になったわけだが、数が多すぎると逆に動きづらくなる。実は連絡系統がガタガタだったり、指揮官やリーダーなどの指示する者を置くなど、単純に戦略的な考えが出来る者がいなかったことも大きな理由だが、この世界にこの事に気づけるほど頭が良いものも経験がある者も居なかった。意外とトロアリーヤの町は生まれてから時間がたっていなかったのだ。
そこで、毎年日中と夜間の気温差が小さくなる冬の季節に大規模な選抜戦を行い、上位3組がトバルス攻略組みに入れるという決まりを作った。
3組だけなど少ないかと思われるが、植物などの雑魚の相手や必要な物資の運搬などは奴隷を集めておこなったり、前の年に上位に残ったチームが攻略失敗しても残っていたりするので意外と攻略組みは頭数が多かったりする。
1年に1度の名誉な大会は、負傷して出られないとか、女性しかいないチームであるとかの例外を除きほぼ強制で全員参加。トバルス攻略はみんなの憧れだが、ルールなど無いただの殺し合いも同然な試合に、当然戦いたくないという者も居る。そのため、この時期に合わせて男性奴隷を引き入れて家族の代わりに出場させるという事も許されているのだ。優秀な奴は引き抜く事が出来るし、死亡しても罪とならない唯一の舞台は町の人数を堂々と減らせる機会でもあるということは、住人には知られていない。
「今からじゃ、町を探し回っても健康な男の奴隷は見つからんだろうな。これに備えて沢山残しておいたはずだが」
「では今年は思った以上に奴隷を求めるグループが多かったようです」
「その分搾り取ったんだろうな?」
「もちろん」
「うちから出す用の数名は残して、ほかはすべて出してしまえ。足りなければ適当に増やせ。孤児や新顔等の都合の良い人間を探して、居なければ落とす。いつもどおりな」
「分かりました」
何度も繰り返されるこの行為に、罪悪感を感じるには人をさらう事に慣れすぎていた。
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「こちらが用意させていただいた家になります」
「うっわ。広」
マッサージ屋がある中心部と同じエリアではあるが、少しだけ外に寄った住宅街。それでも店から歩いて10分くらいの距離の場所には、大きな家の富豪エリアが存在していた。土壁を立てただけの民家や飲み屋とは違い、大きな石で床を作り、広い庭スペースを確保している普通の家に見える。ただ、どの家も1階建てではあるが。
「庭も結構広いんだね。というか、庭をつけるって意識があるとは思わなかった」
「大きな家に住まわれる方は、稼ぎが良い人が殆どなので、防犯にと大量に奴隷を入れる方が多いのです。そのため彼らを置くスペースも必要になります」
「…部屋には入れないの?」
「草加様…でしたね。普通の奴隷であれば部屋を与える事もありますが、眼帯奴隷は前科持ちです。自分の身を守るためにも外につなぐ事をお勧めします」
「う…」
眼帯奴隷と一緒に居るところを見られていたせいだろう。草加の何気ない質問には気を利かせて眼帯奴隷の特殊な対応方法を答えるエルビー。他のメンバーはそのことを知らないので軽く首をかしげていたが、それよりも家の中が気になった。
「ねぇねぇ、中見ても良いの?」
「構いません。といいますか、此処はすでにあなた方の所有する家となりますので俺の許可を得る必要はありませんよ」
そういいながら家の門のところに蛇の模様が入った布を下げた。当然ながら疑問に思って猫柳がそっと近づく。
「これは?」
「蛇のマークはアルトゥーロ様の、そしてトロアリーヤの印。これを下げるということは、ここにアルトゥーロ様の関係者が居るという証です」
「…それは、どうなの?僕たち普通の人だけど」
「これが有ると無いとでは家を訪ね歩く商人の対応もぜんぜん違いますよ。それに、泥棒よけにもなります」
「いや、効果じゃなくて、僕たち別にそんなえらくないし…」
「朱眼。それだけでも全力でお守りするに値する」
「…そんなものなのかね」
気持ちはうれしいし、効果があるなら願ったりかなったり。しかし、雨龍という個人ではなく、朱色の瞳というただ1点しか見ていない気がして、自分のことではないのに猫柳は不服そうに鼻を鳴らした。
「とりあえず役に立つならいいんじゃない?それよりも中見に行こうぜ。俺一番乗り~!」
「あ、ちょっとチアキ先輩!」
「まったく、はしゃぎすぎだぞ舞鶴。ちょっとは緊張ってものをだな…」
舞鶴がタッと走って、ツタを編んだような玄関の扉をを開けて中に入った。それを追いかけるように猫柳、そして雨龍が家の中を見に行く。それを見送っていた草加にエルビーは声を掛けた。
「草加様は、よろしいので?」
「え、あ、うん。僕も見てくる」
家の前の通りのほうを見ていた草加はエルビーにの声に押されるようにして建物のほうへ走っていった。大きな家の前に1人になったエルビーは、スッと腰の剣の柄に手を伸ばす。しかし柄を握っただけで剣を抜く事は無く、建物のほうを向いたまま口を開いた。
「ついて来たんですね。今の主を守るためですか」
エルビーの言葉に返事は返ってこない。しかし、そのかわりに誰かが隣に立った気配がした。
前を向いていた視線をチラリと隣の気配に向けると、眼帯奴隷の青年がこちらを向いている。そして少し怪訝そうに眉を寄せたエルビーに向かってにっこりと笑って見せた。
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危惧していた危険も無く家を見て帰ってきてすぐ、早めの夕食をつまみながら報告のために部室の中で小会議を開いていた。ちなみに鷹司は「もう限界」と言い残して自室で力尽きていると言われたので、そっとしておくことにする。容体は安定しているし、明日には回復しているだろうという船長の言葉に安堵するが、何だか肝心な報告の時にことごとく顔を出せていないなぁと感じるのも無理は無いだろう。
「此処からそれほど遠くない場所で、1階建ての平屋だった。庭になるスペースも広かったよ」
「しかもね!家具つき。ベッドとか、箪笥とか。やっぱ肌触りはゴワゴワしてたけど、ソコを我慢すれば快適に住めそうだったよ。部屋は大きなリビングみたいな部屋と、釜戸がある台所と、あの井戸みたいな奴は…風呂?それか水瓶?良く分かんない部屋もあって…それの他に個室が12個。俺たちの人数を考えてくれたっぽい」
「それと地下もありましたよ。地下室ってほどしっかりした地下じゃなくて、穴を掘っただけのこじんまりした倉庫みたいな感じだったけど」
見てきた報告を聞きながら今後どうするか話し合った。
思わぬ形で手に入れた家はありがたく使わせてもらうことにするが、天笠が控えめに挙手して口を開く。
「せっかくもらったんだし、たとえ短期間になろうとも家を使うのに反対はしないわ。でも部室の入り口はマッサージ屋にある。そこらへんどうするの?」
「そこなんだよねぇ。クッキーとか作っても、家から運んでる姿を見せたほうが良いと思うんだよ」
舞鶴がうーんと唸って返事を返した。部室の直ぐ前に店があるのはとても使い勝手がよかったのだが、家を手に入れた今そこに帰る姿を見せる必要がある。荷物を持ち込む際にも家を使っているところを見せないと怪しまれる。朱眼の雨龍を監視するためにどこで誰の眼がついているか分からないのだ。
本当の所、部室の扉は移動する事が出来る。しかし尋ねられなければ答えない船長は沈黙を守っていた。
「とりあえず、今夜はもらった家で1泊してみる?」
「ためしにね。それが良いかもね。エルビーさんも、住み着いたことをアピールしないと、浮浪者とか脱走奴隷とか変な奴に入り込まれる可能性があるって言ってたし」
「結構裕福層が集まる区域だから、見周りの巡回も頻繁にあるけど家に入られちゃうと手が出せなとも言ってたしね」
「じゃあ、日が落ちきる前に移動しよう。大通りを歩いてもらったけど、暗くなったらちゃんと到着できるか自信ない」
「メンバーは?誰が行く?」
「…私行ってみたい」
「俺も!」
「取り合えず、鷹司は動かせないだろ?あと部室に残るのは…」
「行きたいなら全員で泊まりに行け。鷹司ナガレの面倒は、我が見れる」
「船長…。いや、俺も残ります。ナガレ先輩心配だし」
とりあえず1泊。
罠かもしれないとか、危険かもしれないとか、考えなかったわけでは無かったが、それを口にする者はいなかった。体調不良で動けない鷹司と、彼を心配した九鬼以外のメンバーが移動の用意をしていると、部室の扉がそっと開いて月野と草加が入って来た。
「サヨ、どうだった?」
「それが、見あたらんの。どっか行ってしもたかな?」
「でも家を見に行った時には、僕たちの後ついて来てたみたいだったよ」
「うちもそれは見送ったんよ」
眼帯奴隷をつれて来てしまった事を正直に告げた月野は、面倒を見るにしても、解放するにしても、とりあえずは彼と皆を合わせようと思って外で奴隷の青年を探していた。しかし、通りをちょっと歩いてい見ても見つからず、外で待っていても顔を出さない。何かあったかと心配し始めた月野に船長が声をかけた。
「この町の住人ならば何かあれば自分で対処するだろう」
「けど、何か事件に巻き込まれたとか…」
「例え負傷していても、関係ない人間の生き死にまで面倒をみる余裕はない。新しい家までついて行ったなら新しい拠点も知っているという事。店に皆が居ないのを知れば、そちらにきっと行くだろう」
「…」
ヒドイ言い草とは思ったが、口には出さない。自分たちで手いっぱいで、誰もかれも助けられる状況ではない事は理解していた。しかたなく日が落ちる前に移動するために月野と草加も簡単に荷物をまとめた。簡単な着替えと軽食と飲み物、軽めの毛布程度の少量の為、サクッと荷づくりが完了する。
「じゃあ、行ってくる。明日にはまたこっち来るから。お店もあるし」
「あぁ」
「タカやんが起きたら、事情説明してあげてくれる?動けそうなら後から来てもらっても良いけど…夜中は出歩かない方が良いか」
「はい。そっちも気をつけて」
外はもうすぐ夜の気配。太陽はすでに落ちかけていて、長い影が伸びている。店から家へと歩いていくメンバーを見送ってから九鬼は部室の扉を閉めた。
「よし。じゃあ船長、俺はナガレ先輩の部屋に行ってるね。船長も行く?」
「後片付けが残っているので遠慮する」
「分かった。何かあったら呼んでね」
「あぁ」
食欲が無くてもサラッと食べられるように用意したスープをトレーに乗せて、慎重に階段を上がっていく九鬼を見送った船長。その後でメンバーが散らかした物を片付けたり、食器を洗ったりと動いていると
“コンコン”
軽いノックの音が聞こえた。
部室に入るためにノックをするメンバーは居ない事も無い。時と場合で対応が違うのだが、いつになっても扉が開く気配は無かった。手を止めて眼を閉じ、2階の様子を探る。鷹司の部屋に九鬼も居て話をしているようだ。当然この小さなノック音には気づいていない。
扉に近づいてそっと手を触れる。そして意識を集中して扉を開く前に外の様子を探ろうとするが、すぐにやめてドアノブに手をかけた。
そして招き入れるように静かに開く。
「こんばんは。お邪魔しても良いかな?」
そこに立っていたのは月野と草加が出会い、ここまで連れてきていた眼帯奴隷だった。しかし船長は驚いた様子も見せず、流暢な日本語で話される会話に小さくうなづいてから、こちらも同じく日本語で返した。
「邪魔なものか。ここは貴方の家でもあるのだ、好きな時に帰ってきたら良い。遠慮する必要は無い」
「そっか。うん、懐かしいね」
「…おかえり、八月一日アコン」
そう言って入室を促すように1歩下がった船長を見て、八月一日と呼ばれた眼帯奴隷の青年は微笑を浮かべながら「ありがとう」と囁いた。




