02-11 サーロヴィッチ家
暫くの間の睨み合い。
取り巻きを引き連れてきたステンカは鷹司を「気に喰わない」といった様子で睨んでいたが、鷹司は「何者?」と聞かれて何と返事すれば良いんだろう?と結構どうでも良いことを真剣に悩んでいた。
こういう場合って名前で良いの?何者…って聞かれても普通に一般人なんだけど。
「何とか言えよ!」
「…(此処で「何とか」って返したら怒るだげだの。じゃあとりあえず…)…ナガレ、だ」
「は?」
「ん?名前だが」
「そ、それは分かってんだよ!」
大分間を開けて返事をしたら普通に聞き返されてしまった。名前って分からなかったのかな?って補足したらキレられた。あのアホ面、絶対分かってなかったくせに。
「お前何が聞きてぇの?要点ば纏めてしっかり話せ」
「なっ!?お前、貴族に向かって何て言葉遣いしてんだ!?」
「何だ、お前貴族だったんか?名乗んねぇし、入室時ノックもしねぇし、何処の悪餓鬼かど思ったぞ」
「餓鬼だと!?…お前の方が餓鬼じゃないか。俺はこれでも25だ!」
「ブッ!…へ、へぇ~…」
「貴様、笑ったな!?」
思わず噴き出して笑ってしまった。25でそのマナーの無さ、ここまで馬鹿な育ち方したら、ちょっとやそっとじゃ修正不可能だろうな。ステンカは顔を真っ赤にして怒ったようだ。カッとなってベッドに座っている鷹司を殴り飛ばそうと右手を振り上げた。しかしそれが振り下ろされる前に側に居た猫柳が素早く手首を掴んで止めた。
「はい、喧嘩は良くありませんよ」
「離せ!ったく、何なんだ!?」
「僕は謝肉祭運営チームの者です。暴力沙汰はご遠慮ください」
「お前は誰の手首を掴んでいるのか分かっているのか!?」
「いいえ、存じません」
「何だと!?」
「すみませんね、この町には謝肉祭のために来たばかりなんですよ。覚えておいてほしいならば名乗ってください」
「…き、貴様ら…俺を馬鹿にしてるのか!?」
「…」
駄目だ話が先に進まない。普通に名前教えてって言ってやった方が良いのか?
このやり取りに取り巻きの2人も怒った様子で暴力に訴えるのも時間の問題かもしれない。とりあえず、ステンカが貴族だということは、影から救った鷹司は知っているが、何も知らない猫柳のためにスターニャに向かって質問を投げかけた。
「スターニャ、こいづらは?」
「あ、はい。このブラートで一番の名家である、サーロヴィッチ家のご子息、ステンカ様と、そのご学友の方々です」
「…そういえば昨日ちょっかい出されてたな」
「はい。顔を合わせるたびに少々嫌がらせを…」
「嫌がらせだと!?お前のためを思ってやってるんじゃないか。それよりスターニャ、こいつらこそ何なんだよ。俺の前で仲良くしやがって」
棒読みの演技でスケッチブックを取り上げられた事件を掘り返せば、しっかり頷いて話に乗ってくれたスターニャ。この町一番の名家なのか。…絶対嘘だ。こいつからは気品の欠片も感じ無い。こんな奴を見たら先祖はさぞ嘆くだろうなぁ。
と、目の前のやりとりを見たステンカは怒りがさめない様子で、猫柳に掴まれた手首をほどこうと必死にもがいていた。なんだ、25歳なのにそれが振りほどけないのか?掴んでる猫柳は19歳だぞ。
「さきも言ったが俺はナガレ。スターニャとは「城門較べ」のチームだ」
「何!?…なんて女だ。散々俺からの誘いは断わっておいて、仲間に男を加えるなんて!」
「城門較べではステンカ様の力を借りずに1位を取る必要があるとおっしゃったのは、あなたのお母様ではありませんか!」
「だからなんだ!?俺には関係ないことだ!お前は俺の言う事を聞いていれば良いんだよ!」
ステンカの暴言を皮切りに、スターニャとの口喧嘩が始まった。力任せに腕を振ってようやく猫柳から逃れると、1歩前に出てスターニャとの距離を縮める。スターニャの口調自体は敬語を使っているのだが、その声色はとても強く、怒りがにじみ出ていた。それにしても此処まで自己中なアホを相手にすると話が全然進まないだけじゃなくてとても疲れるんだな。
しかも会話を聞いているとステンカはスターニャに惚れてる気があるっぽい。こんな奴にしょっちゅう絡まれてたら、そりゃぁ何処かでブチ切れてもおかしくないだろう。
「言い訳をするなスターニャ!」
「私を従わせたいなら兄を返してください!」
「だからお前が俺の家に来れば丸く解決するって言ってるだろ?」
「そう言っているのはステンカ様だけです。奥方様は私が屋敷に上がるのを絶対に許しはしません」
「なら俺が後で母上に言っておいてやる。これで良いだろ?」
「それでは兄が危ないのです!何度言ったら分かるのですか!」
結局ステンカはスターニャを側に置く事しか考えていない。彼女の兄は眼中に無いのだ。そんなやり取りを聞いていただけでステンカが信用できない人物であると理解できる。しかし、さすがは貴族。耐えるという事を知らない我侭息子は、やっぱり直ぐにキレた。
「口ごたえするな!なら強制的に連れて行くまでだ。お前ら、手を貸せ!」
「しかたねぇなぁ」
「さっさとこうしてれば良かったんだよ」
「きゃっ!?」
取り巻きに指示を出して堂々と誘拐宣言。他に2人、猫柳と鷹司という部外者が居る事を完全に忘れている様子で、スターニャの手を掴もうとしたステンカの手首を今度は鷹司が掴んで止めた。後ろの2人は猫柳が止めている。
頑張って立ち上がったせいで一瞬クラッと眩暈がしたが、ギリッとステンカの手首を握りつぶす勢いで掴んで何とか踏みとどまった。
「いたたたっ!…お前、何度も何度も邪魔しやがって!罰してやるぞ!」
「此処サ来たんはスターニャに会うためだば…いや、会うためじゃ、ないだろ。門に挟まれた俺に用事があったんじゃないの?」
「あ。…そうだ。貴様のせいで門の石畳に汚れがついたんだぞ。この責任どうしてくれるんだ!?」
「何すらもなんも、なじょしてほしい?」
「…は?」
「ステンカ、お前貴族だろ?一般人の俺サ決定権はねぇ。どう罰っするつもりだったわけ?」
思っていたより単純な奴だった。話題をスターニャから、この部屋にきた目的に強引にすげ替えれば、ハッとして鷹司を睨みつける。怪我で握力が弱まっていたせいもあり、ステンカが軽く手を振っただけで手は離れてしまった。転ばないように頑張って立っていなくては。と、会話よりも「立っているという行為」に集中をする。
「様をつけろ!愚民が。俺は本来ならこうやって会うことすら出来ない高貴な身分なんだぞ!?」
「そいづは失敬。だが、身分はどうでも、人間どしては下級だど思うぞ」
「何!?」
「地位があれば何しても良いわげ?」
「当たり前だろう!全ては俺のために存在しているんだ」
「馬っ鹿じゃねぇの?」
「なっ!?…」
あ、やばい。考えずに受け答えしていたら思わず本音がこぼれてしまった。そして再び怒りのゲージが溜まっていくのが目に見えて分かる。
「スターニャ、おっさん呼んで来い」
「…え?」
「おっさん…えっと、この部屋の主だ。急げ」
「はい、分かりました!」
「おい何してんだ!スターニャに命令して良いのは俺だけなんだぞ!?」
「うっさい!お前はわんつか黙ってろ!」
「き…貴様…おい、行かせるな!追いかけろ」
「仕方ねぇ、任せろ!」
「あ!ちょっと待て!」
まったくイライラする。ステンカよりどれくらい身分が上か分からないが、此処はお偉いさんらしい、この宿を提供してくれた助けた男性に登場してもらった方が良いだろう。そしてスターニャは此処に居ない方が良い。
そう判断して送り出したのに、ステンカが取り巻きを2人とも使って彼女を追わせて、それを追いかけて猫柳も出て行ってしまった。そして1対1の睨み合いが再開したが、ここでも鷹司は「防犯レベル低いって事は、泥棒も少ないのか?こいつからならいくらでも盗めそうだけど」なんてどうでも良い事を考える。
しかし、スターニャ達が帰ってくる前に警備隊っぽい人たちがやってきた。服装は多分憲兵と同じっぽい…って事は憲兵なのかな?
「此方にステンカ様を冒涜する罪人が居ると通報を受けて来ました」
「よぉし、来たな!俺を馬鹿にした愚か者はあいつだ」
「…。…はぁ…」
ちくったな。思わずため息ついてしまった。
何が起きたか一瞬で大体想像がついた。スターニャを追いかけて行った奴が応援を呼んだのだろう。都合の悪い事は伏せて助けを求めたに違いない。勝ち誇ったような笑顔を見せるステンカを呆れ顔で見返してやれば、面白く無さそうに舌打ちをした。
「ッチ!…まぁいい。お前の負けだ!二度と俺に逆らえないようにギッタギタにしてやる!」
「っ!…」
何処の悪役のセリフだ?と思うが、ぶっきらぼうに言いながらドンッと鷹司を突き飛ばしたステンカ。もともと胸部に怪我を負っていた鷹司は痛みに顔をしかめ、踏ん張りがきかずにストンともう一度ベッドに腰掛ける形になった。そして腰を下ろした鷹司の胸倉をグワシッと掴んで、ヤンキーがガン飛ばす勢いで睨む。…あまり怖くないけど。しかしその際の衝撃でじわじわと口に血の味が広がっていくが、医療バンドがほんのり光ると痛みが次第に引いていく。新しい傷にもこのバンドは効果があるようだ。
「フン。せいぜい自分が犯した罪の重さを悔いるがいいさ!…捕まえろ」
「はっ!了解しまし…」
「悪いが…お前の思い通りにはなんねぇよ」
憲兵が動く前に口の中に溜まった血をぺっとステンカに吐きつけてやったら、効果絶大でメチャクチャ怯んだ。
「うわっ!血っ、血が!」
「ステンカ様!?」
両足に気合を入れて再び立ち上がれば、サッと身を翻して窓に近づく。そして大きく開け放てば、窓枠にダンッと足をかけた。バンドがまだ有効なうちに、無茶をしても此処から逃げよう。チラリと下をみれば…おや、猫柳が居る。ステンカの取り巻きの1人を連れて来ていたが、顔を上げた瞬間に視線が合った。眼の良い彼は室内に憲兵が居る事に気づき、鷹司の行動の意図に感づいたようだ。ハッとした一瞬の隙をついて取り巻きは走って建物内に駆け込んだようだが、猫柳はその場で真下の露天の天蓋をサッと弾いて、簡易クッションを作ってくれた。
ナイスなタイミングで良い仕事してくれる奴だ。
「貴様、ステンカ様に何を…」
「お前達!ワシの部屋で何をしている!?」
怯んだステンカを後から来た憲兵が支えるが、罪人を捕えるという命令に従うべく顔を鷹司に向けた所で、スターニャとおじさんがやってきた。こっちもナイスタイミング!渋く凛とした声色に怒気を含んだ一声はその場の空気を凍りつかせる程の威力。さすがだ。権力者なら、やっぱこうじゃなくっちゃ。
思わず動きを止めて振り返った憲兵とステンカ。その隙を好機と考えた鷹司は、窓枠にかけた足に力を入れて窓を飛び越え外に躍り出た。
「あ、おい!君、待ってくれ!」
此方を向いていたおじさんとスターニャのみがその行動に気付いて、慌てて呼び止めようと声を出しながら1歩踏み出したが、声の制止は間に合わない。落ちる間際に一瞥すればおじさんと鷹司の視線がぶつかる。ってかおじさん、何故かパンタグラフジャッキ握りしめてるけど…重く無いのか?なんて思ったのも見えていた一瞬。そのまま重力に引っ張られて落下し、猫柳が用意してくれたクッションに落ちる。一応威力を殺す事に成功したが、それでも重傷者にはきつかった。いちいち傷が開いて口の中が血の味に染まる。それを吐き出すのも躊躇われるのは、綺麗好きの日本人だからだろう。飲み込むのもいやだけど、辺りを汚すのはもっと嫌だ。
「くっそ…痛い…」
「無茶しすぎだよ!何があったのか詳細は分からないけど…ナガレ、とりあえず此処離れるよ?」
「あぁ。肩…貸してくれ…」
彼らが窓から顔を覗かせて探し始める前に小道に入って姿をくらまし、追跡を逃れるために多少遠回りになってもジグザグに歩を進めれば、誰にも追跡される事無く部室まで無事帰る事が出来た。