02-13 敵の敵は御方
「という訳だから、準備はしっかりしておいてくれって伝言よ」
翌日、獅戸は屋敷に向かう前にスターニャの家に寄って鷹司の伝言を届けていた。
昨晩皆で話し合って、鷹司と知り合いだと周囲に知られている人は「昨日は帰ってこなかった」で通す事にした。そして獅戸はチームを組んでいるスターニャたちのために「通勤中にばったり出くわした。今はちょっと動けないから、暫く隠れる。だけど約束は果たすから、コンテストに向けて準備は怠るな、と言っていた」と伝えたところだ。
「そんな…でもあんな怪我で…ナガレさんから何か聞いていませんか?事故の後の話とか、何処に隠れてるとか」
「い、いいえ」
嘘が下手な獅戸。変に墓穴を掘るくらいならと、知らないで通す事にした。
今朝、鷹司の容体はだいぶ良くなっていた。「お腹すいた」と言いながら普通に起きてきたのだ。スキャン出来る船長も何も言っていなかったし、たぶんもう本当に大丈夫なんだろう。しかし、申し訳ない気もするがその事をスターニャには言えない。
なおも心配そうに手を握るスターニャに向かって、片手を腰に手を当ててビシッと指を指した。
「あなた、鷹…ナガレ先輩とチーム組んだんでしょ!?」
「え…は、はい」
「まぁ新参者から命令されたら確かに戸惑うかもしれないけど…」
「違います、怪我の心配をしているんです。バンドはしていたけれど、あんな直ぐに2階から飛び降りるなんて…」
「でも今朝は生きていた。だから大丈夫よ」
「…で、でも…」
「鷹…ナガレ先輩とは私の方が付き合いが長いから言うけれど、あの人はめったな事では一度言った事を曲げたりしない。だから約束も破らないわ」
「ですが、薬も置いていってしまったし…」
「いいから!!…信じなさいよ。…仲間、になったんでしょ?」
なおも食い下がろうとする彼女を遮るような獅戸の大きな声に、スターニャがうつむいて口を閉じた。側で聞いていたカリャッカが近づいて、黙ったけれどそれでもまだ心配そうな顔のスターニャの肩に手を置いた。
「きっと大丈夫だよ。だから信じてやろう。な?スターニャ」
「でも!…帰ってくるって言ったのに、お兄ちゃんは2人とも帰ってこなかったわ!」
「…お兄さん…」
泣くのをかろうじて耐えているスターニャ。そして彼女の言葉にその心の内を察する事が出来ると、ビシッとさしていた手を下ろして視線をスターニャからカリャッカに移した。カリャッカも慰めの言葉が出てこなくて何度か口を開くも、結局息を深く吐き出しただけだった。
…そうだ。スターニャの上の兄は死に、下の兄は行方知れず。そしてちょっと気になっている様子だった鷹司まで、大怪我をして姿を消した。
しかもスターニャの目の前で怪我をして、姿を消したのはサーロヴィッチ・ステンカのせい。
スターニャの兄が居なくなった原因にもサーロヴィッチ家がかかわっている。悲しみは次第に怒りになり、彼女は“ギリッ”と音を立てて拳を握った。それを見て獅戸はスターニャに近づき、そっと手をとる。
「…探してあげるわ」
「…え?」
「もともとそうするつもりで入ったわけだし。…絶対見つけるって約束は出来ない。でも、それで良いなら私が屋敷を探してあげるわよ」
「でも…」
突然の言葉に戸惑った声を出したスターニャ。彼女が次の言葉を発する前に、カリャッカが口を開く。
「あの事件の後、居なくなってからずっと、屋敷に勤めていた私が探してきたんだ。それなのに見つからなかった。もしかしたらもう…」
「あそこには居ない?」
「…っ…」
「それとも…死んだと思ってるの?」
「ま、まさか!そんなわけあるか。あいつは体力だけがとり得の…」
「だったら、いろんな状況を考えてみたら?」
「…状況?…だと?」
例えばこれがラノベとかRPGでスターニャの兄が主人公だった場合、外の権力者に助けを求めていたり、一番上の兄の生存を信じて屋敷を脱出して探していたり、変装してどこかに潜入していたり、様子がおかしいと噂のスパルタクのことを探っていたりとか、いろんな事が考えられる。そんなことをやや適当に口にしていけば、絶望の中に光がともった様子で、スターニャとカリャッカの表情が明るくなった。
「そうよ。そうだわ!私達に言わないのは、言えないからじゃない。家に帰ってこないのは、帰れないからとは限らない」
「立て続けに息子を失って、ポジティブに考える事が出来なくなっていたようだな…」
「あ、あくまで、仮説よ?…変に希望をもたれるとちょっと困るんだけど…」
「分かっている。でも…ありがとう、アンナさん。ずっと悪い事ばかり考えてきた。考え方を変えるだけで…まだ、もう少し、耐えられる気がする」
この二人も戦っていたんだ。そう理解して、獅戸は一度ゆっくり、大きく頷いた。
「じゃあ、そろそろ屋敷に行く時間なんだけど…その前に。あなたのお兄さんの事、詳しく教えてくれないかしら?」
**********
サーロヴィッチ家、玄関ホール。
そこの中央部に突っ立っている誰かの石造を、獅戸は磨いていた。
だだっ広い大理石…みたいな…石の床。イベント期間限定で集められた人は、男性は外で庭の手入れやテラスの建て替え等の土木工事。女性は建物の中を大掃除。その中で獅戸は長い髪をポニーテールにして、掃除にせいをだしていた。
「年末年始じゃなくて、こういうイベント時に掃除するのね…。やっぱちゃんとしたメイドさんが毎日やってるのかしら?結構綺麗じゃないの」
せっせと手を動かしながら、スターニャたちに聞いた話を思い出す。
1番上の兄の名はジューン。認めたくは無いが彼は死亡説が有力。
2番目の兄の名前はジノヴィ。頭脳よりも筋力。いわゆる脳筋ってやつ?写真はこの世界には無いようで、顔は分からなかったが2年前で今のスターニャと同じくらいの身長と言っていた。
「成長してるかしら?年齢…あ、幾つって言ってたっけ…ていうか、聞いたっけ?」
「おい!そこのメイド、この荷物を2階の第3応接室に運んでおけ!」
「は、はい!分かりました!」
考え事をしながら仕事をしている最中に、別の仕事を言いつけられると元気良く返事をした。
仕事を言いつけたのはカリャッカ。お互いに初対面設定を演じている。これは1つの作戦だ。
怪しい部屋を先に教えてもらっていた獅戸に、そこに近い部屋へ行く用事を言いつける。別の仕事を言いつけることで、単独行動をしていても怪しまれなくする。そして誰かに見つかっても“新人なので迷子になった”と言う言い訳が通る。
親しくしないのは関係を疑われないため。特に誰にばれたら困るって訳でもないけれど、念には念を入れたわけだ。
しかも大勢他人の前で仕事を請ける事で、団体から離れても誰も何も言わない。いや、言えない。
「また?…何回も大変ね、新人さん」
「はい。でもこのイベント習慣だけなので、頑張ります!稼ぎは良いらしいですし」
「若いって良いわね。こっちの掃除は任せて、いってらっしゃい」
「ありがとうございます!いってきます」
何度も仕事を言いつけられて臨時メイドの中でも輪が出来始めていた。毎年恒例になっている大掃除は稼ぎ時と、参加する人も大体顔ぶれが同じらしく地域の集まりって感じがする。獅戸は感謝の意を述べてから荷物を持って、階段を上がっていった。一番上まで行ってからチラリと下を見ると、現場監督をしながらも心配そうな視線をチラリと向けたカリャッカと目が合った。控えめに笑ってから2階の奥の部屋を目指す。
「えぇっと…第3応接室は…確かスパルタクさんの書斎に近かったはず…」
脳内メモだけではコロッと忘れる残念な頭脳のため、メモをしていた紙をポケットから取り出した。そして「2階の第3応接室の隣の部屋が旦那様の書斎」と書かれた文をサッと確認する。間取りの絵ではなく文字にしたのは、この世界の人間に拾われても理解できないようにするため。ようするに、暗号文である。
荷物を置いてから書斎に入るか、書斎に入った後で荷物を応接室に運ぶか、どちらが良いか考えていると、誰かが部屋から廊下に出てきた。
「わっ!…誰だろ、ステンカだったらマズイ…」
慌てて柱の陰に隠れて様子を伺う。そこに居たのは長身のメイドだった。黒いメイド服は同じだが、イベントで臨時に雇われたメイドの物と違い、エプロンドレスがワインレッドで高価な感じ。黒いチョーカーが格好良い。恐らくずっとこの家に仕えているメイドさんだろう。肩につくくらいの茶色の短髪で、前髪も後ろ髪と同じ長さ。7:3程度の割合で分けて流しているが、髪がストレートなせいで顔に掛かってしまい、しかも赤いフレームの眼鏡をしていて良く顔が見えないが、きっと美人だろう。ちょっと胸が…小さいのが残念なところかな。
そんな眼鏡のメイドが出てきた部屋の戸に手を置いて、深く長いため息を吐いた。
…って、そこは…もしかして書斎?…どうしたのだろう。
“カツン…”
「わっ!!」
少しだけ顔を出して部屋を確認しようとしたら、持っていた荷物から包みが1つ転がって落ちてしまった。思わず慌てて拾い上げるが、再び立ち上がった時には音に気づいたメイドさんも此方に気づいていて、バッチリ目が合ってしまった。
獅戸に気づかなかった事に驚いたようだ。少しオロオロした様子を見せたが、獅戸の服装から臨時のバイトだと気づいたらしい。直ぐに落ち着いた様子を見せて近づいてきた。
「あ、あなた…こんなところで何を?」
「私、えっと、昨日からこのお屋敷で働かせてもらっていて…」
「えぇ。そのメイド服の白いエプロンドレスは臨時の人専用だから、それは分かるわ。でも、掃除は1階が主のはず」
「そうなんですけど、えっと、現場監督の人が荷物を持っていけって…」
「現場監督?それは誰?」
「えっと、カ…じゃなくて…身長がこれくらいで、黒い帽子被ってて、スーツ着てて…」
「もしかして、カリャッカ?」
「そう…だったと思います!」
とりあえず全然親しくない事を表すために、名前ではなく外観特徴を言ってから相手に名前を当てさせた。この場は何とかなりそうだが、彼女がいると書斎には入れそうに無いなぁ。別のチャンスを待った方が良いかも。そう思って持っていた荷物を軽く掲げてみせる。
「これ、第3応接室に持ってけって言われたんだけど、場所が良く分からないの。…じゃなくて。分からないので、申し訳ありませんが教えてもらえませんか?」
敬語敬語。あぶないあぶない。
身分は面倒。本当に面倒くさい。
それに単純にメイドといっても、時代劇で女官って言ったら憧れの職業なんて言われるし、もしかしたら良い身分なのかもしれない。臨時バイトじゃなくて正社員だもんな。なれなれしく話し掛けてしまってからハッとして言い直す。そんな様子に数回瞬きをしてからフッとやわらかく笑ってくれた。
「元気なお嬢さんね。自分は口調についてとやかく言うことはしないけれど、此処の屋敷の人は変にプライドが高いから、気をつけたほうが良いわ。第3応接室は直ぐそこよ」
「はい。ありがとうございます」
指を指してくれた部屋。…まぁ、知ってたけれど。お互いに軽く会釈してから通り過ぎ、第3応接室のドアを開けた。さすが金持ち。机も椅子も絨毯も、メッチャ高そう。とりあえずテーブルの上に荷物を置いた。
「…ふぅ。…これ、廊下に誰も居なかったら書斎入れるかしら?」
両手が開いて軽く伸びをしてからユーターン。入ってきたドアを僅かに開けた時聞きたくない声が聞こえてきた。
「…まったく、あの女もあの男も何で見つからないんだよ!?」
「ゲッ!お坊ちゃま来た!」
慌てて閉めようとしたが、側に居る従者だろう、別の男性の声に思わず手が止まる。
「も、申し訳ございませんステンカ様。衛兵総出で各家庭の家の中まで捜索しているのですが」
「壺の中までしっかり探せよ!?この俺に散々恥じかかせてくれやがって…ただじゃおかない」
家宅捜索してんの!?各家庭を?…まぁ、鍵かかって無いし、住人の許可なんて必要ないんだろう。
というか、部室に入られたらマズくないか?この情報は直ぐ船長のところに持って帰ったほうが良いのだろうが…と、とりあえずドアを閉めなくちゃ!
と思って戸を閉めようとした時…
“ガシッ!”
「ひぃ!?」
誰かがドアの隙間に手を入れて止め、ガバッと開けて室内に入ってきた。そして驚いて後ずさった獅戸には目もくれず、静かに戸を閉めて耳を押し当て、外の様子を伺っているようだ。
その、目の前に入ってきた人物はメイド服を着ていた。
茶色い短髪、恐らく眼鏡もしているのだろう。
「あの…メイドさん…様?」
「シッ!静かにして」
メイドを呼ぶときは「さん」でOK?それとも「様」?なんて考えながら思わず小声で声を掛けるが、彼女は小声で短く返しただけだった。
「…あ、ステンカ様。そちらへ行ってはいけません」
「あ?何でだよ。此処は俺の家だぞ!?」
「1階はただいま大掃除の途中でございます。部外者も多く…」
「知るか!今やっている方が悪いんだ」
「ですが埃も…お召し物が汚れてしまいます」
「俺は誰だ?ステンカ様だぞ。そんな事をした役立たずは処分してしまえ!」
「ス、ステンカ様!」
どうやら1階へ下りて行ったようだ。声が遠ざかっていくと獅戸とメイド、2人が同じタイミングでホッと息を吐き出した。
そしてお互いに顔を見合わせる。
「あ、あら、さっきの子ね。…えっと…」
「メイドさんも、ステンカ…様が苦手なんですか?」
ステンカに見つからない事が最優先で獅戸の事は後回しだったらしい。どうしたものかという顔をした彼女に向かって、ニコッと笑ってそう尋ねた。…だが、奴に様をつけるのがこれほどまでに屈辱とは。
「苦手?い、いいえ、私は…仕事ですし。そういうあなたは、苦手なのかしら?」
「…はい。私、ステンカ…様、嫌いです。…正直なところ」
「あなた!それをステンカの使用人の前で言うなんて…」
「様、つけなくて良いんですか?」
「…あ…えっと、私は…」
「ステンカが嫌いですか?それとも、様をつける必要が無いくらい、高い身分の方…なのかしら?」
「私…えっと…」
ニヤリと笑ってちょっと悪役っぽく問い詰めてみた。どうしようといった様子で口ごもるメイド。
此処で何となくだが思う。彼女はこの屋敷の者に良い感情を持っていないが悪い奴ではない。臨時メイドに問い詰められたところで古参の彼女に不利になる点は無いと言っても良いだろう。獅戸の言葉を突っぱねてしまっても良いわけだ。それなのにそれをしない。
「良いです。答えなくて」
「え?」
「初対面ですけど、私、あなたの害になるような行動はしたくありません。…では、もう戻ります。あまり長く離れてると、怒られちゃうので」
「あなた…どうして?」
「…何故でしょうね」
彼女がどこかからのスパイとかなら、理想的なんだけど。内側の汚点を調査されまくって、もっと上の人…が居るのかわからないが…に取り潰されてしまえば良いのに。
出会った時と同じくニコッと笑って、退室するために横を通り過ぎる。
「先輩は怪我悪化させられるし、スターニャの事は苛めるし…こんな家、とっとと潰れれば良いのに」
思わずこぼれた言葉を残して出て行くためにドアノブを捻った。が…
「待って!」
「うお!」
メイドさんが扉を抑えて開くのを阻止。僅かに開いた扉はメイドさんの力で再びパタンとしまった。驚きの声を上げた獅戸は、やりすぎた?言いすぎた?と思いながらも振り返って直ぐ後ろのメイドを見る。
「な、何ですか?」
「…臨時のメイドって言ってたね?」
「は、はい」
「あなた、屋敷の中で私についてくれないかしら?」
「…はい?」




