02-32 先輩からの助言
獅戸から話を聞いていた通り、サーロヴィッチ家の奥様は厚化粧のおばさんに見えていた。
鷹司が一言発言をするまでは。
何かが割れる音が響いた後、草加と雨龍の眼にもイーヴァは黒髪の美女として映っが、その事に驚いている暇はなかった。
「鷹司!」
「ナガレ先輩!?」
「っ…」
「動かないで」
右腕を背後に回されて組み敷かれている鷹司。そしてその首にナイフの切っ先を突きつけているのは、鷹司の背中の上に乗って体重をかけて拘束しているカブラだ。恐らくポケットに入れていたのだろう携帯ナイフ、そしてイーヴァの側に控えていた金髪のメイドが、イーヴァの持っているトレイの上からサッとグラスを取り上げてしまう。それと同時に男性がもう1人現れてイーヴァを後ろから拘束した。しかし、鷹司の事に皆が気を取られていたため、その行動に対応できた者は居なかった。
突然の出来事に会場にどよめきが走るが、問題を起こしたやつらはまったく気にした様子を見せない。
「このタイミングで破られちゃうなんて焦ったわ。まさか噂でもイーヴァの容姿を聞いたことがない人が居たとわね」
「コイツ、外から来たばかりみたいだったからな」
「イーヴァ様!」
「奥様!」
「…何度も同じ事言わせるな。近付いたら殺す。例外は無い」
グラスを片手にディウブたちのほうへ歩み寄るメイド服の金髪の女性。そして彼女の後ろからイーヴァを拘束してついてくる男性。彼女達の足を止めようと、側にあった工具の箱からレンチを握って1歩前に出た草加だが、カブラがナイフを鷹司の首の上で僅かに引き、浅い傷を作った。流れる1筋の血。そして無言で睨むことで制止を掛けると、それを正確に読み取った雨龍が草加を止める。そしてディウブはそんな中で優雅に近づいている彼女にニコリと笑ってから、組み敷かれている鷹司の側にしゃがみこんだ。
「吃驚した?彼女は幻覚を操るんだ」
「幻覚?俺には効いてながった様だが?」
「先入観、持ってなかったでしょ。イーヴァに対して」
「…だから?」
「彼女の幻覚は個人の記憶を元にして見えてるように思わせてるに過ぎないからね。その人が知らない物は作れない。見せる事が出来ないんだよ。そして君が本当の姿を言い当てたから、術が壊れちゃったってわけだ」
「ちょっと、そんな詳しくバラさないでよ!」
「フフッ、良いじゃないか。その石でどうせもうこの世界とはおさらばだし、仲間には隠し事良くないでしょ?」
「仲間?もしかして、あなたが見つけた気になる子ってこの子だったわけ?」
「そうなんだ。エラ、こいつどう思う?船に乗せたいんだけど」
「技術を見るなら問題ないと思うわ。でも、素直に乗ってくれるかしら?」
「そこなんだよね」
「誰が、お前らなんかと…」
エラと呼ばれた女性を睨みあげながらポツリと呟いた言葉。視線を鷹司に落としていたディウブは、思いついたように鷹司の仮面を取り外してポイッと投げ捨て、素顔をまじまじと見つめた。
「あら。良い男じゃないの。…こんな子に私の20年の努力を踏みにじられたなんて。ゾクゾクしちゃうわ」
「20年?」
「そうだよ。この町に潜伏して今までエネルギーを溜めるのにかけた時間さ」
「でもそろそろ潮時ね。色々と問題を起こしすぎちゃったわ」
「エラは毎回そうなんだから。せっかくステンカに覚えられないように暗示かけて数人でローテーションで側についても意味なかったじゃん」
「ごめんなさいね。お金が直ぐ溜まるのは良いんだけど、こうも張り合いがないとつまらなくて。この世界は飽きたわ」
「飽きたって…」
「ここでは思っている以上に人はお金に執着しない。出回っている数がありすぎるんだ。稼ごうと思えばどれくらいだって溜められる世界なんだよ。知ってるでしょ?ワールド移動にはエネルギーが必要って事」
そう言いながらこちらに来たエラの持つグラスから珠を1粒つまんで、鷹司に見えるように目線の位置まで下げる。
「これはね、この世界で最も希少価値があると言われる宝石、通称「聖女の涙」っていうんだ。出来たばかりは艶のある乳白色だけど、時がたつと劣化して黒くくすんでしまう。別名「生きる宝石」なんだよ」
「…金に対する関心が低いからレア素材を求めたわけか」
「良いね。その頭の回転の良さ。…うーん、やっぱ攫うしかないかなぁ」
「船のメンバーは増えねぇらしいが?」
「うん、そうだよ。定員は初期メンバーの数で固定されてる。だから入れる代わりに降ろすのさ」
「…なるほど…」
「ねぇ、ディウブ。彼が乗るのは構わないけど、一体誰をおろすつもりなの?」
「それはやっぱ…姫ちゃんしか居ないでしょ」
ディウブの言葉にイーヴァを拘束している男性がピクリと反応した。それに気づいているらしいディウブは、にやりと人の悪い笑みを浮かべている。このチームの中でどんな問題が起きているのかは分からないが、仲間の中で上下関係が出来上がっているようだ。
今までの会話と彼らの言葉で、鷹司は詳細を聞く前に察することが出来た。
船のメンバーの定員は減る事はあっても増える事は無い。これは船長も言っていたことだ。その時はそれで納得したが、メンバー以外の誰かを船に乗せることが出来ないわけではなかったのだ。
自分達の船に居るのは12人。船長はプログラムで居なくてはいけない存在なので、実質11人。そして誰か別の人を船に乗せようとした場合、仲間の誰かを降ろして入れ替えれば、その人を船に乗せて世界を移動することが出来るという事なのだろう。説明を聞いたときは皆で帰るという事に何の疑問も問題も抱かなかった。そのためにメンバーは永久的に変わらないと思い込んだのだ。
「姫を…降ろすだと?」
ディウブの言葉にイーヴァを拘束していた男性がディウブを睨んだ。恐怖で震えているイーヴァを盾にするかのようにしながら、僅かに殺気を放ち始める。
「だって、船に乗せる条件覚えてるでしょ?」
「だが、姫は…」
「いつまでもお荷物だとさ、こっちも困るんだよ。ニコニコ笑って媚びうるしか能がない。自分のことすら満足に出来ないのに事あるごとに「それは良くない。悪事は駄目だ」って口を挟んで。偽善も程ほどにして欲しいね」
「お前!」
「ディウブ、そんな親切にしてやることないよ。こいつもセットで放り出せば良いじゃないか」
「そうなんだけどさ、カブラ。コイツは結構使えるじゃん?」
「荷物抱えて能力を取るか、セットで捨てて新人入れるか。どっちが得か考えてごらんよ?」
「うーん…」
黙って聞いていた鷹司は、突然の仲間割れに注意をそらされカブラの腕の拘束の力が緩んだのに気づいた。しかもナイフはイーヴァの後ろの男の方を警戒しているのか、直ぐ振れるように首から離れた位置にある。僅か数秒間目を閉じて呼吸を整えた後で、勢い良くガバッと身体を反転した。
「わっ!」
バランスを崩したカブラ。無理に動いて右肩に激痛が走るが、気にしていられない。倒れた彼を乗り越えるようにして再び床にうつ伏せになるように転がって手足を床につけると、直ぐに体勢を整える。タイミングを見計らっていた雨龍と草加も、鷹司がナイフから離れたのを見て走り出した。
「ナガレ先輩!」
「鷹司、大丈夫か!」
血が1筋流れている首よりも、痛めた右肩を押さえながら立ち上がった鷹司。彼を支えるように側に来た草加。そして雨龍は2人を庇うように前に立った。
「あ~ぁ、逃げられちゃったか」
「すまん、ディウブ。まさか此処で動けるとは。…おっと、動くな。人質はもう1人居るんだぞ」
いつの間にか集まっていた憲兵たちと、此方に飛び掛ろうとする雨龍を見て、ナイフをイーヴァの方へ突きつけたカブラ。恐怖で震えている彼女は悲鳴の1つあげる事が出来ない状態だ。再び足を止めて膠着状態に陥ってしまい睨み合いに突入する。…と思われた。
「貸せ」
「…先輩?」
「鷹司、何を…」
草加が握っていたレンチを半ば奪うように握った鷹司は、雨龍を押しのけて前に出る。右肩は外れてはいないようだが鈍い痛みがあるため満足に使えない。そのためゆっくりと近づきながら左腕で武器を構えた。
「聞こえなかった?それ以上近づくと彼女を殺すよ?」
「関係ない。殺せば良い」
「先輩!?何を言ってるんですか!」
「あれ?良いの?そんなこと言って」
「彼女の生死より、貴様の生存の方が危険だ。放っどいたらこっちに被害が出っかもしれん」
「なんで?まだ何もしていないじゃん。君達には」
「あぁ。まだ、のぉ」
まるで一般人とは思えない鋭い気迫。眼を細めて薄っすらと笑えば、それに気圧されてカブラがナイフの切っ先をイーヴァから鷹司に向けた。鷹司はその瞬間を待っていた。大きい1歩の踏み込みで距離を詰めると、素早い動きで左腕を振るい、ポケットナイフの中央部、柄に折りたためる回転軸の部分に強い一打を打ち込む。何とかそれに耐えてナイフを手放さなかったカブラだが、ナイフの方は簡単に分解してしまい、刃の部分がすっ飛んでいってステージの端に突き刺さった。
首に当てられていた時、鷹司はナイフの状態が読めることに気づいた。携帯に便利なこのナイフは長いこと使われていたのだろうが、その間の管理がなっていなかったようだ。状態を把握するのにわざわざ手で触れなくても良いんだ。検証できてよかった。…なんて場違いな事を考えてしまった。そのままもう1歩近づいた時、此方の足を止めるために男がイーヴァを突き飛ばしてきたので慌てて受け止めようと手を伸ばした。上手くキャッチする事は出来たが変な体勢で受け止めたためバランスを崩して後ずさる。それでも転ぶ前に後ろから雨龍が支えてくれた。
「今じゃ!あやつらを拘束せよ!」
「了解、シル様!」
盾にする物が無くなったタイミングを逃すまいと指示が飛ぶ。その声に、ずっとおちゃらけた態度だった司会が刀を抜いてディウブたちに飛び掛り、彼を先頭に憲兵がどっと押し寄せた。声にハッとして視線を巡らせると、此方を見てニンマリと笑っているシルが見える。彼の格好は審査員の物だった。予選の時からずっと鷹司の側に居た奴だ。
「お前…」
「探したぞ、ナガレとやら。今はとりあえず無事で何よりじゃ」
「タカやん!良かった無事で!」
「え、お前ら…」
騒ぎに乗じていつの間に集まったのか仲間がステージ上に上がってきていた。昨日は帰ってこなかった天笠や守屋も混ざっている。抱きとめたイーヴァ、2人を支えていた雨龍の2人を巻き込んで、舞鶴が鷹司にガシッと抱きついた。
「…!?」
「おま、痛い!離れろ!」
「舞鶴落ち着け。彼女を巻き込むんじゃない!」
「あ、ごめん。つい…」
やっと舞鶴が離れた時、ステージ上で爆音が響いて熱風が吹き荒れた。今まではステージの周りに被害が出ていなかった為に、野次馬精神で会場に居た客も大慌てで逃げ出し始めて大混乱に陥っている。
ハッとして爆発源の方を向くと、捉えようとした憲兵から負傷者を大勢出した爆発の中心で炎を纏ったディウブが楽しそうに笑っていた。
「いいねぇ。良いよ!楽しいよ!」
「ディウブ、楽しんでるところ悪いけど、そろそろ引き上げるよ」
「えぇ?でもまだ彼を…」
「これがある。アイツの血が付着してるから、船で追跡がかけられるだろう。だから今回は諦めよう。次会ったときに引き込めば良い」
「…そっか。そうだね。今は旅が始まったばかりみたいだし、あと3~4回ワールド移動したら考えも変わるかも。…よし、それまでに空席作っておくか」
渋るディウブにカブラが壊れたナイフの刃の部分を見せると、一度肩をすくめてから直ぐに首を縦に振った。熱風から顔を守るように腕を掲げつつも、訝しげな視線を向けるとディウブも鷹司を見て軽くヒラリと手を振り、笑う。
「ねぇ、君の名前は?」
「…言うわげねぇだろ」
「つれないなぁ。でも良いよ。…俺、しつこいんだ。今度会ったら問答無用で連れ去るから。その時はちゃんと、名前教えてね」
「だから目的地が違うって…」
「…大丈夫だよ。目的地に行かない事が目的なんだから」
「は?」
「何十年も、何百年も旅が続けば思うようになるさ。自分の世界に戻って船を下りるより、このままずっと旅を続けた方が良いって。だって不老だよ?永遠に若いまま、楽しめるんだよ?」
「…お前」
「理解できないって眼してるね。旅の始まりでは皆そうさ。でも…いつか考えがきっと変わるよ。まぁ、変わらなくてもうちには優秀な調教師が居るから、君の気持ちなんて関係ないけど。…次会う時は覚悟してね」
ディウブの言葉に驚きを隠せず思わず言葉を詰まらせると、カブラが両手を広げた。エラとイーヴァ拘束していた男性がカブラの側によると、それにあわせて強風が吹き荒れる。
「あはは!楽しい時間をありがとう、また会える時が待ち遠しいよ。それと…あの船の事はもう少ししっかり調べた方が良いよ?あのプログラムは何か気づいた事があっても自らの意思で伝えたりしないからね。疑問は投げかけてこそ答えを得られる。先輩からの助言だよ!」
強風の中で聞こえたディウブの声。
そして風がおさまった時、聖女の涙どころか楯までも奪われており、ステージ上から彼らの姿は消えていた。




