01-12 水泳部部長と陸上部副部長
水の中に飛び込んだ天笠は、壁を蹴って中央部を目指した。
始めは意識して呼吸を止め、いつもどおりクロールに息継ぎをしていたのだが、思いのほか速度が出ていて、行き過ぎた事に気づいて慌ててユーターン。そして真ん中で立ち泳ぎしながら水底の様子を調べつつ先ほどの感覚を思い出す。
「水の中…だったけど、呼吸はしてた…ハズよね。苦しくなかったんだから。でも…」
夢だと思ったから何の違和感も無かったわけで、意識して水中で呼吸しようと思うとどうすれば良いのか分からない。水に潜ったり顔を上げたりを繰り返していたがこのままでは埒が明かない。とりあえず今は箱の確認を最優先にしようと考えれば息を大きく吸い込み水底目指して潜水を始めた。
「……」
思っていたより深いが、日ごろの訓練と練習のおかげかすんなり箱の所まで潜れた。しかし…
「(え、コレってただの箱じゃ無くない?)」
木箱だが、普通の箱じゃなかった。サイズと言いデザインと言い、鎖が巻かれた棺だ。それに気づいて前進を止めれば、その場で少しの間固まってしまう。しかしいつまでも此処に居てもしょうがないと一度息継ぎするために浮上を始めて。
「プハッ!…何あれ。…宝箱とかを想像してたわけじゃないけど、まさか棺とか…」
中に死体とか入ってたらどうしよう。そしたらこの水に溶け出してたり…いや、よそう。考えるのも想像するのも衛生上良くない。箱が何か確認してしまった今近づきたくない気持ちが芽生えるが、後輩の前で格好良いこと言った手前逃げ帰るのはプライドが許さない。怖いけど中身だけ確認して一旦戻ろうと結論付けて、もう一度潜水を始めた。
「(腐乱してませんように)」
深い場所にあるために、息継ぎの関係上あまり躊躇っている時間は無い。サッと済ませてサッと帰ろうと考えて、棺の窓の部分に手を掛け、弾くようにして開いた。
「…!?え、アンナちゃん!?」
そこにいたのは先ほどまで一緒に居た獅戸アンナだった。どういうことだ!?と思わず驚きの声が漏れるが、慌てて空気を逃がすまいと口を押さえて…
「あれ、苦しくない。…しかも私、喋れてる?」
普通に呼吸をしてみるが口の中に水が入ってこないのだ。知らない間にエラとか生えたか?!と慌てて耳の裏や首元辺りを触ってみるが、特に変化は感じない。上手く言えないが見えない膜が鼻と口を覆っていて、そこを通過する水を酸素に替えているような感じ。意識して吐き出した空気は泡になるが、普通に吐いた空気は気泡になら無い事から水に溶けているのだろうか?…分からない。やっぱりコレは夢なのか?しかし手で触れる物、肌が感じる物、匂いや痛みまでリアルに伝わる。試しに水中でおこなってみた深呼吸も出来てしまった。分からない事だらけだが良いほうに考えよう。今は水中で作業できるので好都合だ。
中身が分かってからは嫌悪感も和らぎ、近づいて観察をはじめる。棺の中に水は入っていないようで中の獅戸は濡れていないようだが、機密性に優れているという事は密封状態という事。その中で寝ている獅戸は偽者か人形なのだろうか?すでに死…いやいや。決め付けるのは良くない。
まかれた鎖は中央部で南京錠で固定されていて開ける事は出来ない。と、此処で南京錠に鍵が刺さっているのに気づいた。開くのかと思って手を伸ばすが、捻っても動かない。鍵が合わないのだろう。鍵穴に刺さっていたガラスなのか宝石なのかプラスチックか分からないが「水の雫の形のキーホルダーがついた鍵」を引き抜いてから思わず南京錠を掴めば、隅に旗の絵が彫られているのに気づいた。旗の部分に「1」と書かれていて、運動会などで良く見る順位旗かと思われる。
「…分からない事だらけだわ。アンナちゃんが2人居るなら、どっちが偽者?」
どちらが偽者か分からないので再びプールサイドに居る獅戸と合流しても良いものか迷ってしまう。しかし、偽者で天笠の妨害をするなり殺すなりするつもりなら助けるためにプールに飛び込んでくるなんて事しないのではないだろうか?
暫く水中で腕を組んで考え込む。が、ずっと此処に居るわけにもいかない。しかしこの事を話して良いものか判断が出来ない。とりあえず様子を見ながら説明するか否かは考えるとして、引き抜いた鍵を手に残してきた獅戸と一度合流しようと考えれば、飛び込んだ方のプールサイドを目指しながら浮上した。
…そうしたら。
「うわぁ~ん!!!」
プールサイドで獅戸が泣いていた。
**********
「ごめん、アンナちゃん!悪気があった訳じゃないのよ?」
「ヒック…わ、悪気があって…やってたなら…ウゥ…お、怒りますよ!」
なかなか涙が止まらない獅戸を水から上がって宥める天笠。プールサイドにぺたんと座って泣いていた理由を聞けば、天笠が水面から顔を出さないから、何か起きて危機的状況になったのではないかと思ったらしかった。しかし水面下は暗く何が起きたか分からないし自分に何が出来るかも分からないしで、途方にくれて居たらしい。気持ちは分かる。すまなかった。
心から天笠を心配してくれて居た獅戸を見て、一瞬でも偽者か?なんて疑った自分が恥ずかしくなった。この子は本物だ。たとえ偽者でも、今はこの目の前の彼女を信じたい。そう思って、大分落ち着いてきた頃合を見計らって、見て来た事を正直に話し始める。水中で行動が出来るという信じられない現象も包み隠さずに話した。
「え、じゃぁ私が…水の中の棺に?」
「えぇ。信じられないのも分かるわ。私も自分の眼を疑ったけど、間違いじゃないの」
「…あ、あの…先輩…」
「何?アンナちゃん」
「私も先輩に言わなくちゃいけない事があります…」
「え?何?」
そして獅戸も自分の事を語りだす。1歩でプール中央まで跳んだ脚力。試しに走ってみた50m走はあっという間に壁際まで行ってしまった。恐らく3秒ほどしか掛かっていないと思われる。最後に天井にぶら下がっている棺の事も、獅戸は天笠へ全て話した。
「「……」」
暫くの沈黙。しかしお互いに分かる。嘘は言っていない。
「先輩、今度は私が上の棺を見てきます。水の中に私が居たなら、上に居るのは先輩かもしれないし」
「確かに、その可能性はあるけど。でもどうやって?」
「うーん…そうだ!壁を使ってみます」
そう言って立ち上がった獅戸。軽く屈伸をしてから床を蹴ると一瞬でトップスピードに乗り、床を蹴る。そのまま壁を蹴り上げて、あっという間に照明よりも高く飛び上がるが…
「…わー!距離が足りなーい!」
「アンナちゃん!」
-ザバンッ!-
勢いも高さも十分なのだが、壁際からプールの中央部に飛ぶには距離が足りなかった。高さプラス距離を稼ぐには壁を蹴って高さを得る方法では無理なのだろう。幸い下が深いプールでよかった。直ぐに水面から顔を出した獅戸へ天笠は手を貸して、プールサイドへ引き上げる。
「高所恐怖症じゃなくて良かった…いや、でも高さは十分なのに距離が…」
「壁を使った方法じゃ、コレが限界みたいね」
その後も「照明のコードでターザンみたいな事が出来るかも!」と、壁を使って近くの照明に掴まってみたりしたが、脚力が強くなったというか身軽になっただけで握力は変わっていなかったようだ。1個目につかまる事は出来てもそこから移動は出来ず、長時間ぶら下がっていられずに落っこちる。それに強度そのものに変化は無いようで、壁を蹴っ飛ばせば落ちてくるかもなんて淡い考えは蹴った瞬間に走った足の痛みで無駄だと早々に理解する。
「痛ったーい!」
「大丈夫?…うーん、良い線行ってると思うんだけど…」
出来そうな事は試した。それでも届かないなんて、どうしたものか。足を擦りながら獅戸は再度辺りを見渡した時にプールに浮いている物が視界に入り気になった。
「先輩、あれは使えませんか?」
「どれ?…あぁ、浮島?」
「浮島って言うんですか?あのでっかいビート板みたいなやつ。…アレを足場に三段跳びの要領でジャンプ…出来ないですかね?」
「えぇ。…そうね、試してみましょう。水中で移動出来る私が、浮島をベストなポジションにセットするわ。どのくらいの間隔で何歩くらい必要?」
「えぇっと…多分3つで足りる…かな?とりあえず3つでやってみます。2歩で移動して、3つ目で踏み切るので、あそこら辺と、最後の1つは箱の…明かりがついていない照明が有る場所の…真下にお願いします。駄目ならもう一度足場増やして挑戦って事で」
「了解!」
天笠の泳ぎはそれは速かった。見える影だけを眼で追っていると船と並走するイルカの魚影を思い出させる。…とは声に出して言わないけれど。あっという間に浮島がセットされて、天笠が此方に近づいて水面から顔を出した。
「アンナちゃん出来たわ。私は念のため水中で待機してるから、安心して落っこちて大丈夫よ」
「ありがとうございます、天笠先輩。此処までしてもらったんですもの。次は箱に届かせます!」
数回深呼吸をして前を見つめた獅戸。一度天笠をみて頷いてから走り出した。彼女を助けた時と同じ僅かな助走、しかし今度は2歩分の床があるため威力は意識してセーブした踏切。
-タンッ…タンッ…-
2歩目の踏み切りで少し高めに飛び上がり、3歩目で水中に沈んだ分をバネとして飛び上がる。まるで鳥が空へ舞い上がるように、真っ直ぐに獅戸は飛び上がった。
**********
「やっぱりありましたよ!天笠先輩の棺」
上手く箱に手が届いた獅戸は暫く観察を続けていたが、少しして水の中に飛び込んできた。今は真下に設置した浮島の上だ。木製の棺、中には天笠がいて、鎖がまかれて南京錠で施錠。状態は水中の獅戸と同じようだ。
「それと、コレ…」
そういって獅戸が差し出した鍵。鍵自体は天笠が手にしたものと似ているが、獅戸が持っている鍵のキーホルダーは旗に1と書かれている物、順位旗だった。
「これ、アンナちゃんの棺の南京錠に書いてあったのと同じだわ。じゃぁ、上の棺には…」
「はい、涙のマークが掘られてました。お互いの鍵が入れ替わってたのかもしれません」
「なるほど。…ねぇアンナちゃん、コレ…開けるべきだと思う?」
「え?」
棺と棺に巻きつけられた鎖、そして南京錠と鍵。鍵があるなら開けてみるべきなのかもしれないが、目の前の相手を本物だと思っているからこそわざわざ捕らわれているもう一人の自分を開放する必要性は感じられない。
この部屋から出られないのは問題だが、鍵を開けて見たところで解決になるのだろうか?2人を沈黙が包む。
どうしたものかと考えていた時だった。
「開けて大丈夫や。あの棺はもう一人の自分、怖いもんとちゃうんよ」
「え!…サヨ!?」
「い、何時からそこに…それにその後姿は…キョウタロウ?」
「来たのはさっきだ。俺たちもその棺開けて来たんだよ」
突然掛けられた声にプールサイドの方を見れば、いつから居たのか月野サヨが2人を見ていた。
そしてその隣に居るマルッとした後姿は此方を向かずに声を返す。そのフォルムと声は間違いなく守屋キョウタロウだった。