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部長とは、部活動の『長』である。  作者: 銀煤竹
02 はじまりの旅・Ⅱ番目の世界
52/146

02-21 暗い、暗い、穴の中

サーロヴィッチ家。

長いソファーの真ん中に、ぽつんと一人で腰掛けている猫柳。用があるといって呼び出されて1階の部屋に通されたのは良いのだが、呼び出した相手がやってこない。ソファーに座って出された紅茶のカップを持ち上げて口元まで運ぶが、電気の代わりとなっている蝋燭の明かりが水面に映るのを見つけてため息を吐き、飲まずにまたソーサーに戻す。

もう何度この動作を繰り返しただろうか。既に紅茶は冷めていてもはや飲む気も無いのだけど、他にすることが無いのだ。

これまた何度目かも分からない質問をするために顔を上げて、視線の先に立っている人に声をかける。


「…あの、まだ…ですかね?」

「もう間もなくいらっしゃるはずだ」


何度聞いても同じ言葉。

バイトで入っていた憲兵の制服よりもちょっとデザインが違う制服。この人はこの家専門の警備の人なのかもしれない。その人が1人ドアマンのように扉の前に立っていた。

高価な調度品は数あれど、見ていて面白いものというと猫柳しか居らず、目がどうしても猫柳に向いてしまうようで、視線を感じて居心地が悪いのだ。用事があるなら早く言って帰してほしい。お腹もすいてきたな…。

数え切れないほどのため息を胸の内で吐いた所でドアが軽くノックされた。


“コンコン”


やっと来たのか?

ドアの前に立っていた人物がそれに応じて扉を僅かに開き、その隙間から外を覗く。まるで何かに警戒しているような態度で何かを話したと思ったら、警備の人と同じ服を着た人が1人入ってきた。


「…?何かあったんですか?」

「君が気にする必要は無い」


上から目線というか、高圧的というか、呼び出しておいて何なの?と心の中で思うも態度には出さず、手を伸ばしてカップを持ち上げ、冷めた紅茶に視線を落として深いため息を吐き出した。


視線が倍になった事で、居心地の悪さも倍になった。

…はやく帰りたい。



**********



同時刻、2階の一室でイーヴァが跪いた20代半ばくらいの男性使用人を睨みつけていた。


「まだ見つからないのかしら?」

「申し訳ありません、イーヴァ様」

「ステンカが先手を打っていてくれたというのに…まさか既に町の外に?」

「分かりませんが…それもありえます」

「なんてこと…まぁ良いわ。仲間の方は見つけたわね?」

「先程、既に屋敷に」

「ちゃんと…」

「はい。見られないよう裏道を通って、裏口から入りました。先に人払いは済ませていて、彼の来訪を知っているのは我らメンバーのみです」


その言葉に開いていた扇子をパチンと閉じる。満足、とまではいかないが及第点は得られたようだ。ホッと安堵の息を吐いた男性の使用人が、顔を上げると同時に部屋がノックされる。

その音を聞いて使用人が立ち上がると、応対するためにドアを開いた。ノックしたのはイーヴァ付きのメイドだった。


「どうした?」

「今日の事件で、王様からの手紙が届いております。お持ちしましたが、お部屋に持って行きますか?」

「王様から?」


使用人では判断できずチラリと視線をイーヴァに向けると、小さく頷くのが見えた。それを見て顔をメイドに戻す。


「部屋に持って行っておいてくれ」

「分かりました。それと、お客様が奥様に会いたいと申しておりますが」

「…今すぐにか?」

「はぁ。客…というのは、昨日もおしかけて来たシル様の事かしら?」


使用人同士の会話にため息を吐き出してから言葉を挟んだイーヴァは、部屋のおくから歩いてきて出入り口に近づく。それを見た男性がドアを大きく開けて、メイドと対面できるようにスペースを空けた。


「は、はい。そうでございます」

「用件は大体想像がつくわ。昼間の事件でしょう。…あちらは王都の権力者。あまり無下には出来ません。…仕方ないわ、夕食後に時間を作ると伝えてちょうだい」

「分かりました。では失礼します」

「…待ちなさい」


イーヴァは少し考え込むが、相手方の要求を呑むことにして返事を伝える。それを受けてその場を去ろうとしたメイドだったが、ハッとしたイーヴァがさらに用件を思い出して呼び止めた。


「はい、何でしょう?」

「やっぱり、今手紙を受け取るわ」

「あ、分かりました。此方になります」

「それとステンカは戻ったの?」

「若様でしたら、先程お客様のお連れの方と一緒に帰宅されました」

「え?…そう。分かった。もう行って良いわ」


今度こそ去っていくメイド。それを見てイーヴァは後ろを振り返り、男性の使用人へ視線を移す。


「…面倒な事になる前に、彼を落としておいてちょうだい。今すぐよ」

「え、よろしいのですか?」

「危険の芽は早いうちに摘んだほうが良いわ」

「…ですが、確証も無いまま…」

「あら?口ごたえする気かしら?」

「…いいえ。分かりました」


そう応えてお辞儀をし、部屋を出た男性使用人。

言い渡された命令を実行するべく行動を開始するが、気乗りしない様子で視線を落としつつ廊下を通って階段を下り、1階に下りて行く。一番下に足をついて、深いため息と共にくるりと方向転換をしたときだった。


「きゃっ!」

「うわ!」


歩いていたメイドとぶつかってしまい、彼女が持っていたトレーの上の紅茶のカップが揺れる。それを見て慌てて手を伸ばした使用人がトレーを支えて持ち上げた。そのおかげでお茶を零すことなく耐える事が出来て、2人してホッと安堵の息を吐き出す。


「あっぶな!でも落とさないで良かった。割れちゃったら弁償でき無そうだもの。ありがとうございました」

「いいや、こっちこそすまん、考え事をしていて前を見ていなかっ…おや?お前は…昼間来ていたバイトのメイドじゃなかったか?」

「え?」


慌てて謝罪して顔を上げると、相手のメイドの顔を見て僅かに首をかしげる。そこに居たのは獅戸だった。バイトで入ったのに、屋敷のメイドに引き抜かれたと、ちょっとした話題になっていた人物だったため良く覚えている。それでも仕事形態はバイトと同じで、住み込みではなかったはず。この時間には帰宅しているはずなのだが。


「あ。えっと、そうなの…んですけど、ちょっと拭き残した部屋の隅が気になって、戻ってきちゃったんです」

「拭き残し?…えらいな。自分の仕事にそこまで真剣に取り組めるなんて」

「何言ってるんですか。あなたもでしょう?…って、詳しく知らないのに偉そうな事言えませんけど」

「良いんだ。で、何でお茶を運んでいるの?」

「あ。お客様に出そうと思って」

「客?」

「えぇ。来てる…ますよね?」

「あぁ、あの人か。引き止めてすまなかったな」

「いいえ、良いんです。では行きますね」


昨日突然やってきた偉い人。確かシルと名乗っていた彼に、お茶を出すつもりなのだろう。既に別のメイドが出している気もするけれど、こういう給仕は自分の管轄ではない。そう思って持っていたトレーを返せばペコリと頭を下げてから歩き出す獅戸を見送った使用人。だが、獅戸が階段をスルーして行ったのに気づいて慌てて引き止める。


「お、おいちょっと待て」

「…ん?はい?」

「お客様は2階だぞ?」

「え。そうなんですか?」

「知らなかったのか?…仕方ない、案内してあげても良いけど」

「じゃあ、お願いしても良いですか?」

「あぁ。こっちだ。ついておいで」

「はい。…でもおかしいなぁ。さっき見たときは1階の部屋に居たんだけど…何時の間に移動したのかしら」


歩き出して階段を少し上がった。しかし、呟かれた獅戸の言葉に思わず足を止めて振り返る。後ろについてきていた獅戸もそれに合わせて足を止めた。


「…どうかしました?」

「客って…王都からの客の事だろ?」

「え、おうと?…いや、違いますよ?警備のバイトの猫…いえ、お客様が来てましたよね?」


知り合いだと思わせないほうが良いだろうか?と思った獅戸は名前を言うのをやめた。そんな獅戸の返答を聞いて、表情には出さないがとても驚いた男性使用人は瞬時に考えをまとめて、再び口を開く。


「…あぁ、そっちの客か。彼なら1階だ。勘違いしたよ、ごめんね」

「あ、やっぱり!じゃあ、案内は大丈夫です。部屋に入るの見てたので」

「え?」

「早く持って行ってあげなくちゃ。冷めちゃうわ」

「あ、待ってくれ」


そういって部屋を目指して階段を下りて直ぐに歩き出そうとした獅戸を慌てて呼び止めた。使用人も後を追うように再び1階に下りてから、視線を巡らせて辺りを見る。人払いの効果で誰の姿も見えない。それを確認してから軽く咳払いをして再び獅戸に声を掛けた。


「お茶は誰が用意したの?」

「え?私ですけど…」

「君が用意したの?他のメイドは?台所に居なかった?」

「それが、先輩に声かけようと思ったんですけど私が戻ってきた時から誰も1階に居なくて探してたんです。その時お客さんが来たのが分かったから、見よう見まねで私が淹れてみました」


本当は猫柳が来てから獅戸が来たのだけれど、来た時に1階でノフィーや他のメイドを見つけられなかったのだ。その後人が立っている扉を見つけ、偶然にもタイミング良くドアが開いた時に中から猫柳の声が聞こえて場所を特定するに至った。多少の嘘は気づかれないと思って適当にごまかすが、この言葉をきいて男性はごく自然に他に誰にも見られていないという情報を得た。そして僅かに目を細める。


「そうか、仕事を見ていて覚えたのか?それは偉い、出来る子ってのは違うんだね。…おや?さっきぶつかったせいかな?君の服にお茶がかかってしまっているみたいだよ?」

「え!?嘘、何処ですか?」

「スカートの裾のほうだ。…ほら、トレー持っててあげるから確認してごらん?」


そう言いながら奥へ行く廊下の柱の陰にさりげなく誘導し、廊下の先の部屋の方を見る。猫柳がいる部屋の前に立っている人が此方に気づいた。それを確認して小さく頷いてから視線を再び獅戸に戻し、持っていたトレーを手に持つ。


「あ、ありがとうございます。…えぇ?どこら辺ですか?」

「ほら、もっと下の…後ろのほうだ。色が変わってるだろ?」

「…うーん、良く見えないなぁ…」


使用人の言葉に素直にスカートの裾を見つめる獅戸。下のほうを見ているために必然的に頭を下げている彼女のその首筋めがけて、冷たい視線をおろしていた使用人は手刀を打ち込んだ。

獅戸の意識は一瞬のうちに刈り取られる。


そのとき部屋の中に居た猫柳は、かすかに知った声が聞こえた気がして腰を浮かせた。


「…今の…」

「何をしている?座って待ってろ」

「いや、でも今知り合いの声が聞こえた気が…」


食い下がろうとする猫柳、それを一人が止めている間に部屋がまたノックされた。やっと呼び出した人がやってきたかと思ってとりあえずソファーに座りなおしたが、ドアを開けた人はやっぱり警備の服を着ている。


「…部屋を移動する。ついて来い」

「え?移動するんですか?今更?」

「そうと言っているだろ。さあ早く」

「…何だよもう」


言ってやりたいことは山ほどあるが、とりあえずは先導されるままに歩いていく。が、入ってきた裏口から裏庭に出たあたりで何だかヤバそうな気がしてきた。


「あの、一体何処に行くんですか?」

「ついてくれば分かる」

「そんないい加減な…」


その後何度質問しても、かえって来る返事はそっけないもの。もう何処かで脱走を試みた方が良いかもしれないと思って辺りを見渡すが、夜の闇のせいで周囲どころか道があるのかすら分からないし、周囲を警備の人間ががっちり固めてくれちゃっている。素直に呼びかけに応じて屋敷に来たのは間違いだったかもしれないと思い始めたとき、前を行く人の脚が止まった。


「ついたぞ」

「え?此処?」

「中だ。さぁ、入れ」


そう言われて半ば強引に押されながらも周囲を観察。屋敷の敷地内だとは思うが、目の前には古い小さな小屋があった。ものの数秒で周りを一周できてしまえるだろうって程小さく、手入れがされていないのか、人がめったに来ないのか、とてもボロい。中に入ってみると家具などは一つも存在せず、中央部に石造りの丸い筒状のものがあるだけ。…恐らく井戸…のようなもの。直径は1mほどで意外と大きい。そしてその側には男性が1人立っていた。暗くて良く見えず1歩踏み出す。と、その男性が何か抱えて居るのに気づく。

メイドの服に黒い長髪。少し近づいた距離と底上げされた視力によって、暗い中でも良く見える。まさか…


「…え…ア、アンナ…ちゃん?」

「何だ、知り合いだったか」


その男性はそう短く応えて獅戸を井戸の淵に座らせて、上体の重心を穴に傾けた状態で支えた。気絶している獅戸は抵抗する事すら出来ず、されるがままになっている。そんな様子に慌てた猫柳が1歩踏み出した。


「な、何をするんだ!」

「お前達に罪は無い。…悪いな」


何の言い訳もせず、僅かな時間も与えずに、彼はパッと支えていた手を放した。当然獅戸は重力に引かれて穴の中側に傾き、そして落ちていく。思わず駆け出した猫柳は獅戸の手を掴む事に成功。そして引き上げるために引っ張ろうとした瞬間に男性に背中を押され、突き落とされた。


「なっ!?最初から僕を…」


殺すつもりだったのか?

猫柳の言葉は最後まで男性の耳には届かなかった。しかし、何度もこの仕事を請け負っていた彼には、猫柳が何を言おうとしていたのかは用意に察することが出来た。


深い、深い、穴の中。

暗い、暗い、井戸の底。


底に落ちる音は聞こえない。外の声が聞こえないように、中の断末魔が漏れ出ないように、特殊な術の施された深い穴は今までに幾人もの命を吸い込んできた。

既に見えない2人の姿をじっと見つめるかのように視線を穴の中の暗闇に向けていた男性。しかし頭を振ってから視線を上げた。


「奥様に始末完了の報告を」

「分かりました」


扉のところに居た警備の人間に近づきながらそう言いつけて、一人になる。そして再び振り返って井戸を見た。


「お前達に罪は無い。だが…」


僅かな時間立ち尽くした後、静かに小屋の扉を閉めて男性もその場を去っていった。

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