02-10 医療バンド
「たっだいま~」
「やぁ。お帰り、遅かったね」
いつもはツインテールの髪を今は一つに結い上げた獅戸が部室へ帰宅した。それを出迎えたセンが声を返すとローブを脱いで片手で抱える。そして室内を見渡した獅戸は軽く首をかしげた。部室エリアにはセンが一人。そして買い物をしてきたのか、沢山の荷物がテーブルに置かれているが、誰も居ない。もし誰か帰宅してるなら、誰かしら此処に居ても良いのに。
「うん、ちょっとね。…あれ?皆は?」
「…実は今日、鷹司ナガレが大怪我してね」
「え!?うそ、何で!?」
「久しぶりに開けた外門に挟まれたらしいんだ」
「外門って…屋敷で噂になってたわ。数十年ぶりにあけた外周の鉄門が壊れて人が下敷きにって…それ鷹司先輩だったの!?」
「人を守った結果みたいだよ。…それよりも獅戸アンナ、君単独行動したね?あれほど未知の星は危険だと言ったのに」
「はっ!…えっと、これはその…」
「まぁ皆も気づいてるだろうから、言い訳せずに謝ることだ。…さぁ、上に行くと良い。彼の部屋に皆居るよ」
鷹司の自室に促すセンの言葉に一度しっかり頷いてから階段を駆け上がっていく獅戸。一応猫柳が集めて話した情報を獅戸に伝えるが、搭乗者であるメンバーの記憶を覗けるセンは、鷹司の事故も獅戸の事情もこの部室に帰ってきた時点で把握していた。しかし尋ねられても応える必要が無い時は喋らないし、よほどの事がない限りどんなに必要な情報でも此方からバラしてしまう事は無い。
これがプライバシーを侵害しているセンが守るべき事柄故に、焦る気持ちを隠しもせずに駆け上がっていく獅戸の後姿を視線だけで見送りながら少し羨ましそうに目を細めた。
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あの後、治療といっても幅1センチ程度のゴムバンドを3つ右手首にはめただけだった。一番上に白、真ん中に赤、一番下が黒の3色だ。
情報を一通り集め終わって帰ってきた猫柳は、何してんだ!?と言い掛けるが、先ほど見た時より顔色が幾分か良くなっていることに気づいて聞きたい気持ちを堪える。
「医療バンドしか無いのかね?」
「はい。傷を治せる力を持った魔術医はこの町には居ないんです。なのでこのバンドがこの町での最先端外科医療器具となります」
「…仕方ないでしょうシル様。生物の身体を扱う事が出来るのは並の能力者では無理です」
「確かにな。医療魔法が得意の従者をつれてくることが出来ればよかったのだが」
「…とりあえず容体は安定しました。後は何処か安静に出来る場所に運びましょう」
「では、ワシがとっている宿に運んでくれ」
「シル様!?ですが、それでは旦那様が…」
施術を終えてやっと顔を上げた医者の言葉に、「シル」と呼ばれる鷹司が救出した男性が1歩前に出た。それをいつの間にか正門から入ってきたのだろう付き人2人が驚きの顔をして、そのうちの1人である女性が戸惑いの声を掛ける。
「ラプシン、彼はワシを救ってくれた。その彼をこのままにしておく事は出来ない。分かるな?」
「…はい」
「エフレムは宿屋に先に行って事情を話しておいてくれ」
「了解しました」
「それでは俺が彼を運びましょう」
「…え、ちょっと!?」
お付きの人らしいラプシンと呼ばれた女性が渋々といった様子で頷き、もう一人の付き人のエフレムと呼ばれた男性が小さく頷いてからその場を走って去っていく。その後でジャッキを回してくれた憲兵がよっこらしょと鷹司を背負いあげたのを見て、重傷者なのに何やってんだと思わず猫柳が声を上げてしまえば、皆から「どうしたの?」って視線を投げかけられた。
「(担架とか無いの!?…あれ?もしかしてこういう運搬が普通なのか?メッチャ怪我酷かったっぽいケド)…えっと…ぼ、僕が背負いましょうか?知り合いだし…」
「いや、俺に運ばせてくれ。俺が足止めしなければ、巻き込むことは無かったんだ」
「…はぁ。では、お願いします…」
大怪我していて絶対安静になると担架とか必要になるはずなのだが、この世界には無いんだろうか?だが誰も何も言わないので、これが一般的な運び方なんだろう。ちょっと心配だけど変に騒ぎ立てて目立つのは避けたい。そのまま背負われた鷹司に付き添って、猫柳たちは先導する男性の後ろをついていった。
医療バンドとは何なのか、来たばかりで知らない物だったがその効果は絶大だった。
包帯を巻かれてベッドに寝かされて30分もしないうちに鷹司の意識が戻ったのだ。
「…此処は…うっ…ケホッ!」
「大丈夫!?ナガレ」
「…肺に残っていた血を吐き出しただけのようですな。一応止血も済んでいますので、後は安静にしてください」
「どうもありがとうございました」
「処置が早かったので、今後バンドをつけて安静にしていればこの怪我も長引かずに済むでしょう」
「完治までどれくらいですか?」
「そうですね、大体一週間程度で…」
「「一週間!?」」
目を覚まして言葉を発したらいきなりむせて血を吐き出すが、取り除ききれなかった僅かな血液が残っていただけらしい。用意されていた桶のようなものに吐き出せば、大分呼吸が楽になっているのに気づく。
側に居た医療チームの人が安堵した様子で容体を言うが、後に続いた完治までの期間の短さに鷹司と猫柳が驚いて同時に問い返した。
「は、はい。一週間です。すいません、優秀な魔術医師は王都などの大きな都市に集中してしまって。彼らに頼めば即日完治も出来るのですが。…あ、此処も大きい町なのですが、なにぶんレアと言いますか…」
「いや、一週間ね。分かった大丈夫だ」
「はい。一応痛み止めの薬剤を出しておきました。痛みがひどい時は煎じてお飲み下さい」
こんな大怪我、普通数ヶ月は掛かるのに。驚いて2人で言った言葉に、逆に「長い!」と怒られると勘違いした様子で恐縮してしまったようだ。ペコペコと頭を下げる医者に向かって慌てて軽く手を振って猫柳が笑みを向ければ、薬を近くのテーブルに置いて退室するために立ち上がる。するとスターニャが見送るために一緒に席を立ち、部屋を出て行った。
フゥと息を吐く鷹司のために猫柳が掛け布団を整えてやっていれば、何で猫柳が居るんだ?といった視線を向けつつ口を開く。
「一週間か。思ったより、早いのぉ…。結構流血したばって、怪我は酷ぐ無がたのか?」
「いや、酷い怪我だったよ。先生の話だと肋骨折れて肺ぶち破って外に飛び出してたって。出血多量で死ぬんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。普通あれだけの怪我を野外でオペなんてしないし、しかも完治まで1週間なんて、超早いよね。魔法って凄い」
「どうりで…痛かったはずだ」
「だろうね。僕が練習中に腕折ったときはそれこそ3ヶ月は必要だったよ?」
「普通、そんなもんだろ。…で、此処は?」
「此処はナガレが助けた男性が泊まってる宿だよ。安静に出来る場所に運ぶってなった時に是非使ってくれって言ってきた」
「あぁ、あのおっさんか。で、猫柳、おめぇは何で居んの?」
「事故があったって運営に連絡が来たから、俺も現場急行組みに振り分けられたんだ。ナガレを見て知人だって言ったら、側に居て良いって許可貰ったからさ。雨龍さん達には言っておいたよ。後で様子見に来るって」
そういって再度室内を見渡した。猫柳にとっては普通に普通のビジネスホテルな感じだが、スターニャという一般人の家庭を見ていた鷹司は、ここの宿のランクがかなり高いだろうという事に気づいていた。だって普通に窓があるよ。ガラスが入っていて、ガラガラと開ける事が出来る窓だ。外の風景を見ると、2階くらいの高さがある。初日に歩き回った範囲ではあまり背の高い建物は無かったから…此処はどのエリアだ?いや、それは置いておいて。
窓に鍵は…相変わらずついてないみたいだけど。こりゃ、防犯どうにかしないと本気でマズイ…って、この世界の人は考えないのかな。
それに…何でだろう?あまり長居してはいけない気がする。モソモソと起き上がると、猫柳が少し慌てた様子を見せた。
「ちょっと、もう動いて平気なの?」
「何か平気。安静サしてれば良いんだば、此処だばのぐても良べ」
丁度そこへ医者を送ってきたスターニャが帰ってきた。立ち上がろうとする鷹司を見て、驚いた様子で駆け寄る。
「ナガレさん!?何をなさってるんですか!」
「…動けるから帰る。安静にはしとく」
「ですが…」
床に両足を着いた時の衝撃で僅かに走った痛みに顔をしかめるが、門に挟まれていたときの比ではない。既に大分回復しているのが実感できるが、貧血が酷くて立ち上がるにはもう少し時間が必要かもしれない。そこでフッと自分の右手首に巻かれたゴム製バンドに気がついた。
「ん?…何だこれは」
「それ、この世界の医療器具だってさ」
「何?…これが?」
猫柳を見ながら問いかけるが、彼も詳しい事は知らない。又聞きした情報を知ったかぶった態度でそう言えば、この世界に慣れていないって事をスターニャに知られないための演技であると気づいて、それ以上聞かずに視線を手首のバンドに落とす。しっかし、いったいこれでどうやって傷を治すというのか。この質問を猫柳にしても答えが返ってこないことは確実だ。そこで立ち上がるのを阻止しようと目の前に立っていたスターニャに視線を向けた。
「スターニャ、これは何だ?」
「え?…医療バンドですか?」
「医療バンド…?」
「あ、そうでした。町のシステムは分からない事も多いですよね?今から説明しますね」
流浪の民設定がこんな所で役に立った。本気で分からないという顔をしている鷹司、知ったかぶってるけど何も知らない猫柳もさりげなく耳を傾ける。なんでも医療バンドは魔力がある人間が作ったもので、それ一つ一つに魔法の力がこめられていて、色で機能が変わるらしい。
鷹司が今つけている白、赤、黒は一般的で、黒が破損したものを元に戻す力を元に、切れた皮膚や折れた骨を正しい位置に魔力で固定するもの。現代日本だと縫い合わせる工程にあたるみたい。赤が血の流れを補うもので、切れた部分の血管から血液が漏れ出すことなく流れるようにパイプ役を果たす。そして白が包帯のような役目をしていて、患部を清潔に保ち接着を促し、ある程度のダメージからガードしてくれるプロテクターの役目も果たす。…目には何も映らないのに。
そしてこめられた魔力が尽きると消えて無くなる使い捨てらしい。
どおりで複雑骨折してるにもかかわらず直ぐ身体を起こしたり出来るはずだ。ただ、流れ出た血は瞬時に回復する事は出来ないので貧血気味なのは仕方がないだろう。
むしろそれくらいで済んでいる事に感謝するべきだ。
「便利な医療バンドですが、直ぐに処置できなかった場合、同じ魔力を持っていても効果が薄れていってしまうんです。今回は直ぐに医療チームが来てくれて、良かったです」
「…ほんとに」
魔法があって良かった。しみじみと感じていたところに“ドカドカ”と乱暴な足音が響いてきた。
そしてノックも無しにガチャッとドアが開かれる。
「此処か?門に挟まれたって奴が居る部屋は」
「…!」
年齢はパッと見20歳前半くらい。偉そうな態度でやってきた一人。そして取り巻きが2人。…あ、何か見たことあるぞ。あれだ、スターニャを囲んでたやつらだ。それに気づいて視線をチラリとスターニャに向ければ、驚いたような、怯えたような顔で硬直していた。
「何だスターニャじゃないか」
「ス、ステンカ様…」
「誰だ?こいづは」
部屋に居たスターニャを見て何処となくいやらしい笑みを浮かべた男。ステンカと呼ばれたその男からスターニャの意識を外すべく、彼女の手首を掴んで軽く引きながら唐突な横槍を入れてやる。すると硬直がフッと解けてスターニャがホッとした顔をしながら振り返って鷹司を見た。目の前で繰り広げられたその様子に、あからさまにムッとした顔で目の前の男は意識をスターニャから鷹司に移した。
「貴様こそ何者だ?」




