02-36 井戸牢
その後医師の手によって既にジューンが亡き人である事が確認された。
気を失ったスパルタクとイーヴァ、それにジューンの遺体をこのままにはしておく事は出来ないので、イーヴァをステンカが、スパルタクを雨龍が、ジューンをジノヴィが抱えて屋敷に運んでいった。
スターニャとカリャッカは黙ったまま付き添い、獅戸と三木谷も彼らについて屋敷に戻ったが、鷹司と守屋と猫柳、シルとラプシンはその場に残った。ショックが大きかった事もあり、誰が言い出したわけではないがお互いに話を整理しておきたかったのだ。
何となく気まずい沈黙が流れる中、そっと歩を進めたシルはジノヴィが放り投げたチョーカーと、ジューンの手からこぼれた木片を拾い上げた。
「ラプシン。これに見覚えがあるじゃろう?」
「…はい。パーティーグッズのチョーカーですね。声色を変更するだけの悪戯アイテムだったのに、ジューンが欲しがるから何に使うのかと思ったら…」
「まさかこんな事をしていたとは。…こっちは…なんじゃ?」
そういって木片を右手のひらでクルクルと弄びつつ形を確認しようとした。気になっていた皆の視線が集まる中、守屋がハッと思いついた顔をした。
「…あ。それ、宿屋の札じゃないッスか?」
「宿屋じゃと?」
「すいません、ちょっと見せてください」
そう声を掛けてシルから木片を受け取ると、今度は守屋がクルクルとまわして形を確認した。
「確かこれ、俺がバイトしてる宿のッスよ。ほら、このマーク」
「…何それ?」
「あれ?先輩達に言って無かったかな。この世界の宿屋って、部屋借りる時に身分証とかその人にとって価値のある荷物を店の人に預けるんッスよ。で、出るときにちゃんと宿泊費払ってれば返ってくるっていうシステムなんッス」
「へぇ。これがこの世の防犯システムか」
「…だば、何がしらジューンの荷物が残ってるって訳?」
「あ!…そ、そうか。これがジューンさんのだったら…。そういえば、4号室の客が帰って来ないっておじさんが言ってたッスよ。明日には荷物を処分するって」
「え!?取りに行きましょう!今すぐに。私が行きます。その宿の場所は…教えてもらえるかしら?」
「勿論ッスよ、案内します」
ラプシンが名乗り出れば、案内役として守屋も付いていこうとした。出て行こうとする2人をシルが一度引き止める。
「キョウタロウ殿、おぬしはホクト嬢の付き人だったのでは無いのか?」
「はっ!…副業っすよ。空いた時間でアルバイトっす」
「ふむ。なるほどのぉ。…ラプシン、帰り際で構わぬ。エフレムにこの事をつたえ、屋敷に来るように言ってくれ」
「分かりました」
「じゃあ先輩方、ちょっと行ってくるッス」
「あぁ」
「気をつけて行って来てね」
シルは守屋の事は怪しんでいる感じではあるが、それを暴こうとは思っていない感じで、それよりもラプシンの事を気遣っている様子だった。彼女は強気な口調と態度を見せてはいたが、長い付き合いだったシルには泣きたいのを我慢しているのだと感じ取ったため、場を和ませようとしつつ「急ぎではない。ゆっくりして来い」という意味を含めてそう指示し、見送った。
再び流れる沈黙。
その中で、鷹司は床に広がる血だまりを見ていた。端の方は乾き始めているが、それでもまだ毒々しい紅色を保っている。ゆっくりと井戸に近づいて中を覗きこめば、僅かな光に反射する水面のような光と、ジューンを引き上げる際に壁に付着したのだろう血痕がはっきりと見えた。すると隣に猫柳もやってきて、同じように中を覗きこむ。
「あれ?下まで見える。あの黒い壁が無い」
「壁?」
「そう。井戸の壁よじ登ってる時に、触れない…影みたいな何かを通り抜けたんだよ。光も音も遮断しているみたいだった」
「それが術の蓋じゃろう。今回は中に入る事が分かっておったので、術式を解除したようじゃ」
「そんな簡単に解除できてしまうものなのですか?」
「うむ。確か井戸の周りの石に魔方陣がかかれておって、石の組み換えで解除できる仕組みじゃ」
「悪戯サ誰だって操作できるんじゃ…?」
「そうじゃな。解除は誰でも出来てしまう。陣を崩せば良いだけなのでの。じゃが、組みなおすには一定の魔力を持つものが必要なんじゃ」
「それって…かけるの簡単で解除難しくした方がいい気が…」
「何故?蓋を開けたところで罪人か死体しか見えんのじゃ。好き好んで開ける者もおらんよ」
「そんなもんか?」
残った3人で話をしながら、猫柳はもう一つ違和感を感じていた。
獅戸と落ちたときに蜘蛛の巣のように伸びていたツタが見えないのだ。よくよく眼を凝らしてみれば、ツタだったもののような枯れ枝が見える気もするが。
「ねぇ、もう一度中を見てきても良いかな?」
「なして?」
「何だか違和感を感じるんだ。僕達を助けてくれた植物が無いし、それに…何だか中が冷たい気がする」
「冷たい…とは?どういう事じゃ?」
「上手くいえないんだけど…僕達がいたときは、もっと暖かかった気がするんだ」
中は血の池だと聞いていても、死体があると知っていても、言って確かめたいという気持ちの方が強かった。恐怖心より好奇心が勝ったのは、臭いが無いせいかもしれない。気になる理由を簡単に口にした後、再び制止が掛かる前に井戸の淵を乗り越えて縄梯子に足をかけた。
「あぁ…。…なぁ、俺も降りて平気?強度的に」
「強度?この縄梯子は丈夫そうだから大丈夫じゃろうが、着地点があるか分からんぞ」
「底か。…んだばノフィー…いや、ジノヴィか。アイツが盛り上がった場所が何んだかんだ言ってながった?」
「言っておったな。じゃが、床に段差があるなど聞いたことが無いぞ」
「「…」」
「俺が先行ぐ。後から来い」
「う、うむ。分かった」
僅かな時間見詰め合ってしまったが、直ぐに鷹司が先行を取ればシルは頷いて了承した。中を覗いて猫柳がどの変まで下がったかを確認すれば、途中で止まって壁を触っている姿が見えた。
「何?なんがあっだ?」
「此処にコケがあるんだけど、何だか元気が無いんだ」
脱出の時に灯りになってくれた光るコケ。あの時はお互いの顔が見えるほどは明るかったはずなのに、今そのコケを触ってみるとカサカサしていて元気が無いように思える。これがこのコケの種類なのだろうか?しかし上ってる時に触れたやつはもっとしっとりしていた気がする。
「シルが後で剥ぎっとくどさ。俺も降りるぞ、大丈夫か?足場が無さそうなら、あがって来」
「ちょっと待って。下見てみ…うわぁ。マジ真っ赤だ。それにしてもやっぱり肌寒い気がする。…あ、でも確かに水没してない足場があるよ。…ナガレ、下りてきて平気だよ」
上から見ていた猫柳の姿が、下に下りて視界から外れた。僅かでも歩けるスペースがあるのだろう。それを見て鷹司も縄梯子に足をかけて中に下りる。途中で猫柳が言っていたコケに触れて調べてみたら、枯れかけているらしいという事が分かった。植物が枯れるというのは、まぁ珍しいことでもないのだが、今日の朝方は光っていたという話を信じるならば急激に衰えた気がする。しかも猫柳が言っていたツタというやつも、完全に茶色くなって堅くなっていた。何だかおかしい。しかしそれは心の中で思うだけに止め、後でシルが採取するというので、詳しい検査でもするのだろうと再び降下を開始。そして下に足をつけた。
「下サ付いた。下りてきて平気だぞ。…何だこい(これ)、石か?」
待機していたシルに声を掛けると、井戸の中に足を入れる姿を見てから足元に注意を向けた。衣類のような布が敷き詰められているが、おそらくスパルタクを此処におくためにジューンが手を加えたのだろう。何処から拾ってきたのかは、血がしみこんだ赤のおかげで簡単に想像が出来る。
足場を観察しながら踏みしめると砂利を踏んだときのような独特な音がする。その声に、下りてくる時に壁からはがしたのだろう枯れたツタを調べていた猫柳が、棒状になったツタを血の池に差し入れて深さを調べながら振り向いた。
「石…だと思うけど、この壁見てよ。灯りがちょっと足りないけど、凄く綺麗に磨かれてるでしょ?此処から剥がれたとしても、こんな量になるかな?」
「へば、地面ば掘った?」
「その可能性もあるけれど、これじゃ底がどうなってるかは見えないね。…水深20センチ位か。暗くて把握しきれないけど、この広さにこの水位、一体何人が…」
差し入れたツタを引き抜いて、目測でぬれた部分の長さを調べてみるが、続けそうになった言葉に不謹慎かもとフッと口を閉ざして言葉を止めた。それを察した鷹司も特に何も言わず、深く息を吐き出した時シルが丁度下りてきた。
「ふぅ、やっと付いた。…やはり暗いのぉ。ちょっと待っておれ」
片手をあげて手のひらを上にして簡単な短い呪文を唱えるとその上に光の玉が出現し、辺りを照らしはじめた。
「魔法だ。…僕、魔法らしい魔法って始めてみたかも」
「なぁに。ただ、灯りを照らすだけの簡単なものじゃよ。おぬしだって魔力さえ持っていれば直ぐ習得できるじゃろうて」
「そ、そうなんですか」
簡単な会話をしてから見渡してみると、思っていたより断然綺麗だった。本来ならばあるべき、血の池の水面に浮いているモノが無い。しかしそれに気付くよりも先に、彼らの視線は1点に集中した。
「なんじゃ…?これは…」
そこにあったのは大きな花だった。花の大きさは1メートルはあるように思える。水に足をつけたくなくて近づけないので良く調べる事は出来ない。遠目で見ても枯れてしまって色も茶色くくすんでいるが、ユリのような形をしている。葉は見当たらず、まるで切り花を刺したような感じで立っているのだ。
「ユリ?」
「形は似てるけど…」
暗闇の中、血の池に咲く白いユリを想像して、えも言われぬ恐怖を感じた。
「何かが此処で起きていたようじゃな。あれほど大きな花など見た事無いぞ」
「僕もです。…そろそろ戻りますか?他には特に何も無いようだし」
「だの…いや、待て。何故何も無い?」
「え?」
「こいだげ多ぐの血が流れてて、流した奴が一つも…」
言いかけて、鷹司は足元を見た。彼につられて2人も足元に視線を落とす。この池の中で、唯一水に濡れない足場。シルの話では、床はフラットが一般的で、こんな段差があるものはおかしいと言っていた。
この広い空間に、約水深20センチの血の池が出来ている。今辺りを見渡して浮いているモノが無いという事は、誰かが外に運んだか、誰かが1つにまとめたかのどちらしかない。…土に還ったという可能性もあるが。
自分の仮説を確かめるために、鷹司は敷き詰められていた布の端をめくってみた。下にあるのは白い石。しかしそのもっと下にはまだ形があるものがあるかもしれない。
「スパルタク殿の為に、ジューンが積み上げたのかもしれん」
「じゃあ、この足場って…やっぱり…」
「白い石だ。…戻ろう」
猫柳が出した弱々しい言葉をバッサリと切ってしまえば、鷹司は天井を見上げて帰還を促した。猫柳も見たい物は見たので気が済んだのだろう。一度コクリと頷いてから縄梯子の方へ近づいた。
「シル…様は?」
「うむ、状態は把握した。しかしワシだけではこれ以上詳しく調べるのは困難だから、一旦戻るとしよう。何かあればまた来ればよい。すまないが上に登って引き上げてくれんか?」
「…は?」
「嫌そうな顔をするでない。…まったく、おぬしはワシが誰だか知っておろうに、態度も口調も変えんとは珍しく無礼な奴め」
「お褒めにあずかり、恐悦至極」
「褒めとらんわ」
その後上に登った猫柳と鷹司が、縄梯子をつかんだ老人のシルを引き上げてやった。
思わぬところで重労働してしまった。愚痴を言いたいのはこらえたが、相手が王様だという事は意図的に忘れた。




