02-19 初めての…
俺、ステンカは生まれて初めて行列とやらに並んでいる。
しかも目的は何処にでもある屋台から肉の串焼きを買うためだ。こんなところの飯なんて美味しくないぞ?だって愚民どもの食べ物じゃないか。
「ねぇ、こんなところの屋台じゃなくて、俺の屋敷に行こうよ。絶対そっちの方が肉も旨いはずだ」
「…」
“バチィ!”
「痛い!!」
「俺、お前に何て言った?もう忘れたん?」
「…い、いいえ…」
銀の棒が生み出す痛みがオオジ様(鷹司)の、ひいては神の怒りを表しているのは理解した。
オオジとは肉食獣と草食獣を組み合わせた仮装をしている奴をそう呼ぶが、国を建国した初代国王もオオジという名前だった説もある。…まぁ、愚民共はそんな物語の真髄など知らずに、ただ単純にご利益があると思って仮装しているだけのようだが。
それとは別に山や野を駆けるだけだったオオカミが、羊と出会って土地を守るようになるという子供向けのおとぎ話だってある。良く母様が寝る前に呼んでくれて、俺も大好…いや、知っている話だ。だからオオカミとヒツジの組み合わせは大人気。
それよりも、青い光は天の怒りの象徴である落雷に似ている。雷を扱える魔法もあるが、魔力消費量が多く、雨雲を利用して空から地面に落とすだけの単発式。しかも狙いを定める事は出来ないという扱いの悪さから、まさに「神の気まぐれ」とまで呼ばれる魔法なのだ。それをこうも巧みに操るオオジ様は、まさに神の使いなのだろう。
あの裏路地で一度俺の側を離れたオオジ様は、凍り付いていた足を動かそうと頑張っている間に戻ってきた。さすが、宣言どおり素早かった。
その時に今俺がつけている、顔の上半分を隠すタイプの謝肉祭特有の派手なデザインの仮面を持ってきた。そして犬ヒゲマスクと仮面を付け替えさせ、犬耳を外させた。そしてオオジ様が腰に巻いていた春色の布をマントのように肩にかけさせて、透明のコートは半ば隠れてしまっている。
本当は透明な裾をひらひらさせたかったのに。それに犬ヒゲマスクの何がいけないのか分からなかったが、オオジ様の言葉を無視して怒りに触れるのは避けたかったので、素直に従った。外した耳のカチューシャは首にかけているが、これは許されるみたいだ。
そしてその後、オオジ様は俺に条件を言い渡した。
1つ・自分の名を名乗ってはいけない。
2つ・自分の地位を口にしてはいけない。
3つ・他人に暴力を振るってはいけない。
4つ・町民の目線になって、同じ思いを感じること。
5つ・逃げたければ逃げても良い。追いかけたりしない。だが、首輪は自分で外すように。
5つ目は魅力的に聞こえるが、呪の魔法は術者に解いてもらわないと危険だ。いくら勉強が嫌いでもそれくらいは知っている。強引に破ると術の効果が何倍にも膨れ上がるんだ。だから直接身柄を拘束していなくても、呪をかけられた者には強い拘束力が生まれる。だから平気で「逃げても良い」と言えるんだ。
それにしても名前と地位を口にしてはいけないなんて。むしろ言う必要も無いだろう?…俺は有名人だぞ?此方がいわなくても直ぐバレるはずだ!そうしたら解術専門魔術師をひそかに呼んで助けてもらおう。
…と思っていた時期が俺にもあった。
この行列に並ぶ前に、紳士雑貨の店でシンプルな木製の杖を買った。…いや、オオジ様が俺に買って来いと言って金まで渡されたので仕方なく俺が買ってきたんだけど、店員のおやじの対応は普通だった。しかも買った杖は俺に持たせている。自分で使わないなら何故買ったんだろう?
その後、謝肉祭限定で出している屋台の店でやたらとうるさい売り子からは焼き菓子を買った。この時も普通だった。
…何故だれも気づかない?
「おい、そろそろだぞ」
「…あ、はい」
「2つな?」
「わ、分かってるよ」
物思いにふけっていた俺に、オオジ様が肩を叩きながら声を掛けた。結構バシバシ叩いて来るんだよな…遠慮というものを知らないのか?
オオジ様の機嫌を損ねないように、まわりの者が俺に対して使っている口調を出来る限り真似しているせいでちょっと疲れるが、今は我慢しなくては。それにしても…。
誰かが俺にこうも気軽に触れるなんて。
「次の人~。いらっしゃい兄ちゃん」
「ふむ…串焼き2本貰おうか。用意するが良…痛い!」
「…あん?どうした?」
「い、いいや。2本、ください」
銀の棒で腿の裏を叩かれた。神の魔法以外でもオオジ様は銀の棒を使う。そしてこれも意外と痛い。
「ほぉ。めぇな」
「…はぁ」
「どした?食わんの?」
屋台の立ち並ぶ道をそれて、ベンチが置かれている広場までやってきた。その中の一つに腰を下ろして、骨のお面を器用にずらして食べるオオジ様が俺の方を見て首をかしげている。ちょっと身を屈めてみたが、顔は見えない。…ホント器用だ。
それよりも馬鹿にしないでもらいたいな、これでも権力者の息子という自覚はあるんだ。
「毒見もなしに、こんなもの食べられるかよ」
「毒見って…そんな心配してんの?」
「俺は大貴族の一人息子だぞ!?そういう輩の攻撃を警戒するのは当たり前じゃないか」
「ふーん」
心配してくれているのか、どうでも良いということなのか。オオジ様の反応は良く分からない。だが、俺の手から肉の串を取り上げると、さっきまでオオジ様が持っていた一口かじった肉の串とを入れ替えてしまった。
「な、何を?」
「毒見」
「は?」
「それなら食べられんだろ?」
「な!何を言ってるんだ。他人が手をつけたものを口にするなんて…」
「だば、同じ事だろ?」
「え?」
「毒見ばさせるって事は、最初の一口を他人が食うって事だろ?」
「ち、違うぞ!…えっと、そうだ!例えば鍋に出来ているのを試しに…」
「それは毒見だばねぇ。ただの味見だ」
「…何故?何が違うんだ」
「鍋の中の物サ問題が無ぐても、皿に直接毒ば盛られる可能性だってある。使う食器から直接、毒見しねぇと意味が無い」
「…」
言われてみれば確かに。
毎日の食事では毒見として何十分も待たされる。それが面倒で毒見が出来てから呼べと言いつけてあるんだった。ならば、オオジ様の言う事は正しい…のか?
納得は出来ないが、隣に居るオオジ様からのお面で見えない目からの視線も刺さって痛いし、意を決して俺は食いかけの肉にかぶりついてみた。
「…あ、温かいな」
「ど?」
「た、食べられなくはない…のではないかと…」
「旨いべ?」
「た、確かに悪くは無い。だが!絶対俺の家で専属の料理人に作らせたほうが美味しいんだからな!」
温かい飯はどれくらいぶりだろう?一口でやめるつもりだったのに、ついうっかり完食してしまった。慌てて言い繕うがそんな俺に対してオオジ様は笑うだけ。
…直ぐ逃げ出してやるつもりだったのに。
周りの人間は俺に気づかないから助けを呼べないし、オオジ様は俺に平気で生意気な口をきくし。ムカつく。
おまけにこんな粗末な食べ物まで一緒に食べさせられて…一緒に…。
一緒か…。
いつもつるむ友達とも、こんな風に笑いあった事は無かったかもしれない。例えそれが冗談でも、皆は俺の命令に背かないし。
くそう!一緒に居て楽しいなんて。認めない。何だか認めたくない!
そう思って、少しムシャクシャした気持ちを表すように、串をポイッと放り投げて地面に捨てた。
「ふん。…で、俺は一体何時までこんな事をしなければ…」
「おい。此処、ゴミ投げで良いの?」
「…はい?」
「それ。串。向こうにあんのはゴミ箱だべ?」
そういって広場の隅にある箱を指差している。確かにゴミ箱と書かれているが。
「この広場を綺麗にするのは俺のすべき事じゃない。そんなのそこらへんの奴にやらせれば…」
“パチン”
「な!何故怒るのですかぁ!」
俺の言葉にオオジ様が銀の棒を伸ばした。何で?間違った事言っていないし!
「此処は、お前の町だばねぇの?」
「…何ですと?」
「サーロヴィッチ家が治めてるんだろ?」
「そ、それは…そうだが」
「お前は、自分の庭も管理出来ねぇの?」
「む!…いや、管理してるのはお父様で、綺麗にしてるのはお父様の庭師であり、俺じゃ…」
「違わねぇよ」
そう言ってオオジ様は俺を真っ直ぐ見た。…俺を見ているんだと思う。お面の眼の奥は暗く、瞳は見えない。でも顔を真っ直ぐに向けられると突き刺さるような視線を感じて、スッと顔をそらしてしまった。
「いづかは継ぐんだべ?親父の後を」
「いつか…って、何を言っているんだ。ずっと父がこの町を見ていく。そう決まって…」
「それがいづまでも続ぐど思てんの?」
「お、思っているさ。サーロヴィっチ家は由緒正しい大貴族なんだこれからもずっと」
「そうでねぇ。…命はいづか必ず消える。お前の親父も、母親も。そして、当然お前もな」
「そんな…そ、そんな事が…」
「ある日突然、人は死ぬ。健康状態など関係なく、それはもうアッサリとな。知ってるはずだべ?お前だって人ば死なせた事、あるんだから」
「死なせた?…俺が?…な、何の事だ?」
「2年前。従者を2人、馬車に乗せた」
「…!?」
何が言いたいのか直ぐに分かった。カリャッカの息子達の話だ。長男の足を持ち帰ったあの事件の事を言いたいんだろう。人生で唯一の汚点といっても良い、思い出したくない出来事なのに。
…オオジ様は神の使い。こんな言い訳しなくても真実を見破れる眼があると理解していた。何を言っても…いや、言わなくても問題はないんだろう。でも口を開かずには居られなかった。
「…確かに、俺はカリャッカの長男を置いてきた。でも…でも…っ!えぇい!オオジ様が神の使いだろうと関係ない!これだけは言わせてもらうぞ!あの時積んだ馬車の荷物に、銃器は乗せていなかった!」
「…?」
「武器は…そりゃ揃えたさ。俺より目立ってムカつく奴らだったから、懲らしめてやりたかったんだ。剣にナイフ、斧に槍。お父様にばれないように、武器商に低価格で並ぶものを狙って殆ど揃えて…」
「まて。接近戦用の武器しか持って行かながったのか?」
「そ、そうだよ。銃は使った事が無かったし、弾が逆噴射して指を無くしたって事故の話も聞いたし、使うのは、その…ちょっと危ないと思ったからな」
「逆噴射って…いや、だが…銃器は無かったって?間違いない?」
「あぁ。用意したのは俺だから」
「馬車の用意は?」
「そ、それは…知り合いに任せたけど…。だがそいつも、誓って銃器は積んでいないと言っていたぞ!」
「なら、何故爆発した?」
「知らないよ!…アイツは火の魔法が使えた。ただの目くらましかと思ったんだ…」
…。…?
オオジ様は黙って考え込んでしまった。何か変な事を言ったか?…怒らせたかな?どうしよう、今すぐ消えろなんて言われたら。声をかけるにかけられず、移動するにもベンチから動く事が出来ずにいれば、オオジ様が深いため息を吐きだした。
「それが真実だどしても、町の人間の殆どはお前が殺したど思てるぞ」
「な!!何だって!?」
「住民はその場の権力者を良ぐ見てる。自分の生活に関わるからの」
反論どころか相槌もできずに骨のお面を凝視していたが、オオジ様の仮面は此方に正面を向けていなかった。多分、俺を見ていないんだ。…視線の先を追うように仮面が向いている方へ眼を動かせば、その先には俺が放り投げた串があった。
「そして、生活に不満ば溜めた住民は、力ずぐで権力者を引きずり落とす」
「そ…そんな事が、出来るわけが…だって屋敷にも兵がいて…」
「その兵士も町の民。…仕えるべき人間が愚かだど判断すれば、任務だって放棄して民側につくさ。そして、束になった力の前だば、地位なんて物、何の役にも立ちはしねぇ」
「…そんな…ど、どうしよう…。殺すつもりじゃなかった。死なせるつもりじゃなかったんだ!…足を拾ったのだって、助けようと思って…」
何て事だ。そんな噂が流れていたのか?全く知らなかったぞ。
途中から話を理解するのも難しくなり、何を言っているかも分からなくなってきた。握った拳が震えているのにも気づかなかったが、そんな俺の手をいきなりオオジ様が“ガシッ”とつかむものだから、思わず飛び跳ねて驚いてしまった。
「うわぁ!!な!何を…」
「ビビるな。まだ、暴動は起きちゃいねぇ」
「…まだ?」
「今なら。まだ、出来ることがあるはずだ」
「まだ!まだ平気なのか!?…まだ…」
「あぁ。だが、この先も今までど同じ事ばしてったら、俺の言った事が近い将来起ぎるかもしれん」
「どうすれば良いんですか!?俺は何をしたら…」
「そんなの知らん!」
「えぇ!?そんなぁ!」
「…周りば見ろ。他人を見ろ。そして、自分がどう見られてるかを考えろ。誰かを殴り飛ばす前に、そいづが何で気に入らんのか考えろ」
「考える?…自分がどう、見えるのか?」
「されて嫌な事は、他人にもすんな。笑顔ば守れる人サなれ」
「笑顔を守る?…守る?…笑顔を?」
笑顔を守るとは…?顔に何かプロテクトをかけるのか?そんな事…出来るはずが無い。
そう考え込んだ俺から手を放したオオジ様は、立ち上がって歩いていった。それを呆然と座ったまま見ていたが、立ち去るわけではなく、途中で振り返って再び骨の面と顔を合わせる。
「考えろ。考えろ。考えろ。…考えて、行動しろ。まぁ、生きてりゃ綺麗ごどで片付かね事もあらぁな。だが、例え志半ばで倒れたどしても、自分が信じた道を貫いて生きる事が出来てれば、後悔はしねぇもんだ」
「そういうもの…なんだろうか…」
「…。この先は、目標ば持って生きれば良い。何か、したいことは?」
「…俺が、したいこと…」
聞き返した言葉に、頷いて見せたオオジ様。生きる目標?そんなの考えた事なかった。今までグダグダと、本当に無意味に生きてきたのかな?俺に対立するものに反抗して、手当たり次第に殴り飛ばして。それもまぁ、楽しかったんだけど。
「…思いつかない」
「フフッ。…焦る事はねぇな。お前の人生は、まだ先があるんだ」
笑った。…面白いところあったの?俺には分からなかったけど。
でも…これがオオジ様の笑顔?この笑顔をどうプロテクトする?…この意味の分からない感じも、一種の試練なのかもしれない。
そして身を屈めたオオジ様が何をしようとしたのかハッと理解して、俺は急いで立ち上がった。
俺がさっき放り投げた串を拾おうとしたオオジ様より早く拾い上げることに成功すれば、少し躊躇ってから右手を前に出す。
「…ん」
「ん?」
「…串、ついでだから捨ててきますよ」
「…。…えぇ!?」
「な、何?また何か間違った!?」
「いいや、違う。ただ…驚いただけだ。…まさかこんな変わるとは…」
「は?何言ってんだよ。俺は昔からこうだったさ」
何なんだ?マジで驚いてたぞ!?失礼な。
相手は神の使いだし、俺はこの町の代表の息子だし。お世話と相手をしないといけないじゃないか。しかたない。仕方ないんだ。
…あ、それに呪だってあるんだし。
串を受け取った俺は何となく恥ずかしさを感じながらもゴミ箱に向かって歩き始めた。そんな俺に背中から声が掛けられる。
「ありがとう、ステンカ」
「…。…お、大げさだな、まったく」
神様のくせに。
人を顎で使える立場なのに。
飾りの無い、まっすぐな言葉。
それが何故、こんなにも響く?
高価なプレゼントのお返しで、数え切れないほどのお礼を言われた事があるけれど…
…でも、その時とは全然違う。
嬉しい。
…何でこんなにも?
嬉しい。
…一体どうしてそう思う?
嬉しい。
…何が今までと違うのか?
一体何故、こんなにも嬉しい…?
言い表せない快感と共に胸に喜びが湧きあがれば、何でだろう?泣けてきた。
それを気取られないよう、誤魔化すために、俺は顔をあげて天を仰いだ。
…あぁ、これもきっと、呪のせいだ。




