03-11 奴隷商モロン
天笠と雨龍がガスパールに話を聞いている頃、奴隷商と鉢合わせしてしまった月野と草加は相手と睨み合いを続けていた。
逃げようとは思ったのだが、蛇に睨まれたカエルの如く、奴隷商の視線に何故かその場に縫いとめられてしまったのだ。
「そんな警戒しないでよ」
「そういうわけにもいかないでしょう!昨晩先輩になんて言ったか忘れたんですか?」
「先輩?…なんだ、家族じゃなかったのか」
「そ…いえ、従兄弟のお姉さんなんです!」
家族ではないという事を知った奴隷商が再びねっとりとした視線を月野に向ける。慌てて草加が遠縁であるようなことを言ってごまかすが、直接関係が無い事は自分からばらしてしまって冷や汗が流れた。月野は草加の影に身を隠していたが、それでも不快だという意思表示をするかのようにキッと睨みつけている。
逃げたいけれど、動けない。これが恐怖というものなのだろうか。
「…彼、危険」
「…え?」
膠着状態が続くかと思われたとき、小さな声で声をかけられた。そちらを見ると先程助けてくれた青年が顔を上げてこちらを真っ直ぐ見ている。顔を向けた2人の視線を追って、初めて気づいたかのように奴隷商が口を挟んだ。
「何だ、眼帯奴隷なんて連れてるのか」
「眼帯奴隷…?」
「だが、まだ首輪はしてないな。って事は主になってくれって頼み込まれたばかりか?だがな、眼帯奴隷は普通の奴隷と違って曲者が多いんだぞ?」
「…」
「知らなかったのか?よし、俺が色々と教えてあげるよ。こっちにおいで、お茶を出してあげるから」
その口調が胡散臭い。
知りたい気持ちも確かにあるが、彼についていくのは間違いなく死亡フラグが立つだろう。初対面で無くてよかった。いや、いくら平和ボケしすぎていても、こんな危険そうな人間に簡単には引っかからないだろう。
逃げよう。それは直ぐに2人も思ったが、眼帯奴隷とは何なのか知りたい気持ちが行動を遅らせた。奴隷商も言ったところでついてこないとは思っていたのだろう。太っているその体格に似合わず素早い動作で近づくと草加を殴るように突き飛ばし、反応が遅れた草加はモロに拳を受けて地面に転んだ。慌てて月野が側に寄ろうとするが、その腕を奴隷商が掴む。
「うわっ!」
「草加君!ちょっ、放して!」
「男のお前は要らないんだ。家族ではなくて安心したよ、変に血縁者だと面倒だからな。オイ坊主、礼はくれてやるからとっとと帰りな」
「な、何を!」
「…出て来いお前ら。お客様だぞ!」
防御力が優れている草加は衝撃に思わず転んだがほぼ無傷のようだ。それが分かった月野はホッと安心するが、直ぐに腕を引っ張られた。抵抗もむなしく強引な力に引きずられてしまう。素早く置きあがった草加が追いかけようとするが、奴隷商の声に男達が側の建物から出てきて立ちはだかり進路をふさいでしまった。
「先輩!月野先輩!…邪魔だ、お前らどけ!」
「草加君!…あんた、いきなり何すんの!?放して!」
「この俺に怒鳴るとはガキの癖に良い性格してるじゃないか。それに…今も十分整った容姿してるが、これが成長したら…」
「成長!?うちはこれでも18やし!」
「何!?これで大人だと!…なるほど、もう成長しないというわけか…これは良い品を手に入れたな」
言葉と視線に恐怖が走って身体が震える。にったりと笑う奴隷商から逃れようと暴れて相手を叩くが、たいしたダメージにもなっていないようだった。しかしそれでも鬱陶しかったのだろう、不機嫌そうに月野を叩こうと空いた片手を振りあげた。
「…っ!」
“バシン!”
叩かれると思って目を瞑るが、叩く音は響いたが痛みはやってこなかった。
おそるおそる眼を開けると、振り下ろした奴隷商の腕を眼帯奴隷と呼ばれていた青年が受け止めてくれている、その後ろ姿が目に入った。
「貴様、奴隷の癖にこの俺に逆らうつもりか!」
奴隷商がイライライした様子で腕を振りほどこうとすれば青年は簡単に手を放すが、奴隷商へ視線を向けたまま今度は月野を掴んでいる腕の手首をギュッと握った。モロンはさらに不快そうな顔をするが、彼の握力で手首を締め上げられてギリギリと音を立て始めると、痛みに耐えられずに月野を放して握っている青年の手を引き剥がそうと彼の腕に手を伸ばし、掴んだ。
「貴様、は、放せ!」
「…」
月野からは後姿しか見えないので、どんな顔をしているかは分からないし、彼は何を言われても言葉を返さなかった。それでも何故か初対面の月野のために彼が怒ってくれているような気がして、そっと彼の服を引っ張っればようやく奴隷商の手を放す。初めて慌てた様子を見せたモロンは数歩下がって奴隷の青年から距離をとると、草加を妨害していた男達も慌てて奴隷商の護衛に戻り、草加が月野の側に駆け寄った。
「…奴隷が一般市民に手を上げるのは重罪だぜ。これでもう片方の眼も失ったな!」
「手をあげる?先に手出してきたんはそっちやんか!」
「だからなんだ。証拠はあるのか?」
「そっちだって、僕らが先に手を出したという証拠は無いだろうが!」
「そんなものどうにでもなるのさ。俺は顔が広いからな、その奴隷は直ぐに処刑台に送ってやる!」
「そんな事させへん!彼はうちの奴…家族やもん」
「家族だと!?眼帯奴隷をひきこむなぞどうかしてる。だいいちお前みたいな小娘の話を誰が信じる!?」
「俺が証言しよう。先に絡んだのはモロン、お前の方だとな」
言い合いの途中で突然入ってきた声のほうを向くと、1人の男性が立っていた。フードで顔を隠した様子は昨晩の助けてくれた人に似ていた気がするが声が違う。どちらにしろ知らない人だ、と新たな登場人物にも警戒して草加が月野を庇いながら十分に距離をとった。
モロンと呼ばれた奴隷商は訝しげな顔を向けるが、直ぐに誰か分かったようだ。一瞬表情をゆがめるが直ぐにそれを隠してにこやかに笑う。
「こ、これはエルビー様。このような場所にまで来るなんて珍しいですね」
「珍しい?何故?」
「アルトゥーロ様の護衛でしょう?側に居なくて良いんですか?」
「お前こそ、こんな日中から子供相手に怒鳴り散らすなんて、皆に見てくれと言っているようなものだぞ」
「自分はこの子供たちにしつけをしていただけですよ」
「しつけ…な。そうだ、主様の飼い犬が逃げたので、探している。白い毛並みの駄犬なのだが、見ていないか?」
「飼い犬が逃げたですと?エルビー様とあろうものが、それは失態をえんじましたな」
「そうだ。俺の失態である故に、俺が自分の足で探し回っている。…知らないか?」
「知りませんな」
「そうか。…見つけたら直ぐ報告するように」
「分かりましたよ。では忙しいので俺はこれで」
会話が始まる前にフードを取ると鋭い赤茶の瞳は真っ直ぐに奴隷商を見て、茶色い髪が風になびいた。お互いに笑顔であったが、言葉に含まれるとげとげしさを隠そうともしない。それでもこのままではまずいと判断したのは奴隷商モロンの方で、早々に仲間を連れて引き上げてしまった。
不服そうな顔をしつつも彼らが見えなくなるまでは睨みつけていたが、その後すぐに残された草加たちにエルビーと呼ばれた男性は近づいた。
「あ、あの、助けてくれてありがとうござ…」
「その奴隷はお前のか?」
「え?」
「いえ、えっと、実は…」
感謝の言葉を述べつつ頭を下げるが、エルビーは2人を見ていなかった。眼帯奴隷青年に真っ直ぐ視線を向けていて、青年もエルビーを見つめ返している。知り合いなのだろうか?と思った月野は彼との出会いから今までの事を正直にエルビーに語った。
「そうか。では、彼を引き取る」
「え?なして!?」
「あなたのではないのだろう?」
「せやけど、そしたら彼、もう片方の眼も奪われてしまうん?」
「眼帯奴隷は一般人には戻れない。問題を起こせば罰せられるのは仕方ない事だ」
そう言いながらエルビーが奴隷の青年の腕を掴もうと手を出すが、それを月野が間に入って妨害した。
「そんなのあかん!それやったらうちが預かる!」
「月野先輩!でもそれは…」
「なら、見捨てるん?」
「娘、見捨てるも何もこれは人ではない」
「人や!何言うてん!?姿も一緒で、怪我無いか心配してくれて、言葉も通じる相手が人間やなくてなんやちゅうん?」
「言葉が…通じる?」
強引に連れて行こうとでも考えていたエルビーが、月野の言葉で動きを止めた。庇ってくれる月野の後ろからではあるが、エルビーに向かって青年が軽く頭を下げた後、月野の言葉を証明するかのように口を開いた。
「…はじめまして」
「な?な??しゃべるやろ?」
「まさか…いや、でも…」
何故か驚いた様子のエルビーだったが、僅かな時間考えて直ぐに切り替えた様子。持っていた荷物から革製品の首輪を出して差し出した。
「では、これをつけてやれ」
「これ?…もしかして首輪ですか?」
「そうだ。お前達、家は何処だ?送ろう」
「え、あ、家は中心部の…」
「草加君!」
何故首輪を出されたのか。恐らく奴隷の所有権を主張するためなんだろうが、本当にそうなのか分からない。とりあえず、質問しようか迷っていたら直ぐ会話を切られて送るといわれ、草加がマッサージ屋の場所を特に深く考えずに喋ろうとしたのを月野が止めた。そこにあるのは店であり、家では無い。部室は知られてはいけないととっさに思ったのだ。
「中心部の?」
「えっと…家に帰るんやなくて、店に働きに行く途中なんです」
「そうなんです。だから、気持ちは嬉しいですが、僕達は大丈夫なので」
「…店?」
「“先輩、店は喋って平気だと思います?”」
「“うーん、大丈夫なんちゃう?現地の人やし、いつかバレるかもしれんし”」
「俺達、中央部付近でマッサージ屋をやってるんですよ」
「マッサージ…あぁ。最近よく耳にする店か」
「そ…やの?色んな人に来てもらえたら嬉しいわ。えっとせやから…エルビーさん…も、時間がある時来てくれたら、嬉しいな」
「…分かった。あとで行こう」
途中でこそこそと相談をしたが、マッサージ屋の宣伝をして誘ってみたらアッサリとエルビーは引いて、歩き去ってしまった。
拍子抜けもいいところだが、2人はやっと「助かった」と胸をなでおろした。
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「で。先輩、どうします?」
「どうしよな。ごめんな、草加君。うち、よぉ考えてへんかったわ」
その角を曲がればマッサージ屋の前の道、というところの十字路の角の建物の影で草加と月野と奴隷の青年の3人で座り込んでいた。
部室付近まで帰ってきたのは良いのだが、帰り道でそう遠くない未来に世界を移動する自分達が、最後までおそらく面倒をみれない奴隷を買うということがどういうことか考えついた2人は、軽はずみな言動をしてしまった事を悔いていた。
しかし、エルビーに自分が預かると言った以上、今更こっそり放り出すわけにも行かないし、そんな無責任な事できない。皆に報告して相談しなくてはいけないとも思っているのだが、どうやって言いだそうかと悩んでいると、青年が視線を伏せたまま口を開いた。
「秘密。奴隷。平気」
「え?」
「隠れる。逃げる。得意」
「もしかして…仲間に秘密で奴隷を買うのは珍しくないから、俺達の仲間にばれないように、隠れて居てくれるって事?」
喋れるのだが、青年の言葉は単語を並べただけで文法も何もあったものではなかった。そして何が言いたいのか分かりにくい。しかし疲れて回転の鈍い頭ではそういう癖なのかと適当に考えて意味を草加が問い返せば、彼は草加を見てしっかりと頷いた。
「でも、そんな隠れるなんて。…なんか悪いわ。…まぁ、うちが考え無しに安請け合いしたんが1番悪いんやけども」
「女性。秘密。奴隷。よくある」
「女性は秘密で奴隷を買う事がよくある?」
「ううん。…女性。奴隷。秘密。よくある」
「女性の奴隷を秘密に買うのは良くある事…だね?でもそれは…君は男性だろう?」
「大丈夫。隠れる。得意」
「…どうしよう」
「うーん。とりあえず一旦戻りますか?どうせ船長にはバレてしまうのだし、彼に助言を求めるのも手かもしれませんよ」
「せやねぇ…。うち、盛大に怒られる気ぃする」
彼を見て申し訳なさに眉を寄せるが、いろいろな事があって思考回路が限界に近い頭ではこれ以上いい案が浮かびそうも無い。そんな様子を見て、彼は月野を助けた時のようにフワリと笑った。
「大丈夫。俺。邪魔。消える。でも…一緒。居たい」
「めっちゃええ子やん!きっと年上やけど…」
「うん。…何とかできるよう、最善を尽くすよ。だからちょっと、待っててね」
意を決して立ち上がれば、青年をその場に残して部室に向かった。マッサージ屋に消えていくその背中を見送りながら、青年はホッと息を吐き出す。
「…迷惑かけちゃったなぁ。そんなつもりじゃなかったんだけど」
そしてポツリと吐き出した言葉は、誰の耳にも入らずに空中に消えていった。




