03-08 神の山・トバルス
「サヨ、落ち着いた?」
「う、うん…」
テントを張った場所まで集団で戻ってきた後、ほぼすべての水汲みグループは町へ帰還していった。
月野は先程見た光景のショックだろう、顔色が悪く先程見た出来事を口にしようとしても上手く声が出てこない。状況から事態を察したガスパールが無理に聞き出そうとするのをとめてから「急ぎの用事が無いのなら暫く休んでから帰ろう。もう少し待てば、面白い風景が見られるよ」という言葉を受けて、暫く休憩を挟む事にしたのだ。
気がつけば、まだ太陽は姿を完全にあらわしていない。水汲みを終えてまだ僅かな時しか流れていなかった。
石のような硬い植物の日陰に座り込む月野と、彼女に付き添って一緒に座る天笠。
側に居たラクダも初めの内は陰に入っていたが、今はバリバリと音を立てながら側の硬い植物をほおばっている。小さい月野の頭上にまで首を伸ばして枝を力いっぱい引っ張るので、思わずバランスを崩しつつもラクダを見上げた視線の端に、唯一徒歩だった奴隷集団が見えた。
「あの人たちも帰らなかったんやな」
彼らも月野たちと同じように僅かな日陰に身を寄せて強い日光から隠れていた。心なしか人数が増えたように感じるのは広く散らばっているせいかもしれない。
何で此処についてきたんだろう?どうして町に戻らないんだろう。分からない事は沢山あるのに、尋ねる事が出来る相手がいない。少し沈んだ気持ちでため息を吐き出した。
“ドーン!!”
突然の大きな音にきづいてハッと顔を上げると、トバルスの上部から透明な棒状の物が落ちてきていた。恐らく先程水を汲んだ池があった辺りを目指して落下していく。そこは此処からはかなり距離があるため思わず立ち上がるも逃げ出さずにその様子を見守った。暫くして地面にぶつかる音と、僅かな振動が走る。
「…な、何?」
「逃げなあかん…わけとちゃうの?」
辺りをオロオロと見渡すが、身を寄せていた奴隷どころかラクダでさえも驚いた様子はない。此処では日常なのか?天笠と月野はお互いの顔を見合わせて頷いてから、少しトバルスに近い位置にいた男性陣のほうへ走り寄った。
「雨龍さん!」
「天笠、それに月野。…もう復活できたか?」
「は、はい。心配かけてごめんなさい。それより、あれ…」
「見てください、天笠先輩、月野先輩」
声を掛けた2人を見て、草加がトバルスの上部を指差した。雨龍へ向けていた視線を2人揃って山の上に向ける。すると、そこにはモクモクと白い煙のようなものが落ち、風に乗って飛んでいく様子が見て取れた。
「…煙?」
「これ、火山なの?」
「違うよ。さっきガスパールさんから聞いたんだ」
「え?聞いちゃったの!?知らないって言っちゃったの??」
「多分言わなくてもばれちゃってましたよ。貴重な水汲みの手段を知らなかった時点でね。…なら、これ以上知っているフリを続けるより、一時の恥じを晒してもこの世界の常識を聞いておいたほうが言いと思ったんだ」
「なにやらガスパールさんと長く話していると思ったが、色々とぶちまけちゃったのか?」
草加の告白に雨龍も驚いた様子を見せた。完全独断だったらしい。
「大丈夫です。初心者だって事を継げてこちらが質問をしていただけで、ガスパールさんのほうからは特に質問をされていないし、何も話してはいません。僕はまだ水汲みの経験が無くても通りそうな年齢かな?って。経験が足りないで済むかと。雨龍さんが知らないとなるともっと余計に怪しまれると思ったんですよ」
「確かに…それは…」
「それよりも先を続けて。アレは何?」
何処となく申し訳無さそうな顔をした雨龍。しかし、それよりも、と天笠が先を促せば、草加も頷いて視線を再度トバルスの山の上に向けた。
「この岩山の上には、神が住んでいるそうです」
「神様?…どういうこと?」
「あの白いヤツ、何に見えますか?」
「降ってきてるやつ?…せやね、やっぱ煙…?」
「温泉とかで見る湯気にも見えるぞ」
「さすがです、雨龍さん。アレは水です。命の水をはぐくむ場所。神が人を見守る山、らしいです。それと、此処は僕らの世界でいうエンジェルフォールと同じようです」
「エンジェルフォール?…って事は、アレは滝なのか!?」
「はい」
「エンジェル…フォール?」
「知りませんか?天笠先輩。滝つぼの無い滝として有名なんです」
「滝つぼが無いん?な…なして?」
「標高差のせいだ。高いところから落下する水、しかし地面に落ちる前に空中に霧散してしまうために水が真下に落ちてこないんだ」
「そして本来なら、空中に飛んだ水分がこのあたりに降り続くはず。でも、この気温と日差しが、あっという間に蒸発させてしまうため、霧に包まれた空間になっているんです」
「だから、あったかかったんだ」
「えぇ。夜になって直ぐだと、地中の熱が抜け切らずに暖かな空気が残るみたいですね。そしてさっきの音は、夜の内に冷えて固まった氷が気温の上昇で溶け出し、再び水が流れ出した瞬間だと思います」
聞いた話と自分が持つ知識である程度の仮説までたてて説明をした草加。
先ほどまでクリアだった視界は、水が流れ出すと同時に次第に霧が濃くなってきていた。それでもじめじめした空気を感じないのは、乾燥した風がこの場所の空気をかき回しているからだろう。薄っすらと山が見える状態で、変化が止まった。
「どうだ?驚いただろう」
今まで顔見知りの人物と談笑をしていたガスパールが、4人固まっているのを見てこっちに歩いてきた。それを見て草加が1歩前に出る。
「はい。驚きました。アレが、神が起きた瞬間ってヤツなんですね」
「そうだ。この山が無けりゃ、俺たち人間は今も過酷な毎日を送っていただろうな。別に生きられないって訳じゃなかったが、娯楽にまで興じる暇は無かっただろうよ」
そういって軽快に笑うガスパールを見上げて、月野が首を傾げつつ質問を口にした。
「神様って…神話なん?他にもおるん?」
「神話?…」
「あ、えっと…昔話?」
「なんだ、お譲ちゃんも…そういや初めてだっけ?水汲み。トロアリーヤに来たのも最近って言ってたし…知らないのか?子供を寝かしつける時によく話す物語なんだ」
「聞きたいわ。話してくれませんか?」
「…うーん、口下手だから聞きにくいかもしれんが…しかたない。理解しにくくても気にすんなよ?」
そう前置きをしてから口を開き語りだした。
昔、トロアリーヤが出来る前。砂漠の人は僅かな植物を頼りに生活をしていた。得られる昼間と夜間の温度差で、日の出の時に発生する濃い霧が唯一の水を得られるチャンス。それは毎日必ず訪れる命をつなぐための大切な瞬間だった。この辺にも生えている硬い岩のような植物は水を含むと緑色が強くなり、保水性が高く、枝を傷つけえると樹液をすする事ができて、この植物が彼らの命を支えていたらしい。
植物を食べつくさないように、少しずつ、少しずつ。場所を移りながら生活していた。
そしてそんなときに見つけたのが、この岩山だった。
空中に飛んでいってしまう水も、早朝なら岩の壁を伝って僅かに地面に池を作っていた。
水分が豊富なおかげか、山の麓には緑が茂り、動物たちも集まっていた。彼らは此処をオアシスと考えた。
しかし、此処での食物連鎖の頂点に立つのは、常に食べられる側だった植物だった。
水辺の近くの白い花は、朝日を受けてつぼみを開く。
そしてその香りで動物を誘い、花弁ごと落として覆いかぶさり、麻痺毒を使って動きを封じて花の中に獲物を捕らえ、そして再びつぼみに戻る。落ちた花弁は獲物を捕らえると茎の中の芯が再びシッカリと伸びて、他の肉食獣に獲物を取られないようにまた空を向いて立ち上がる。
水の中の植物の口は、密集して水底の土の中に集い、上を通過する獲物を待ち伏せる。
水が入る前で乾燥しているときは植物も乾燥して堅くなるが、水に触れると元に戻る。
これが閉じるタイミングは上を影が通過する速度が関係しているらしく、植物の上を踏んでも直ぐに移動する事が出来れば閉じる事はない。
そして口の中に捉えた獲物を水の中に引きずり込み、窒息させてからゆっくり養分を吸い取るらしい。
どちらも一度獲物を捕まえたら、再び開く事は無く、使い捨ての罠のようだった。
しかし植物は自分立ちも必要な水分は動物にとっても大切なものであると事を理解しているかのように、水周りに食肉植物が密集した。
水があるのに、手を出す事が出来ない。
この場所を見つけた人間は宝を目の前に指をくわえるしかなかった。
そこにやってきたのが神の使いである「サソリ」だった。
サソリは植物の特徴を人々に教えた。
水が溜まりだして直ぐ汲もうと走った人間は、水に触れてすぐさま活動を再開した口によって捕食された。
それを見て、白い花弁を水面に落とし麻痺毒を水に流す事で植物の口の動きを鈍くする事が出来ると教えた。
花が落ちるタイミングが分からず、不用意に水辺に近づいて花に捕らわれた人が、仲間に救出される前に水辺に集まっていた肉食獣に食われた。
それを知って、ラクダに乗って自分の座高を高くし、集団で水汲みに訪れる事で襲われにくくする方法を考えた。
同じ場所に生えている、別々の植物。
しかし共存はしていても協力関係にあるわけではない。
そのことを知って水汲みの難易度が大分下がった。
暫くして、
人々は考えた。
岩山の上にはもっと豊富な水があるに違いない。
人々は想像した。
水があるなら緑がある。食料にも困る事は無いに違いない。
人々は願った。
神が恩恵をこの地表にまでもたらしてくれる事を。
そして、人々は決意した。
神の山、トバルスの頂上を目指そう。と。
それを聞いたサソリは反対した。
あそこに行ってはならないと口にした。
人々はサソリを崇め称えていた。
しかし、サソリが岩山の上から来たかを知って手のひらを返す。
天から我らを見下していたに違いない。
人々の無知を、笑っていたに違いない。
山に人が侵入するのを恐れているのだ。
我々の行動を、妨害しに来たのだ。
人々は人間を欺いたサソリに怒りを覚え、屠った。
それでも時々、山からの使者、第2、第3のサソリが地表に現れた。しかしこれも、人間は迎撃に成功する。
そして人々は神の山を目指し、今も戦い続けている。
「トバルスの頂上には神が居る。そして膨大な量の水を捨てるように垂れ流して、地表には一滴もたらさない。神の使者であるサソリを殺した人間に怒りながら、人の無力さを笑っているのだ。…ってな。どうよ?理解したか?」
「神の使者が…サソリ?」
呟いた天笠。その名の通り、毒針をもつサソリを想像している。この想像と同じサソリという生物がこの世界にも居るのか分からないが、その呟きを受けてガスパールが視線を天笠に向けた。
「おうよ。サソリだ。アレ以降、神の使者はたまにこの地に降りてくるぜ」
「さそりが!?毒針持って?」
「…?どんな姿を想像してるのか分からんが、見た目は人間と似てるぞ」
「なら、なんで神の使者だと分かるんですか?」
「それはな、言葉が通じないからだ」
「え?」
「人様と同じ言葉を使う訳にはいかないんじゃないの?そこらへんは良く分からないが、神の使者とは言葉が通じない」
「…なら、どうやって植物の事を人間に教えたんです?一番最初」
「…知らん。それは先祖に聞いてくれ」
質問を受けてハッとした顔をしたガスパール。彼は疑問にすら思っていなかったようだが、言葉が通じないのに色々教わったというにはちょっと無理がある気がした。
「山を目指すって…もしかして、あの人たちが?」
途中から何処か得意げに話していたガスパールが、受けた指摘に腕を組んで言葉を区切ると、月野が奴隷達をの方を視線で差した。それを見てガスパールが一度シッカリと頷き返す。
「そうだ。物語にもあったとおり、人間は本来移動しながら生活していた。此処は奇跡的に発展できた町だが、流れて入ってくる人間は案外多い。彼ら全員を入れるには町の発展が追いつかず、全員が毎日少しでも水を飲むためには、発見した池は小さすぎる」
「小さい?どうして?」
「水が溜まって花が落ちるまでは安全のために動けない。それなのに朝日が昇ったら霧が発生して池の近くは危険なんだ。他に肉食獣も居るしな。その短時間に水の中を走りきれるラクダの数は、今の時点で限界に近い。深い場所まで幅を広げると、ラクダの速度も落ちちまうしな」
ガスパールの話に思わず返事が出来なかった。
そんな様子の部室メンバーを一度見渡してから再び軽快に笑う。
「さぁ、もう休憩はこのくらいにして戻ろう。そろそろ動かないと、太陽が高くなるともっと気温が高くなる。移動するのが億劫になるぜ」
ガスパールの言葉に帰路についた一行。
来た時と同じ、揺れるラクダの背中の上で、月野はトバルスをじっと見ていた。
食肉植物の群生する池。そこに溜まる水を汲むために命をかける人。
そして、目の前でさらわれて言った名も知らない青年。
あの水には多くの犠牲者の命が混ざっているのだろうか。
そんな事を一度考えてしまうと、一生懸命手に入れたタンクの水が、すごくおぞましい物のように感じた。
ぐふぅ!
確認しているつもりでも、誤字や消し忘れが存在する!(汗)
3/26 21:57に一文を修正。内容に変化はありません。




