01-23 廃校舎・裏
八月一日は先導してくれるモヤの後を追うようにして目の前の壁に向かって走った。
木々が密集している所を走り抜けるが、魂だけの自分には体当たりしてもすり抜けるので全然困らない。しかも息切れすらしない。というか呼吸をしていないのだろう。肉体が無い今、疲れも溜まらないとしたらこのまま何時間でも走り続けられる気がする。
これぞまさに究極のスルースキルかもしれない。
逆に何故鍵が握れているのか謎だが、今はそんな事考えている場合ではない。
近づいて分かる壁の“黒”の異様さ。それは虫が群がるようにウゴウゴと壁を埋めていた。
「…な、なんか、凄い…」
気持ち悪いと言いかけた口を閉ざした。先導してくれている黒いモヤもアレと同じなのだ。意思があるという事は肉体もまだ無事という事で、解放して取り戻せれば人間に戻れるのかな?俺が鍵を開けて壁を消したら助けられるのかな?なんて考えてしまう。
出会ったばかりなのに。
「うわぁ。一面真っ黒だ。…で、君が言う鍵穴って何処?」
直ぐ傍まで近づいて壁を見上げた。見た感じだと3階建て程の高さに感じるが暗いし黒いし、正確には把握出来ていないかもしれない。ウゴウゴしている壁に若干圧倒されながらも一度足を止めてきょろきょろと左右を見た。そんな八月一日を呼ぶように、モヤがクルリとその場で回って再び移動し始めたので追いかけようと再び足を動かした時だった。
-コツン-
「…痛!…え、何か当たった?」
上から何か降ってきたようだ。音楽室で九鬼が放り投げた種であるが、それに気づく事は出来ない。頭に小さくも鋭い衝撃を感じて手を頭に当てれば、地面の上を何かが転がった事に気づく。それを視線で追いかけて、身をかがめて拾い上げるべく手を伸ばした。
「種?…一体どこから…あ、こっちにも同じのが落ちてる」
地面に落ちている種を3粒程見つけた。一度上を見て落ちてきた場所を特定しようとしたが、黒い壁しか見えないので断念。その後拾えるかな?と思いながらつまんでみれば、普通に拾い上げる事が出来る。試しにとなりの石に手を伸ばすが、こちらは触れず指が貫通した。いったいこの基準は何なんだ?というか今更ながら地面に立っていられる自分に驚きだ。落下…はしないまでも、浮遊とかしてみたかったかもしれない。…いや、この窮地を脱しなければ目の前の彼…彼女?…みたいなモヤになってしまうのだ。無い物ねだりは止めよう。そう思ってモヤを見上げれば、急かすように膨らんだり萎んだりしていた。
…なんというか、可愛い。
「ご、ごめんね。鍵穴目指そう」
緊急時なのに思わず笑顔になってしまったのも仕方ないだろう。
そして再び走り出した2人(1人と1モヤ?)は2回角を曲がって最初に居た場所の正反対の位置に来た。そして壁のほぼ中央の位置で止まる。
モヤは“ここだよ”とでも言うかのように、壁を見て壁に近づいて、八月一日を見て彼に近づいて、を繰り返した。
「この場所?…でも鍵穴…」
見えない。黒いのが張りついて居るせいで隠れちゃってるのだろうか。モヤは依然として同じ行動を繰り返している。本当に可愛い。
とりあえず壁を直接触ってみようと考えてから壁を見て、一瞬ためらった。たが、目の前の黒い壁が魂の塊で、自分も魂の存在なら身体が乗っ取られるって事は無いだろう。もしかしたら仲間と思ってもらえるかも。いや、逆に無視されて居た方が何か安心出来る気もする。そして数回深呼吸し(た気分になっ)てから黒い壁に手を突っ込んだ。
「…この黒い壁、もしかして結構厚いの?」
黒い壁には触れていると思う。貫通はしていないように見えるし何よりひんやりと冷たさを感じた。だが壁に手を突っ込んだは良いが、黒い壁に沈んで行く手は先にあるはずの本当の壁に触れない。まるで底なし沼のようにどんどんと埋まっていくのだ。
「ちょっと待って。本当に此処で良いんだよね?…あ、この黒いのも中に入れないから壁に張り付いてるんだっけ?…じゃあ壁…と言うか鍵穴に触るにはもうちょっと埋まってみないと駄目って事か…」
思わず一度引き抜いてモヤに質問をしてしまった。問いかけても返事が来ないという事は、モヤは喋れないのかも。シャイって訳じゃなさそうだけど…あ、言葉が分からないのか?返事の代わりにショボンとした雰囲気を見せる。…きっとこいつも詳しい事は分かってないんだろう。いきなり此処に連れて来られて、身体を奪われて、さっきの人物に協力しているに違いない。ならばモヤを問いただすのは間違っている。
自分の問いに勝手に自己完結してから再チャレンジ。今は魂のみの存在らしいが、身につけている服は気を失う前と同じ。全裸じゃなくて良かった。それでもそのポケットに入れると通り抜けて落ちるんじゃないかと心配なので右手に鍵、左手に種を握ったままで黒い壁に今度は身体ごと埋まった。完全に埋もれても前進を続ける。
歩を進めながら1体の魂はどれだけの厚みになるのだろうか?とフッと思った。あのモヤも大きそうに見えるが、拡散してるせいなのかは分からないけどこんなに濃い黒色じゃないし、壁にペタッと張り付いたら1ミリにもならないんじゃなかろうか?これほどまでに層が厚いって事は、それほど魂が沢山あるってことなんだろう。今更ながら、この場所で失われた命の多さを実感して、眉を寄せる。そんな時、やっと手は硬い物に触れた。
「(これが、壁かな?)」
口を開いたら色々入って来そうで心の中で呟く。硬いそれは確かに壁だろう。かき分けて来た黒い壁と違って此方は腕が沈み込んで行かず、これ以上は本当に進めない。壁の範囲を確認するように手を動かして形を把握しようとしたら、段差がある事に気付いた。何か模様が描かれているか、掘られているのかもしれない。そのまま黒い壁をかき分けつつ横に移動したら、手がスコッと中に入る場所があった。
「…(ん?あれ?此処壁無いの?)」
よいしょっとかき分けて顔を近づければ見え…ない!黒い魂の塊がまるでしつこい汚れのように視界をふさいでいた。これは顔を壁に押し付ける必要があるのだろうか?と思っていたらすぐ隣で“ギョロリ”と目が開いた。
「!!!」
驚き過ぎて声すら出ない。思わず数歩後ずさると、八月一日とその眼の間に黒い壁が流れ込むように入り込んで見えなくなった。が、すぐさま再び視界が開ける。
「…え、これは…」
先ほどまでは泥水の中を進んで行くような感じで黒い壁と密着し自分の指先すら見えない状態だったのだが、今は自分を中心にぐるりとパーソナルスペースが確保されていた。驚いていると再び目の前に眼が開く。どうやら此処まで連れてきてくれたらしい(だが確証はない)モヤが、身体を膨らませて…居るのかどうかは分からないが、黒い壁を押しのけてくれたようだ。
「君が?…ありがっ!…と…う…。うん、ありがとう」
思わずお礼を口にしたら、パーソナルスペースを守る壁に数個の目が出現した。思わず驚いてお礼が変なイントネーションに…もしかして仲間呼んで協力して押しのけてくれてるの?再度お礼を言い直してから、先ほどひっこめた手を再び伸ばして壁に触れた。今度は手の先が見えるため、どうなっているのか分かる。自分が触れていたのは普通に扉だった。段差は扉の模様で、木造で傷み具合から古い建物なのだろうと予想が出来る。
「この扉…あぁ、窓が割れてたんだ。さっき手が入ったのってこの部分だったのかな?」
とりあえず手を入れる前に中を覗いてみた。そこは学校の下駄箱のような場所だった。背の低い靴箱が並び、その上に鎖の巻かれた木の箱が…
「…あの箱…もしかして棺?」
話に聞いていた箱…なのだろう。棺だとは思わなかったけど、何となく生命の波動…みたいなものを感じる気がする。立っている黒い棺も確認できるが、下駄箱の上の物は日本風の物だった。あれが魂の入れ物だとしたら、部室に居た誰かがまだ半身を見つけていないという事だ。
「とりあえず中に入って…いや待てよ?今開けて平気かな?」
八月一日は聞いた話を思い返す。
この場所に来る時に魂を奪われて箱に入れられる。箱は棺って事なんだろう。タイムオーバーしたら今度は逆に肉体が黒い棺に入れられるとは聞いていたけど、最初に囚われる箱が棺とは…言ってたかな?色々いっぱいいっぱいだったし、聞き逃してたか?聞いて無い気もするけど多分あってる。
…って事は、黒い棺にあの棺がバレたら不味い。
でも黒い棺は動く物に反応するって言ってたはず。
だったら魂が眼の前に有るのに気付いていないってことか。なら、とりあえず今は安心出来る?
で、鍵を開けたらこの黒いモヤも突入する事になるけど、目の前の箱は魂だから安全。だけど魂があるって事は、魂を取り戻してない完全体じゃない人が最低1人は居るって訳で…
「…今、開けて良いタイミング?」
中の様子が全く分からない。下手に開けて黒い壁を突入させるのは…心配だ。とりあえず窓にある割れたガラスの間から手が通るのか?と思って触れてみれば、やはり割れた窓から手を中に入れる事が出来た。しかも手が入る隙間は割れたガラスには振れず、その穴の数センチ内側の空中部分を通過する。同じくらいの位置で見えない壁にも穴が空いているようだ。これなら生身で手を突っ込んでもガラスの破片で切ったりしないな!と思うが、ならば何故黒い壁が侵入できなかったのか謎だ。
「分からない事だらけだけど、今は置いておこう。とりあえず…あ、これが鍵?…ってヤバ!」
左手を入れてみたら、その近くに付いていた南京錠に手が触れた。何だか異様な存在感を放つ大きい鍵、これがあの人が言った“鍵穴”なのだろう。軽くコンコンと叩いてみたら、それがいけなかったのか黒い棺が一斉に“ギギッ”と音を立てて此方を向いた。思わず手を引っ込める。その際握っていた種が手の隙間から1粒落ちてしまった。アッと思って視線で追うが後の祭り。とりあえず鍵じゃなくて良かった。
“カン…カン…コロコロ…”
種が落ちた音に反応して動き出す棺。運悪く日本風の棺の傍まで転がって行った。やばい。余計な事した。どれくらい近づいたら発見するのか分からないけど、急いで鍵を開けようと判断し、握っている鍵に視線を落とした。
「…どっちだ?…くそ、両方とも似てるんだよな…」
箱の中にあった鍵と、普通に地面に落ちていた鍵。形もキーホルダーもなんとなく似ている。古い方を…と思ったが、なんだかどっちも新しい気がするし。…うーむ、しっかり尋ねておけば良かった。
「仕方ない。2分の1なんだ、違ったら再挑戦でとりあえず適当に…あれ、何だこの音…何だか歪んで…」
右手の2本の鍵を見比べるがどっちがこの南京錠の鍵なのか分からない。種は今は邪魔だからポケットに投入。落ちたら落ちたで気にしないことにして、適当に1本掴んで鍵を開けようと腕を再び入れた所で“ミシミシッ”という音に気づいた。ハッと顔を上げれば、なんとなく天井が近づいているような…と思って、直ぐに気のせいでは無いと気づく。木造の建物の柱が“バンッ”と音を立てて割れたのだ。
「…嘘だろ!危ない!」
このまま潰れたら棺もペシャンコになる。そうなったらマズイ!と思って声を出した。すると、その声に応えるように落とした種が反応する。
-ニョキニョキ!…ガサガサガサッ!!-
まるで爆発するように発芽した種はツル植物だったようで、波紋のように放射線状にブワッとものすごい勢いで広がっていく。最初は細かったツルも次第に太くがっしりとしたものになっていきながら、立っている棺や、折れかけた柱等、そこにあるもの全てに纏わり着いて、あっという間に緑一色になった。蔓単体では弱い植物だが、木にまとわりつくことでその強度を上げていく。僅かな時間呆けてしまったが、何とか天井を支えたのを見て「今しかない!」と入れていた腕を伸ばして鍵を鍵穴に差し込んだ。
-ガラーン…ガラーン…-
「…今度は何だ?」
捻って鍵を開けたと思ったら、南京錠ごと鍵が手から消えた。というか一発で当てたか。ラッキーだったな。顔が入らないため鍵が下に落ちたのか確認できないが、落下する音はしなかった。とりあえず腕を穴から抜きながら、唐突に鳴り響いた鐘の音に視線を僅かに上に向けた時だった。
-ドンッ!-
「うわっ!?」
後ろから思いっきり押され、扉を壊して内側に倒れこんだ。
鍵を開けたおかげで見えない壁が消えたのだ。そして扉のところに張り付いていた黒い壁が、まるで押し寄せる津波のように建物の中に流れ込んだ。
「…うぅ…凄い勢い…」
此処まで来るために黒い壁に手を入れたときは何の抵抗も無かったのに。凄い流れに飲まれないように、慌てて仲間の物と思われる棺の場所まで這っていき、その陰に隠れるようにして暫く耐えることにした。幸いな事に息苦しかったり痛みを感じたりはしない。
が、この勢いに押されたのか突然の重みに耐えかねたか、ツルに支えられたはずの柱が何本も一気に折れた音がした。
-バン!バンッ!!…メリメリッ-
凄い音と共に天井が落下。
八月一日は慌てて棺を下駄箱の上から引っ張って落とし、守るように覆いかぶさった。




