03-10 奴隷の印
「さぁ、ついたぞ。此処が良く飲みに来る店だ」
ガスパールにつれられてやってきた1軒の家。
この地域では恐らく殆ど雨は降らないのだと思われる。基本何処の建築物でも土で作られたレンガを積み上げられて立てられた建物で、住宅と店の区別は自分達にはつかない。案内された店に足を踏み入れながら、ものめずらしげに周囲を見渡してしまった。
「珍しいか?でも場所を確保するまでがまんしとけ。あんまりキョロキョロしてると、カモに見られて何かされるぞ」
「う。ご、ごめんなさい」
「ただでさえこういう場所に女性が来るのは珍しいからなぁ」
「そうなの!?」
外壁同様に室内の壁も土作り。焼き物のツボをひっくりかえしたような机があったり、床にゴザのようなものを引いて下に座ったりとくつろぎ方も人それぞれだ。その中で壁際にある地べたに座るタイプの場所に行くと、敷いてある敷物の上にガスパールが一番最初に座った。
女性が珍しいという彼の言葉通り、先客の側を通ると遠慮ない視線が向けられて、とたんに居心地の悪さを感じた。それを察して、一番奥の壁際に場所をとったガスパールと、間に天笠を挟むようにして座った雨龍。挟むようにして彼女の壁になるためだった。
「おぅ!いつもの酒頼むわ」
「あいよ。…なんだい、愛人か?」
「違うよ。こいつら新婚夫婦で…」
「ちょっと!」
「な、何を言ってるんだ!?」
適当な事を言い出すガスパールに慌てて訂正を入れる雨龍と天笠。しかし、気にするなとでも言うかのように軽く手を振ってごまかしてしまい「いつもの酒」とやらのほかにつまみも数点注文していた。
「…あ。そういえば、今取引に出せる品物を持っていないのだが」
「あ!そうだったわ、すっかり忘れちゃってたけど当然支払いしないと駄目なのよね、お店なんだし」
「今回は俺が出しとくよ。強引につれてきたわけだし。そのかわりまた後で付き合えよ?」
「え、でもそんな…」
初対面ではないけれど、まだこの世界に来て1週間とちょっと。それでも始めた店の常連になってくれて、此処まで良くしてくれて。嬉しい事ではあるけれど、何か裏があるのかもしれない…と疑ってしまうのは心が狭いからなのだろうか?
「あの、何でそんなに良くしてくれるんですか?」
「あれ?迷惑だった?」
「そういうわけではないんですけど…なんていうか…あまり他人を気にしない人が多いかな?って言うか、あまり生活に余裕がなさそうというか…」
思わず天笠がズバッと聞いてしまうと、ガスパールがニヤッと笑って返事を返した。失礼な事を聞いてしまったカモと思った天笠が慌ててフォローを入れるが、素直な言葉ははたして取り繕う事が出来たか不安である。
「あはは。確かにあって間もない人間に親切にされたら不気味だよなぁ」
気まずそうに視線を伏せた天笠だったが、ガスパールは気にしてなさそうに軽快に笑った。
「実はね、俺は奴隷上がりなのさ」
「奴隷上がりとは?」
初めて聞く単語ではあるが、それが意味する事が何なのか何となく理解できてしまった。流れで聞き返した雨龍だったが、続いた説明でその想像が正しいと理解する。
奴隷上がりとはその名のとおり、奴隷だった身分の者が奴隷から解放されることを意味する。
方法としては、主人に解放を言い渡されるか、自力で生きていける能力があると証明するか、らしい。トバルス付近で獲物を安定して狩ったりできれば、1発で解放可能だとか。
ちなみに、ガスパールさんは仕えていた家の娘さんと結婚して奴隷から抜けたらしい。人権が損害されているというわけでもなく、そういう特殊な例もありなのだ。
「奴隷…って、主に死ぬまでこき使われるって感じかと思ってたケド、そうじゃないのね」
「おいおい、物騒なだな。…奴隷って言うのはさ、要するに自力で生活が出来ない人間が誰かに寄生している状態なんだよ。食事や、寝床を提供してもらう変わりに、主の命令は絶対に聞く。一応ルールとしては死に至らしめる暴力や非人道的な行いは駄目とされているけれど、男が女奴隷を買う目的は…まぁ、分かるだろ?」
「う、うむ」
「そして無償でその人に奉公しながら、自立が出来る段階になったらその力を証明する。俺は結婚でサラッと抜けたけどな。良い人に買われて本当よかったよ」
「食事と寝床…服は?昨晩の水汲みで見た奴隷の人達の着物はボロボロだったけど…」
「そうだなぁ。確かに日中と夜間の気温さは激しいけど、この辺だとそれにもなれちゃったやつしかいないから。それに消耗品だからな、あまり手をかけられないって言うのが本音だ」
「奴隷って聞くとあまり良いイメージ無かったが、一つの生活支援の仕組みなんだな。だが、それだと雇い主には特に利益が無いんじゃないか?食い扶持が増えるわけだろ?」
「それがそうでもないんだな。ちゃんとした奴隷商から購入した奴隷はその身体に証明の焼印を押されていて、それを持ってる奴隷を連れてると色んな場所で優遇されたりするんだよ。例えば先生達みたいに店を出す場合、3人以上の奴隷を囲ってる人は営業場所の料金無料とかな。あとは雑用させたり面倒な水汲みに行かせたり」
「なるほど。…だが「ちゃんとした奴隷商なら」って言う事はそうじゃない奴隷商も居るのか?」
「あぁ。奴隷のままだとさ、子供が出来ても相手側に認知されないと子供として認められない。でも奴隷として売るにはそれなりに大きくなってからじゃないと駄目なんだ。そういう問題もあるから裏の奴隷商がなくならない。あいつらは望まれない子や、たまに攫って来てまで奴隷を増やすらしい。人を道具としか考えていないみたいで、話では買った奴隷をトバルス周辺の獣を集めるための生餌にするとか」
「え!?赤ちゃんも?」
「そうらしい」
「…酷いわ」
そうだね、と同意して、ガスパールは服の上から腰に手を当てた。少しだけまくって見せると、焼きゴテで付けられたのだろう、蛇の烙印が見える。しかしその蛇は斜めに入った2つの線でバツ印が付けられていた。
「俺は蛇だけど、奴隷商は1つじゃないから焼印は数種類存在するんだ。比較的幼い子供も預かるサボテンマークとか、労働力になる男性を集める鳥マークとか。でもやっぱり一番大きいのが広く浅く手を出してる蛇マークの奴隷商だね。そして奴隷を抜けると、バツで消されるんだ。2、3度奴隷に落ちるやつらも居て、そういう奴等は落ちるたびに別の場所に焼印を押される」
「…痛そう。それ、女性にも同じ事するの?」
「もちろん男女なんて関係無い。ちなみに年齢もな。ケド、案外痛くないもんだよ。しるしも小さいしな」
既に大分時間が経過しているその蛇の烙印。しかし、映画やドラマで良くある焼きゴテを押し当てるシーンを想像した雨龍と天笠は痛そうな光景に眉を寄せた。
「それには、裏奴隷商がなくならない理由はもう一つ、解放された犯罪者を定期的に一掃する役割があるからなんだ」
服を直してそう言ったガスパールは何か思うところがあるのか、ため息を吐き出す。その様子に変に相槌をいれずに視線だけで先を促した。
「誰かを殺したとか、危険人物と認定された犯罪者は即行で殺されるんだが、奴隷じゃない貧困者のスリや、盗難、強姦なんかは1度目は許されるんだよ」
「強姦が許されるって酷くない!?」
思わず天笠が声を上げれば、少し驚いた様子でガスパールが口を開く。
「何故だ?女は子を産むための者。確かに合意がないというのはいただけない気もするが、だからって直ぐ死刑になったりはしない」
「でも、女性にとってそういうのは心の傷が…」
「第一此処は男性優位社会だ。だから俺も、一般人に婿入り出来た訳だし」
「そんなの差別よ!」
「天笠落ち着け!それがこの世界の常識なんだろう。受け入れられないのは分かるが、とりあえず話を聞こう。な?」
「…むむむ」
かっとなって口を開いた天笠を雨龍がそっとなだめれば、不服そうな顔で口を閉じた。
「で、では話を続けるぞ?…1度目は許されるが、罪は罪だ。前科持ちの罰を受ける」
「罰?…罰金?」
「罰金?とは?」
「な、なんでもない。続けてください」
「?…わかった。罰とは一般人だったら奴隷に落ちて、奴隷だったら体罰を。そしてその挙句に眼を片方えぐられるんだ」
「抉る!?グロ!?え、眼を!?何で?」
サラッと告げたガスパール。しかしその内容は簡単に流せないくらいには怖いものだった。
1度目の罪で眼をえぐり、2度目は無いという意味をこめる。さらに、顔に傷をつけることで他の人間に「コイツは前科持ちだ」という事が直ぐ分かるようにする意味もあるらしい。
そして今の領主、アルトゥーロは赤い瞳で眼力を持つ。片目を奪って「片目は既に視線を合わせているぞ」という脅しをかけるとか、目を1つなくすことで「朱眼の魔王から解放される」みたいな救いを説く者も居るそうだ。
「大体眼帯してるから分かるよ。そういったやつらも一応片目を差し出して許された身だから、おおっぴらに処分できない。そこで裏奴隷商が出てくるんだ」
攫って、まとめてトバルスに送る。あるいは女であれば残った眼も奪って、財力のある家に売る。緩やかとはいえ人口が増え続けているこの場所は、トバルスからは適度に離れていて肉食獣も頻繁にはやってこない。山のおかげか運が良いのか、大きな砂嵐が直撃した事も無く、増え続ける人間の数を間引くものが必要なのだ。
「ほい、おまちー。今日は何をくれるんだ?」
「お、やっと来たか。そうだな、今日は水汲みに行った時に採取した…」
話をしている間に頼んだものがやってきた。お代は先払いで品物と交換らしく、店の人と話し始めたガスパール。その間に運ばれてきたものを観察した。器は焼き物のようで、中身は薄い緑色をしているように見える。が、なにぶん焼き物が茶色なので良く分からない。
「これがお酒か。この花は…サボテンかしら」
「サボテン…」
無理やり気分を持ち上げようと試みるが、平和な世界で生きてきた2人にとって、ガスパールの話は衝撃以外の何物でも無かった。




